ハイドラの日々
騎士学校での佐官教育が開始されると、最初に行われるのは教育カプセルによる睡眠学習だ。
液体で満たされたカプセルの中に全裸で入り、その中で二ヶ月近くを過ごす。
本人たちは眠っているので苦痛は少なく、その間に必要な知識が脳にインストールされる勉強方法だ。
同時に肉体強化も施されるのだが、成長期を過ぎてしまった者たちには大きな効果はない。
中にはトレーニング不足の騎士もいるのだが、そうした者たちはこの機会に筋力の増強が行えるのでお得と考えていた。
そんな教育カプセルだが、脳に知識をインストールすれば終わり、ではない。
脳にインストールした知識を定着、いつでも引き出せるようにするために座学が必要だ。
そして、肉体強化を受けた後はリハビリも必要になってくる。
強くなった肉体をコントロールする技術を身につけるために。
新たに佐官教育を行う女性たちがカプセルに入っている部屋では、管理者である女性職員が日々のチェックを行っていた。
女性職員が一つのカプセルの前で立ち止まる。
タブレット型の端末と、カプセルの中に浮かんでいる女性に交互に視線を向けながら興味深そうに呟く。
「驚いたわね。筋肉の密度も量も並の騎士を凌駕しているわ。特に下半身の筋肉が凄い……骨も頑丈だし、下手な金属よりも強いんじゃないかしら? 今年一番の有望株とは聞いていたけれど、ネームドは流石ね」
女性職員が見ていたのは、エマが入っている教育カプセルだった。
◇
教育カプセルでの睡眠学習から目を覚ましたエマたちを待ち受けるのは、佐官に相応しい軍人と騎士になるための教育だった。
久しぶりに教官たちの罵声を浴びながら訓練を行い、教室での授業を受ける日々を過ごしていた。
ただ、候補生時代と違う点を上げるとすれば……エマたちは既に実戦を経験した騎士であり、軍人だ。
技術試験隊で真面目にトレーニングを欠かさなかったエマにしてみれば、この程度の訓練は苦ではなかった。
それに、マリーとの特訓を思い出せば、教官たちの罵声も何てことなかった。
エマにしてみれば、一番の問題は座学だった。
「佐官になると一気に仕事量が増えるの、どうにかならないかなぁ……」
昼食を食べ終え、休憩時間を過ごしているエマは座学に対して泣き言をこぼしていた。
中庭のベンチに座って隣で聞いているカルアは、エマを見て苦笑していた。
紙パックの飲み物を飲みながら、エマに座学の重要性を語る。
「部隊をちゃんと運用したいなら、座学の方も頑張りなよ。そもそも、現場に出て最前線で活躍するよりも、後方で事務処理をしている方がいいでしょうに」
「……カルアは佐官になったら事務処理だけをするつもり?」
「まさか! 現場には出るわよ。けど、先陣を切ってどうこうする役目は終わりだね。指揮官はちゃんと部隊を動かさないといけないし」
いかに部隊を効率的に運用するか……それを考えれば、カルアの考えも正しい。
むしろ王道だろう。
ただ、エマにしてみれば難しい話だ。
(アタランテに乗りつつ部隊指揮なんて執れるのかな? 中隊規模でも難しかったのに、これが大隊規模にまで膨れ上がったら……)
エマは実戦に出た時を想定してゾッとした。
戦場に出るだけが指揮官の仕事ではない。
その前後の準備から色々と忙しいのだ。
下手に出世をしたエースパイロットが、仕事量が増えて活躍できなくなるという話も多かった。
それを身に染みてエマは実感していた。
落ち込んでいるエマを見て、カルアがアドバイスをくれる。
「そんなに事務処理なんかが嫌なら、得意な人を副官にすればいいよ」
「いいの!?」
顔を上げるエマに、カルアは笑みを浮かべながら言う。
「当然でしょ。ただ、申請したところで有能な人は簡単に引っ張ってこられないけどね。こればかりは運とかコネ、付き合いも絡む話だし」
優秀な人材を引っ張ってくるには、ただ待つだけでは駄目と言われてエマは再び項垂れた。
「あたしにそんなコネや付き合いは……」
そんな時、エマは一人の女性士官を思い浮かべた。
アリスン・ベイカー大尉……連合王国との大戦争の際は、メレアに監督官として乗り込んできた才女だ。
上昇志向の塊で、事務処理能力にも長けていたな、と。
(でも、呼んでも来てくれないだろうな……アリスン大尉、今頃はどこで何をしているのかな?)
◇
アリスン・ベイカー大尉改め、昇進して少佐は充実した日々を過ごしていた。
領主自らが率いる精鋭中の精鋭たちが集まる近衛艦隊にて、二百隻を率いる准将の副官として抜擢されたからだ。
質実剛健を体現したような立派な七百メートル級の戦艦のブリッジにて、アリスンは訓練を行っている艦隊を見ていた。
「素晴らしい練度ですね、閣下」
バンフィールド家の近衛艦隊は現領主と共に数々の激戦をくぐり抜けてきた猛者たちが集まる艦隊であり、一般的な近衛艦隊とは事情が異なっていた。
一糸乱れぬ艦隊行動を繰り返している旗下の艦隊を前に、准将は大きな口を開けて笑っていた。
「軍隊生活の長い無骨者が揃っただけさ! それよりも、君が着任してくれたことで事務処理能力が大幅に上昇して助かっている!」
軍人よりも武人と呼んだ方がいい見た目をしている司令官は、常に堂々としていて声が大きかった。
男としては興味がないアリスンだが、司令官……上官としては高く評価していた。
自分を副官に抜擢してくれた見る目のある人物だ、と。
実際、精鋭たちが集まる艦隊で二百隻の司令官になっているのだから有能なのは間違いない。
「閣下に褒められては照れてしまいます。今後も期待に添えるよう、全力で任務に挑ませて頂きますわ」
(ここで私の実力を認めさせ、次は駆逐艦や巡洋艦の艦長になって……その後は戦艦を任されるようになり、徐々に指揮する艦隊を増やしていく……そうして、いずれは万の艦隊を指揮する司令官に這い上がってやるわ。そう、この艦隊はいわば私の踏み台……ここで吸収できるものは全て吸収し、いずれは私がアゴでこき使ってあげる)
アリスンは内心でこれを機会に出世してやる、と強く思っていた。
そんなことも知らずに、司令官は親指を立てる。
「よろしく頼むよ、アリスン少佐!」
「はい、閣下」
◇
アリスンが出世欲により激務ながら楽しい日々を過ごしている頃、ハイドラではエマが久しぶりに実家に戻っていた。
土日は申請すれば宿舎を出て外泊も可能であるため、実家に戻って久しぶりに家族との団らんを過ごそうとしていた……のだが、今は事情が異なっていた。
「こら、待ちなさい! す、すみません、お義姉さん」
「……お、お気になさらず」
バタバタと駆け回る小さな子供たち。
追いかけるのは、エマの弟と結婚した女性だった。
朝の食卓を囲むのは、祖父母に両親、そして弟家族と自分だった。
大きなテーブルで食事をしているのに、人が多いため狭く感じる。
弟の【ルカ・ロッドマン】は、以前よりも幼さがなくなっていた。
スーツ姿で上着を脱いでおり、自分の端末で経済情報を確認しながらコーヒーを飲んでいた。
もう仕事をしており、立派な大人になっていた。
エマがそんなルカを眺めていると、視線に気付いたのか情報を閉じて顔を向けてくる。
「どうしたのさ?」
「いや……真面目に働いているなぁ、って思って」
「領内の大学を出たから留学もありかな、って思っていたんだけどね。彼女と結婚したし、そろそろ落ち着いてもいいかと思ってさ」
ルカの視線は子供たちの相手をしている妻と母親に向けられていた。
母親は孫たちの相手が出来て嬉しそうにしている。
「留学も考えていたんだね」
「今は普通じゃない? それに、騎士の人たちも首都星の大学や士官学校に留学して帝国の騎士資格を得るって聞いたけど?」
弟に、姉ちゃんは留学しないの? と問われてエマは答えに困った。
何しろ、何も考えていなかったからだ。
「あ、あたしはほら! ……今の仕事が充実しているっていうか……」
視線をさまよわせているエマを見て、ルカは色々と察してしまったらしい。
深いため息を吐いていた。
「将来についてしっかり考えた方がいいよ」
「それはそうだけど……今は取りあえず、佐官教育を終わらせるのが目標だし」
「それで、いつまで軍人を続けるつもり?」
「……え?」
ルカに問われてエマは目を丸くした。
軍人をいつまで続けるつもりなのか? ……憧れで騎士になったエマは、自分が軍を去ることを想像すらしていなかったので軽いショックを受けた。
孫を抱っこした母親まで会話に加わってくる。
「軍人も立派な仕事だけど、やっぱり命を落とす危険があるから心配なのよね。それにね、エマ。あんた結婚とか考えていないの?」
「け、結婚!?」
エマが驚いていると、ルカが呆れた顔をしながら言う。
「別に結婚くらいしてもおかしくない年齢でしょ? それとも、結婚せずにずっと騎士として軍隊で生活していくつもり?」
弟に人生について問われたエマは、答えに困ってしまう。
「い、今のところ相手がいないので……」
そして、一番の問題は結婚する相手がいないことだった。
母親が一つ提案してくる。
「結婚する気はあるのね? だったら、軍隊生活を一時的にお休みして、家庭を持って子供を育てて一人前になったら復帰してもいいじゃない。今はどこも人手不足だし、復帰もしやすいわよ」
この際だから軍隊生活をお休みして、家庭を持ってみたらどうだ?
そんな母親の提案に、それも悪くないとエマは思う。
しかし、どうしても選ぶ気にはなれない。
「……あたしが今離れると、部隊の皆が困ると思う」
これを聞いてルカは、盛大な、これ見よがしにため息を吐いた。
「姉ちゃんがいなくなれば、代わりの人が送り込まれて終わりだよ。姉ちゃんが頑張っているのは知っているけど、バンフィールド家の軍隊ってかなりの大規模だよね? 姉ちゃんの代わりぐらいいると思うけど」
冷たい物言いだが、これはエマが職場に固執しすぎていると案じての発言だろう。
実際、エマが一時的に軍を離れても代わりは用意される。
確かにエマはエースとして得難い人材だが、技術試験隊の隊長ならば一般的な技量を持つ騎士でも十分だ。
エマは自分の代わりがいることをちゃんと理解していたが、それでも納得でない部分がある。
それは、ようやくメレアがまともな部隊になってきたからだ。
まともどころか、最近では優秀な部隊になりつつある。
自分が関わり、共に育ってきた愛着のある部隊から離れるのは嫌だった。
「それはわかっているけどさ」
「わかっていないと思うけどね。軍隊生活が長すぎて、固執しすぎているんじゃないの? せっかく戻って来たんだし、今後について考えた方が良いと思うよ」
エマは今後について考えるように弟に言われ「生意気!」と思いつつも、自分が明確な未来を思い描いていなかったと思い知らされる。
「……あたしの将来……」
エマが思い悩んでいると、母親がとんでもない事をサラリと言ってくる。
「あ、それはそうと、エマもそろそろ独立しない? ルカが家族で実家に住んでいるから、部屋が足りなくなってきたからね。エマの部屋を使わせてもらおうと思って」
これにエマは朝から声を荒げる。
「あたしの扱い軽くない!?」
リアム(;゜д゜)ェ…「家族の扱い、軽い。軽くない?」
天城(*´ー`)「三世代、四世代が暮らすなれば致し方ない面もございますからね。ただ、エマ様のケースですと情がある方かと」
リアムΣ(゜ロ゜;)!?「これでか!?」




