10.冷たい婚約者
翌日、イクレイオスとマリアンヌが視察に行っている間、エリアテールはイシリアーナと婚約披露宴に身に着ける為の装飾品を吟味していた。
正直なところ、田舎領地の伯爵令嬢なエリアテールにとって、吟味している装飾品は近づくだけでも恐ろしい高級品ばかりだ。そもそも毎年イクレイオスから婚約者に対する義務と称して同じような豪華な装飾品が誕生日プレゼントとして送られてくるのだが……。それらも高価すぎる為、身に着けるのが恐ろしいエリアテールは厳重に保管したままだった。
そんなエリアテールにイシリアーナが「これなんて素敵じゃない?」と体にあててくるのだが、その度にエリアテールは無意識に逃れようとしてしまう。
そんなやり取りを繰り返しながら、やっとある程度候補を絞った二人は、休憩と称して今度はお茶の時間を楽しみだす。すると、イシリアーナが何故か楽しそうに本日視察に向かったイクレイオスの話題を振ってきた。
「ふふっ! 今日のイクスは可哀想ね。一人で視察に行っているなんて!」
だがイシリアーナのその言葉にエリアテールが、キョトンとした。
「いえ、本日はわたくしの代わりにマリー様が視察に同行して下さってますよ?」
「マリアンヌ嬢が?」
「はい! 明日、視察内容をわたくしに教えてくださるそうです」
「それは……彼女があなたの為にと自ら申し出てくれたの?」
「いえ? イクレイオス様がマリー様にご依頼なさったのですが」
「そう……。イクスが自分から……」
そういって唇に手を当てたまま、イシリアーナは考え込んでしまう。その反応は、昨日の腑に落ちない表情をしたマリアンヌとよく似ていた。
そして翌日、朝一番にマリアンヌが昨日の視察内容をエリアテールに報告しにやって来た。
「では今回のリンゴの豊作の決め手は、ウッドフォレストの農家の方のご協力で成果を?」
「はい。あの国は農業の国ですので、肥料のブレンドなども独自の……」
かなり熱心にメモを取ってくれたマリアンヌの報告は非常に分かりやすく、しかもエリアテールでは気づけなかった部分まで、たくさん質問をしてくれたようで、とても充実した内容の報告だった。
しかもマリアンヌはお土産にと視察先で販売されていた特別にブレンドされたアップルティーを提供してくれたので、現在二人はそのアップルティーを堪能しながら、視察先で出されたリンゴのスイーツの話で盛り上がっていた。
「あちらではリンゴを使った美味なお菓子が、たくさんあるのですよね?」
「ええ! とっても美味しいお菓子がたくさん! 中でもその土地の独自なアレンジがなされているリンゴのタルトは絶品でした!」
「まぁ! お召し上がりになったのですか!?」
甘い物に目がないエリアテールは、そのリンゴのタルトの話に思わず食い付く。しかしらそんなエリアテールの問いに、マリアンヌは一瞬ビクリとした。
「え、ええ。その、現地の方々がご用意してくださいまして……」
そう答えたマリアンヌは、何故かエリアテールから軽く目を逸らした。
その反応が少し気になったエリアテールだが、それよりもタルトの話が聞きたくて、マリアンヌのその反応については、あまり深く追及しなかった。
ちょうど同じ頃、イクレイオスの執務室ではロッドが謎の請求書を見て眉間にしわを寄せていた。
現在イクレイオスは来賓の為、この執務室にはいないのだが、そのタイミングで今回向かった視察先にある宝石店から、イクレイオス宛の請求書が届いたのだ。主の変わりに代理で受け取ったロッドだったが、その内容が少し変なのである。
「どうして品物の届け先が、マリアンヌ様宛になっているんだ……?」
もしかしたらエリアテールの代理で同行してくれた礼として、イクレイオスがマリアンヌに贈ったかもしれないと、ロットも一瞬考える。
しかし今回の買い物に関しては、どうやらイクレイオスは個人資産であるポケットマネーを使ったらしい。もしお礼の品として贈るのであれば、それは接待費の方で落とせるはずだ。
だが今回は何故か、イクレイオスは自らのポケットマネーで支払い、しかもご丁寧にその品にアレンジを加えるよう依頼までしていた。その状況にロッドが、ますます眉間のしわを刻む。イクレイオスがポケットマネーを使ったという事は、それは個人的に贈るという意味だ。
その相手が婚約者であるエリアテールならば、全く疑問を抱かなかったのだが、贈る相手がマリアンヌとなると話は別である。他に考えられるとすれば……マリアンヌがデザインを決め、イクレイオスが代金を支払い、エリアテールへの土産に購入した物かもしれないという推測だ。
だがそれならば、わざわざ品物の届け先をマリアンヌにする必要はない。イクレイオスの元に届いた品物をマリアンヌと一緒にエリアテールへ渡せばよいだけの事だ。そもそもイクレイオスが、婚約者以外の女性にポケットマネーで購入した品を贈るという事が、彼の性格上あまり考えられない……。
「一体、どうなっているんだ……?」
この状況に執務室で一人考え込んでいたロッドだったが、イクレイオス本人が戻れば確認出来る事なので、その件について深く考えるのをやめた。
しかし、戻って来たイクレイオスは他部署から大量の報告書を持ち帰ってきてしまい、その確認作業に追われたロッドは、結局その詳細を聞く事が出来なかった。
そんな状況でそれぞれが微妙な反応を示した視察から二日後――。
エリアテールは、小走りでマリアンヌの部屋に向かっていた。
この日は朝からイシリアーナの友人である伯爵夫人数名の来訪があり、その接待をエリアテールも手伝っていたのだが、思いのほか話が盛り上がってしまい、午前中で終わる予定が15時近くまで掛かってしまったのだ。
現状マリアンヌとは毎日お茶を楽しむ約束しているのだが、今はその時刻に遅れそうなのだ。しかもこの日は、エリアテールが風呼びの儀を行う日でもあった。
当初のエリアテールの予定では、午前中に接待、午後過ぎから15時の間に風呼びの儀、15時からマリアンヌとお茶をと考えていた。しかし王妃から頼まれた接待で時間が押してしまったので、仕方なく風呼びの儀は夕方以降にする事にした。
そんな慌てながらマリアンヌの待つ部屋へ、何とか時間前に辿り着いたエリアテールは、まずドレスの裾を直し、少し息を整えてから扉をノックした。
すると侍女が扉を開けてくれたので、中に入るなり謝罪しようとしたのだが……。そこには何故か多忙なはずのイクレイオスが、すでに席についていた。
そして慌てて部屋に入って来たエリアテールを見て、不機嫌そうな表情を浮かべる。
「走って来たのか……? はしたないぞ!」
「も、申し訳ございません。その、お約束の時間に遅れそうだったもので……」
もともと時間にうるさいイクレイオスだが、この日は何故か、いつも上に厳しい目を向けてきた。
「ところで今日、お前は風呼びの儀を行う予定ではなかったか? まだ歌を聴いていないのだが?」
「実は午前中のイシリアーナ様より接待のお手伝いを頼まれ、時間が掛かってしまいまして……。お茶の時間にも遅れそうだったので、風呼びの儀は夕方以降に行おうかと……」
そのエリアテールの言い分を聞いたイクレイオスは、いきなり立ち上がったかと思うと、テーブルに勢いよく手を突いた。
「風呼びの儀を後回しにしたのか……? お前がこの国に来た本来の役割は何だと思っているのだ? この国の大気の浄化ではないのか? 公務を先延ばしにするなどあり得ない! まず風呼びの儀を先に優先させろ!」
今までイクレイオスから叱咤される事は多々あったが、ここまで剣幕気味な様子で怒鳴られた事が、あまりなかったエリアテールは、その迫力から思わず身を強張らせてしまう。その状況を瞬時に感じ取ったマリアンヌは、エリアテールを庇う様にイクレイオスに意見した。
「イクレイオス様! 何もそこまで厳しい言い方をなさらなくても!」
しかしエリアテールは首を振って、やんわりとマリアンヌの訴えを制した。
「大変申し訳ございませんでした……。すぐに公務の方を優先させてまいります」
そして深々と頭を下げ、先程入って来た扉の方へと引き返そうとした。
しかしその際、イクレイオスの髪に光る何かが付いている事に気付く。
「あの、イクレイオス様……。御髪に何か……」
そう言ってイクレイオスに近づき、エリアテールが手を伸ばす。
しかし次の瞬間、エリアテールのその手をイクレイオスが思いっきりふり払った。
あまりの出来事にエリアテールが驚きながら目を見開くが、何故か手を振り払ったイクレイオスの方も同じような表情を浮かべている。
「すまない……。急に手が伸びてきたので驚いてしまって……」
呟く様に謝罪するイクレイオスだが、何故か苦虫を噛み潰したように歯を食いしばった表情で下を向く。
「いえ。こちらこそ不用意に触れようとしてしまい、大変失礼致しました……」
そう謝罪したエリアテールは、すぐにイクレイオスから離れ、扉の方へと歩き出す。
そしてドアノブにゆっくりと回し、そのまま部屋の外に出るが、その際に唖然とした表情でエリアテールを心配するマリアンヌの顔を閉まる扉の隙間から確認する。
同時にその時には、先程イクレイオスの髪で光っていた何かは、消え去っていた。
そして部屋を出た後、背後で扉の閉まる音を確認したエリアテールは一気に脱力した。
先程イクレイオスに振り払われた手は震えが止まらず、もう片方の手で握りしめて何とか抑えようとしたが、震えは治まらない。そんな状態になってしまった手をエリアテールは、祈るように組んで額に軽く押し付け、小さく息を吐いた。
そのままいつも風呼びの儀を行っているバルコニーに向かって歩き始める。
豊穣祭の開催まで、あと二日――――。
この日初めてエリアテールは、イクレイオスに怖いという感情を抱いてしまった。




