30.執着と独占欲
急に去ってしまった精霊王の行動にエリアテールが茫然としながら、その消えた上空を見つめていると、突然バルコニーに出る為の扉が背後で、乱暴に開かれる。
その音でエリアテールが振り返ると、やや息を切らしたイクレイオスが大股で向かってきた。
「エリア! 今、ここに風の精霊王がいなかったか!?」
「イクレイオス様? あの……今は婚約披露宴の準備で執務室から一歩も出られない状態だと伺っておりましたが……。よろしいのですか……?」
「私の事はどうでもいい! そんな事よりもお前は、今まで精霊王と一緒だったのではないか!?」
「は……い。つい先程まで色々とお話をさせて頂きましたが……」
「話!? 何の話だ!」
不機嫌さを一切隠そうともしないイクレイオスにエリアテールが、戸惑い出す。
「実は……わたくしが婚約披露宴で行う風呼びの儀の歌の選曲で悩んでいる事をご相談致しまして……。その件で色々とご助言を頂いておりましたが……」
「それで……精霊王は、どのような助言をしたのだ?」
「その……精霊王様はご自身が気に入っていらっしゃる歌を勧めてくれたのですが……。その曲の内容がイクレイオス様のご要望とは合わなかった為、丁重に候補から外させて頂きましたが……」
勧められた歌がイクレイオスに歌う事を禁止された『精霊大戦終歌』だとは言えず、エリアテールはやんわりと話を濁した。しかし、イクレイオスの方は精霊王が薦めて来た歌が何なのか、すぐに察したらしい。
「まぁ、何の歌を勧めてきたのか大体、想像は付くがな……。その後、その助言以外には何もされなかったか?」
何故か必要以上に探りを入れてくるイクレイオスの言葉で、エリアテールは先程の精霊王とのやり取りを思い返す。そして去り際にされた事を思い出したのだが……その詳細は敢えて口にする事を控えた。
「いえ、特には……」
だが、イクレイオスはじっとエリアテールの顔を覗き込みながら、疑いの目を向けてくる。だが、去り際に髪へ口づけをされた等と言えば、イクレイオスの機嫌はますます悪くなると流石にエリアテールも学習済だったので、口を堅く結んだまま、さりげなく視線を逸らした。
しかし、イクレイオスは納得がいかないという表情をしながら、更に顔をズイっと近づけてエリアテールの目をじっと見据えてくる。その粘り強過ぎる追及の視線に思わず、エリアテールは後ずさりを始める。
「もう一度聞く……。本当ーに精霊王からは何もされなかったか?」
追及の手を一切緩めないイクレイオスの様子にエリアテールは、冷や汗をかき始める。そもそもエリアテールは、昔からイクレイオスに対して嘘をつくのが苦手だった……。そもそもイクレイオスは、エリアテールに限らず相手の微妙な行動の変化から、すぐに嘘を見抜いてしまう王族特有の特技を持っていたからだ。その為、幼少期から今現在までエリアテールが、イクレイオスに嘘を貫き通せた事は一度もない……。
だが今はそれとは別の理由で、エリアテールは平常心を保てない状態に陥っている。
何故ならば顔をグイグイ近づけてくるイクレイオスの距離感が、異様に近いと感じでしまっていたかだ。だが、急にイクレイオスが詰める距離が近くなった訳ではない……。イクレイオスの方では、今までと同じ距離感でエリアテールに接しているつもりなのだ。
しかし、今現在のエリアテールには、何故かその距離が赤面したくなる程近いと感じてしまう。
同様に最近は、やけにイクレイオスの整い過ぎた顔立ちに目が行ってしまうのだ。
元々人形の様に整った顔立ちのイクレイオスだが、幼少期の頃からの付き合いなので、見慣れたその見目麗しい顔立ちに動揺する事などなかったエリアテールだが……。最近は何故かそのイクレイオスの顔立ちに見入ってしまう自分がいた。
サラリとした触り心地の良いダークブラウンの髪、男性にしては長すぎる睫毛、光の加減によってはダイヤモンドのような虹色の光を宿すシルバーの瞳。
今まではそれら素晴らしいパーツで構成されたイクレイオス顔立ちを見ても目の保養ぐらいにしか感じていなかったエリアテールだが、現状ではそれだけでは済まない謎の補正効果が発動してしまっている……。
イクレイオスに真っ直ぐ見据えられると、魅入られたように動けなくなる。
イクレイオスが俯けば、やけに長い睫毛が際立ち、よく分からない色気を感じてしまう。
髪をかき上げる仕草も、紅茶を手に取る所作も、執務室で書類にペンを走らせている時でさえ、何故か最近のイクレイオスからは、よく分からない美し過ぎる妖艶さをエリアテールは感じてしまうのだ。
そして厄介な事にその都度、謎の激しい動悸に襲われる……。
今まで見慣れたはずのイクレイオスの容姿の良さが、ここ最近のエリアテールにはやけに目に付き、キラキラした謎の特殊効果まで発動している状態だ……。その事で改めてイクレイオスの顔立ちが整い過ぎている事をエリアテールは再認識する。
そしてその整い過ぎている顔立ちを惜しげもなく幼少期の頃からエリアテールに披露してきたイクレイオスだが……。よくよく思い返してみると、その距離感はエリアテール限定だったという事に今更ながらエリアテールは気付き始めた。
そしてその状況から考えられる事は……イクレイオスは、すでに幼少期の頃からエリアテールに特別な感情を抱いていたというのは本当の事なのだろう……。昨日、自分に対してイクレイオスが抱いていた気持ちを知ってしまったエリアテールは、正直なところ今後はどう接して行けばいいのか分からなくなっていた。
今までイクレイオスが向けてくる視線によく分からない謎の熱が込められていた事も、髪や頬に触れられる時に眼差しが優しげだった事も、エリアテールを叱責する際は必要以上に顔を近づけては顔を頻繁に覗き込んでいた事も……。少し前まで気付けなかったイクレイオスのそれら行動に隠されていた感情が、今は火を見るよりも明らかなのだ。
そもそも呪いから解放されてからのイクレイオスは、エリアテールに対する距離感が更に近くなっている。それと同時にスキンシップやボディタッチも多くなっており、特にここ五日間くらいは以前よりも腰に手をまわされる様なエスコートがやたらと増えた。
だが、それは以前からだったかもしれないという考えも捨てきれない……。
エリアテールがあまりにも鈍感過ぎた為、イクレイオスが初めからそういう接し方をしていたかどうかの判断がつかないのだ。だが現在、急にイクレイオスを異性として意識し始めたから違う。
どうも最近は、自分に対するイクレイオスのちょっとした行動や仕草に意識が行ってしまうのだ。
そんな事を考えていたから、イクレイオスの質問への返答が疎かになってしまっていた。
「エリア! どうなんだ!? 本当に精霊王には何もされていないのか!?」
「えっと、その……軽くですが、髪に……」
「髪?」
言い澱むエリアテールに更に顔を近づけてきたイクレイオスは、言及をやめる気はないらしい。このままでは恐らく正直に話すまで問い詰められ、自分の心臓が持ちそうにないと判断したエリアテールは白を切る事を諦め、先ほど精霊王にされた事を正直に話した。
「全く……。精霊王とは、そんなに暇を持て余している存在なのか? そんな暇があるのならば、少しはこの国の為に力を貸す考えでも起こして欲しいものだ」
そう顎に手を当ててイクレイオスが愚痴りだしたので、エリアテールとの顔の近さは多少軽減された。しかし立ち位置は距離を縮めてきた時とあまり変わらない。その近すぎる距離感に動悸どころか、顔まで熱くなってきたエリアテールは、さり気なく距離を取ろうと一歩だけ後退ろうとした。
しかし、何かがエリアテールの二つに結っている片側の髪の束を引っ張る。不思議に思ったエリアテールが、その紙の束の毛先の方に辿るように視線を向けた。すると、その毛先はいつの間にかイクレイオスによって手に取られていた。そしてそのまま毛先をジッと見つめ出す。その様子をエリアテールも茫然としながら見つめた。
するとイクレイオスがおもむろにその毛先を掬い上げる。
「ここか?」
一瞬、何を聞かれたのか分からず、エリアテールがキョトンとする。
だが次の瞬間、何を思ったのかイクレイオスは、エリアテールのその毛先に精霊王と同じように自身の唇に押し当てた。その予想外のイクレイオスの行動にエリアテールが、これでもかと言うくらい大きく目を見開く。
「イイ……イ、イクレイオス様ぁぁぁー!?」
イクレイオスのその突飛な行動で耳まで真っ赤になってしまったエリアテールは、その状況から逃れようと思わず身じろぐ。しかし、手に取られた髪がイクレイオスによって、がっしりと掴まれているので逃げられない……。そんな慌ててふためくエリアテールを余所にイクレイオスは、淡々とした口調で更によく分からない確認をしてきた。
「何だ、ここではないのか……。ならば、こちらか?」
そして今度は髪を掴んだままエリアテールの腰に手を回して引き寄せ、お互い向かい合わせで抱き合う様な体勢になる。イクレイオスの胸元にスッポリ納まってしまったエリアテールは、一瞬その状況が飲み込めず目をパチクリとさせた。そんなエリアテールの頭頂部にイクレイオスが口付けを落とす様に顔を埋め出す。
「ひゃあっ!」
全く予想していなかったイクレイオスの行動から、エリアテールは恥ずかしさと驚きで思わず色気のない声で叫んだ。だがその反応が面白かったのか、エリアテールの頭上からはイクレイオスの小さな忍び笑いが聞こえる。その状況にますますエリアテールは、パニック状態に陥ってしまう。
「い、一体、どうされたのですっ!? これまでイクレイオス様がわたくしにこのような接し方をされる事など、一度もございませんでしたよね!?」
必至でこの状況から逃れようとエリアテールが藻掻くが、イクレイオスにガッシリと腰に手をまわされてしまい、身動きが取れない……。そしてその元凶のイクレイオスだが……両腕に向かい合うようにエリアテールを閉じ込め、恥ずかしさから俯いているエリアテールの頭頂部に顎を乗せたまま、平然とした様子で淡々と会話を続けてきた。
「精霊王ならば理解出来るが、私がこのような行動をする事は理解出来ないと?」
「そ、そのような事はけして……。ただ……その、呪い騒動後からイクレイオス様は、わたくしに対してやや距離感が近過ぎる様な気が……。そ、それにわたくしに対してこの様な行為をとられる事は、イクレイオス様らしからぬ行動のように思えるのですが……」
「お前は何を言っているのだ? そもそも私らしからぬ行動とは、お前の基準で判断した場合でだろう。現状の私は、やっとお前に対して友人として接しなければいけなかった義務から解放されたのだぞ?」
「友人としての義務……ですか?」
その言葉の意味が理解出来なかったエリアテールは藻掻くのをやめ、キョトンとした表情をしながらイクレイオスを見上げる。するとイクレイオスに腕を腰に廻され引き寄せられている為、やや後ろに反るような体勢になってしまう。そんなエリアテールに目線を合わせようと、イクレイオスは自分を見上げて来たエリアテールの顔を上から覗き込む。だがイクレイオスは、何か悪だくみをしているような意地の悪い笑みを浮かべながら、エリアテールが抱いた疑問について話し始める。
「お前が風の精霊王より祝福された事で、本来お前が持っていた風巫女の力の需要性はもうない。何故なら今後の大気の浄化は、精霊王から風の力を与えられたお前がこの国にいる限り、一生困る事はないのだからな」
確かに風の精霊王の祝福のある今のエリアテールならば、風巫女の力は特に必要はない。巫女力よりも更に強力な風の力を風の精霊王から授かったので、今後は彼女がこの国に存在するだけで、コーリングスターの大気の浄化が常に可能だ。
「それは分かるのですが……その事と『友人としての境界線』との関係性が……」
イクレイオスの胸元から顔を上げたまま質問してきたエリアテールに、何故か不敵な笑みを浮かべ答えるイクレイオス。
「お前の風巫女の力が必要ないという事は、私がお前の巫女力……すなわち処女性を死守する義務は全くないという事だ。今まではその忌々しい巫女力の所為で『友人としての境界線』を越える事は絶対に許されない状況だったが……。今はもうその事に徹する必要はない。すなわち……」
そう言ってイクレイオスは再度エリアテールを抱きしめ直し、更に自分の方へとグッと引き寄せる。そして今度はエリアテールの耳元に唇を寄せた。
「今後は自身の欲を全力で満たす為、堂々とお前に触れる事が出来る……」
その言葉を聞いた瞬間、ただならぬ危機感を感じたエリアテールは、全力でイクレイオスの腕の中から逃れようとする。しかし細身とは言え、長身で男性でもあるイクレイオスの腕の力は全く緩まらない。
「イ、イクレイオス様ぁ……」
涙目で必死に解放を訴えたエリアテールの耳元では、満足そうなイクレイオスの忍び笑いが再びこだまする。
「幼少期に私に目を付けられのが運の尽きだ。もう諦めるんだな」
珍しく優しい声で耳元に囁いたイクレイオスは、今度は髪ではなくエリアテールの唇に口づけを落とした。
『風巫女と精霊の国』の本編はこれで終了となります。
ですが番外編で、その後の二人の話を18話ご用意致しました。
よろしければ引き続きお楽しみください。
本編30話にも及ぶこの長いお話に最後までお付き合い頂きまして、本当にありがとうございました!




