前編
暇つぶしにどうぞ。
暇つぶしになるのかはわかりませんが。
「はあ? わたしに勇者候補を育てろって?」
聖女の一人である、シャーリーがドスの効いた声を上げた。
まさに晴天の霹靂。
齢百十四の大ベテランの聖女からのものすごい威圧に、命令書と言う名の指示書を読み上げた神官が震えあがった。
弱冠二十にも満たない子供に、この神殿でもっとも力のある聖女シャーリーの威圧は毒だった。
「あんた、わたしに何言ったか理解してる?」
「は、ははは、はいぃぃ!」
ぎろりと睨めばガタガタと震えだし、まるで弱い者いじめの構図だ。他人が見れば、また大ベテランの年増聖女が神官をいじめている、なんて言われかねない。
しかし、シャーリーとて別にイジメたくてイジメているわけじゃなかった。
そもそも、いつもいつも面倒で大変で、命の危機さえあるような案件を回してくるトップ層が悪いのだ。
そのくせ報酬はほんのちょっぴり。
ほかにも、もっと若々しい下っ端聖女にやらせるべき案件だって、きつい、汚い、危険などの理由でやりたがらない彼女たちに代わって、自分に回ってくる。
なんでも最近の若い子は、大変な事を頼んだり、少しきつい物言いをするだけで 逃げ出す根性なし。
すぐに結婚という手段を用いて、寿退職していく。
長く聖女を務めてもらうためには優しさを見せねばならないらしい。
優しさと甘えを混同してほしくないというのが、シャーリーの言い分だが。
聖女とは、神様から力を与えられ、人に害をなす魔を浄化する力を持つ女性。
その力はなぜか女性にしか現れない。そして、力を持つうちは、若々しい肉体が保たれ、人の理から外れる存在となる。平均寿命は約二百年ほど。
貴重な存在故、聖女を預かる神殿でも大切にされてきた。少しでも長く聖女業を全うしてもらうために。
シャーリーは齢百十四。二百年ほど生きる聖女の中では中堅を過ぎたころで、実は現在存命の聖女では最も長生きしている。
昔は百歳を超える存在がたくさんいたらしいが、シャーリーが神殿に来た時には、百歳ほどのベテランが一人いただけで、その下は三十歳が数人いる程度。
みな早い段階で聖女業から離れて行っていた。
聖女とは、男女のあれこれを知らない無垢な女性。
実は、結婚して男女のあれやこれやを知ると、力を失うのだ。
そのため昔は結婚にかなり規制がかかっていた。
だが長い年月の間で統計を取った結果、年齢が若い聖女が産んだ子供の方が、神々から選ばれる確率が高いと知られた。
つまり、今は結婚が推奨されている。
そのため、シャーリーは年増聖女と呼ばれて、若い聖女や神官たちからお局様として忌み嫌われていた。
大御所聖女様は、下っ端いじめがお好きだと噂され、それを真に受けた大神官や枢機卿が乗り込んでくる。
若い娘の言いなりになりやがって、と指示書を無視することもできるのだが、シャーリーが嫌だと言えば、困るのはさらに下々のモノ。
魔とは、人の闇が結果物質化したもの。
闇が深くなれば、人の精神に影響を与え、食物などにも被害が出て深刻な問題となってしまう。
そのため、結局シャーリーが動くことになる。
日々美貌を研鑽する若い聖女たちに代わって。
さて、そんなシャーリーに下された今度の指令は、“勇者育成”。
勇者とは、魔王を倒す存在だ。
人の中から神々によってえらばれ、聖剣を持ち戦う者。
そして魔王とは、闇が深くなると生まれる闇そのモノで、半世紀に一度の割合で発生する。ちなみに、シャーリーは二度目の経験になる。一度目は、まだ若すぎたため育成には携わっていなかったが。
勇者候補者は幾人にもなるが、本物に成長するのはただ一人。しかし、そのただ一人を育て上げられた存在は世界中から注目され、未来が約束される。
しかし、シャーリーには一切興味がなかった。
そもそも、シャーリーは若い娘たちに辟易し、若者を教育するなんてまっぴらごめんだった。
「小娘たちはどうしたのさ。こういう仕事こそ好きそうじゃない」
勇者を育てるとは言っても、候補者はすでに十代後半から二十代ほどと統計的に知られている。しかも見目整っている美男子。
そのため、魔王の事や力の使い方などを教えるだけだ。
ぶっちゃけ、自分の育てた勇者候補が勇者になり魔王を倒せば、絆の深まる勇者と結婚してもいいし、望めば王族との結婚だって夢じゃない。
玉の輿コースまっしぐらだ。
「あのー、皆様すでに勇者候補様方と面会を終えておりまして……お一人だけ決まらなかった方がいるのでその方の育成を――」
「はっ」
シャーリーは短く嘲笑する。
「何? 自分たちの好みの男じゃないから嫌だって? 馬鹿にしてるの?」
ぎろりと睨めば、神官は泣きそうだった。
「そ、そそそ、そのような事は……」
「そのような事があるって、あんたも認めていそうね?」
椅子の上で背筋をピンと伸ばし足を組むシャーリーに、神官は戦々恐々としていた。いつも、誰が上層部からの指示書をシャーリーに伝えるかくじ引きをするが、今日ほど運のなかった己を神官が嘆いていた。
「シャ、シャーリー様はベテランであらせられますので、他の聖女様方のお手本になっていただければと……」
「だから誰もやりたがらなかった余りものをわたしに寄越すと? 誰かがやらなければいけないから?」
この神官に言っても無駄なのはシャーリーも分かっている。
もともとは若手を甘やかす、上の老害たちが悪いのだ。
そして、それを当たり前のように甘受する聖女たちも。
正直、若手を優遇するよりか、こき使って聖女の辛さを半分でも知ってから、結婚して、いなくなってくれた方がよっぽどいい気がしている。
何も知らないのに、大変でした~、と涙ながらに語ってる姿を見るたびに、お見合い現場をぶち壊したくなるのは、どうしてだろう。
嫉妬ではないと言っておきたい。絶対に違う、断じて違う!!
長く聖女を務めている者が優秀と言われているが、大した仕事をしていないわがまま娘が聖女として敬われているのは腹立つ。そう、きっとこれだ!
イライラしても、結局いつものパターンだ。
シャーリーはいら立ちを隠しもせず、目の前の神官に言った。
「いいわよ。全員に見捨てられた勇者候補を見てやろうじゃないの。少しでも可能性があるのなら、わたしが教育してやるわ」
「あ、あああ、ありがとうございます! 早速連れてまいります!」
逃げ出すように出ていく神官の後ろ姿を憮然と見返し、シャーリーはふんと鼻息荒く息をついた。
神官が言った通り、すぐに勇者候補を連れてきた。
なるほど……
シャーリーはその勇者候補を見た瞬間、目を閉じ口元をひくひくさせた。
頭が痛いと言わんばかりに、こめかみを押さえ、相手を怖がらせないように深く深く深呼吸をする。
なんとか呼吸を整え、目を開けるとびくりと件の神官が震えた。
「へー……、なんかの冗談?」
「いえ、そのぉ……こちらのお方は神がお選びになられた勇者候補様で――……」
「ふーん?」
「枢機卿様方も、やはり一番年上のお方が優しく導くべきだと――」
「ほー?」
俯いてシャーリーを見ることのできない神官に代わり、シャーリーを見上げているのは勇者候補だ。
そう――勇者候補はシャーリーを見上げている。
シャーリーは椅子に座っていた。
そして神官は跪き、勇者候補は立っている。
「いつから、この神殿で子育てするようになったのか、ぜひとも聞きたいものね?」
誰がどう見ても十歳にも満たない幼い少年。
どこかから、かどわかしてでも来たのかと、不穏なことまで考えてしまった。
もしくは、シャーリーに対する嫌がらせかと。
しかし、その少年の右手の甲。
そこには確かに神の紋章がはっきりとくっきりと表れていた。
神の紋章は、神に選ばれた証拠。ちなみに、聖女ももれなく全員が紋章持ちだ。
その紋章は、身体のどこかに現れる。
基本的に後天的なものだ。
どういう基準で選ばれているのかは、それこそ神のみぞ知る。
「ほ、ほら! ご挨拶しろ!」
神官が少年に促し、シャーリーの眉がピクリと動く。
「ご挨拶しろ? あんた何様? たかが神官風情が勇者候補様に対してちょっと無礼すぎじゃないの? どういう教育受けてるのかぜひとも知りたいものね」
神殿内での序列は教皇がトップで、その下に聖女が来る。
そして枢機卿、他の神官たち。
勇者候補は聖女と同格だが、勇者に昇格すれば聖女よりも地位があがり、教皇と同列になる。
つまり、一介の神官が雑な言葉を使っていい相手ではない。
聖女の力が漏れ出し、神官がおびえたようにひれ伏した。
「ひっ! も、申し訳――……」
全く、殺されるとでも思っているのか。
殺るなら、上から順々に足がつかないようにやるわよ、と心の中で罵倒する。
「もういいわ。あんた、出てって。邪魔だから」
「は、はい!」
退室の声に嬉々として部屋を出ていく相手に、今度会ったときどうしてやろうかと考えながら、目の前の勇者候補を見た。
幼い。
こんなに幼い勇者候補は初めてかもしれない。
なるほど。誰もやりたがらないはずだ。
まずは育児をしなければならないのだから。
「名前は?」
「……ルイ」
子供らしい高い声だ。
しかし、その口調は子供らしからぬ硬い声。大人など信じない、そんな感じだ。
じっと彼の恰好を見る。
さすがに勇者候補だからか、質素な身なりだがそこそこまともだ。
いや、シャーリーの前に連れてくるために、綺麗にさせたのかもしれない。
だが、体つきはまともじゃない。
痩せた手足、頬もこけている。
十歳より下に見えたが、もしかしたらもっと年齢は上かも知れないとシャーリーは考えた。
「今、いくつ?」
「さぁ?」
年齢が分からない――孤児か。
過去を詮索するのは簡単だが、面倒くさい。
まさか、心のケアからやっていけと? どうやって……。子供を育てたこともないんですけど?
せめて孤児院で心のケアが終わってからこっちに寄越してほしかった。
「まあ、いいわ……。とりあえず、ごはん食べるわよ。付いてきなさい」
餌付けするか。
それしかシャーリーは思い浮かばなかった。
頷きもせず、無感動な表情で相手はシャーリーの後ろをついてきた。
こうして、勇者候補ルイとの生活が始まった。
その五年後、勇者候補のルイはシャーリーの餌付けの結果、すくすくと育った。
それはもう、驚くべき変化。
五年の間に身長が百八十ほどに伸び、声変わりをし、顔つきも可愛らしい顔つきからびっくりするぐらいのイケメンに育った。
ボサボサだった藁のような髪は、栄養状態が改善し素晴らしい輝きを放つ金髪になり、濁った碧眼は、時と共に明るい碧眼に生まれ変わった。
子供っぽい顔つきは、すっきりと青年になり、蛹が蝶になったように、誰が見ても美貌の青年だ。
子供の成長はなんて早いんだろうと、しみじみするところが、すでにおばさんだ。
まあ、実際齢百十九のババアだが。
「ルイ、いい? 力に振り回されては駄目よ。集中して――……」
勇者候補の持つ力と聖女の力は同じようなものだ。
少し違うのが、聖女の力が魔を払うものだとしたら、勇者候補の力は魔を切る力。
しかし、聖女の方が力の使い方には慣れている。
ゆえに、初歩的な使い方を教えるのが主な仕事になるのだ。
ただし、ルイの場合は本当に一からだった。
まずは、その痩せすぎた身体を太らせるところから。体力をつけさせ、基礎を叩き込む。
聖剣を持つために、剣の扱いを教え、実践も行う。死なないために。
文字すら知らなかったルイに読み書き計算も教えたが、彼はなかなか優秀な生徒だった。
あっという間に飲み込んでいき、今時の聖女とは違い教えがいがあり、余計なことまで色々教えてしまった。
「シャーリー、この間絡んできたやつら、駄目だったみたいだ」
基礎練習をしていたルイがおもむろに顔をあげ、シャーリーに言った。
二人の関係は師匠と弟子のような関係であり、母と子のようでもあり、姉と弟のようでもあった。
当初、シャーリーにさえ心を閉ざしていたルイは、ゆっくりとだが次第にシャーリーを信頼するようになり、お互い名前で呼び合う関係になったのは、出会って一年たったころ。
「あの聖女、シャーリーを睨んでる。序列はシャーリーの方が高いのに礼儀知らずだな」
今ではすっかりシャーリーの忠犬。
可愛い子犬だ。
「儀式に失敗した勇者候補は一体何人目かしらね?」
「俺以外全員。何度でも挑戦できるけど、あいつは三度目の挑戦だったな。才能ないんじゃないか?」
「ルイ、口悪くなったわね」
「シャーリーのおかげでね」
可愛い忠犬は、ちょっと生意気な忠犬だった。
「俺はいつ挑戦できるの?」
勇者候補から勇者に昇格できるのは一人きり。
聖剣に認められたものだけ。
どうやったら認められるのか、それを知るのも神のみだ。
完全な実力というのが大筋なので、みな実力を高めてから選定の間に入っていく。
一度目で選ばれなくても、二度目三度目で選ばれた前例があるので、何度でも選定の間に入ることができる。
ただしこの五年、ルイは一度も入ったことがない。
そもそも、彼は子供だったし、まだまだ身体は発展途上だった。
「もう十九だからね、そろそろ一度やってみるのもいいかも」
実は出会った当初十歳程度だと思っていたルイは、十四歳だった。しっかりと調べさせた。
ルイを連れて来た神官に。
泣きそうになりながら、がんばってくれたので、まああの時の事は不問にした。
シャーリーとしてはまだまだだと思っているが、今の勇者候補の中では一番の実力を持っていると自負している。
勇者候補同士仲が良い者もいれば、仲が悪い者もいる。
シャーリーとルイは、誰とも親しくない。
むしろ、悪意を持たれているため、時々絡まれるのだ。
主に、シャーリーのせいではあるが、忠犬ルイはシャーリーに絡んでくる勇者候補や聖女を嫌っているので、いつも堂々とケンカを買い、打ちのめしどちらが上か見せつけていた。
「十日後、選定の間に行きましょうか」
魔王誕生は事前に分かること。
それは勇者候補が生まれるから。
勇者候補が生まれた後に魔王が誕生するが、その時期は分かっていない。しかし、次第に世界に満ちる闇が深くなってきている。
この感じはそろそろだとシャーリーは思う。
ほかの聖女はきっと気づいていないに違いない。実力がないせいで、闇を感じ取る力が不足しているから。
「必ず、選ばれるよ」
「別に選ばれなくてもいいけどね。勇者が決まれば、他の候補者は自由になるし。もし選ばれなかったら、どうする? わたしの護衛神官でもする?」
「する」
その即答にちょっとだけうれしかった。
子供の頃から五年育てたルイは、シャーリーの目から見ても立派に育った。親ばかかもしれないが、勇者に選ばれる、そんな気さえしている。
しかし、心は反対に選ばれなければいいのにとも思う。
誰が可愛いわが子を危地に赴かせたいと思うのか。
シャーリーは当然子供を産んだこともないし、育てたこともない。
唯一五年かけてルイを育てたが、たった五年でこれほどの愛情が芽生えた。
そう思うと、世の母親の気持ちも少し分かる。
我が子が可愛い、我が子が天才……なるほど、親の欲目というのは、確かに存在するのだなと。
「無理しなくてもいいから。選定の間にはルイが一人しか入れないから、危なくなったら逃げなさい。命あっての物種よ」
「逃げる勇気も必要、分かってるよ。無理はしない。大体、選定の間で死んだ勇者候補の話なんて聞いたことないよ」
それもそうだが、心配になるのが親というもの。
剣を再び振るい出したルイの横で、その姿をしっかりと瞳に収めた。
予感は的中し、十日後――。
ルイは聖剣に選ばれて勇者となった。
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