21.厄介な婚約者
翌日、午後過ぎに何とか時間を作ったイクレイオスは、エリアテールが待つ客間に向っていた。だが、その足取りは非常に重い……。
この後、エリアテールを納得させるような説明をしなければならない労力を考えると、流石のイクレイオスでも胃が痛くなってくる。
ちなみに現在城内で囁かれているマリアンヌとの噂はイクレイオスが指示をして、故意で流させたものだ。
噂の精度としては、かなり説得力のない苦しい内容ではあるが、流石に4属性の精霊王から加護を受けている王太子が一介の上位精霊から呪いを受けたとなると、かなり外聞が悪い……。
何よりも呪いを掛けたのが水の精霊ともなると、水の上位精霊より加護を受けているマリアンヌが、精霊達に働きかけたのではないかというあらぬ方向で詮索をする輩も出てきてしまう。
そうならないように対策として、このような陳腐な噂を流す事にしたのだが……。
流石に能天気なエリアテールでさえ、その噂による情報操作には引っ掛かかる事はなく、今回このような対応をせざるを得ない状況にイクレイオスは追い込まれている。
そもそもこの呪い騒動は、実際にマリアンヌに加護を与えた水の上位精霊の仕業だった。
その精霊は、マリアンヌを慕うあまり、彼女にこの国の王妃としての地位を授けようとイクレイオスが好意を抱くように魅了の呪いを掛けたらしい。
しかもその上位精霊は、4人の精霊王から加護を受けているイクレイオスでさえ、あっさりと呪いに掛かってしまう程、強い力を持っていた。その為、あの酷いスコールに遭遇した直後から、イクレイオスのエリアテールへの恋心はその呪いの所為で封印され、代わりにマリアンヌへと強制的に向けられてしまったのだ。
結果、本来想いを寄せているエリアテールと関わると潜在意識と呪いの効果がせめぎ合う為、頭痛などの体調不良を引き起こし、逆にマリアンヌに関わると呪いの発動効果が優位な状況になる為、体調不良が改善されるという現象が、あの間のイクレイオスの体内では起こっていたのだ。
その事をやっとその呪いから解放された日の晩、冷やかしついでにと部屋に現れた風の精霊王からイクレイオスは聞かされた。
だが今回の呪い騒動で一番の被害者となってしまったのは、イクレイオスではない。
一番の被害者は、王太子の婚約者の座には一切興味が無かったにも関わらず、水の上位精霊の要らぬお節介の所為で巻き込まれ、挙句の果てに心を乱されるような誘惑を強いられたマリアンヌである。
そんなマリアンヌを気遣う対策として、この呪い騒動の真相は信頼のおける限られた人間の耳に入らぬよう情報漏洩管理が徹底された。その為、この事件の詳細を知っているのはイクレイオスの父である国王とその妻イシリアーナ、そして当事者であるマリアンヌに側近のロッドのみだ。
だが何故かもう一人の当事者でもあるエリアテールには、その真相が伝えられていない……。
それはイクレイオス自身が、エリアテールに直接説明する事を何故か行わなかったからだ。
では何故、イクレイオスは今回の騒動の説明をエリアテールにしていないのか……。
その理由は、一応二つあった。
一つ目の理由は、単純に婚約披露宴の準備が切羽詰まっており時間がない為だ。現状、婚約披露宴の準備は、間近に差し迫っている開催日に間に合わせるには、かなり厳しい状況だった……。
そして二つ目の理由だが……これがイクレイオスの考えにしては、かなり珍しい他力本願な理由だった。
今回の呪い騒動の件はイクレイオスが事の真相を話さなくても、お節介な母イシリアーナが勝手にエリアテールに話してしまうだろうと踏んでいたからだ。
しかし一昨日の晩、イクレイオスを心配するふりをした母イシリアーナが珍しく夜食を届けに来た際、その期待を見事に裏切るとんでもない爆弾を楽しそうに落としていった。
「ごめんなさいねー。今日呪いの件をエリアに説明しようとしたのだけれど……。何か忙しいようで、お茶を断られてしまったの!」
そして「明日も大変だと思うけど、頑張ってね!」と満面の笑みを浮かべながら、夜食のサンドイッチを置いた後、ニコニコしながら去って行った……。
いつもは鬱陶しい母のエリアテール狂いを今回だけは、当てにしていたイクレイオスだが、どうやらその他力本願な考えは母にはお見通しだったらしく、ここぞとばかりに敢えてイクレイオスの期待を大きく裏切る行動に走ってくれたのだ。
その為、近いうちにエリアテールがイクレイオスとの話し合いを求めてくる事は、何となく予想していた。しかし、イクレイオスはどうしても呪い騒動の真相を直接自分からエリアテールに説明はしたくはなかったのだ。
そんな経緯でイクレイオスは、あえてエリアテールが真相を知りたがっている様子に気付かないふりをしていたのだが……。それはファルモからの訴えによって、回避する事が出来ない状況にまで追い込まれたのが今のイクレイオスである。
では何故イクレイオスは、今回の呪い騒動の真相をエリアテールのみ説明しないという判断をしたのか……。
それはエリアテールの性格が大いに関係してた。
エリアテールは普段おっとりとした印象が強いが、実はかなり芯が強く頑固な性格なのだ。特に自分の所為で誰かが傷つくような状況の場合、もう頑なに自己犠牲の考えを貫き通す傾向が強い。それは風の精霊王が出した条件を受け入れる事にエリアテールが強く抵抗した事が物語っている……。
そして何よりも面倒なのが、エリアテールの思い込みによる突っ走った考えを修正し、事の真相を納得させる事が大変な労力を伴うのだ……。
その事を付き合いの長いイクレイオスは、経験上よく知っていた。
そんな性格のエリアテールだからこそ、イクレイオスは自分から直接今回の騒動の件を説明する事から逃げようとした。恐らく事実を説明したところで、イクレイオスが呪いの影響でマリアンヌに抱いてしまった恋心をエリアテールは、呪いのせいだとは信じてはくれないだろう……。
変なところで自分に自信がないエリアテールは、その説明をイクレイオスがマリアンヌを諦める為についている嘘だと判断し、必死になって自分との婚約を解消するよう訴えてくる事がイクレイオスには容易に想像出来た。
そんなエリアテールの行動は、イクレイオスとの婚約を拒絶しているかのようにマリアンヌとの復縁を訴え続けるような行動になる為、イクレイオスにとっては、もはや拷問としか言いようがない状況になるのだ。
エリアテールにしてみれば、イクレイオスがマリアンヌに抱く恋心を汲みとりたいと思っての善意から来る行動なのだが……。イクレイオスにとっては意中の相手でもあるエリアテールから、他の女性との恋を応援されるような状態を強いられる事になる。そんな地獄の様な他の女性との復縁説得を頑固なエリアテールは、イクレイオスの為にと一生懸命してくるだろう……。それだけは何としてでも回避したかったイクレイオス。
だからこそ、今回は母のエリアテール狂いを頼りにしていたのだが……。
そこはしっかりと息子の目論見を見抜いていた母イシリアーナ。
エリアテールの都合が悪かった事を好機と捉え、きっちりとイクレイオスに報復をしてきたのだ。
「母上め……。ここぞとばかりに……」
吐き捨てるように呟いたイクレイオスは何の対策案も浮かばないまま、エリアテールが待つ部屋の前に着いてしまった……。その状況からもう逃げられない事を自覚したイクレイオスは、扉の前で大きく息を吐く。
とりあえず、天然なエリアテールによる全力の善意から繰り出される無自覚な攻撃に備え、覚悟を決めた。
今回の最優先事項は、何としてでもエリアテールの誤解を解き、婚約解消を撤回させる事だ。
その為には、冷静さと忍耐力は絶対に不可欠……。
そう決心したイクレイオスは、扉をノックしてドアノブに手を掛ける。
しかし、この時のイクレイオスはこの後、自分の想像を遥かに超える事態になろうとは、全く予想出来なかった。
部屋に入ると神妙な面持ちだったエリアテールが、イクレイオスの登場に気付き立ち上がる。
「イクレイオス様……。この度はお忙しい中、お時間を頂きまして、ありがとうございます……」
そう深々と頭を下げるエリアテールに「全くだ……」と愚痴るように呟きながら、イクレイオスは向かいのソファーに足を組んで座る。更に両腕も組んで、少し威圧的な態度を敢えて取った。
「ファルモより報告を受けたのだが、このままでは婚約披露宴の準備が出来ないと言ったそうだな。どういう意味だ?」
「……三日前に伺っていたお話と、あまりにも状況が違うもので……」
イクレイオスから目を逸らしながら、遠慮がちエリアテールが呟く。
そんなエリアテールの態度から、イクレイオスの威圧的な態度が罪悪感からか一瞬だけ緩んだ。
するとエリアテールは、意を決したように真っ直ぐイクレイオスを見つめ口を開く。
「どうして未だにお披露目する婚約者が、わたくしのままなのですか?」
もっともな質問だ。
確かにイクレイオスは、三日前にエリアテールへ婚約解消を打診したのだから……。
だが、それはイクレイオスの意志ではなく、呪いの影響下で不可抗力な状況での事だ。
「その件に関しては、色々複雑な事情がある。だが、お前が私の婚約者のままなのは、私の意志で……」
「やはり周りからの反対で、そう決断されるしかなかったのですね!?」
やはりこのパターンになったか……と、心の中でイクレイオスが舌打ちをする。
「確かにそれもあったが、まずお前が今でも婚約者のままなのは私の強い意志で望――」
「何故、このご決断をされる前に一言ご相談して下さらなかったのですか!?」
言葉を遮られたイクレイオスの片眉が一瞬、ピクリと上がる。
しかしイクレイオスは心の中で「冷静、忍耐……」と呟きながら、怒りを抑え込んだ。
「相談も何もこれは私の気持ちの問題だ。だから私は自信のその気持ちを尊重して……」
「どうかお願い致します! この婚約披露宴の開催をもう少しだけ、お待ち頂けませんか!?」
先程から何度もイクレイオスに被せるように言葉を放つエリアテールに、段々とイクレイオスの忍耐力が削られていく。
「待つ事など出来るかっ!! お前は今どれだけ婚約披露宴の準備が遅れているのか、分かっているのか!?」
「ですが、もう少しお待ち頂ければ先日の婚約解消の件をアレク様にお伝えしたので、きっとお力を貸して下さるはずなのです!」
その言葉を聞いた瞬間、イクレイオスの中から『冷静』と『忍耐』の言葉が遥か彼方へ吹っ飛んだ。
「お前……アレクに……婚約解消の件を打診したのかっ!?」
一瞬、茫然となったイクレイオスだが……。
その表情は、あっという間に鬼のような形相へと変わる。
「私に何の相談もなく、そのような勝手な真似を……。どういうつもりだっ!!」
そして両手をテーブルを激しく叩きつけ、エリアテールを怒鳴りつけた。
そんなイクレイオスの剣幕ぶりに怯えたエリアテールが、一瞬だけ恐怖からぎゅっと目を閉じる。
しかしエリアテールはすぐに落ち直し、勇気を振り絞ってイクレイオスに更に訴えた。
「ですが! あの場合、わたくしもお二人の仲を祝福している事をアレク様に告げなければ、両国の関係だけでなく、イクレイオス様とアレクシス様の友情にもヒビが入ってしまうかと思ったのです!」
「お前がそのような勝手な振る舞いをした時点で、もう私とアレクの間にはヒビが入っている!」
そう吐き捨てたイクレイオスは片手で両家を覆い、グッタリするようにソファーへ腰を下ろす。
「よりにもよって、アレクにそのような相談をするなんて……」
正直なところ、イクレイオスが唯一敵に回したくない存在がアレクシスだ。
お互い遠慮なしに言いたい事が言え、会話する内容のレベルを気にせずに話せるアレクシスは、友人として貴重な存在だ。
しかし……ここにエリアテールが絡んでくると話は別である。
サンライズの王太子であるアレクシスにとって、サンライズの巫女であるエリアテールは絶対に守らなければならない存在の一人だ。そんなアレクシスは、初めこの二人の婚約には反対していた。大国の王太子の婚約者ともなれば、政治的な意図でエリアテールの安全が脅かされる可能性が上がるからだ。
その為、イクレイオスはアレクシスに婚約を承諾させる為に国の優秀な人材数名をサンライズに提供するだけでなく、アレクシスが提示してきた諸々の条件とは別に、ある絶対的条件をのむ事も約束した。
それが『生涯を賭けてエリアテールを大切にする』という条件だ。
しかし三日前のエリアテールは、アレクシス宛にイクレイオスが婚約解消を望んでいるという内容で、手紙を送ってしまった。その内容には恐らくイクレイオスがマリアンヌとの婚約を望んでいるという事も書かれていたはずだ。いくら呪いの影響でそのような状態になっていたとは言え、もうその時点でイクレイオスはアレクシスの出した『生涯を賭けてエリアテールを大切にする』という条件を反故した事になってしまう……。
「勝手に先走るような行動をしてしまった事は、確かに申し訳ないと思っております……。ですが! あの状況では一刻も早く自国にその事をお伝えする事が最善だと思ったのです! アレク様ならきっとイクレイオス様の事を思い、早々に婚約解消のお手続きに踏み切ってくださいます!」
「そうだな……。確かにアレクなら嬉々としながら婚約解消の手続きをしてくれるだろうな……」
エリアテールの訴えに対し、イクレイオスは皮肉っぽい笑みを浮かべながら自虐的に呟く。
しかし次の瞬間、鋭い視線でエリアテールを睨みつけながら叫ぶ。
「だが私は、お前と婚約解消する気は毛頭ないっ!!」
そう言い切ったイクレイオスにエリアテールは、怒りと悲しみの混ざりあった表情を返す。
「何故……ご自身のお気持ちを抑えてまで国の事を優先されるのですか!? 確かに王族には政略的婚姻が付きものです! ですが、マリー様に関してはお人柄もお家柄も申し分ない方ではありませんか! それならば、すぐに周囲の賛同も得られやすいはずです!」
「国の事など、どうでもいい!! 私はちゃんと自分の意志を尊重した結果、お前を婚約者に選んだんだ! それはその当初から今でも変わらない!!」
「では何故、先日はマリアンヌ様とのご婚約を望まれたのですか!?」
「それを説明しようとしているのに、先程からお前が私の話を遮り、聞こうとしないではないか!!」
「まさか……あのふざけたお噂の事をおっしゃっているのですか!? 流石のわたくしでも、あの様な信憑性の低い内容の噂は、信じる事など出来ません!」
もはや収拾がつかない程の言い争いになりつつある現状にイクレイオスは、頭を抱えたくなる。
ある程度は覚悟をしていたつもりのイクレイオスだったが……。
頑固状態のエリアテールとのやり取りで、徐々に苛立ちの限界に近づいてきた。
こういう状況になってしまっては、もはや事実を話して納得させるよりも強硬手段に出た方が早いと判断したクレイオスは、ひと呼吸ついて落ち着いたトーンの口調に変えた。
「では聞くが……。仮に私との婚約解消が通ったとして、お前はその後の後処理をきちんと出来るのか?」
「その後の後処理……でございますか?」
「前回、婚約解消の打診をしたのは私だ。だからその場合、非があるのは私の方となる。だが今の私はお前との婚約解消を微塵も望んでいない。すなわち婚約解消を望んでいるのはお前という事だ。そんなお前には、婚約解消時に示談金の支払い義務が発生する……」
イクレイオスは、敢えてそこで言葉を切った後、念を押す様に言葉を続けた。
「お前はその多額な示談金を自身で支払い切る事が出来るのか?」
その言葉にエリアテールの顔が凍り付いた。




