12.精霊大戦終歌
突然、現れたその美しい男性にエリアテールが驚くも、何故かその人物から目が離せないでいた。
その人物は、長身のイクレイオスよりも更に背が高く、腰まであるサラサラの長い新緑色の髪をサイドにまとめ、緩く三つ編みで束ねていた。よく見ると、毛先に行くにつれて黄緑から黄色に変わるグラデーションが掛かった不思議な髪の色をしている。そして何故か、やや不敵な笑みを浮かべてエリアテールを見つめていた。
「あなた様は……一体……」
風をまとっている所を見ると精霊ではあるようだが、そのあまりにも美しい姿に一瞬、精霊王ではないかとエリアテールが身構える。しかし精霊王にしてはラフな服装をしており、しかもその人物の態度がやけにエリアテールに対して挑発的でだった。
それらの状況から以前、王妃イシリアーナからマリアンヌを紹介された時の会話を思い出す。
美しい姿だがプライドが高く、滅多に人前に姿を現さない上に加護もなかなか与えてくれない上位精霊の事を……。
「もしや、風の上位精霊様でございますか?」
エリアテールのその質問に答えるかのようにその人物は、更に口角を上げて不敵な笑みを深めた。そしてゆっくりとエリアテールに近づき、腰を曲げて顔を覗き込んで来る。
「あ、あの……わたくしの様な者に何か御用でしょうか……?」
凝視するように至近距離で顔を覗き込まれたエリアテールは、ベンチの背もたれにへばり付く。すると、その反応を見た上位精霊らしき人物が、フッと笑みをこぼした。
「下級精霊と中級精霊が、ここ最近面白い動きをしているのでな。その原因となっているそなたの顔を暇つぶしに見に来たのだ」
上位精霊のその言葉にエリアテールがビクリと体を強張らせる。どうやら自分が下級中級精霊達に避けられている事は、上位精霊達の間にまで広がっているらしい。
そんなエリアテールもやっと精霊と接する機会を得た訳だが、イクレイオスとの婚約が解消される可能性が高い今の状況では、それはもう何の意味も成さない結果となりつつある……。
その為、上位精霊から放たれたその言葉から、いかに自分が役立たずなのか改めて思い知らされてしまう。同時にずっとエリアテールが抱いていた悔しさや恥ずかしさも込み上がり、瞳にジワリと涙が溜まり出した。
しかし、その涙は上位精霊の次の言葉によって一瞬で引っ込む事となる。
「そなたが現風巫女か。話には聞いてはいたが……随分と美しい魂をしておるのだな」
そう言われたエリアテールは以前、地の精霊王にも似た様な事を言われたと思い出す。
『そなたは本当に素晴らしい魂を持っておるな……』
だが、エリアテール自身には、それは全く分からない。そもそもその美しい魂という部分は、サンライズの巫女が皆持っている共通的な特徴ではないかと思っている。だが自分限定ではないにしろ、位の高い精霊からの言葉は無下には出来ないと思ったエリアテールは、困った様な笑みを浮かべながら、褒められた事への感謝の気持ちを述べる事にした。
「お褒め頂き、ありがとうございます」
「して何故このような場所で暗い顔をしておるのだ? そなたは確かこの国の王太子の婚約者等と言われている存在ではないのか?」
その言葉に再びエリアテールが、体を強張らせた。
「いえ、その……。近いうちにその御役目はご免になるかと……」
その言葉を聞いた途端、上位精霊は声を上げて豪快に笑い出した。
「それはいい! あのような王太子には、そなたのような清き魂を持つ者は手に余る! 早々に解放されて良かったではないか!」
そう言って、盛大に笑い飛ばす風の上位精霊のようにエリアテールが唖然とする。
いくら気位の高さが特徴とは言え、この国の王太子に対して目に余る態度だと感じたエリアテールは、遠慮がちに上位精霊らしき人物に注意を促した。
「上位精霊様。そのような物言いは……いくら何でもこの国の王太子に対して、失礼過ぎるのではございませんか?」
「だがその王太子は、そなたとの婚約を利己的な理由で解消しようとしているのであろう? そのような無能な王太子など捨て置けば良いのだ!」
そう言って、フンと鼻を鳴らす上位精霊のあまりにも自由な言動にエリアテールは呆気に取られ、おもわず苦笑してしまった。そんなエリアテールの様子を見て、上位精霊が目を細めて微笑む。
「風巫女よ、先ほどそなたの顔を見に来たと伝えたが……。それとは別に一つ頼み事があり、今回そなたの前に姿を現した」
「頼み事……でございますか?」
上位精霊直々の『頼み事』に少し戸惑いながら、エリアテールがその内容を確認する。
すると先ほどの挑発的な表情をガラリと変え、少し寂しげな笑みを浮かべた上位精霊がその内容を口にしてきた。
「そなたに我の古き友の歌を歌いあげて欲しい」
寂しさだけでなく優しさも感じさせるその笑みから、その友人がとても大切な存在だと察したエリアテールは、是非その要望に応えたいと思ったのだが……。
「わたくしでよろしければ、是非お力になりたいのですが……。まず、その歌自体をわたくしが存じ上げているかが分からないもので、何とも返事のしようが……」
「それならば心配はいらぬ」
そういって上位精霊は、パチンっと指を鳴らした。すると不思議な事にエリアテールの頭の中に男性とも女性とも区別が付かない美しい歌声が流れ始める。
「これは……」
「我の古き友の歌声だ」
音は空気を伝って聴こえてくる。
風を操れるこの上位精霊は、その力で友人の声を保存したのだろう。
声の主はどうやら男性の様だが……その伸びやかで奇跡的な澄んだ声質から、とても中性的な歌声だと感じられる。だが、たまに力強く歌う箇所では、男性特有の低音な深みある声の特徴がしっかりと感じ取れる。
何よりもこの歌われている歌がエリアテールにとって、かなり魅力的な歌だった。
一度聴いただけで、すぐに耳に馴染んでしまう曲調。初めは静かな立ち上がりだが、いきなり力強くアップテンポになる展開。
普段はバラードのようなゆったりした歌を好むエリアテールだが、この曲はどちらかというと逆だ。
歌詞も心情を深く表現する言葉が多く、切ない歌詞と逆境に立ち向かい勇気づけられるような言葉が、バランスよく歌詞に組み込まれている。聴いているだけで、勇気を奮い立たされるような……そんな歌だ。
それはどちらかと言うと『エンジェル・ボイス』と言われているエリアテールが歌うよりも『ゴッド・ボイス』の異名を持つアレクシスの婚約者の雨巫女アイリスが好んで歌う曲調でもある。
だが今の打ちひしがれている状態のエリアテールは、すぐにでも感情移入したくなるほどその歌に魅力を感じてしまい、何度も頭の中でリピートされるその歌に思わず聴き入ってしまっていた。
すると上位精霊が優しげな笑みを浮かべながら、エリアテールに確認してくる。
「どうだ? 風巫女、歌えそうか?」
「はい。ですが……この様な素敵な上にご友人の大切な歌をわたくしのような者が歌ってもよろしいのでしょうか? そもそも上位精霊様の長でいらっしゃる風の精霊王様は、人間嫌いで有名と伺っているのですが……。人間のわたくしとこのような交流をされては、お叱りなどを受けてしまいませんか?」
真剣な表情で心配してきたエリアテールの言葉に上位精霊は、またしても大声で笑い出す。
「心配はいらん。そもそも精霊王にかしずいているのは下級と中級の精霊のみだ。上位精霊に関しては、それぞれ自由に行動をしている為、精霊王の保護下ではない」
そのあまりに自由過ぎる上位精霊の動きを聞かされたエリアテールは、思わず苦笑してしまった。
すると再度、風の上位精霊が歌えるかの確認してくる。
「風巫女よ、歌ってくれるな?」
「この方のように素敵に歌えるかは分かりませんが……」
「我はそなたの声で、この歌を聴きたいのだ」
「かしこまりました。では誠心誠意、心を込めて歌わせて頂きます!」
そう言って、バルコニー内のいつも風呼びの儀を行っている広い場所まで歩み出たエリアテールは、歌う準備を始め出す。上位精霊が頭の中でその歌を流してくれているので、歌詞はしっかり拾える事を確認すると、いつも通り空気の流れを読みながら集中力を高めていった。
しかし今回は歌い出しの様子が、いつもと少し違っていた。
エリアテールが第一声を発しようと軽く息を吸い込んだ瞬間、ピンと空気が張り詰めたのだ。出だしはいつも穏やかな風で始まり発声とともに大らかな風が広がるように起こる事が多いのだが、今回は出だしから緊張感が漂っていた。
その張り詰めた空気のまま、じんわりと足元から風がゆっくり発生する。
風は立ち上がりが静かなフレーズに合わせて徐々にその威力を増していき、アップテンポのフレーズに入った途端、爆風のような勢いでエリアテールを中心にして四方八方に風が飛び散る様に吹き荒れた。
エリアテールは、いつも穏やかで何かを慈しむような気持で歌う事が多く、誰かの為に歌う事が好きだったので、自分の歌で聴き手を癒したり元気づけたりする事が出来る事に喜びを感じていた。
その為、今までは聴き手の立場を優先して歌っていたエリアテールだが、今この歌に関しては違った感覚で歌っている。
いつもの柔らかい歌声ではなく力強い歌声を出す事で、胸の内に溜まってる物を全て吐き出す解放感が気持ち良くてたまらない。人の為ではなく、自分の為に歌う。
何故そのスタイルを雨巫女のアイリスが好んでいるかが、今は狂おしいほど実感出来る。
今回初めて自分の為に歌った事で心地よい解放感に取り付かれたエリアテールは、自身の澄んだ歌声を風の勢いに乗せて、空高く突き抜けるような力強い伸びやかさで響き渡らせる。
空気の流れを読むと言うよりも、空気を巻き込み混ざり合わせるような同調の仕方だ。
それはエリアテールも知らなかった新たな自分の歌との向き合い方であり、11年間彼女の歌声を聞き続けてきたこの城の人間にとっても、初めて聴くエリアテールの歌だ。
そんな歌で起こされた風は、まるで駆け抜ける様に大地を走り、そのまま跳ね上がっては空高く突き抜けるように吹き荒れた。
そんな解放感に満たされながらエリアテールが歌い切った瞬間、全ての雑音が静まり返る。
自分が起こした穏やかな余韻の残る風に吹かれ、晴れ晴れとした気分となったエリアテールだったが……。
その静寂は、バルコニーの出入り口の扉が乱暴に開かれる事で、すぐにぶち壊された。
その音に驚いたエリアテールが扉の方を振り返ると、何故かイクレイオスがもの凄い剣幕な表情をしながら、大股で近づいて来る。その恐怖から逃れようと、一歩後ずさりしたエリアテールの両肩をイクレイオスが乱暴に掴んだ。
「何故、お前がその歌を知っている!!」
凄まじい剣幕で怒鳴って来たイクレイオスに怯えながら、エリアテールが声を絞り出すように答える。
「そ、そちらの風の上位精霊様が、この歌を御所望されたので……。お、教えて頂い――――」
「上位精霊だとっ!? そのような者がどこにいると言うのだ!!」
そう言われて慌てて上位精霊が佇んでいた場所に目をやるが、驚く事に先程まで目の前にいたはずの風の上位精霊の姿は、いつの間にか消えていた。
だがそんなエリアテールの反応に気付かないのか、イクレイオスが怒鳴るように更に言葉を続けた、
「お前はその歌が何か知っているのかっ!? それは『精霊大戦終歌』だ!」
「精霊……大戦……?」
そういえば王妃教育で学んだ事があると、エリアテールが思い出す。
精霊大戦とは千年以上前に人間が精霊までも巻き込んで起こした大戦だ。そしてその大戦を終息させたのは、一人の吟遊詩人がある歌と歌った事で大戦が終結したと伝えられている。
後にその歌は『精霊大戦終歌』と呼ばれ、一人の吟遊詩人の功績を後の吟遊詩人達が物語る際に共に歌われ、コーリングスターの国民であれば誰でも知っているというくらい浸透している歌でもある。
だが王妃教育でその歌の存在を知ったエリアテールが周りの人間にどのような歌か尋ねても、何故か誰もその歌の詳細を教えてくれなかった……。
周りの側近達にその質問をすると、必ず「イクレイオス様に伺ってみては?」と返されしまい、かと言って素直にイクレイオスに質問をすると、「歌となると見境いなく興味を持つのはやめろ!」と怒られてしまうので、いつしかエリアテールに興味を失ってしまい、知らないままの状態で今まで来てしまったのだ。
それが今歌った歌ならば……もしやこの歌は禁歌だったのか?
そう推察してしまったエリアテールの顔色は、一気に青ざめていった。
しかしその推察が間違っているという事を次のイクレイオスの突き刺さるような言葉で理解する。
「お前の様な外部の人間が、気安く歌っていいような歌ではない!」
外部の人間……。
その言葉がエリアテールの心を大きく傷つけた。
今のイクレイオスの言い分では、コーリングスター内では慕われているその歌について『エリアテールが知る必要性はない』と断言しているように聞こえ、エリアテールをコーリングスターの民として受け入れる気はないと、言い切られたようにエリアテールは受け止めてしまう……。
そのイクレイオスの言葉にショックを受けて茫然としていると、イクレイオスが鋭い視線を向けながら掴んでいたエリアテールの両肩を乱暴に放した。
「もうその歌は二度と歌うな!! これは絶対だ!!」
吐き捨てる様にそう言い放ったイクレイオスは、再び大股で城内に戻って行った。
すると、とり残されたエリアテールはショックのあまりその場にへたり込む。
何故、気づかなかったのだろう……。
あの時、誰に聞いても精霊大戦終歌の事を自分に一切教えてくれなかった理由に……。
毎月10日間ではあったが11年間もこの国で過ごして来たエリアテールは、もう自分はこの国の一員だと言ってもいいような存在だと勝手に思い込んでいたのだ。
だが今のイクレイオスの言葉からでは、それはエリアテールの独りよがりだったという事が判明してしまう。
イクレイオスが遠慮なく接してくれたから。
イシリアーナが実の娘の様に可愛がってくれたから。
城内の皆がいつも優しく気遣ってくれたから。
訪れればいつもでも笑顔で皆が出迎えてくれたから。
だからエリアテールは、自分が所詮外部の人間だという事をすっかり忘れてしまっていたのだ。
すると、いつかイクレイオスが王妃イシリアーナに言っていた言葉が頭の中で蘇る。
『相手の言葉の裏表が読み取れないエリア』
そういう事に疎い事は、自分でも少しは自覚していた。
していたつもりなのに……。
気が付くとエリアテールの瞳からは、大粒の涙が溢れるように零れ落ちていた。




