6.お告げの乙女
「あのタヌキどもがぁぁぁ!」
悪態を付きながら自身の執務室に大股で向かうイクレイオス。
その後を呆れながら同行するロッド。
「イクレイオス様、そのようなお言葉使いは、如何なものかと思いますが……」
「タヌキをタヌキと言って何が悪い!」
エリアテールを地の精霊王に面会させた翌日。
先ほどまで、国の重臣の集まる会議に出席していたイクレイオスだが……その際にエリアテールとの婚約披露宴の事が、議題で上がった。その主な内容が、エリアテールが未だにどの精霊からも加護を授けられていないという部分についてだ。
国内のエリアテールの評価は、風巫女としての噂が先立っているので良い方だ。
しかし、一部の人間は彼女の爵位を理由に大国の王太子の婚約者としてふさわしくないと訴える者がいる。特に国内で爵位が高い人間ほど……。
その代表とも言っていいのが、国の4大侯爵家の連中だ。彼らは、是が非でもこの国の王太子の元に自分達の娘を嫁がせたいという思いが強い。
そんな中、地の精霊王のお告げで渦中の予言の乙女がエリアテールでは、という説が出たのが今から一カ月半前だ。
侯爵家からされる婚約者の変更アプローチにうんざりしていたイクレイオスは、これを機にその鬱陶しいアプローチを一蹴しようと、お告げを利用してエリアテールとの婚約話を正式な物に進めようとした。
しかし、ここで大誤算が生じる……。
エリアテールは、精霊王の祝福どころか一般の精霊の加護すら受けられない事態が発生してしまう。
更に悪い事に、彼女の前には全く精霊が姿を現さないという情報までもが、城内に広まってしまった。エリアテールがその事を気にしていた事にイクレイオスがあまりいい顔をしなかったのは、この懸念があったからだ。
そしてこの事態を4大侯爵家が見逃すわけがなかった。
今回の会議内では、水の上位精霊より加護を受けている侯爵家寄りの伯爵令嬢をエリアテールの傍に置く事を提案してきたのだ。
そもそも今から三年前にもそれと同じような事があった。
侯爵達は王太子の婚約者に自分達の娘を選らばせようと、行儀見習いと称してこの城に自分達の娘を寄越して来たのだ。
もちろん、全員エリアテールの婚約者としての座を狙っての事だったが……。
皆、王妃候補としての教育をしっかり受けている為、エリアテールに嫌がらせなどの幼稚な事は一切しなかった。その代わりエリアテールには、自分達とは住む世界が違う事を見せつける為、ただただ完璧な淑女を演じ、エリアテールを自信喪失させて打ちのめそうとした。
ただ、ここで侯爵家側にも誤算が生じる。
それは、打倒エリアテールで行ったはずの娘達が、逆にエリアテールと親しくなって帰ってきてしまったのだ……。
幼少期からの英才教育で、同年代の友人と遊ぶ機会が無かったエリアテール。
しかしそれは、思春期に入っても同じ事。
イクレイオスの婚約者に選ばれてからは、社交関係を免除して貰っていた事もあり、そこからずっと同世代どころか同性の友人を作れる機会がなかったのだ。そんな中、行儀見習いと称し、打倒エリアテールで近づいてきた侯爵令嬢達が現れた。年の近い同性と関われる機会を得たエリアテールは、大いに喜んだ。
そして初めてのお茶会でエリアテールは、のほほんとしながら衝撃の一言を放つ。
「わたくしは期間限定の婚約者なので、将来的には皆様のどなたかがイクレイオス様の伴侶に選ばれるのでしょう? 皆様素晴らしい方々ばかりなので、どなたが選ばれても素敵なご夫婦になりますね~」
その言葉を聞いた4大侯爵令嬢達は、唖然とした。
初めはエリアテールが謙遜で、そう言っていると思っていた侯爵令嬢達だが……当のエリアテールは、心の底から本心で言っている。そしてそれは話せば話す程、エリアテールが本気でそう思っているという事を感じ取ってしまったのだ。
その状況に焦ったのが侯爵令嬢達だ。
その言葉をエリアテールから引き出すつもりは一切なかったが、エリアテール自身があっさり発してしまったからだ。これでは自分たちの所為でエリアテールがそう思い込んだと思われ、王太子の婚約者に対する不敬となってしまう。必死で「そんな事は……」と取り繕うのだが、エリアテール当人は令嬢達からのフォローの言葉を社交辞令としてでしか受け止めておらず、本気で自分は次のイクレイオスの正式な婚約者が決まるまでの繋ぎだと思っていた。
そんな状況のまま一年が過ぎた頃――。
彼女たちは、いつの間にかエリアテールと親しくなってしまったのだ。
貴族特有の水面下で行われる駆け引きと、心理戦で必須となる裏表の顔を使い分ける事が多い貴族社会で、辺境田舎育ちの能天気なエリアテールは、周囲にその裏表がある事を一切感じさせる事が無かった。そんなエリアテールの人との向き合い方が侯爵令嬢達にとっては新鮮で、魅力的に見えてしまったのだ。
更に彼女達の心を掴んでいまったのは、エリアテールと親しくなる事でイクレイオスの許可の下、目の前で素晴らしい歌声を聴く事が出来た状況だ。伸びやかで澄んだ声で歌い、ありのままの自分でいられるエリアテールの自由さは、出世の道具として扱われる侯爵令嬢という堅苦しい立場の彼女達にとって、とても尊い存在に映った。
そんなエリアテールの人間性に少しずつ惹かれていった侯爵令嬢達は、いつしか『打倒エリアテール』の志しではなく、『エリアテールを守る会』という目的に転じていた。
この状況に関してはイクレイオスも幼少期のエリアテールとの初対面の際、遊び相手認定をされて今の状態なので、今回のような結果となった経緯はある程度予想はしていた。だが……予想はすれど、まさかここまでエリアテールが、悪意や野心という感情と無縁だとは思わなかった。
何はともあれ、無自覚でエリアテールがその鬱陶しい状況を一蹴してくれたので、4大侯爵家の方もそれ以降は何もしてこなくなった。その代わり侯爵令嬢達が、友人としてエリアテールの元へ会いに来る様になる。
イクレイオスではなく、エリアテールに会いに……。
しかし今回、4大侯爵家は新たな趣向の刺客を送り込んでくるらしい。
「ウォーレスト家の令嬢か……タヌキ共もそれなりに考えてきたな……」
執務室の自分の席に着いたイクレイオスが、ポツリと呟く。
精霊の加護がなかなか得られないエリアテールの傍に薦められたのは、マリアンヌ・ウォーレストという伯爵令嬢だ。
マリアンヌは今年16歳になるウォーレスト家の三女だ。
彼女は透き通るような長いストレートの青銀髪に淡いグリーンの瞳をした美少女である。しかし幼少期は体が弱く、地方の修道院で過ごした。その為、両親が過保護になり手元から放したがらず、今現在まで婚約者を持たずに来た。そして本人もそれをあまり望まなかった。修道院暮らしの長かった彼女は、慈善活動に熱心に取り組んでいたからだ。
今回彼女がエリアテールの傍に付かされるのは、彼女が水の上位精霊から加護を受けているからだ。上位精霊はプライドが高く、人間にあまり加護を与えない。マリアンヌの場合、そんな上位精霊の中でも特に力の強い精霊から幼少期に加護を受けている。
4大侯爵家の言い分としては、そういう人間が近くにいた方がエリアテールの元に精霊達も姿を現しやすくなり、精霊王からの祝福も受けやすいのでは……という事だった。
しかし実際は、イクレイオスの妻には国内の侯爵家クラスの令嬢を嫁がせたいという思惑がある。現国王の妻である王妃イシリアーナは更に身分が上の公爵令嬢だったとはいえ、他国から嫁いで来た人間だ。そして今回も他国の……しかも田舎辺境地の伯爵令嬢のエリアテールが王太子の婚約者となっている。
二代続けて他国から王妃を迎えるとなると、イクレイオスの次の代でも同じような事が起こりやすい。しかし今回、もしエリアテールではなくマリアンヌが王妃となれば、イクレイオスの次の代でまた国内の侯爵家より王妃を……という話に繋げやすくなるのだ。
ウォーレスト家は、侯爵家ではないが、伯爵家の中でもかなり上に位置する家柄だ。しかも4代前の王弟がそこから妻を娶っているので、コーリングスター王家とはやや繋がりがある。その為、もしマリアンヌがイクレイオスの妻となれば、ウォーレスト家は確実に伯爵家から侯爵家に爵位が上がるはずだ。
「4大侯爵家の方々も前回の反省を踏まえて策を打ってこられましたね……。 マリアンヌ嬢は容姿家柄、そしてお人柄全てにおいて非の打ちどころがありませんから。何よりも……」
「エリアと同じタイプの人間だ……」
お茶を出してくれたロッドの言葉に苦虫を噛み潰した様な顔をしたイクレイオスが、更に言葉を続けた。
前回はエリアテールの天然で毒牙を抜かれた侯爵令嬢が相手だった為、撃退できたが……。今回に関しては、相手もエリアテールに負けず劣らずの天然タイプだ。イクレイオスはマリアンヌとは夜会で数回会った事しかないが、その際に真っ先に感じた事は、内面がエリアテールによく似ているという事だった。
その際、マリアンヌは他令嬢からの嫉妬の含まれたお世辞の言葉も、若い子爵からの下品な下心が含まれた賛美の言葉も、彼女はその言葉自体の意味を素直に受け止め、無意識でその攻撃をかわしていた。
その無意識に相手の言葉の裏に隠された悪意を読み取らない部分が、非常にエリアテールとよく似ているのだ。そんな天然と天然が掛け合わさったら…ロクな事にならない事だけは容易に想像ができる。
特にエリアテールに関しては、変な所で自分を過小評価する所がある……。
それを引き金にエリアテールが、明後日の方向に考えを巡らせ、暴走する姿がイクレイオスの頭の中をよぎった。
イクレイオスが必要としているのは、ただ美しいだけのお飾り妻ではない。
充分な国益に繋がる要素を持った妻だ。
だから、ただ美しいだけの侯爵令嬢は妻として必要ない。
逆に歌う事で高いパフォーマンス性を持っているエリアテールは最適の存在だ。
しかし今回4大侯爵家が送ってくるマリアンヌも恵まれた容姿と慈善活動等で国民からの絶大な支持を得ている。
「全く次から次へと……問題ばかりだな……」
そう言って大きなタメ息を吐きながら、イクレイオスは山積みになっている書類に手を伸ばした。