7.美しい友人
イクレイオスの計らいで、エリアテールが地の精霊王と面会する事が出来てから三日後――。
国王元側近で今は相談役を務めているるファルモから、開催まで一カ月半を切った婚約披露宴の大まかな説明を受けていた。
「ファルモ……。やはりこの披露宴は、もう少し先に延期した方がいいと思うのだけれども……」
「エリアテール様、その件に関しましては、イクレイオス様よりご説明があったはずでは?」
「でも……精霊の方々より全くお姿を拝見させてもらえない者が、正式な婚約者としてお披露目を受けるなんて……」
ファルモにそう窘められて、エリアテールが所在無さげに俯く。
そんなエリアテールの様子から、ついつい仏心が出そうになったファルモは、それをグッと堪えた。
ファルモは若い頃に前国王の側近を20年以上務め、その後は更に20年以上も現国王の政の関係の相談役として、今でも現役で仕えている。その為、誰よりもこの国の祭事関係に詳しい人物だ。その為、コーリングスター王家にとってファルモは、国の行事やイベントの準備に関して中心となって動いてくれる存在だ。
そんなファルモから、エリアテールは王妃教育の一環として国の祭事や歴史について幼少期から学んでいた。
ファルモからすると神童と呼ばれたイクレイオスと比べ、一般的な子供だったエリアテールは決して飲み込みの早い子供という訳ではなかったのだが、誰よりも努力家で小さいながらも一生懸命ファルモの教えを理解しようとするエリアテールは姿に心打たれ、かなり熱心に指導に取り組んでくれていた。
そんなファルモも御年64歳。
成長したエリアテールは、ファルモにとっては今でも孫のように可愛い存在だ。
「ではエリアテール様。このファルモめが、イクレイオス様にエリアテール様のご意見として婚約披露宴を延期するよう進言致しましょうか?」
その言葉を聞いた途端、エリアテールは怯えるようにピシっと背筋を伸ばした。
そんな事をすれば、またイクレイオスの顔に青筋が浮かんでしまう……。
その様子にファルモが苦笑する。
「よくご理解されている様で何よりでございます。さ、それではこちらから順にご招待客の皆様を覚えていかれましょうね」
そう言って大量の招待客リストをエリアテールの前に出す。
社交関係をずっと免除されていたエリアテールだが、次期王妃の嗜みとしてコーリングスター国内の重要人物や有力貴族達は、すでに幼少期から叩きこまれているので名前や爵位、納めている領地等はほぼ頭に入っている。
だが、いくらその人物のプロフィールをしっかり覚えていても社交場に顔を出していないので、顔と名前を一致させる事は難しい状況だ。今までその状況が許されていたのは、エリアテールが仮初の婚約者であったからだ。更にこの状況を助長させたのが、風巫女の力を持つエリアテールが周囲から物珍しく見られる事をイクレイオスが懸念し、公の場に参加させなかったからだ。
その件で昔、イシリアーナが激怒した事がある。
息子の婚約者としてエリアテールを皆に見せびらかしたいイシリアーナが、自分主催の大規模なお茶会に参加させたいとイクレイオスに頼んだのだ。
しかし、イクレイオスは、その時も首を縦に振らなかった。
「母上はエリアを公の場に放ち、恥をかかせたいのですか? 相手の言葉の裏表が読み取れない能天気なエリアを心理的駆け引きが飛び交う社交場ような場所に出す事は、エリアだけでなくコーリングスター王家にもその被害が及びますよ?」
そうしれっと言い放ち、断固拒否を決め込んだ。
その時のイシリアーナの怒りは深く、イクレイオスと顔を会わす度に嫌味の応酬を延々と浴びせる事を一週間も続けた。
そんな訳で今回の婚約披露宴が、このコーリングスターで初のエリアテールの社交デビューという事になる。
だが、初と言っても王太子の婚約者が国の主要人物を分からないという状況は問題なので、ファルモが用意してくれた出席者の姿絵の載った分厚いファイルを見ながら、社交界の重要人物達の顔と名前が一致するように情報をすり合わせている最中だ。
するとエリアテールの部屋の扉がノックされる。
エリーナが扉を開けると、そこにはイシリアーナ付きの侍女がいた。
「恐れ入ります。本日はイシリアーナ様からのお言付けを伝えにまいりました」
そうやって恭しく礼をする侍女は、流石王妃付きという感じだ。
「本日のお茶のお時間なのですが、イシリアーナ様がエリアテール様に是非お会いさせたい方がいらっしゃるそうで、15時よりお部屋にお越し頂きたいとの事です」
「イシリアーナ様が? ご友人のご婦人の方かしら…」
「いえ、ウォーレスト家のご令嬢マリアンヌ様でございます」
「マリアンヌ嬢……? 初めて伺うお名前だわ……」
エリアテールが考え込んでいると、イシリアーナ付きの侍女は「それでは失礼致します」と下がっていった。
「おお! ウォーレスト家のマリアンヌ嬢でございますか!」
「ファルモ、知っているの?」
「ええ! もちろん! この国の北西のご領地の伯爵令嬢の方でございます。幼少期はお体が弱く、修道院でお過ごしでしたが……。現在ではすっかり良くなられて、慈善活動に熱心に取り組まれている素晴らしいご令嬢でございますよ。確かお年は……今年で16になられたかと……」
それを聞いた瞬間、エリアテールの瞳がキラキラ輝きだす。
「ではわたくしと一つ違いだわ! イシリアーナ様がご紹介してくださるというのであれば……今後はわたくしとご友人として、お付き合い頂ける方なのかしら!?」
「マリアンヌ嬢であれば、きっとエリアテール様の良きご友人となられますよ」
そう言ってファルモも嬉しそうな表情を浮かべる。
正直、今のエリアテールは同性の友人に飢えていた。
以前、親しくなった侯爵令嬢達は皆嫁ぎ先が決まってしまい、エリアテールの元に簡単に訪れる事が出来なくなってしまったからだ。
だが今日、イシリアーナから年の近い令嬢を紹介して貰える……。
あまりにも楽しみにし過ぎたエリアテールは集中力がなくなり、この後ファルモに何度も注意されてしまった……。
そしてやっと待ちに待ったお茶の時間となる。
エリアテールは、ホクホク顔で王妃イシリアーナの部屋に向い扉をノックする。すると先ほどの侍女が出迎え、エリアテールをバルコニーのテーブル席に案内してくれた。
「エリア、よく来てくれたわね」
いつも通りの品のある微笑みを浮かべるイシリアーナの隣には、小柄で花のように美しい少女がいた。
その少女はエリアテールに気付くと優雅に席を立ち、丁寧なお辞儀をする。
「お初にお目に掛かります。わたくし、マリアンヌ・ウォーレストと申します。以後、お見知りおきくださいませ」
そう言って、マリアンヌがまるで花が咲き誇るように優しく微笑む。
そんな愛らしさと美しさの両方を兼ね備えたマリアンヌの容姿に見とれてしまったエリアテールだが、慌てて我に返り、お辞儀をしながら丁寧に挨拶を返した。
「初めまして。エリアテール・ウインド・ブレストと申します。こちらこそ、どうぞよろしくお願い致します」
そのエリアテールの様子にイシリアーナがクスリと笑った。
「さぁさぁ、挨拶も終わった事なのだから、エリアもこちらに座って一緒にお茶にしましょう!」
「はい。それでは失礼いたします」
そう言ってエリアテールは、イシリアーナと向かい合う位置の椅子に腰かける。
そして向かって左側に座っているマリアンヌをそっと観察した。
マリアンヌは真っ直ぐで透ける様な長い青銀髪をハーフアップにし、カチューシャの様に編み込みをしている。その青銀髪がマリアンヌの抜けるような肌の白さと、バラ色の頬を更に際立たせていた。更に南国の海のような淡い青緑の瞳は、彼女に儚そうな美しさを与える。女性にしては長身なエリアテールとは違い、マリアンヌの小柄で華奢な体型は思わず守ってあげたくなる程、繊細な美を放っていた。
基本的に容姿に恵まれたサンライズの巫女達で、美しい女性を見慣れているエリアテールなのだが……それを差し引いてもマリアンヌの美しさは格別だ。
絶世の美女と言われているアレクシスの婚約者の雨巫女アイリスにも匹敵する美少女に、エリアテールは初めて出会った。
そんなエリアテールの視線に気づき、マリアンヌがにこりと微笑みかけてくる。
そのあまりにも美し過ぎる微笑みに不躾に見過ぎた自分が恥ずかしくなり、エリアテールは顔を赤らめて、下を向いてしまう。そのエリアテールの様子に、ふふっとイシリアーナが笑みをこぼす。
「あのねエリア、実はマリアンヌ嬢は水の上位精霊から加護を受けているの」
「水の上位精霊様に!? 確かどの属性でも上位精霊様の加護を受けられる事は、かなり難しいでのは?」
「そうなの。上位精霊はプライドが高い者が多いから、わたくし達には滅多に加護を与えてくれないのよ……」
「ですが、わたくしに加護を下さった上位精霊の方は、とてもお優しそうな男性のお姿の方でした」
「男性!? それは特に貴重な事だわ!」
そう驚いたイシリアーナにキョトンとするエリアテール。
「男性の方というのは珍しいのですか?」
「ええ。特に水の精霊の場合、階級に限らず殆どが女性の姿をしているから……。男性の姿というのは、上位精霊の中でも精霊王に近い力を持った存在だと思うわ」
「そんな力の強い上位精霊様の加護を得るなんて……。きっとマリアンヌ様のその美しさと清らかさに惹かれたのでしょうね……」
興奮気味だった事もあり、エリアテールは思った事をそのまま素直に口にしてしまう。
その言葉に「そのような事は……」と、謙遜する返答をしたマリアンヌが頬を赤らめた。その様子が尚更、彼女の愛らしさを際立たせるので、思わずエリアテールは見惚れてしまう。するとマリアンヌが、遠慮がちにエリアテールに話しかけてきた。
「あの……エリアテール様。どうぞわたくしの事はマリーとお呼びくださいませ」
「ですが、それでは失礼にあたるのでは……」
恥ずかしそうにそう告げてきたマリアンヌに同じく恥ずかしそうに答えるエリアテール。その微笑ましい状況に笑みばかりがこぼれてしまうイシリアーナが、二人の仲を取り持つ。
「エリア。実はね、あなたが精霊からの加護を得られない事を気にしていたでしょう? だから上位精霊の加護を授かっているマリアンヌ嬢と、しばらく一緒に過ごせば精霊達も集まりやすいのではという提案が、イクスからあったの」
「イクレイオス様が?」
「あら、提案したのがイクスだと何か変かしら?」
「い、いえ……その、イクレイオス様は、わたくしがその事を気にする事をあまり快く思っていらっしゃらなかったので」
「全く! あの子はそういう気遣いが一切出来ない子なのよね!」
そういってイシリアーナが我が子の無神経さを嘆く。
「それでね、わたくしが二人を引き合わせる役を頼まれたのだけど……。どうせなら、お互いお友達になってしまえば素敵だと思って、今日この場を設けたの」
そう告げるイシリアーナの言葉に急にエリアテールがガタンと席を立つ。
「マリアンヌ様よりご友人として接して頂けるのですかっ!?」
唖然とする二人の反応に我に返ったエリアテールが、恥ずかしさで真っ赤になって萎む様に席に着く。
「も、申し訳ございません……。その、あまりにも嬉しかったもので、つい……」
その素直過ぎる反応にイシリアーナは口元に手を当てて笑いを堪え、逆にエリアテールは恥ずかしさで、ぎゅっと目をつぶって下を向いてしまった。そんなエリアテールの手にマリアンヌがそっと両手を乗せる。
「わたくしもエリアテール様とお友達になりたいです……」
そういって頬をやや赤らめながら、ふわりとほほ笑むマリアンヌに同性ながら、エリアテールはドキリとしてしまう。
こんな素敵な友人を簡単に得ていいのだろうか……。
一瞬そう思ったエリアテールだが、体は素直に素早く反応していた。
「わたくしも……わたくしも、マリー様とお友達になれるのなら嬉しいです! どうぞ、わたくしの事もエリアとお呼びください!」
そう言って、がっしりとマリアンヌの両手を握り返していた。
その微笑ましい光景を眼福と言わんばかりに、イシリアーナが見つめていた事に二人は全く気づかなかった。