9.落ちる
イクレイオスとの婚約披露宴まであと一カ月を切った頃、エリアテールは最近お馴染みとなったイクレイオスとマリアンヌとのお茶の時間を過ごしていた。
尚、今回は天気もいいので王族専用のプラベートガーデンでお茶を楽しんでいる。
「そういえば……そろそろ豊穣祭の時期になりますね」
初夏の爽やかな気候を感じたのか、マリアンヌが思い出したように呟く。
「確か夏の豊作を願って行われるお祭りでしたよね?」
「ああ。地の精霊王が夏の豊穣を願って舞いを披露する為、他国からの観光客も多く、国全体が活気づく時期だな」
「エリア様は、地の精霊王様の舞いをご覧になった事はございますか?」
「いえ、一度も……。その時期は、自国の各巫女達が集まる会合に参加しなければならなかったので、毎年こちらには滞在していない時期だったので……」
エリアテールの母国のサンライズでは、月初めの祝日に未婚の巫女達を集めて国主催の会合を行う。しかしそれは会合と言うよりも、互いの近況をそれぞれ報告しあう立食パーティーの様なものだ。その主催意図には、巫女達が派遣先、あるいは婚約者宅で不当な扱いを受けていないかの安否確認が、大きな目的となっている。
政略的な目的で婚約する事が多いサンライズの巫女達だからこそ、王家はその巫女達の安全性に常に気を配っている。同じ立場の巫女同士だから話せる事もある為、そういう悩みを吐き出せる場として国がその機会を設けたのだ。
その為、年が近いサンライズの巫女達は、とても仲が良い。
そんな巫女達を保護する立場の王家の人間とは、常に相談しやすい関係が築かれている。王太子のアレクシスとエリアテールが親しいのも、その事が大きく関わっていた。
しかし、その会合が行われる日が、コーリングスターの豊穣祭の日と毎年被るのだ。
だが今年に関しては、エリアテールは婚約披露宴準備の為、会合参加は免除されていた。
「そういえば、毎年その時期にお前は帰国していたな」
「はい。ですので、お祭りの存在のお話だけ伺っておりました」
「では今回は、是非ご一緒にご覧になりませんか? 我が家は毎年ボックス席を取って、地の精霊王様の豊穣の舞いを拝見させて頂いているので。もし、エリア様のご都合がよろしければ、是非に!」
マリアンヌが珍しく興奮気味で提案して来た内容に目を輝かせたエリアテールだが……。それはすぐに落胆の表情へと変わる。
「お誘い頂き、ありがとうございます。ですが、その、婚約披露宴の準備が……」
「構わん。婚約披露宴準備に関しては、もうお前のやるべき事はほぼないからな」
「よ、よろしいのですか!?」
「ああ。だが、あまり羽目を外すな?」
イクレイオスが許可を出した途端、二人が大はしゃぎで喜び出す。
その様子を見たイクレイオスは、少し呆れ気味な表情で苦笑した。
「確か祭りは一週間後だったな。ファルモに予定を確認……」
そう言いかけたイクレイオスの動きが止まる。
その様子に気付いたエリアテールがイクレイオスに声を掛けようとした瞬間、冷たい何かがポタっと頭のてっぺんに落ちて来た。
「雨だな……。しかもスコールになる」
空を見上げていたイクレイオスが、二人に屋根のある場所へ退避するよう促す。
同時にエリーナ達に、すぐに茶器等のテーブルセットを片すよう指示した。
だがエリアテール達が屋根付きの渡り廊下に入った瞬間、バケツをひっくり返す様な雨が地面に降り注ぐ。一足遅れて避難したイクレイオスは、ずぶ濡れだ。そしてその状態のまま、一瞬で土砂降りになってしまった庭を茫然とした様子で見つめていた。
そんなずぶ濡れのままのイクレイオスの状態に気が付いたエリアテールは、ハンカチを取り出し差し出す。
「イクレイオス様、よろしかったらハンカチを……」
そうエリアテールが声を掛けたが、反応がない。
「イクレイオス様?」
もう一度エリアテールが声を掛けると、髪から水滴を滴らしたイクレイオスがゆっくりとエリアテールの方へと振り返った。
「あの、ハンカチを……」
「あ、ああ……」
「どうかされましたか?」
「いや、何でもない。すぐに自室で着替えるのでハンカチは不要だ」
いつもはセットされて後ろに流されている横髪が濡れた所為で顔に張りついてしまった為、それを掻きあげながらイクレイオスがハンカチの受け取りを辞退した。そして再び雨が降り注いでいる庭に目を向ける。
「折角のお茶が台無しだな。すまないが私は着替えをする為、自室に戻るが……。二人はそのまま室内でお茶の続きを楽しんでくれ」
そう言って、イクレイオスはずぶ濡れのまま足早に自室へ向かい、去って行った。
そんなイクレイオスの様子にエリアテールが、少し違和感を抱く。
だがすぐに気のせいだと思い、マリアンヌと共に自室に戻ってお茶の続きを楽しんだ。
その翌日、エリアテールとマリアンヌがお茶をしている所にイクレイオスが現れた。
「イクレイオス様、本日はお忙しいのでは?」
「ああ。だが、どうしても頼みたい事があったので、空き時間で顔を出した」
そして、いつもと変わらない様子で席に着く。
どうやら昨日のエリアテールの違和感は気のせいだったらしい。
そんな事を考えていると、イクレイオスが本題を切り出して来た。
「実は明日、豊穣祭の主役であるリンゴ園に打ち合わせで視察に行くのだが……」
豊穣祭は、その年の豊作だった農作物が主役となるのだが、今年の場合はリンゴだった。
そしてイクレイオスは、そういった視察関係で出向く際は王妃教育の一環として、エリアテールをよく同行させていた。
しかし明日の予定では、エリアテールは午前中にイシリアーナと一緒に婚約披露宴で身に着ける宝飾品を吟味し、午後からは本業である風呼びの儀で大気の浄化を行う予定となっていた。
「あの、明日は……」
「お前は予定が詰まっていて視察への同行は無理なのだろ?」
「はい」
「そこでエリアの代理で、マリアンヌ嬢に是非同行して頂きたいのだが……」
「わ、わたくしがですか!?」
イクレイオスの依頼内容にマリアンヌが珍しく声を上げて驚く。
「そもそもエリアを同行させていた理由は、王妃教育の一環だ。要領を得ている私が視察内容を話しても、エリアの後学の為に役に立たない。なので同じ目線で視察を体感出来るマリアンヌ嬢に同行して頂き、後日その視察で気付いた事や感じた事をエリアに語って頂き、視察を疑似体験したようにエリアに情報共有をして頂きたいのですが……」
そう言ったイクレイオスの言葉に「なるほど! 確かに良いお考えですね!」と称賛するエリアテール。
しかしマリアンヌは、何故か腑に落ちないという表情を浮かべた。
「その視察は……エリア様が同行可能な日程に延期する事は出来ないのですか?」
「少し難しいですね。私にも他に予定がありますし……。もし視察の日をずらせば、その後の予定が狂ってしまう」
「そうなのですか……」
返答を渋るマリアンヌにイクレイオスだけでなく、エリアテールも頼みだす。
「マリー様、わたくしからもお願い致します。マリー様の視点であれば、きっとわたくしが学びきれない部分にも気が付かれると思うので」
「エリア様がそうおっしゃるのなら……」
エリアテールの言葉にマリアンヌが遠慮がちに承諾すると、イクレイオスが勢いよく席を立つ。
「では申し訳ないのですが、マリアンヌ嬢には明日の私と共に視察の動向お願い致します。迎えは朝寄越しますので」
そう言って、用件だけを伝えたイクレイオスは足早に退出していった。
「どうやらイクレイオス様は余程お忙しいみたいですね……」
「そう……なのでしょうか……」
エリアテールの言葉にマリアンヌが煮え切らない返答をする。
そんなマリアンヌの反応を見たエリアテールは、不思議そうに首を傾げた。