第1話 シギとお出かけ
それは、ごく普通の平日の朝のこと。
いつものようにシュウが庭の手入れを終えてリビングに上がってくると、冬里がキッチンで朝食の用意をしている。
「おはよ」
「おはよう。夏樹はまだ? 珍しいね」
朝食の用意はたいてい夏樹の担当なのだが〈それは本人の強い希望による〉今日はどうやらそうではないらしい。
寝坊したのかな。
夏樹は新しいレシピを思いつくと、よく時間を忘れてしまうことがあるからだ。昨夜はそれがちょうど寝る前だったのかもしれない。
けれどどうやらそれはシュウの思い過ごしだったようだ。
「んー、なんか誰かが部屋の前を行ったり来たりしてる」
「え?」
面白そうに言う冬里の言葉に、思わず彼らの部屋へ行く廊下を覗いてみると。
そこで本当に携帯を手にした夏樹がこちらへ来たかと思うと、またくるりときびすを返して戻り、またくるりと方向転換してこちらへ来ようとしたりしている。
「夏樹?」
思わず声をかけてしまったシュウに気づくと、夏樹はハッと顔を上げて飛んでくる。
「シュウさあん~」
「どうしたの」
「どうしよう、冬里になんて言おう~」
そう言ってウルウルしたり青くなったりする夏樹をなんとか落ち着かせて話を聞いてみると。
今朝、起きると携帯に連絡が入っていた。
「あれ? 誰かな?」
確認してみるとそれはシギからだった。
「お、シギだ、ひっさしぶりー」
嬉しそうに、未読の最初から読み始めた夏樹だったが、その顔がどんどん青ざめていく。
〔今度日本に行くんだけど、すごく久しぶりだから、案内を頼みたいんだけどな〕
うお?! 俺に? うわあ嬉しいな。
だがニコニコ出来たのは、そこまで。
〔ごめん。冬里と間違えて送ってしまったみたい〕
え?
〔冬里には新たに連絡するから、気にしないで〕
え? え? ええー?!
気にしないでって言われても……、日本に来るシギは案内を冬里にして欲しかったんだ。けど、間違えて俺に送ってしまって。冬里は俺が、シギが日本に来ることとか、案内を頼んだこととか知ってるのを知らないよな。なんかややこしいけど。
うう、冬里になんて声かけよう。
知らんぷりしとけば良い?
でも、冬里だぜ、きっとばれるって。
で、「なんで知らんぷりしたの~」とか言われて、……うわあもうその先は考えたくない!
「どうしましょうシュウさん! ここはやっぱり知らんぷり? それとも本当の事を言えば良いっすか?」
シュウはほんの少しあきれていたが、それは顔に出さずに言う。
「夏樹落ち着いて、ちゃんと話せば大丈夫だよ」
「そうっすかね?」
「ああ」
と言いつつ、こんな些細なことで夏樹がここまで悩むのかと思うと、またため息が出そうだ。これからはあまり夏樹で遊ばないように、冬里にはもっときつく釘をさしておかねば。
「へえ、知らんぷりするつもりだったんだ」
「ひえっ」
するといつの間にそこにいたのか、冬里がニュッとシュウの後ろから顔を出す。
「すみませんすみません! でも俺が先に知ってたら、冬里怒りますよね」
「ん? なんで?」
「なんでって、シギから冬里への依頼なのに」
「そうだけど、シギからはきちんと説明が来たよ」
そう言うと冬里は自分の部屋に戻り、携帯を持ってきて画面を2人に示す。
そこには。
〔間違えて夏樹に送ってしまったんだけど、改めて頼むね〕
と言う文字が浮かんでいた。
「え? なんだ、もともとバレバレ……」
「そ。シギがきちんと言わないはずないでしょ」
「そうでした」
ホッとする夏樹に、だが冬里は「でもさあ」と遊ぶのをやめず。
またシュウにフルネーム呼ばれそうになるのは、いつものこと。
その翌日。
「ねえ、シュウ」
「なにかな」
「今回のシギの案内さ、やっぱりシュウに頼もうと思って」
「……それはなぜかな」
「だってさあ、シギ、京都に行きたいなんて言うんだもん」
「? それなら冬里の方が」
「えーやだよー。しかもシギってば、言うに事欠いて、ものすごーく久しぶりの京都だから、東山界隈がいいって言い出すんだから」
「それなら余計に」
「もう飽きちゃったんだもん、東山」
はあ、まったく。
ため息を通りすぎて頭痛がしそうですね。
「でも大丈夫だよ、その日の観光ルートは僕が責任を持って考えるから」
「けれどシギは、冬里をご指名して来たんだよね?」
「シュウでも良いって」
まったく。
すでにシギにも了解を得たあとらしい。
「用意周到、だね」
「そりゃあ、僕だもん」
ニッコリ笑う冬里に、肩を落としつつも頷くシュウだった。
「えー? シュウさんだけ?」
だが、それに異を唱える者もいる。
「いいなあ、京都っすよ。しかもシギとですよお。だったら俺も」
もちろん夏樹である。
「だーめ」
「えー? なんでですかあ」
「その日夏樹は、僕と日本全国うまいもの巡りで滋賀に行くんだから」
「滋賀?」
「そ、今、滋賀が熱いんだよ。日本一大きな琵琶湖LAKEがある、近江商人の国」
「へえ~」
「きっと美味しいものも、い~っぱいあるんだろうなあ、楽しみだなあ」
冬里の説明に、夏樹の瞳がキラキラし始める。
「了解です! シュウさん、すみません。やっぱり俺は冬里と日本全国うまいもの巡りに……、あれ? ってことは、その日は店をお休みするんすか?」
「ん? なんで?」
「だってうまいもの巡りって、レトロ『はるぶすと』の日っすよね」
「ああ……。けど今回はシギと話し合って日曜日にしたよ」
「ナイスです! さすが冬里」
「ふふん」
2人の会話を聞いて苦笑するシュウ。
これはもう、観念するしかない?
けれど本音を言うと、シュウはシギとのお出かけはそんなに嫌ではなかった。いやむしろ楽しみだ。彼とは1度ゆっくり話してみたいと思っていたから。
そんな経過があって。
決行? は、再来週の日曜日と決まった。
京都駅の新幹線改札。
「シギ!」
ここから滋賀方面へ行く冬里と夏樹だったが、夏樹がシギに挨拶してから行きたいというので、いったんここで待ち合わせをしたのだ。
改札前にたたずむシギに気づいた夏樹が、嬉しそうに声をかけた。
「ああ、夏樹、久しぶり。冬里とシュウも」
「お久しぶりっす!」
「元気そうだねー」
「ご無沙汰しています」
いつもながらの三者三様の挨拶に、嬉しそうに微笑むシギだった。
在来線のホームで2人と別れたあと、シュウたちは改札を出て京都タワーを見上げていた。
「久しぶりの京都タワーだ」
「そうですか。冬里のうんちくによると、このタワーは京都の町を照らす灯台を模しているのだそうです」
「へえ、さすがは冬里」
「ですね。では出発しましょうか」
生真面目に言うシュウに、思わず笑ってしまうシギ。
「はい、フフフ」
「どうかされましたか?」
「いえ、さすがはシュウだと思って」
「?」
怪訝に首を傾げるシュウを促して、「では出発しましょう」とシュウの言葉をそのまま返すシギだった。
東山界隈へ行くのならバスを使うのかなと思っていたシギだが、案に反してシュウは地下へ降りて行く。
「冬里から今日の観光コースをたたき込まれたんですよ。バスは満員電車なみにギュウギュウだろうから、地下鉄と徒歩で巡れと」
「ははあ」
「ですので、恐縮ですが今日はかなりの距離を歩いて頂くことになります。シギはそれで大丈夫ですか?」
「冬里が考えたのなら大丈夫でしょう。僕こう見えてかなり健脚なので」
面白そうに言うシギに、こちらも可笑しそうに微笑むシュウ。
「それも込みでしょうね」
2人はまず地下鉄を乗り換えて東山駅で降りる。
ここから徒歩で平安神宮へ向かうのだ。
交差点を左へ折れると、大鳥居がいつもながらの存在感で見えていた。
桜の時期はもう過ぎているので残念だが、平安神宮は何度か訪れたことがある。ここは建物も、庭園も、いつ来ても美しく見応えがある。
ひととおり平安神宮を楽しんだあと、シュウが提案した。
「これは冬里の観光コースには入っていないのですが、よろしければ10時のおやつにしませんか?」
「10時のおやつ?」
「はい」
そう言ってシュウが連れて行ってくれたのは、平安神宮の近くにある店。
「すいていれば良いのですが」
〈六方屋〉と言うその店は、古いたたずまいの甘味処だ。みたらし団子や安倍川餅、抹茶などが頂ける、趣のある茶屋と呼べるような店だ。百年人なら、田舎のおばあちゃん家に来たみたい、と言う感想を述べる者もいるだろう。
うまいこと座れた2人は、ぜんざいとみたらしを頼んでしばしの休憩を楽しんだ。
そして。
平安神宮からは、ひたすら徒歩で東山界隈を巡る。
まず、南禅寺と蹴上げのあたりを回り、そこから知恩院へ。
そのあと円山公園を通って、清水寺に続く坂をひたすら上がっていくコースだ。
(冬里の観光コースは、かーなーり、歩きます! 千年人なら楽勝なのですが、もしトライされるのでしたら、どうか覚悟の上で! なんてね)
休日の京都は、さすがにどこへ行ってもたいそうな人混みだ。
2人は時にはゆるりと、時にはやや急ぎ足で、次々コースを制覇? していく。
四方山の話と共に。
「シュウとは、1度こうしてゆっくり話してみたかったんだ」
「それは私もです」
「だったら、こんな企画を考えてくれた冬里のおかげだね」
「そうですね」
話していくうちにわかったのだが、シギは現れてからそろそろ500年を過ぎるらしい。
「ハルより年上なのですね」
「うーん、でも、僕よりシュウの方が年上って感じだなあ」
「それはどういう意味ですか?」
「そのままの意味」
「まったく」
苦笑するシュウを可笑しそうに見つめるシギだった。
清水坂の入り口あたりにたどり着いたときは、世間で言う昼時をとうに過ぎていた。
だが、彼らは見た目に反して? 効率的な身体をしているので、本来食事はあまり取らなくても良い。なので今日も、10時のおやつで十分腹ごなしが終わっているので、昼食もとらずにコースを歩いている。
とは言え。
「あ、シュウ、見て見て、ぬれおかきだって」
「歩きながら食べられそうですね。買いましょうか」
「賛成」
「今度はわらび餅だって。ソフトクリームと一緒になってる、美味しそうだよ」
「これも歩きながら……」
「うん、じゃあ2つ!」
「饅頭だ! まんじゅうこわい、って言うラクゴ(落語)知ってるよ」
「饅頭の後はお茶をどこかで頂きますか」
「あはは、最後はお茶こわい、だったね」
清水坂には、食べ歩き出来るものがたくさんあるので、それが昼食代わりだ。もしここに「おなかすいたー」の由利香が一緒でも凶暴にならずにすみそうだ(笑)
最後に訪れた清水寺も、かなり混んでいる。
「フィニッシュ地点だね。楽しかった~。ありがとうシュウ」
本当に楽しそうに言いながら、シギは頭を下げる。
けれど、
「まだすべて見終わっていませんから。それに……」
と、何かを言いかけたシュウを手で制して、シギが言う。
「OK、その先はすべて見終わってから。まず、ここも楽しもうね」
「わかりました」
ちょっと苦笑しつつシュウは、拝観受付の列へとシギを導いた。
「ああ、本当にこれで終わっちゃったー」
清水寺を出て来たところで、シギが晴れやかな顔で言う。
「楽しまれましたか?」
「もちろん! シュウのおかげ」
両手で手を取ってブンブン振るシギに、ここでもシュウは苦笑気味だ。
「コースを組み立てたのは冬里ですが」
「そうだった、2人のおかげだね」
頷きながら手を離したシギに、シュウが、土産屋が立ち並んだあたりを見つつ言う。
「それでは行きましょうか」
2人を乗せたタクシーは何やら見た事のある場所で停まる。
そこから歩くこと数分。
見覚えのある数寄屋造りの建物と、立派な門が目の前にある。
スッと開いた門にシュウが入っていく。迷いなくシギが後に続いた。
「いらっしゃいませ」
「ご無沙汰しています、綸さん」
玄関先にいたのは、この店の女将、紫水院 綸だった。
そう、ここは〔料亭紫水〕。
本日の夕食は、ここを予約してあったのだ。
「お連れ様がお待ちかねです」
「あ! シュウさん! シギ!」
「いらっしゃーい。東山は楽しめた?」
用意された個室に入ると、そこにいたのは夏樹と冬里だった。
実は2人は、滋賀のうまいもの巡りを終えた後、ひとあし先に〔料亭紫水〕に到着していたのだ。
「え? なんとなんと、君たちも一緒なの?」
「当たり前だよ。僕を誰だと思ってるの」
「厳しい厳しい先代ですやん」
入り口の方から声がして、そこには13代目、紫水院 伊織こと総一郎が立っていた。
今回の料理は、厳しい厳しい先代のお眼鏡にもかなったようだ。
「うーむ、すべてよきかな。頑張ってるね、総一郎」
「ありがとうございます」
そんな2人の言葉も耳に入らないような厳しい顔をした約1名もいる。
「うーむ、むむむ……」
「夏樹はまたランチを進化させそうだし」
「ハハハ、それはまた食べに行かなあきませんなあ」
腕組みして考え込んでいた夏樹が、総一郎の言葉にハッと我に返る。
「え? ぜひ来て下さい! 待ってます」
「はい、喜んで」
そんなこんなで、シギとのお出かけは幕を閉じたのだった。
そしてまた彼らは京都駅へ帰って来た。
「では、この後も楽しい旅を」
「ありがとう、もしかしたら帰りに君たちの店にも寄るかも、ね」
「時間があれば、是非!」
「楽しみにしてるね」
明日は奈良へ行くシギとはここでお別れだ。
「依子にいじめられないようにね~」
「ハハハ、相変わらずだなあ、冬里は」
3人が改札を抜けて振り返ると、シギは爽やかに手をあげてくれた。
そして今夜の宿へ向かうべく、ゆったりと駅を出て行った。
手始めは、シギとシュウのお出かけです。
この2人の取り合わせは、ちょっと珍しいですよね。お楽しみ頂けたら幸いです。