18.子守歌
精霊王の一喝で、やっと言い争う事をやめた二人だが……。エリアテールの方は、まだその条件を受け入れる事に納得出来ないでいた。
「風巫女よ……。もう諦めろ。その王太子の意志は固い。それよりも早く解呪をせねば、王太子の体が持たぬぞ?」
あまりにも長引きそうな二人の言い争いを懸念した精霊王は、流石にイクレイオスを煽る気力もなくなってしまい、今度はエリアテールを説得しはじめた。だが、その表情はかなり呆れ気味だ……。
そんな精霊王からの説得を受けたエリアテールは、渋々その条件をのむ。
対してイクレイオスの方は、かなり限界に達している様で「早く……解呪して、くれ……」と呻き始める。エリアテールにもたれ掛かる様にグッタリしている様子からも耐え難い激痛を伴っているようだが、何故かエリアテールの左腕に必死になってしがみ付く事はやめないようだ……。
仕方がないので、エリアテールはイクレイオスを左腕に絡ませたまま、精霊王から解呪の方法を確認し始める。
「精霊王様。わたくしは一体、何をお手伝いすれば……」
「そなたには、王太子より取り除いた呪いの素を早急に破壊してもらう」
「お、お待ちください! そのような重要な役割をわたくしが!?」
「そなたならば簡単にこなせる。まぁ、破壊しなくとも我の力で体外に出せば、すぐに壊れるのだが……」
「体外に出す? どういう意味でございますか?」
精霊王の話では、どうやらイクレイオスに掛かっている呪いは水属性の力らしい。恐らく何かの拍子で、その呪いの素が水と共にイクレイオスの体内に入り込み、呪いを発動させたのだと言う。
「王太子よ、普段ではあまりない状況で水に触れた事はなかったか?」
そう聞かれたイクレイオスが真っ先に思い出したのは、王族専用の庭で遭遇したスコールだった。イクレイオスだけが雨を受けてしまうタイミングをまるで見計らった様に盛大に降り注ぎ、ずぶ濡れになってしまったあの時だ。
「恐らく、その時だろう……。しかし水の精霊王の加護を受けながら何と情けない」
精霊王の嫌味を含んだ嘆きにイクレイオスは、何も言い返せない……。
すると、言われっぱなしのイクレイオスに変わってエリアテールが質問してきた。
「呪いの効果がある雨を降らせられるという事は、その者は余程魔力が高い人物という事でしょうか?」
「いや、これは人の仕業ではない。恐らく精霊の仕業であろう。それも……」
そこで一度言葉を溜めた精霊王はニヤリと含み笑いをした後に言葉を続けた。
「精霊王に匹敵するくらいの力を持った水の精霊のな」
精霊王の仮説を聞いたエリアテールは、以前イシリアーナが水の精霊王から祝福を受けた話を思い出す。
人間の男性全般を嫌う女性の姿をした水の精霊王は、若かりし現国王が自身が気に入っていた現王妃イシリアーナを汚される事に激怒し、噴水の水を大量に浴びせたという話だ。
そしてそれは、今回の状況と非常によく似ている。
水の精霊から非常に慕われやすいマリアンヌにイクレイオスが好意を寄せ始めた頃から、イクレイオスの様子がおかしくなったからだ。恐らくその頃から軽度の頭痛が発生していたのだろう。
それらを踏まえてエリアテールの中で、ある仮説が立てられた。
今回の呪いの主は、水の精霊王であり、自身が気に入っているマリアンヌをイクレイオスに奪われる事に嫉妬して、二人の仲を邪魔しようとしてイクレイオスに酷い頭痛が発症する呪いを掛けたのではないかと……。
その仮説が正しければ、すでにマリアンヌは水の精霊王から祝福を受けている可能性が高い。
そんな仮説に施行を巡らせていたエリアテールは、精霊王から呼びかけに気付けなかった。
「風巫女よ……。我の話を聞いているか?」
「も、申し訳ございません! その……聞いておりませんでした……」
呆れ気味な表情の精霊王から視線を向けられたエリアテールは、慌てて謝罪をする。だがそれ以上に怒りを放ったていたのは、エリアテールにもたれ掛っているイクレイオスだった。
「お前は……私に……喧嘩を売って、いるのか……?」
目を据わらせながら睨みつけてくるイクレイオスにエリアテールがビクリと肩を震わす。
どうやら激痛に耐える事が限界が近い様で凄み方が王太子とは思えない程、恐ろしい顔つきになっていた。
もし今回の様にグッタリしていなければ、確実に思いっきり頬を引っ張られるケースだが……。幸いな事に今のイクレイオスには、その気力は無い。
だが表情だけでも威圧感を与えてくるイクレイオスに思わずエリアテールが少し腰を浮かせて後ずさりし始めるが、未だにイクレイオスが左腕に絡みついているので逃げる事が出来ない……。
そんな二人の様子に精霊王が更に呆れながら、盛大にため息をつく。
「もう一度言う。風巫女、そなたは我がその王太子より呪いの素を体外に追いやった瞬間、その欠片を巫女の力で破壊しろ」
「ですが……わたくしの風は精霊王様の様に一つの対象に的を絞るような風の起こし方は、出来ないのですが……」
「そなたは、いつも通り風を起こせばよい。呪いの素はかなりもろい。体外に放出し、地面に落下するだけですぐに壊れる。だが……」
精霊王は、そこで一度言葉を切る。
「体内から取り除くその呪いの素は王太子の瞳から放出する事になる。そのまま自然と瞳から零れ落しもいいのだが……その場合、かなりの痛みを伴う。現状でも激痛に耐え難くなっているこの王太子には、かなり酷だろう。だが放出と同時にそなたが起こした風で、その素を粉々に破壊すれば、痛みはなく一瞬で終わる。そなたは、ただその王太子の周りにいつも通りの風を吹き荒らせばよい。そなたにとっては造作もない事だろう?」
簡単な事だと称する精霊王だが、解呪時に『痛みを伴う』という説明部分にエリアテールが反応する。
「それは呪いの欠片の破壊に失敗してしまえば、イクレイオス様は更に激痛を伴うという事でしょうか……」
「呪いの素である欠片が体外に出る瞬間、そなたが風を起こしていれば、その心配は無用だ。欠片が体外にその姿を現したと同時にそなたの風に触れるので、その瞬間から砂の様に粉々に砕け散るはずだ」
「ですが……」
「この王太子が痛みを伴う事が、それほど心配か? ならば、そなたが一番心安らぐ歌でも歌ってやれ。万が一痛みを伴ったとしても、それで少しは、この間抜けな王太子の痛みが和らぐかもしれんぞ?」
二度も間抜け呼ばわりされたイクレイオスが、グッタリしつつも不満を表す様にピクリと片眉を上げた。その事に気付いたエリアテールは、取り繕うように慌てて話を進めだす。
「あ、あの! では精霊王様より合図を頂けましたら、歌を開始いたします!」
「準備はいいようだな……。ならば、さっさと始めるぞ」
そう言って風の精霊王はイクレイオスの方へ何かを差し出す様に両腕を伸ばし、掌の方を上に向けた。その状態で、まるで指先一本一本に巻き付いている糸を操るような仕草を始める。かなり繊細な動きを見せるその様子から、相当慎重に風を操っている事が伺えた。
すると、うずくまっている姿勢のイクレイオスの上体が、強制的に真っ直ぐな姿勢に正され、そのまま見えない何かにクイっと顎が持ち上げられるような動きを見せる。するとイクレイオスの顔は、強制的に空の方へと向けられた。
そして精霊王が、呟く様にエリアテールに呼びかける。
「風巫女……」
それを合図にエリアテールが歌い出す。
左腕にイクレイオスがしがみついている為、エリアテールは跪いたままの状態で上空に向かって声を放つように歌い始めた。突然訪れたその贅沢な状況にイクレイオスが息を呑む。今までこんな間近な距離でエリアテールの歌声を聴いた事がなかったからだ。
そんなエリアテールが歌い出したのは、コーリングスターではお馴染みの子守歌だった。
そんな贅沢過ぎる状況で歌を聞かされ始めたイクレイオスは、横目でエリアテールに視線を向けながら大きく瞳を見開く。するとその視線に気が付いたエリアテールが、まるでイクレイオスを安心させるようにふわりと微笑んだ。
その瞬間、イクレイオスは瞳の奥から何かが飛び出る感覚を抱き、視界が一瞬真っ暗になる。
しかしそれは瞬きをするような一瞬の出来事で――――。
すぐに視界が戻ると、キラキラ光る透明な虹色の粉が上空へと舞い上がる光景が目に飛び込んで来た。
その事にイクレイオスが唖然としていると、精霊王が苦笑しながら呟く。
「終わったな……」
だがその瞬間、急にイクレイオスは体の力がガクリと抜けてしまい、再びエリアテールの方へもたれ掛るように崩れ落ちる。
「イクレイオス様!!」
そんなイクレイオスを慌ててエリアテールが支えだす。
そして心配そうに疲れ切っているイクレイオスの顔を覗き込むと、やっと激痛から解放されてホッとしたのか、その表情は穏やかなものへと変わっていた。その状況にエリアテールもホッと息をつく。
「良かった……」
安堵感からか思わずそう零してしまったエリアテールだが……何やら視界の端で精霊王が小刻みに震えている事に気付き始める。
「精霊王様? どうかなされましたか?」
そんな精霊王の様子を不思議そうに見つめ、エリアテールがが小首を傾げながら様子を伺う。
その不思議そうな表情を浮かべて小首を傾げたエリアテールの仕草に更に刺激されたのか、精霊王はとうとう堪えきれずに声を上げて盛大に笑い始めた。
「風巫女! そなたは本当に素晴らしい程の選曲をするのだな! あの状況で……まさか赤子をあやす為の歌をその間抜けな王太子に歌い上げるとは!」
余程ツボに入ったのだろう……。
人嫌いで気位の高い風の精霊王が、涙を浮かべながら腹を抱えて大笑いをしている。
「あの! 違うのです! あの歌は精霊王様よりわたくしが一番安らぐ歌をとご助言頂いたので、それで選んだだけなので――――」
必死でそう言い訳をするエリアテールだが……。
恐る恐る自分が支えている存在に目を向けると、疲れ切った状態にも関わらず物凄い不機嫌そうな表情を浮かべたイクレイオスが、エリアテールを睨みつけていた。
「ち、違うのです! 決してイクレイオス様をあやそう等と思ったのではなく――――」
必死でイクレイオスに言い訳を始めたエリアテールだが、当のイクレイオスは今にも頬をつねり上げてきそうな勢いで、エリアテールに突き刺さるような視線を送る。
すると、まだ笑いが治まらない精霊王が、ゆっくりとエリアテールに近づいてきた。
そして目の前まで来ると腰を曲げながら、しゃがみこんでいるエリアテールの顔を覗き込む。そしてエリアテールにの頬に右手を添えたかと思うと、そのまま指を滑らせながら顎をクイっと持ち上げ、エリアテールの顔を自分の方へと向けさせた。
そんな精霊王の行動を間近で見ていたイクレイオスが、表情を強張らせる。
対してエリアテールは、今何が起ころうとしているのか分からず、茫然としながら精霊王を見つめた。
「精霊王……様……?」
「そなたは本当に人にしておくには惜しい存在だな」
精霊王を近距離で見つめ合う状態になっているエリアテールは、驚きと戸惑いで動けなくなっていた。
すると精霊王が、いたずらを企むような笑みを浮かべる。
そして空いている片手でエリアテールはの前髪をそっと掻き揚げ、その額に優しく口づけを落とした。
その瞬間、イクレイオスが大きく目を見開き、息を呑む。
「あ、あの……」
「もし我の力が必要な時は、いつでも呼ぶがいい。そなたの呼びかけならば必ず応じよう」
そう言いいながら優しく撫でる様にエリアテールの頬から手を離す。
そんな精霊王の行動にエリアテールは、顔を真っ赤にしてワタワタと動揺し始めた。
対してイクレイオスは奥歯を食いしばり、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
そんなイクレイオスの反応を確認した精霊王は、満足げな表情をしながらほくそ笑んだ。
だが、すぐにくるりと踵を返し、バルコニーの塀の上にヒョイっと上がる。
「王太子よ、これは貸しだ! 今回は精々その風巫女に感謝するのだな!」
挑発的な笑みをイクレイオスに向けてそう告げた精霊王は、今度は視線をエリアテールに向ける。
「風巫女よ。我はこの間抜けな王太子が、いつか我との約束を違える事を楽しみにしているぞ? その時は迎えに来てやろう」
宣戦布告でもするかのようにそう高らかに宣言した精霊王は、いきなりバルコニーから飛び降りると、まるで風にかき消されるようにその姿を消して、去って行った。




