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第40話 生還

 

 葬送のラッパが寂し気に響く中、レイテ湾の戦いで戦死した者達の棺が一つ、また一つと海中へ滑り落ちて行く。蒲生喜八郎の棺もその中の一つだった。


 艦橋に直撃弾を受けたため、蒲生や戦隊参謀らの遺体は見るも無残な姿となってしまった。もはや棺の中に入っているのが本当に蒲生の肉体なのかも判別は出来ない。

 が、ともあれ隆は蒲生の棺を敬礼で見送った。


 棺の中には蒲生がこっそり楽しんでいたウイスキーも入れた。隆と横井が少し飲んでしまったが、ボトルの中身はまだ半分近く残っている。

 思えば、開戦以来蒲生はゆっくりと酒を飲む余裕など無かったかもしれない。


 ――あの世で、ゆっくり楽しんで下さい。


 涙は出なかった。

 悲しさよりもやりきれない思いが残った。


 あの時、蒲生は西村中将の最後の命令を無視して反転した。

 厳密に言えば、命令違反ではない。既に艦隊司令は脱落を覚悟し、自らの指揮権を放棄していた。その時点で第十二戦隊への命令権は蒲生の手に戻っている。とはいえ、西村中将の最後の命令が『前進して敵を攻撃せよ』だったことを思えば、蒲生の取った行動は臆病者の謗りを免れないかもしれない。


 だが、隆は蒲生が臆病故に撤退を選んだのではないことを理解していた。


 連合艦隊司令部は玉砕を望んでいただろうし、西村中将も艦隊の玉砕を最後に指示し、自らも玉砕を選んだ。それは、あるいは国民に対する弁解の意味もあったのかもしれない。


 サイパン島の陥落を受けて三か月前に東條内閣が総辞職となり、新たに小磯内閣が成立した。

 東條内閣において国家総動員体制を強力に推進したため、国民には重い負担を求めた。その当然の結果として、内閣及び軍に対して国民感情が悪化しているという現実がある。


 俺達はこんなに辛い思いをして戦争を支えているのに、一向に暮らしが楽にならない。そんな声なき声が日本中から少しづつ上がってきていることを大本営は理解しているのだろう。

 国民の批判をかわすため、前線部隊には玉砕を求める風潮が上層部にあった。現場は死ぬまで戦っているのだから、国民も死ぬまで戦ってくれということだ。


 しかし、隆に言わせれば玉砕などしたところで何の意味も無い。

 軍人が死んで、一体だれが海の外で戦うのか。どうやって敵の本土上陸を阻止するというのか。陸軍は本土決戦に全てを賭けると息巻いているらしいが、少なくとも敵の空襲を防ぐ手立てが無ければ、本土決戦など国民を、家族を巻き込んでの玉砕戦にしかならない。

 何としても海の外で戦い、海の外で戦争を終わらせなければならないのだ。


 もっとも、蒲生はこの政権交代に期待していた。新たに成立した小磯内閣では、米内光政が海軍大臣に就任したからだ。

 同じ避戦派であっても蒲生は米内とそこまで親しくは無かったが、米内に海軍次官として抜擢された井上成美が終戦に向けた工作を始めていることは耳にしていた。


 あと少し、あと少し戦い抜けば、終わりが見えるはずだ。

 それが近頃の蒲生の口癖だった。


 ――本土決戦だけは何としても阻止して見せます。


 自らの乗艦も失ったいち中佐に何ができるかは分からない。

 だが、隆は蒲生があの地獄の海戦の中で、それでも乗員を生き残らせることを選んだ意味をそう理解した。


 間もなく終わりが見えるのなら、それまで何としても生きて戦い抜かねばならない。



 西村艦隊の艦艇のうち、ミンドロ島の基地へ帰り着けたのは僅か二隻だった。

 最後尾を航行していた巡洋艦最上は、多景の反転に伴って同じく戦闘海域を脱出したものの、その後のアメリカ軍の空襲を受けて燃料タンクが炎上したため、総員退艦の上でボホール海に沈没した。


 隆が艦長を務める薄雪も船首に受けた魚雷の浸水が止まらず、機関部まで浸水するに及んで、総員退艦の上で自沈命令を出した。


 多景は艦橋に直撃弾を受けたものの、幸いにも機関部には被弾しておらず、航行そのものに問題は無かった。

 そのため、最上と薄雪の乗員は多景に移乗することが出来た。それがあったからこそ、隆は自沈命令を出すことが出来たのだ。


 だが、多景の受けた精神的ダメージは計り知れない。

 蒲生を始め、多景の幹部将校達はほとんどが艦橋の直撃弾で戦死してしまった。今や多景の正規の乗組員は砲術長が率いている状態だ。


 隆はミンドロ島までのつもりで多景の指揮代行を務めた。直前まで多景の副長を務めていたこともあり、乗組員達の方がそれを望んだからだ。

 だが、ミンドロ島に帰り着いた隆には、そのまま多景を本土に回航して呉で修理を受けろと命令が下った。編成早々の第十二戦隊は解散となり、他船から収容した海兵はフィリピンの地上戦に投入されたが、隆は艦長代行として帰国の途に就いた。






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