14.それぞれの想い
酷い苦しみ方を見せたイクレイオスだったが、マリアンヌと言葉を交わしているうちに嘘のようにその体調不良を回復させていった。その事に安堵しながらイクレイオスの書斎を後にしたマリアンヌだが、その足取りは非常に重い……。
何故ならマリアンヌは、早い段階からイクレイオスの様子がおかしい事に気付いていたからだ。
最初にその事に気が付いたのが、リンゴ園の視察に同行した時だ……。
あの時からイクレイオスの不可解な行動が、すでに始まっていた。
初めは視察場所に向かう馬車の中で普通に会話をしていたイクレイオス。
だがリンゴ園の視察が終わると、何故かマリアンヌと現地でゆっくりしようと提案を始めた。
だがイクレイオスの性格を考えると、まずその予定外な行動をしようとする事がおかしいのだ。
効率重視の動きが多いイクレイオスが、自ら予定外の行動を提案するなど滅多にないはずだ。
しかし実際は、視察先のリンゴ園を管理している領主が住む大きな町で買い物を始め、マリアンヌを連れ立ちカフェにお忍びで立ち寄ったのだ。
翌日エリアテールにマリアンヌが視察の報告をした際に話題に上がったリンゴのタルトは、実はその時にカフェで食した物だった。
そしてロッドが眉間にシワを寄せて眺めていた請求書は、この町の宝石店でイクレイオスがマリアンヌの為に購入してくれたブローチの代金だった。
そもそも何故、イクレイオスが自分に視察同行を依頼して来たのか……。もうその辺りからマリアンヌはイクレイオスの異変を感じていた。
だがこの10日余りで、イクレイオスのマリアンヌに対する甘い接し方は、どんどんエスカレートしていった。それに比例するようにエリアテールへの対応も、辛辣になっていく……。
その決定打とも言える出来事が、例の豊穣祭の件だ。
イクレイオスは王族専用のボックス席に自身の婚約者でもないマリアンヌと共に豊穣祭の舞いの観覧を楽しんだ。公の場でのそのイクレイオスの行動は物議をかもし、国民の間でもマリアンヌの存在が浮き彫りになってしまったのだ。
現状では、イクレイオスがエリアテールとの婚約解消を希望し、マリアンヌを迎えようとしているという噂まで出ており、 その事でマリアンヌはかなり心を痛めているつもりだった。
イクレイオスは、初めて気の合う友人として得たエリアテールの婚約者である。
もしこの二人を両天秤にかけたら、マリアンヌは迷わずにエリアテールを選ぶつもりだった。
だが実際のマリアンヌは、自分でも信じられない方を選択しかけている……。
それは今のマリアンヌが、甘い接し方をしてくるイクレイオスに惹かれてしまっているからだ。
明らかに様子がおかしい自分の大切な友人の婚約者でもあるイクレイオスに惹かれてしまったのか……。
それは今のイクレイオスの自分に対しての接し方が、マリアンヌが憧れていた状況そのものだったからだ。
そもそも三人での交流が始まった際、マリアンヌはイクレイオスにそこまで興味がなかった。出会ったばかりのイクレイオスの印象は、無表情で愛想がない美形すぎる王太子という程度だったからだ。
しかし、自分の中のイクレイオスの印象が、一変してしまう瞬間を目撃してしまう。
その切っ掛けとなったのは、エリアテールとイクレイオスの三人でお茶をしていた時だ。それまではエリアテールを出来の悪い妹の様に窘める接していたイクレイオスが常だったのだが……。そうではない事がある一瞬の光景でマリアンヌに気付かせた。
それはエリアテールの視線がお茶のケーキに釘付けになった時だった。その瞬間、イクレイオスがエリアテール本人の前では絶対にしない優しい表情をエリアテールに向けたのだ。
だが、その表情はマリアンヌに見られている事に気付くと、何事もなかったかのようにすぐに元に戻ってしまう。
その光景を目の当たりにしたマリアンヌは、エリアテールが羨ましいと思った。
だがその気持ちが生まれたのは、イクレイオスに好意を抱いたからではなかった。
マリアンヌが羨ましいと感じでしまったのは、自分がイクレイオスにそういう表情を向けられたいという事ではなく、 男性がそういう表情をさせてしまう程、愛されているエリアテールの立場に憧れたのだ。
いつか自分もそういう優しい眼差しを注いでくれる男性に出会いたい……。
そしてエリアテールのように深く愛されたい……。
ロマンス小説好きなマリアンヌにとって、エリアテールに対するイクレイオスのその行動は、まさに自分が愛する男性からされたいと思っていた理想の塊のような眼差しだったのだ。
だからマリアンヌは、イクレイオスの様子がおかしい事にすぐに気付いた。エリアテールに愛情溢れる優しい眼差しをこっそり送っていたはずのイクレイオスの不可解な行動に……。
だが、その不可解な行動の原因がハッキリしない為、イクレイオスの自分に対する甘い接し方が本心からなのか分からず、徐々にその甘さに落ちていく自分自身も自覚していた。
同時に自分が落ちていくその過程は、イクレイオスに対する恋心からではなく、異性から深く愛される事への憧れから来るものだという事も……。
だから原因さえ分かれば、自分に対してのイクレイオスの気持ちは偽りだと、すぐに切り替える事が出来た。しかし、原因がハッキリしない今は、もしかしたらそれがイクレイオスの本心では……という疑惑がそのままになってしまう。
現状、マリアンヌを苦しめている葛藤はそういう部分なのだ。
それにもし噂通りにイクレイオスがマリアンヌに求婚してきた場合、マリアンヌに拒否権は無い。
王族からの申し入れを断る事は、正当な理由がない限り不敬に値するからだ。
たとえそれが、イクレイオスの本心ではなかった場合でも……。
だが、もしその状況になってしまったら、エリアテールは全力で自分達の事を祝福してくれるだろう。彼女はそういう人だという事を、マリアンヌはよく知っている。だからこそ、自分にとって大切で大好きな友人なのだ。
「ごめんなさい……。エリア様……本当にごめんなさい……」
自室に入り、誰もいない事を確認すると、マリアンヌは何度もそう呟いた。愛される事への憧れを優先してしまいそうな自分を戒める為に……。
そんなマリアンヌとは対照的にエリアテールは、早々に婚約解消を希望する内容でアレクシスに手紙を書いていた。
この10日間、二回送ったアレクシスへの手紙には、イクレイオスと上手く行ってない内容で書いてしまっていたからだ。
そんなアレクシスから返ってくる手紙は、エリアテールをかなり心配してくれている内容だった。
だからこそ今回の手紙の内容には、エリアテールが全て受け入れているという事を全面に出して書かなければならない。
そうしなければイクレイオスとアレクシスの友情にヒビが入り、両国の関係も芳しくない状態になってしまう。
その為、エリーナとリーネには手紙を書く事に集中したいと告げ、下がらせた。しかし、二人は昨日からやけにエリアテールを心配しており、なかなか下がってはくれなかった。
やっと二人を下がらせたエリアテールは、出来るだけ穏便な内容になるよう自身が婚約解消を希望している事を手紙に書く。
イクレイオスに意中の相手が出来た事。
その相手は自分の大切な友人だと言う事。
自分はそんな二人を祝福したい事。
それらを理由に婚約を解消したいと綴ったエリアテールだが……途中で肝心な事を書き忘れている事に気付く。
それは婚約期間中にイクレイオスから贈られた品物を、こちらに送り返して欲しいという内容だ。
この国にエリアテールが滞在する為の接待費用も、かなりの額だったのだが……それ以上に高額だったのが、毎年イクレイオスが婚約者に対する礼儀と称して贈ってくれた装飾品類だ。
王太子の婚約者に対してという事なのか、これらには必ず高品質のダイヤモンドがあしらわれていた。
エリアテールがイクレイオスと婚約したのは6歳の頃。
よってその高額な贈り物は、婚約後に迎える誕生日ごとに贈られたので、エリアテールが7歳の時から現在の17歳までの10年間贈られ続けた。
初めはその煌びやかな装飾品に、大喜びした7歳のエリアテールだったのだが……それを身に着けた際の両親の真っ青な顔を見て、かなりの高額品と気付く。
それ以降、あまりの恐れ多さに一度も身に付けないまま、サンライズ王家の宝物庫で厳重に保管してもらっていたのだ。
そうなると、装飾品以外にもドレスや靴等もかなり贈られていた事に気付く。それらは一度エリアテールが身に付けてしまった物なので、返却しても本来の価値は戻らない……。
だがその辺りは、婚約解消を先に言い出したイクレイオスが、エリアテールに対しての示談金として処理してくれるだろう。
そしてエリアテールは、おもむろに現在自分が身に付けているピアスに触れる。
ラピスラズリをメインにそのサイドには天使の翼のような金細工がされ、その翼の中にダイヤモンドがあしらわれた揺れるタイプのそのピアスは、もう10年以上も身に付けているエリアテールの愛用の品だ。
このピアスは、エリアテールが風巫女としてデビューし、このコーリングスターの専属巫女となったお祝いにサンライズ王家から贈られた物だ。
その際、通常は恋愛や結婚にご利益がある石をあしらった装飾品を、サンライズ王家は巫女達に贈るのだが……。
エリアテールの場合、政治的な部分で身の危険の可能性が高い大国への派遣ということで、その身を案じたアレクシスの提案でお守り要素の高いラピスラズリがあしらわれた。
そして、そのピアスを初めて身に付けてコーリングスターを訪れたエリアテールは、すぐにイクレイオスから婚約を打診される。
仮初とは言え、次期王妃候補となったエリアテールは、その後は王家の要人として厳重警備対象となった。
そんな理由で、このピアスはエリアテールにとって、最高の安全な環境をもたらした絶大な効果のお守り石となった。以来、幸運のピアスとして、ずっと身に付けてきたのだが……。
「これも……もう身に付ける必要はなさそうね……」
そう呟きながら両耳のそのピアスを外し、ドレッサーの上にある美しい装飾が施された箱にエリアテールは、丁寧に仕舞った。
すると、部屋の扉のノック音が響き渡る。
「どうぞ」
入室を許可すると、いつも城内の配送品などを管理している青年が、大きな箱を抱えて入って来た。
「失礼致します。こちら婚約披露宴でお召しなるドレスという事でお届けに参ったのですが……」
「え? それはマリアンヌ様宛ではないの?」
「いえ……。エリアテール様宛となっておりますが……」
「何かの間違いではないかしら……。それは恐らくマリアンヌ様用にご用意されたドレスだと思うわ?」
「えっ? ですが……あっ! そういう事ですね!」
初めはエリアテールの返答に困惑していた青年だったが、箱の上の伝票を確認すると、急に納得したような表情に変わった。
「では、こちらマリアンヌ様のお部屋にお運びすればよろしいですか?」
「ええ。それで良いと思うわ」
「かしこまりました! ではお届けしておきますね!」
そして青年は元気な声で退室の挨拶し、部屋を出て行った。
「急にお披露目する婚約者が変わって情報が混乱しているのかしら……」
そう呟いたエリアテールは、再びアレクシス宛の手紙にペンを走らせた。




