2.精霊の国の王太子
部屋に戻ったエリアテールは、侍女たちにお茶の準備をして貰っていた。
「エリアテール様……あまり気に病まれては、折角のケーキの味が分からなくなってしまいますよ?」
そう言ってエリアテールの前にケーキを出してくれたのは、幼少期からずっと仕えてくれているエリーナだ。本来はコーリングスターの人間なのだが、エリアテール付きになってからは、サンライズに帰る際にも同行してくれている。
エリーナはエリアテールよりも九歳年上で、すでに既婚者だ。夫はコーリングスターの王立図書館の副館長をしている。おっとりした性格だが非常に優秀で、エリアテールにとっては、侍女というより優しい姉という存在だ。
そんな彼女は水の下級精霊と地の中級精霊の加護を得ている。
「そうですよ! 精霊なんて気まぐれな性格なのですから! それにエリアテール様には、もっと凄い風巫女の力があるじゃないですか! 精霊の加護なんて必要ないです!」
強気な発言をしたのは、昨年念願のエリアテール付きの侍女になれたリーネだ。エリアテールよりも三歳年下の彼女は、まだ十四歳のあどけない少女である。
リーネは今から二年前、侍女見習いで挫折しかけていた時にエリアテールに救われたことがある。たまたま庭を散歩していたエリアテールが泣いているリーネに気付き、元気づける為に歌を歌ったことがあるのだ。
この国の王太子の婚約者が、一介の侍女見習いでしかない自分を気遣ってくれたことに感動したリーネは、それ以降すっかりエリアテールの歌の虜になる。それから必死でエリアテール付きの侍女に選ばれるよう努力し、やっと採用されたのが一年前のことだ。
ちなみに採用されたポイントは、お茶を入れるのが上手ということになっているが……実際はエリアテール以上のスイーツ好きで、その部分を評価されたらしい。
そんなリーネは、サンライズ国まで同できる先輩のエリーナをずっと羨ましがる程、エリアテールに心酔している。ちなみに彼女は水の中級精霊の加護持ちだ。
「リーネ、そんなことを言ってはダメよ? エリアテール様が困ってしまうわ」
「だって、あんな素敵な歌で風を操れるエリアテール様に加護を与えないなんて……。コーリングスターの精霊は、性格がねじ曲がっているとしか思えないじゃないですか!」
お茶の入ったポットを持ったまま、プク~ッと頬を膨らませて下を向くリーネ。
彼女の淡いピンクの綿菓子の様なツインテールが、ふわりと揺れる。
その様子があまりも愛らしすぎて、思わずエリアテールは笑ってしまった。
「ほらほら、不貞腐れていないで手を動かしなさい? エリアテール様がお茶をお待ちよ?」
「わわっ! 申し訳ございません! すぐにご用意致します!」
全く精霊の加護を受けられないエリアテールを元気づけようとしてくれる二人。
そして今日のケーキは、わざわざリーネが買ってきてくれた城下町にある有名店の限定チーズケーキだ。濃厚でしっかりとして甘味があるこのチーズケーキは、濃い目に入れたお茶との相性が抜群で、エリアテールの大のお気に入りだ。同時に争奪戦が激しいこの人気商品をさらりと出してくれるリーネの優しさが身に染みる。
リーネが苦労して用意してくれたチーズケーキを堪能していると、エリーナがさり気なく窓を開けて、心地よい風を部屋に入れてくれた。その状況でリーネが入れてくれたお茶を飲むと、エリアテールの不安がスッと和らぐ。
「二人ともありがとう。特にリーネ、このケーキを用意することは大変だったでしょう?」
「いいーえぇ。エリアテール様にと伝えたら、お店のメインパティシエの方が大張りきりで用意してくれました!」
「リーネ……それ、職権乱用じゃない?」
「エリアテール様の為なら、このコーリングスターの民は何だってしますよ!」
エリーナが呆れながら言うと、自信満々で答えるリーネ。
「それは少し大袈裟でしょ?」とエリアテールが苦笑していると、突然ノックの音が響く。エリーナが扉を開けると、婚約者のイクレイオスが部屋に入ってきた。
「イクレイオス様、もうご公務はよろしいのですか? かなりお忙しいと伺っていたのですが……」
「予想以上に婚約披露宴の準備が順調で今日は少し時間が取れた」
「それではご一緒にお茶でも。ストレートティーでよろしいですか?」
「ああ」
「リーネ、お願い」
イクレイオスの容姿は、その場にいる誰もが振り返ってしまう程、完璧すぎる整い方をしている。細身で長身のシュッとしたバランスの良いシルエット。ふんわりした触り心地の良さそうな髪質のダークブラウンのセットされた髪。男性にしては長いまつ毛と形の良い眉。切れ長のシルバーの瞳は、たまに光の加減で神秘的な虹色に見える。
そして幼少期から作り物のように整っていた顔立ちは、青年になると一層その完璧さを際立たせていた。
そんなイクレイオスが長い足を組んで颯爽とソファーに座ると、もうそれだけで絵になる。しかし、エリアテールは幼少期から見慣れてしまっているので、そこまで心を奪われることはない。
エリアテールにとって、イクレイオスは自分とは別次元の作りをしているという感覚で見ている。例えるならロマンス小説に出てくるヒーローの様な全乙女の理想を全て集結させた……そんな現実離れした存在がイクレイオスなので、心奪われるというよりも眼福的存在だ。
その上、頭の回転が早く、全属性の精霊王から加護を受けているので、天はこの王太子に一体何物与えるつもりだとツッコみたくなる程、非の打ちどころがない。
まぁ、しいて挙げるとすれば、やや威圧的で感情が分かりにくく、愛想がないという点ぐらいだろう。そんなイクレイオスの感情表現の一つとして、片眉を上げることが多い。特に不快を感じた時などは。
「お前はそんなに甘い物ばかり食べているのに全く太らないな」
「そうなのです。恐らく風呼びの儀を行っているからだと思われます」
「あれはそんなに体力を消耗する行為なのか?」
「風を起こすことに関しては、体力よりも巫女力を消耗しておりますね……。ですが、わたくしの場合は風を起こす方法として歌いますので、そちらで脂肪を燃焼しているのかと」
「お前の歌は、パフォーマンス性が高いからな。婚約披露宴で使えそうだな」
「滅相もございません! パフォーマンス性が高いというのは、わたくしのような者ではなく、雨巫女のアイリス様のような方でないと!」
「アレクの婚約者の令嬢か。そちらの雨巫女もお前と同じ見事な歌巫女らしいな」
「はい! 我が国自慢の雨巫女です!」
神童と呼ばれたイクレイオスはエリアテールと婚約した頃から、すでに政務などをこなしていた。そんな多忙な身でエリアテールとのお茶の時間を捻出することは、かなり厳しい状況のはずなのだが、「婚約者として扱わないとアレクがうるさい」と毒づきながらもエリアテールのもとへ、ちょくちょく顔を出してくれる。
ちなみにアレクというのは、エリアテールの国であるサンライズ国の王太子アレクシスのことだ。
幼少期にイクレイオスからエリアテールとの婚約の申し入れがあった際、その交渉対応をしてくれたのが、このアレクシスだった。
「話し合うなら子供同士の方がいい」という言い分らしかったが……後から聞いた話だと、婚約承諾の条件にガッツリその恩恵を取り付けてきたらしい……。
イクレイオスとは、また違った意味合いで頭が切れる策士タイプだ。
そんなアレクシスは、サンライズの巫女達をいつも気にかけてくれている。
それがサンライズ王家の役目という事もあるが……年齢が近く大国の王太子の婚約者に選ばれてしまったエリアテールは、特に気にかけてもらっている。
そんな一つ年上のアレクシスとは、物心付いた時から兄妹のように親しい間柄だ。
そしてイクレイオスにとっても、アレクシスは悪友という感覚の存在である。
そんな二人は、大人顔負けの交渉術を得意とする者同士ウマが合うらしい。
同世代では同じ思考レベルで会話ができる相手になかなか出会えない二人なので、お互い貴重な存在とは思っているようだ。よく互いの国の問題点などを相談し合っている。
その為、アレクシスが政務でコーリングスターを訪問した際、よく三人で過ごすことが多い。
「そういえば先ほどロッドから聞いたのだが、お前は精霊からの加護を受けられないこの状況を、かなり気にしているようだな?」
いきなり確信をついた話題を振られ、エリアテールは思わずお茶を吹き出しかけた。
ロッドと言うのは、イクレイオスより三つ年上の一番の側近だ。エリアテールよりも五歳年上で、幼少期から、よく面倒を見て貰っている。
「そうなのです……。実は加護どころか、お姿すら拝見できない状況でして……」
そう言ってエリアテールが、しゅんと項垂れる。
しかしイクレイオスは、この状況をあまり深刻には捉えていないようだ。
「お前の場合、精霊達がお前を侮って、姿を見せないだけではないのか? そもそも精霊達にそこまで敬称を付けるような呼び方をする必要はない。この国でのあいつらの扱いは、その辺を飛んでいる鳥のような感覚だぞ? もし敬称を付けるのであれば、それは精霊王のみでいい」
「ですが……魔法を扱える加護を授けてくださるのですよ? その様な粗雑な扱いをしてしまうのは、どうかと……」
「そもそも加護ごときが貰えぬくらいで落ち込むな。そんなものは、いつか適当に得られる」
「ですが……もうすでに洗礼を受けてから一カ月以上も経過しておりますし……」
「気にしすぎだ!」
少し強めの語彙で言ったイクレイオスに、お茶のおかわりを淹れようとしていたリーネがビクリとする。
しかし、エリアテールは特に気にもせず、そのまま会話を続けている。
そんなリーネの反応に気付いたエリーナが、こっそりと小声で話しかける。
「大丈夫よ。お二人は幼少期の頃からのお付き合いだから、あれが普通なの」
「ですが……今のイクレイオス様の口調は少々威圧的ではないですか?」
「イクレイオス様があのように素のご自分を出されるのは、限られた方に対してのみだから」
「でもエリアテール様は婚約者ですし、もう少し優しくしてくださっても……」
「でもイクレイオス様があのような態度をなさるのは、それだけエリアテール様を信頼なさっているということなのよ?」
「うぅ……。分かりづらいです……」
あまり感情的にならない表情の乏しいイクレイオスだが、エリアテールの前では割と人間味が出る。しかしそれは、幼少期からの慣れからくるものだけではない。伸びやかに育ってしまったエリアテールの天然な部分が、たまにイクレイオスの地雷を踏み抜くからだ。
それを時には厳しく、時には呆れながらたしなめてきたイクレイオスは、エリアテールの前では感情的になるが多い。そんな婚約者にだけ素直に感情を出す王太子の様子をベテラン侍女のエリーナは、よく知っている。
そんなリーネが驚いてしまうような態度をイクレイオスに取られたエリアテールだが、今回はどうも精霊の加護が未だに受けられない現状に不安を感じてしまっているようだ。
「あの……実は精霊の加護を受けられないこの状況に関して少しご相談あるのですが……」
「なんだ。言っておくが私が加護を受けた時の状況はまだ赤ん坊だった為、説明はできないぞ?」
「いえ、そうではなくて……。婚約披露宴の件についてご相談が……」
「一応聞いてやる。何だ?」
「精霊の国と言われる王太子の婚約者として考えますと、わたくしの現状はあまりにも体裁が悪いので婚約披露宴のお日にちを延期していただくことは可能でしょうか……」
「却下だ」
「ですが、加護どころか、お姿すら拝見できない今の状況は、この国の次期王太子妃としては、かなり致命的かと思うのですが……」
「先ほども言ったが、お前は気にしすぎだ! この国がお前に求めているのは、そんなことではない! お前が強力な風を操れる風巫女という部分が重要なのだ。精霊の加護など、どうでもいい!」
捲し立てるように言い放った後、イクレイオスが盛大に息を吐く。
「もうその件は忘れろ!」
そう言って片眉を上げ、ムスッとしてしまったイクレイオスの様子から。これ以上言うと更に不機嫌にさせてしまいそうだと察したエリアテールは、この件をあまり口にしない方がいいと判断した。
それにしても何故、自分にだけ精霊達は姿を現してくれないのだろうか……。
生意気にも人の分際で精霊並みに風を操るからなのか……。
エリアテールの中で、ますます自身が精霊によく思われていないという疑念が深まっていった。