4.天候の国の王太子
洗礼を受けてから全く精霊の加護が受けられない日々が続き、ついに一カ月半経ってしまった頃、精霊の姿すら見る事が出来ないエリアテールは、かなり焦っていた。
その件で周りからは気に病まぬ様にと言われ続けてきたエリアテールだが……。流石にそういう訳には行かなくなる。こうなれば自分から精霊達の集まりやすい場所に出向いた方がいいのではないかと、自室の机に書き掛けの手紙を広げながら考えを巡らせていた。すると部屋の扉がノックされる。
「どうぞ」
エリアテールが許可を出すと、イクレイオスの側近であるロッドが部屋に入って来た。
「失礼致します。実は本日、アレクシス様が政務でご来訪されているのですがイクレイオス様の手が空かず、客間にお一人でお待ちになっている状態なのですが……」
「それはよくないわね」
「それで、もしエリアテール様がお手すきであれば、是非お会いしたいとの事です」
「ちょうど良かったわ。わたくしもアレク様にご相談したい事があるの。案内してもらってもいい?」
「ええ、もちろん。助かります」
エリアテールは昔からアレクシスの事を略称で呼んでいる。
というよりも……サンライズの巫女は、全員アレクシスの事を略称で呼ぶ事を許されている。しかしその件で、昔イクレイオスに不敬になるのではないかと、指摘された事があった。
その時はその場にいたアレクシスが「僕はその方がいいな~。でもイクスは嫌なのかい? もしかして嫉妬?」とイクレイオスをからかい、そのままうやむやなったのでエリアテールは引き続き慣れ親しんだ略称で呼ばせて貰っている。
「エリアテール様……もしやアレクシス様にご相談される内容とは、精霊からの加護についてですか?」
「ロッドは本当に察しがいいのね。ええ、実はそうなの……」
イクレイオスの一番の側近であるロッドは、エリアテールより五つ年上だ。
伯爵家の次男である彼は、非常に優秀で貴族の士官学校を首席で卒業しており、火と地の中級精霊から加護を受け、扱う魔法も通常よりやや威力が強い。
その傍らで幼少期のイクレイオスの剣術指南をし、エリアテールの護衛と面倒も見ていたプロフェッショナルな側近だ。六歳のエリアテールが初めてこの城に来た時は城内で迷ってしまった際、手を繋ぎながら自室まで案内してくれたのもロッドである。イクレイオスが兄ならば、ロッドは面倒見のいい親戚のお兄さんという感じだ。
「他の者も申しているかと思いますが、あまり気に病まれない方がよろしいのでは?」
「でも、流石にここまで精霊の方々に避けられていると……」
「避けられているとは限りませんよ? 何か別の理由がきっとあるはずです」
「そうかしら?」
「もしあまりにもその期間が長引けば、きっとイクレイオス様がお調べになってくださるはずです」
そんな会話をしていたら、アレクシスがいる客間に到着する。
するとロッドがその扉をノックし、エリアテールを中に促し「それでは私は失礼致します」とすぐに去ってしまったが、それと入れ替わる様にエリーナとリーネがやってきて、エリアテールの分のお茶の支度をし始めた。
そんな二人の様子を確認しながら、ゆっくりと室内に歩みを進めると長椅子に腰掛けているアレクシスに近づく。
「やぁ、エリア! 久しぶりだね! 元気だったかい?」
いつもの笑顔で声を掛けてきたアレクシスは、エリアテールに向かいのソファーに座る様に促す。
イクレイオスと違い、社交的で口数の多いアレクシスは、いつも穏やかな笑みを浮かべている。公式の場以外では柔らかい砕けた口調で話すので、親しみやすい雰囲気をいつも纏っていた。
「アレク様、お久しぶりでございます」
「二か月ぶりだっけ? まぁ、近況報告の手紙を三日おきに貰っているから、君が元気なのは知ってはいるのだけれどね」
エリアテールはイクレイオスと婚約してからのこの十一年間、コーリングスターに滞在中は三日おきにアレクシスに手紙で近況報告する事を約束していた。それは大国の王太子の婚約者ならではの肩身の狭い思いをしていないか、嫌がらせなど受けていないか、正当な婚約者として対応して貰えているか等の確認も兼ねている。
だが当のエリアテールは、ここでの生活に大満喫している為、そのような内容では一度もアレクシスに相談した事はない。むしろ楽しい思い出を日記に書いているような内容の手紙を送っていた。
「実はご相談したいことがあり、ちょうどその内容でお手紙を出そうかと……」
「手紙って、それかな? 折角書いてくれたのだし、この場で読んでもいいかい?」
「ええ、どうぞ」
そう言ってエリアテールは、手にしていた手紙を直接アレクシスに渡す。
手紙を受け取ったアレクシスだが、エリアテールよりも一つ年上の見た目が典型的な王子様タイプである。ふわふわした癖の強い髪質に金色をベースにしたオレンジのグラデーションがかかった変わった色合いの髪をしている。
中でも全てを見透かすような淡い水色の瞳が特に印象的だ。
イクレイオスより少し身長は低いが、それでも一般男性では長身の方になり、体つきも適度な筋肉が付いているので、バランスの良い逆三角形の体型だ。この辺は、やや華奢なイクレイオスとは少し違う。
いつも白を基調にアクセントで青を入れたコーディネートをしており、穏やかな笑顔を絶やさないその様は白馬に乗った王子様という表現が、まさにピッタリの見た目をしていた。
そんな完璧な王子像の見た目なアレクシスだが、性格は真逆でかなり黒い。
それはあのイクレイオスでさえも、簡単に言いくるめられてしまう程、策士的で頭が切れるのだ。
実際にイクレイオスがエリアテールとの婚約をサンライズに打診した際、その対応をしたのがアレクシスなのだが、承諾する代わりにコーリングスターの優秀な魔法騎士をサンライズに何人か寄越すよう条件を出し、それをイクレイオスにのませたくらい抜け目のない交渉術を披露している。
そんなアレクシスは、エリアテールから受け取った手紙にザっと目を通したようで、不敵な笑みを浮かべながら目を細めた。
「なるほどね。精霊の泉の洗礼を受けても、君には全く精霊からの接触が無いと。この状態の件でイクスは何て言っているの?」
「それが気にする必要はないと。精霊様の加護や祝福よりも、わたくしの風巫女としての能力のほうが重要だと……」
「ふーん。イクスは、そんな事を言っているんだ?」
もう一度、手紙を読み返しているアレクシスが、手紙に目線を落としたまま答える。
「ねぇ、エリア。このコーリングスター王家は四大精霊王の一人、地の精霊王が代々後ろ盾になってくれていることは知っているかい?」
「はい。確かお城の地下にある神殿にいらして、歴代のコーリングスター王を見守りながら、ご助言などもしてくださると王妃教育の一環で学びました」
「だったら、その地の精霊王に今回の状況を相談してみたらどうかな?」
「ええっ!? そ、そんな恐れ多い事は……。そもそもこの件のお話を出すと、イクレイオス様があまり良いお顔をなさらないので」
「へぇー。イクス、いい顔をしないんだ?」
そう言ってエリアテールの手紙を上着の内ポケットに仕舞うアレクシス。
いつも通りの笑顔を浮かべてはいるが若干、目が笑っていない事にエリアテールは気づかなかった。
「だったら僕からイクスに頼んであげるよ」
「そんな! アレク様のお手を煩わせてまでは――――っ」
「じゃあ、このままでいいの? 城内の人間は君の事をよく知っているから、その件で悪い噂を流す者はいないと思うけど……。君と全く接点のない人間は色々言うと思うから、コーリングスター王家の心象には、あまり良くないと思うけど?」
「それは……」
「この国が大好きな君にとって、それは不本意だよね?」
「あの、では申し訳ありませんが、お願いしてもよろしいですか?」
「うん! 任せて!」
そんな話をしていると、扉からノック音がした。
エリーナが開けると、やっと手が空いたイクレイオスが部屋に入って来る。
「アレク、待たせてしまって悪いな」
「いや、構わないよ? 久しぶりにエリアとも色々話が出来たし」
そう言ってエリアテールが座っているソファーの隣にイクレイオスが座ると、その様子を見ていたアレクシスがやや目を細める。それと同時にリーネが入れた新しく淹れたお茶をエリーナが三人分配り、去り際にエリアテールとアレクシスの冷めてしまったお茶を下げていった。
「へぇー。イクス、そこに座るんだ?」
「どういう意味だ?」
「だってこの状況だと、こっちの一人掛けのソファーに座るかと思って」
「そこだと三人で話す時にお前がいちいち左右に顔を向け直して、話しづらくなるだろうが!」
「人がわざわざ気を使ってやっているというのに……」と、イクレイオスが片眉を上げて不機嫌にブツブツと呟く。そんな二人のいつもと変わらないやり取りにエリアテールは苦笑した。
「ねぇ、イクス。仕事の話の前に、ちょっと頼みたい事があるのだけど」
「なんだ?」
「エリアを地の精霊王に面会させてほしい」
「何の為に?」
「だってこれからは、エリアは正式な君の婚約者という扱いになるのだろう? それなのにこの国を代々見守ってくれている地の精霊王との面識がないのは、次期王妃として体裁が悪いじゃないか」
「なるほど。確かに一理あるな」
なかなかの無理難題をサラリと頼むアレクシスにエリアテールが少し焦る。
そんな事は一切気にしていないアレクシスは、ニコニコしながらイクレイオスの返答を待つ姿勢だ。すると出されたお茶を一口含んだイクレイオスが、一呼吸置いてから口を開く。
「それで? 本当の目的は?」
「エリアの前に精霊達が、全く姿を現さなくなった原因を知らないか地の精霊王に確認したい」
ニコニコしながらアレクシスから発せられた内容にイクレイオスが、鋭い視線をエリアテールに向ける。
「エリア! お前、まだその事を! しかもアレクにも相談したのかっ!?」
「も、申し訳ございません! その、不安から、つい……」
「エリアは悪くないだろ? そもそも僕がその立場でも、その状況は気になるよ」
申し訳無さそうにしゅんと俯くエリアテールにアレクシスが助け舟を出すと、イクレイオスが呆れるように盛大に息を吐く。
「わかった。明日、そのように手配してやる」
「本当でございますか!?」
「ああ。地の精霊王もお前に会ってみたいと、口にしていたからな」
「良かったね、エリア! ね? 頼んでみるものでしょ?」
そうエリアテールに話しかけているアレクシスをイクレイオスが更に鋭い視線で睨みつける。
「なら初めから本当の理由を言えばいいだろう?」
「え? 嫌だよ。だってイクス、絶対ゴネそうだったし」
「お前は本当に食えない男だな」
「イクス、小声で言っても聞こえているよ?」
こうして明日、エリアテールは地の精霊王と面会出来る事となった。