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第26話 周囲の目

 

 年が明け、昭和十三年になった。

 駆逐艦『栃』の副長を更迭された隆は、帰還命令を受けて呉に戻り、この度正式に予備役編入の辞令を受け取って帰宅の途に就いた。


 汽車に揺られながら蒲生からもらった手紙を読み返す。

 手紙の中の蒲生は、今回の予備役編入について隆に一切の非は無く、あくまでも政治的な決定であること。決して気を落とさずに再起の時を待つようにと強調していた。

 だが、何故隆が予備役に回されたのかといったことには一言も触れられていない。恐らく何か事情があるのだろうということは察せられたが、振り返って己の行動が海軍規律に反していたという実感もない。


 帰りの船や汽車の中で様々な可能性を考えたが、結局思い当たることは何もなかった。


 ――まあ、いいか


 考えることもバカバカしくなってきた隆は、一切の思考を放棄した。

 未だ大陸での戦争は続いており、横井達戦友を置いて一人内地に戻ることに幾分かの後ろめたさはあったものの、内心では喜んでもいた。


 ともあれ、約束通り生きて帰って来た。

 その安堵感が胸を満たした。


 ――喜んでくれるだろうか


 予備役に回ったことで、今後隆は基本的に家にいることになる。数か月に一度海軍基地に呼ばれて訓練を受けはするが、今までのように艦隊で勤務することは無くなり、基本的には新次郎と共に田を耕す生活になるはずだ。


 とはいえ、蒲生の手紙を信じればいずれ隆は戦場に戻ることになる。その時はまた生きて戻れるかどうかは分からない。

 いざその時になって悲しむ千佳を想像すると、隆の心は少し重くなった。




 千佳が台所で米を研いでいると、玄関の戸が開く音がした


「ただいま」


 新次郎の声ではない。それに、新次郎なら玄関ではなく勝手口から入って来るだろう。

 一体誰だろうかと不審に思いながら応対に出た千佳は、玄関に立つ人物を見て思わず目を見張った。そこには、外套を着込んだ隆が立っていた。


「た、隆さん!?」


 今まで帰る前には必ず手紙を寄越してくれていた。何の前触れも無しに帰って来たことは今までにない。


「一体……どうして……?」


 驚く千佳に隆が少し気まずそうに言った。


「お役を免ぜられた。しばらくは、家に居るよ」


 千佳の目に見る見る涙が溜まっていく。

 神様が願いを聞き届けてくれた。隆を帰らせてくれた。少なくとも、千佳はそう信じた。


「お帰りなさい」


 震える声で千佳がそう告げると、隆はゆっくりと千佳の背中を抱いてくれた。

 千佳も隆の背中に手を回す。

 その時、仏間から真知子が飛び出して来た。


「お父さん!」


 千佳を押しのけるようにして真知子が隆に抱きつく。千佳は負けないように真知子と押し合ったが、ついには千佳が折れて真知子に場所を譲った。

 真知子を抱き上げた隆は、千佳の頬を撫でてくれた。


 なんていい日なのだろう、と千佳は思った。



 翌日から隆は新次郎と共に野良仕事に出かけるようになった。今までは数日の間しか家に居られなかったが、今日からはずっと家に居る。

 千佳は毎日が楽しくてたまらなかったが、一か月が経った頃、洗濯用の水を汲んでいると近所のおばさんから声をかけられた。


「千佳ちゃん。お婿さん最近家にいなさるけど、戦争は終わったんか?」

「いえ、実はお役を免ぜられて在郷さんしているんです」


 在郷軍人は堅田の町にも大勢居る。

 主に陸軍の予備役軍人だったが、そうした在郷さんたちは青年学校で軍事訓練を施す教官をやっている者が多い。

 青年学校では、経済的な理由で中学校に進学できない十六歳~二十歳までの男子を集めて軍事教育を行っており、修了後は現役歩兵として一定期間の軍隊勤務が命じられる。

 要するに陸軍の徴兵機関だ。


「堅田の在郷さんは召集されて戦争に行ってなさるたけど、海軍さんはお(いとま)出さはるんやねぇ」


 おばさんにも悪気は無いのだろうが、千佳はそう言われてドキリとした。


 言われてみれば、確かに大陸での戦争で陸軍予備兵の多くが戦争に行ったという噂は耳にしていた。

 陸軍さんと海軍さんではまた違うのかもしれないが、こんな時期に在郷に回ったということは、何か事情があったのだろうかと不安にもなる。


 隆が戦争に行っている間も不安だったが、戦争から戻って来ても不安になってしまうとは、千佳自身思いも寄らなかった。


 隆が戻って二年が経つ頃には、明確に周囲の様子が変わって来た。


 隆は毎日のように野良仕事に出かけ、米作りを新次郎に教わっていた。今年の四月からは請われて青年学校の教師となり、小銃の取り扱いや手旗信号などを教えている。陸軍の在郷さんが戦場に行ったため、教える人手が足りなくなったからだ。


 昭和十三年の年末も近くなった頃には日本全体が戦時体制に移行し始め、鉄鋼やゴム、石油、羊毛などの民需使用が制限されて手に入りにくくなった。

 日常生活に多少の不便があっても「戦争に勝つために兵隊さんに使ってもらう」という精神のもと、伊香立村や堅田の町でも不平不満を表立って言う者はいない。

 だが、その「兵隊さん」である隆がいつまで経っても自宅に居ることに対し、周囲は不審の目を向けるようになってきていた。


「ウチの人は戦争に行ったのに、秋川さんとこのお婿さんはまだ家にいてはる」


 といった噂話を耳にしたこともある。

 戦争に行ったのはあくまでも陸軍出身の予備役軍人であり、海軍出身の隆と同列には語れないのだが、民間人にはそんな細かいことは分からない。

 戦争が激化の一途を辿る中でずっと家にいる「兵隊さん」に対する世間の目は、徐々に冷たい物へと変わっていった。





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