side:ナツメ 後編
3
要するにこれはドリーさんの作戦である。
やったことと言えば、適当なビルを『TWIN’s』の本拠地だとまことしやかに触れ回って、ラスコー一派の耳に届くようにし、そこにあたしとスオウくんが詰めて、あえて襲撃させたというだけ。殺し損ねた連中の潜伏先が分かった、弱ってる、今が叩くチャンス、と思わせれば、撤退の土産に首を取りに来るだろう、と踏んだわけだ。敵を引き寄せられるだけ引き寄せて、魔法具で退避完了を知らせ、外に控えていたドリーさんがビルを爆破する、という計画。一歩間違えばあたしたちが蜂の巣になるし、上手くいったとしても、ビルごと爆破大量殺人なんて、なんとも後味の悪い作戦なんだけど。いかにもドリーさんらしい考えだ。
ただ、これでラスコー一派の大多数は削れたはずである。ドリーさんの計算では、半分、つまり百人弱削れれば良い方、だとか。
「全滅、とはいかないんだね」
「向こうも馬鹿じゃないんですから」
冷静にそう言いながら、スオウくんは慎重に蓋を押し上げた。
「――……大丈夫そうです。……たぶん」
やや自信なさげな台詞だったけれど、信用することにしよう。先にスオウくんが出て、あたしを引き上げてくれる。
小屋だ。壊したビルから二キロほど離れた、農場の隅にある納屋。一応、『TWIN’s』の持ち物ということになっているらしい。本当かどうかは知らない。
「さて、ここからですけど、ドリーさんの話ではいくつかパターンがあるんでしたね」
「そうだったね。何だっけか」
「一、向こうが諦めて撤退するパターン。二、キレて街中で暴れ出すパターン。三、――」
「退避!」
声が出たのは自分でも分からない本能的なものだった。心臓の底がぞくりと震えて、今すぐここを離れなくては死ぬ、と脊髄が断じたのだ。そしてそれにスオウくんの体は応えた。あたしを抱えて、元々ぼろかった窓に突っ込み、枠ごと破壊しながら外に転がり出る。
次の瞬間、小屋が爆散した。
金色の光を纏った炎が夜空を染め上げるのを、あたしはスオウくんの肩越しに眺めた。あれは魔術だ。だからあたしが勘付けたのか。こういう時だけは、自分の才能に感謝できる――と言っても、スオウくんがいなかったら死んでたから、諸手を上げては喜べないんだけど。
「三、でしたね」
言いながら、スオウくんが立ち上がる。あたしも彼に倣った。スオウくんは小屋に背を向けて、あたしは小屋の炎を見たまま。
「――こちらの動きを読まれて、潜伏先を襲撃されるパターン」
ぐるりと横に目をやれば、銃や剣を携えた男たちが、隙間なくあたしたちを囲んでいる。どこにいるか分からないけれど、この小屋を燃やした魔術師も、どこかに潜んでいるはずだ。
残存勢力が全部来ているとしたら、少なくとも敵は百人。多勢に無勢にも程がある。
(……うん。負ける気はしない)
そっと手を繋ぐ。
(スオウくんと背中合わせである限り――!)
手の甲を合わせる。
「《―――――――――――――――――!》」
視界がぐるんと反転して、炎が背中側に回った。体が一気に軽くなる。右肩の怪我は魔法ですでに治した後。うん、まったく痛くない!
あたしは大きく一歩踏み込んで――ラスコーの振り下ろしたバールを避け、カウンターのアッパー。
「っ!」
空を切った。けれど勢いを殺さずそのまま後ろ回し蹴り。入った! 鈍い音がして、後ろにのけ反ったラスコー――の頭が、ものすごい勢いで振り戻された。
「うぉおらっ!」
「がっ! う、っつ」
咄嗟に額を合わせたけれど、くっそ、何だコイツの石頭! 痛いなぁもうっ!
続けざまに突きだされたバールの先端は紙一重のところで回避。破れたのは服一枚だ、皮膚にまでは届いていない。懐に飛び込んでボディーに拳を叩き込む。ラスコーはそれを避けようともしなかった。腹筋に阻まれ、しかし与えたダメージは少なくなかったらしい。ごふ、とくぐもった吐息が頭の上に落ちて。
ぞくりと背筋が凍った。本能的に身を捩って、無理やり脇へ抜ける。
「――っ、ぐっ!」
躊躇なく翻ったバールの先と、ラスコーの膝が、かちあって硬質な音を立てた。そこに挟まれて、上腕の肉が少し削がれた。
(コイツ……膝に鉄板でも仕込んでんのか? それにしたって、自分の身を顧みない戦い方――)
「ハッハハハハハッハハハハハハ!」
高らかな笑い声に、冷や汗が一筋。
(これ……三分以内に片付くか……? ――いや、片付けるんだ。何が何でも!)
開いた距離は、一秒と数える前にゼロになる。
4
(さっすが不死身の鉄砲玉――)
そう呼ばれるだけのことはある。肉を切らせて骨を断つ、という戦闘スタイル――というか、避けるより当てることを重視する性格――だから、こちらの攻撃は何度もまともに入っている。
なのに、一向に倒れる気配が無いのだ。
反面、スオウくんの体は、まだ出来上がっていないということもあるけれど、パワーよりテクニックを使うタイプ。耐久力のある相手を一撃でのせるほどの破壊力を持っているわけではない。それに、相手の無計画な大振りをまともに食らったら、無事ではいられない――何より、彼の体にあまり傷をつけたくない――から、思い切った攻めにも転じにくい。
(ちまちま削るしかないのか――いやでも、こんだけ叩き込んでるんだ、さすがにダメージは蓄積されてるはず……!)
相手の動きは少しずつ遅くなってきている。それは確かだ。いつかは必ず押し勝てる。それは分かっているのだが――
――問題は、残り時間だ。
「おぉぉおおおあああああああっ!」
無茶苦茶にぶん回されたバールを、跳んで、しゃがんで、そこに倒れていたラスコーの部下を盾に受け止めた。みしり、と(他人の)肋骨がひしゃげる音がして、バールが止まる。すかさず手首を蹴ると、案外アッサリ、ラスコーは得物を手放した。
限界が近いらしい。
(あと、少し――!)
素手の攻撃なら一撃ぐらいは受けられるはずだ。大きく振りかぶられた拳の軌道を予測して、あたしは片腕をガードに回し、
「《―――――――――――――――――!》」
――目の前が金色に染まった。
一瞬、現実を受け入れられなかった。嘘でしょ、嘘だ――こんなタイミングで、時間切れだなんて!
金色の文字があたしの周囲に浮かんで、今にも円を描こうとしていた。けれどこの円が完成することは無い。だって、あたしには、魔術なんて出来ないから!
「霧を切り裂き聖句を蹴散らし雷鳴は今ここに轟く!」
ハッとした。
スオウくんだ。ラスコーの拳を受け止めて、反対にその腕を掴んでいた。けれどそれ以上何も出来ない――何をしたらいいのか分からない――ようで、一方的なチェーンデスマッチみたいに、ただ蹴られ、殴られるままになっている。離したら二度と捕まえられないと思っているんだろう。そしてそれはたぶん、事実だ。
その状態で、彼はこちらに向かって、必死に声を張り上げた。
「先輩! ――唱えて、ください! あと二節ですから!」
あたしは呼吸が出来なくなった。無理だ、無理だよ、スオウくん。あたしはもう二度と魔術なんて使わない。使えないんだ。
「先輩っ!」
駄々っ子みたいに俯いて、ただ首を横に振ることしか出来ない。駄目なんだよ、スオウくん。もしこの魔術を、あたしが完成させて――それの所為で、君が死ぬようなことがあれば――駄目だ、それだけは絶対に――あたしは――あたしは……――
「―――僕を信じろっ!」
「っ!」
脳味噌をぶん殴られたみたいだった。目の前に火花が散って、それが金色の光を放っている。
スオウくんがこちらを一瞥した。唇の端に血が流れている。
それで、否応なく理解した。
あたしが何もしなかったら、それでもスオウくんは死んじゃうんだ。
なのにスオウくんは真っ直ぐあたしを見ている。あたしなら出来る、と信じてる――
「霧を切り裂き聖句を蹴散らし雷鳴は今ここに轟く!」
あたしは目を閉じた。
「――《霧を切り裂き、聖句を蹴散らし、雷鳴は今ここに轟く》」
復唱した瞬間、あたしの中身がぞぞぞと蠢いた。触ってはいけないものを触っているような、そんな不快で、恐ろしい感覚。
(……そういえば、あの時もこんな感じがした……)
トラウマが疼いた。それで本当に確信する。間違いなく、五人を殺したのはあたしなんだ、と。
(分かってた。分かってたよ。でも今は――都合が良いって知ってる。身勝手だって自分でも思う。でもあたしは――)
スオウくんを、失いたくない。
「虹は西巻、警句は目印」
「《虹は西巻、警句は目印》」
周囲が一層煌々と光り輝く。あたしの言葉で、金色の光はひとりでに文字を形作って、円環を今まさに閉じようとしている。
「うっ、がはっ、ぁっ」
呻き声に目を開くと、スオウくんが地面に倒れ伏していた。そしてラスコーの目がこちらを捉えている。ヤバい、やられる。あたしじゃ一発殴られただけで間違いなくお陀仏だ。避けるなんて絶対に無理。目で追うことすら不可能だ。奴とは二メートルくらい離れてはいるけれど、この程度の距離じゃ時間稼ぎにもなり得ない。
(嘘でしょ、終わった――)
思ったその時。
がくん、と不思議な挙動をして、ラスコーの足が止まった。
スオウくんがその足にしがみついていた。
「チッ、てっめぇ、くたばりやがれ!」
ラスコーが足を振り上げて――その一瞬前、
「雷撃は今ここに閃く!」
最後のワンフレーズ。
「《雷撃は今ここに閃く》!」
復唱。
円環は閉じ、文字列はそのままバチバチと唸りを上げて、言葉通り、雷に変わった。雲もないのに、不自然な円を描いて発生した雷は、そのまま水平に迸る。
「うがぁああああああああっ!」
轟音と絶叫。
ラスコーがどうなったかなんて知らない。そんなことより、あたしはただ気怠くて、全身が重たくて、重力に逆らうのをやめた。すとん、と膝が落ちる。震えながら、浅い呼吸を繰り返す。あぁ、寒い。体が重い。息が苦しい――
――肩に、暖かい手が、遠慮がちに添えられた。
「先輩、大丈夫ですか」
「スオウくん」
顔を上げる。スオウくんは、散々殴られ、蹴られた所為だろう、顔中血塗れで、鼻血も流れるままになっていた。けれど、底抜けに優しい目をしていた。
スオウくんは反対の手の甲で、鼻の辺りを雑に拭ってから、口を開いた。
「ラスコーは死んではいませんよ。さっき唱えていた魔術は、人が死なない程度の威力になるよう、計算して作ったものですから。……魔術は詩文です。勉強すれば、そういう調整だって、出来るようになるんですよ」
「……そう、なんだ」
「はい」
あたしに気を遣っているのか、スオウくんはやけに饒舌だった。
「僕は十四行詩が一番好きなんですけど、ソネットと一口に言っても、いろんな構成パターンがありまして。今回の魔術は、ABABCDCDEFEFGGの構成で韻を踏む、中央の方で最近発明されたものなんです」
いや、単にオタク気質で、自分の傑作について語りたかっただけかもしれない。あたしは何だか毒気を抜かれて、気付いたら笑っていた。
(これだからスオウくんは。――魔術オタクなんて、絶対、モテないぞ)
「この間論文で読んで、けっこう綺麗にできるような感じだったんで、挑戦してみたんですけど、まだまだ改良の余地がありますね。作りやすさはあるんですが、その分平凡な感じになりがちというか――」
「っ、スオウくん!」
あたしが咄嗟に声を上げたのは、スオウくんの背後にメートルのところで、倒れていたはずのラスコーが起き上がったのが見えたからだった。
スオウくんが素早く振り返って、ラスコーに相対する。
ラスコーは息も絶え絶えで、足下も覚束ない様子だった。――なのに、警戒心が薄れない。油断してはならない、と直感が囁く。
「――さねぇ」
地獄の底から這い上がってくるような声が、その男から発せられた。
「許さねぇぞガキどもぉぉおおおおっ!」
あれだけ殴られて、その上雷にも打たれたというのに、まったくそれを感じさせない圧力を持った怒号。
「死ぃねぇぇぇええええああああああっ!」
踏み込むのが、かろうじて、見えた。
――予想できる。ラスコーは決死の覚悟で、せめてスオウくんだけでも殺そうと突進してくるだろう。手負いの獣の、最期の一撃だ。舐めてかかったら持っていかれる。それに対して、スオウくんは? ……たぶん、きっと、動けない。やられるがまま、殺される。ダメ、こういう時は――
「パワースラム!」
反射的に叫んだのは、つい先日読んだばかりの雑誌に載っていた技だ。突進してきた相手に対するカウンター技。腰をしっかりと落として、相手がこちらに到達するのを待つ。衝突すると同時、相手の股の下に利き手を入れ、反対の手で肩口を掴み、首の裏側で相手を受け止める。そしてそのまま、相手の突進の勢いを殺さず、利用して、投げ飛ばす。
――雑誌に描かれていた通りの動きを、スオウくんが綺麗に再現するのが、細切れになって見えた。
ぶおっ、と、耳の横を空気の塊が飛んでいった。そして、大きな土嚢が叩き落とされたような音。――ラスコーが投げ飛ばされたのだ。スオウくんよりも三十センチくらい背が高くて、横幅も二倍くらいある、ガタイの良い成人男性が。
それを目の当たりにして、あたしは何よりも先に困惑して、次に――した。そしてすぐに、それは抱いてはいけない気持ちだと気付いて、慌てて自分で否定した。
(喜ばしいことでしょ! スオウくんならやれるって知ってたし……格闘技よりも魔術の方が好きってだけで……うん、そうだよ。スオウくんは出来る子なんだから、当然のことだよ……)
スオウくんに必要とされなくなる日は、遠くないのかもしれない。けれど、それはきっと、スオウくんにとって良いことなんだ。あたしは、何かを言える立場ではない。
「はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、……っ、はぁっ……はぁ……」
投げ飛ばしたままの格好で固まっていたスオウくんが、ぺたりと尻餅をついた。そうして、両膝を抱き込み、額を膝に押し付けて、再び固まる。肩が大きく上下していた。
あたしは目がおかしくなったのだと思って、何度か擦った。かすかに、スオウくんが震えているように見えたのだ。
気の所為だろうと思ったけれど、どちらにせよ、膝を抱えて蹲ったまま動かないスオウくんを放っておくわけにはいかない。あたしは、四つん這いで這い寄って――少し迷ってから、スオウくんの背中に自分の背中を預けた。
びくりと震えて、すぐにそれが収まる。深く息を吸って、ゆっくりと吐くのが、背中越しに伝わってきた。
「――僕は、父親を殺したんです」
突然の言葉に、あたしは目をぱちくりさせた。
「十年前……僕はまだ、五才でした。まだ何も分かっていない、かろうじて物心がついたというだけで、人間より獣に近い頃に――殺されるのを恐れて、殺しました」
スオウくんの声は、霧雨のように小さかったけれど、他に誰もいない夜の農場には、やけに大きく響いた。誰かに聞かれるのを恐れながら、一方では、あたし以外の人にも聞かせたいのだと思っているかのように、スオウくんは震える声で続けた。
「何も分かっていないはずなのに、僕の体は動いたんです。父親の拳を避けて、足を掴んで転ばせて、マウントを取って――目を潰して――首を絞めました。まだ腕力が無かったので、足を使って。……ここまでやったくせに、僕には自覚がないんです。あれは正当防衛だ、獣として当然の、命を守る行為だ、って、思ってる部分があるんです。――この手には、あの感触が、鮮明に残ってるのに――」
「スオウくん……」
思わず名前を呼ぶと、スオウくんは頭を上げたらしい。後頭部が触れ合った。
ふふ、と鼻で笑うのが聞こえた。
「どこまでも、先輩と僕とは反対なんですね。僕には実感があるけれど、自覚がない。だから――自覚して暴力を振るうことは、絶対にしないと決めたんです」
「……そっか。そうなんだ」
「はい。……だから、その……先輩に使ってもらえると、嬉しいです――」
――この先も、ずっと。
消え入りそうな、精一杯の主張に、あたしは思わず顔をほころばせた。それから何を憚ることなく思い切りニヤけた。背中合わせの強味って言うのはこういうところだ。相手の表情が見えない代わりに、こちらの表情も見せずに済むんだから。
だからあたしは、まるで何にも感じ入っていないかのように、平然と返した。
「当然でしょ。今更放してもらえるとは思わないことね」
視界の端で、夜が終わりの色に変わり始めていた。
☆
間違いなく、これは不当な道だ。
降って湧いてきた奇跡があるからといて、それを利用して、他人と体を交換して、そんな反則技で満足するなんて――
宝の持ち腐れ。
才能の無駄遣い。
何て言われたって、反論は一言たりとも出来ない。
――けどね、あたしは、こういう道だってアリだと思うんだ。
自分のことだから、って、思い切り棚の上に放り投げて、言わせてもらう。
間違っていて、狂っていて、
不当で、反則で、正解でも正当でもないこの道が――
――あたしの、生きる道なんだ、と。
#来栖お題企画 お題「背中合わせの強味」で参加させていただき、書き上げた作品でした。
お付き合いくださってありがとうございました。
いずれドリー&オスカーの話や、マーサ&アーリーン(お察しの通りこの2人は“アーサー”と“マーリン”)の話、ビーンズ&ロースターの話も書ければいいなぁなんて思っております。
感想など頂けたら狂喜乱舞します。お暇でしたらぜひよろしくお願いいたします。
読んでくださったすべての方々、そして素敵な企画を打ち立ててくださった来栖様に、最大の感謝を捧げます。
ありがとうございました。
井ノ下功