7:なんだかカチンと来た
悲鳴を上げたのはリサではない。私だ。
だって蜘蛛がいると聞いていたのに、リサの隣にいる男性の聖職者の肩には、どう見ても前世で知っているお馴染みの黒い虫が見えたのだ。
鳥肌が立ち、恐怖で震えが走る。
セルジュが私を胸に抱き寄せ、事態を把握しようとする。すぐさま理解したようだ。
「変身魔法、発動。黒く美しき蝶となれ」
セルジュが手を向けると、その指先から空色の光が放たれる。
黒い虫の体が澄んだ空色の光に包まれ、その姿は瞬時にクロアゲハのような蝶の姿に変わった。
「シルヴィ、もう大丈夫だよ」
耳元で聞こえるセルジュの声が甘く聞こえてしまい、ホッとしつつ、ドキドキするという矛盾状態になる。
一方、予定されていた蜘蛛に気づいたリサは、どうやらセルジュと同じような力を使ったようだ。
雀が一羽、飛び立っていった。
◇
「本当にすみません……」
お茶会の会場へ向かう道中、私はその言葉しか発することができない。
せっかくの悪役令嬢デビューが、こんなことになるなんて。しかも、黒光りして夏にガサゴソ這いまわる虫と思ったものの正体は、カブトムシのメス。その事実を知らされた時、なおのこと落ち込んだ。
結局、リサをいじめるどころか、セルジュと私のラブラブぶりを披露するだけになってしまった。
恐怖で震える婚約者を優しく抱き寄せ、突然現れた虫を殺すことなく、その姿を魔法で変えた。そして安心させるように何度も「大丈夫だよ」と囁き、抱きしめる。
どう見たって優しい王太子、愛されている婚約者の図だ。
でも周りに大勢の人がいるせいか、セルジュが私を責めることはない。ただひたすら「気にしないで、シルヴィ」と優しく答えるだけだ。
セルジュが優しければ優しいほど、申し訳ない気持ちが募る。
次こそは。お茶会の席では必ず、リサに意地悪する。
そう心に固く誓った。
お茶会の会場は大聖堂の中庭で行われることになっており、8人が座れるテーブルには、既に美味しそうなスイーツが並べられていた。
カヌレ、アーモンドケーキ、クッキー、バンプティング、フィナンシェなど盛りだくさんだ。
美味しそうなスイーツに先ほどの失敗のことを忘れそうになるが、気を引き締める。昨日と違い、ティー・ガウンではない。こんなにスイーツがあっても、ろくに食べられないはず。だからとにかく、黒い髪を見つけ、リサに文句をつけなければ。
私は聖女であるリサを、チラリと見る。
どう見ても善良そうであり、これから私に嫌味を言われることなど想像できていないと分かる。しかも濡れ衣で文句をつけられるのだから……。
「さあ、皆さま揃いました。お茶会を始めましょう」
教皇の声を合図に、給仕の役割を担うらしい二人の少年が、ティーポットを片手にテーブルへやってきた。次々と着席しているメンバーのティーカップに、紅茶が注がれていく。
着席しているメンバー、それはソテル教皇、リサ、二人の司祭。彼らの対面にセルジュ、私、シルウス、ランディという感じだ。
黒い髪を魔法で皿に出現させるのはシルウス。
そのシルウスは隣にいるのだから、分かりやすく合図を送ってくれるだろう。だからそれまでは平常心でこのお茶会を楽しめばいい。
そう判断した私は、目の前のアーモンドケーキを自分のお皿に取った。
和やかに会話が続いている。
教皇は相応の年齢だったので、先代国王夫妻のこともよく知っているようだ。しきりに彼らのことを、セルジュに話して聞かせていた。
「おっと」
シルウスがティースプーンを落とした。
こんな時は給仕してくれている少年に拾ってもらうべきなのだが、シルウスは自分で拾おうと地面に手を伸ばす。
その瞬間、ピンとくる。
魔法を詠唱するためだと。
私は素早くテーブルに並べられたお皿に目を走らせる。
カヌレがのった皿だけが、もう空だった。
そのお皿に黒い髪が一本、見える。
これだ!
「髪が」
「髪があるじゃないか! これは黒髪だ。なんと聖女さまの髪ではないか! はっ! まさに聖遺物か!? いやそんなことはないな。不衛生だ。聖女さま、料理の時はウィンプルをつけよとお願いしましたよね!」
私は思わず呆然とする。
なんてめざといのだ、この教皇は。
しかも、言っていることがまるで悪役令嬢みたいではないか。
というか、王太子の婚約者である私が声を発しようとしたのに、それに被せて自身の言いたいことを述べるというのも……。
それにリサは同じ聖職者、仲間ではないのか? なぜそんな責めるような言い方をするのだろうか?
なんだかカチンと来た。
それにこういう遠回しで嫌味な言い方は、前世のモラハラDV夫みたいで、許せない気持ちになる。当時はこんな言われ方をしても、ただ受容し謝罪していたが……。今は冷静な判断ができる。
「ソテル教皇」
未だ、リサに対する文句を言い募る教皇を制するようにその名を呼ぶ。
「? は、はい、なんでしょうか、シルヴィさま」
「確かにカヌレのお皿に髪がありましたが、でもカヌレを食べ始めた時に、お皿に髪はありませんでした。今日は風もあります。今、お菓子をいただいている最中に、髪がたまたま飛んできただけかもしれません。それに調理中にはウィンプルをつけていましたと、リサ……聖女さまは仰っていますよね? ソテル教皇の中には、疑わしきは罰せずという気持ちがないのですか?」
「そ、それは……」
教皇は顔を真っ赤にして黙り込む。
「まあ、シルヴィ、落ち着いて」
セルジュが膝の上に置いていた私の手を、優しく握った。
「ソテル教皇、あなたが衛生面を気遣う心がけはとても立派に感じます。不衛生な状態から疫病が流行ることは、昔から知られていますしね」
セルジュの言葉に教皇は、コクコクと首を縦に振る。
「その一方で、シルヴィが言う通り、確かにこの黒髪は先程まではなかったと思います。カヌレのお皿は私の目の前にありましたから、それは事実です。風に飛ばされてきた。私もそうではないかと思います。それにこれは黒髪に見えますが、ダークシルバー、ダークブランにも光の加減で見えるように感じませんか。聖女さまが犯人と決めつけるのはどうなのでしょう。疑わしきは罰せず、それで決着させませんか」
教皇は一瞬唇を噛んだが、セルジュの言葉への反論は見つからないようだ。ややぶっきらぼうな言い方ながら「そうですね」と答えた。
「ソテル教皇、ありがとうございます。ご理解いただけて、良かったです。ところでお茶もお菓子も尽きてきたので、今年度の寄付金のことでお話をさせていただいても?」
教皇の顔つきが変わった。
「もちろんですですとも、セルジュ王太子さま。執務室で続きをお聞かせいただければ」
教皇は揉み手をしながらニヤニヤしている。
私の胸元を見る時といい、お金に対する反応といい、ソテル教皇は教皇なのに、世俗にまみれているように思えてしまう。
「シルヴィ、先に馬車に戻るか、庭園でも散歩してもらえますか? ランディは私についてきますが、シルウスは君のそばにいますから。彼なら何があっても君を守れます。大丈夫です」
不意に耳打ちされ、甘いお菓子が香る息を感じてしまい、心臓がドクンと大きく飛び跳ねる。
「分かりました」
私の返事を聞いたセルジュは立ち上がりながら、その手で私の頬に触れた。
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次回は、明日 12時台 に以下を公開します。
「世俗まみれな理由」
ある人物の過去が明かされます!
引き続きよろしくお願い致します!