8. 触れ合えても、交わらない
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「ユウヤ! 右!」
指示に従って右へ跳ぶ。
その瞬間に真横を高速の矢が通り過ぎて行った。
「――【常闇に抗う一縷の光】!!」
銃剣の銃口が火を噴く。
人に銃口を向けるのはどこか抵抗感があったが、干渉してくる相手に容赦をするつもりはないらしく抵抗されるので、仕方なくいつものように弾幕を張る。
「くッ……速ぇ……!」
確かに見かけは人間だが、その機動力は遥かにそれを凌駕していた。
数日とは言え毎日戦っていた俺ですら追いつけない速度で距離を取られるせいで、どうにも攻めあぐねてしまう。
「ミオ! お前はなにか必殺技とかないのか?」
後ろの方から駆けてくるミオは銃の調子を確かめながら、間合いを見て丁寧な射撃を見せてくれる。
だが、その精密射撃も当たる気配を見せない。
「ないよ! ボクの銃弾は一発一発が言うなれば必殺技みたいなものなのさ。 一度相手にこの銃弾で干渉できたら、あとは波動調整で感情増幅度を弄れる!」
「何言ってるかよく分からんが、とにかく一発当てればいいんだな?」
飛んでくる矢を躱しつつ、距離を詰めようと試みる。
「今までみたいに倒すのが不可能な相手なら、時間はかかるけどその方法が使えるはずだよ。 ありったけの魔力を込めて撃った弾が当たればだけどね!」
どうやらこれまで相手にしてきたモンスターとは次元が違うらしい。
――そんな方法、初めて聞いたぞ。 てかそれ、必殺技だろ。 あるんじゃん……
「どれぐらい時間が必要だ?」
「できれば一分欲しいところだね」
一分。 それは短いようで長い。
それまでの間ミオに手を出さないよう、俺が一人でタゲを取り続けないといけないのか。
「……やってみるか。 ミオはその銃弾の準備を」
「わかった。 キミの魔力も少し使わせてもらうよ。 気分が悪くなったらすぐに言って欲しい」
「了解。 倒れない程度にありったけ持って行け!」
ミオは足を止め、自身の銃に手をかざし、なにか詠唱を始めた。 俺の体内で何かが流れ出る感覚が久しぶりに訪れる。
――俺ももう少しこうしていられたら、そしてもっと強くなれたら、あんな詠唱とか使いこなせたりするのかね。
俺にできるのは、せいぜい自身の身体能力のカサ増しと、ミオの魔力補助ぐらいだ。
魔法らしい魔法といえば、この銃剣を【召喚】できるぐらいなものだ。
――でもま、時間もないし、倒さなきゃ意味ないし……
今ここで俺がやるべきことは、相手の動きを一瞬だけでも止めて銃弾を当てさせ、それから一分の時間を稼ぐこと。
終わった後のことは、ひとまず終わってから考えることにした。
『アアァァァァアアアアアアアアアッ!!』
――三段撃ち!?
狂気すら感じる叫び声と共に放たれた三本の矢。
豪速のそれは立て続けに、それぞれ別の場所めがけて向かって来る。
これは回避が間に合わない。
本能的に急所となり得る頭部と胸部を銃剣で防ぐ体勢を取る。
「――ッ!! 痛ぇッ!?」
防ぎきれなかった矢が俺の腕に突き刺さる。
思えば、反転世界で初めてダメージを受けたかもしれない。
「……けど、こんなもの……!!」
だが、こんな痛み、俺の知り得る痛みの中では底辺も底辺。
俺はこれ以上の痛みを知っているはずだ。
「――【二人を別つ神苑の担い手】!!」
全速力の突進斬り。
その距離が遂に詰まり、後一歩で剣戟の射程圏内と言ったところ。
「届けぇえええええッ!!!」
響く金属音。
交錯する弓と銃剣。
その衝撃は、足止めには十分だった。
「――【光魔共鳴・調律弾】!」
後方から、ミオの声が届いた。
同時に発砲音と空気を切り裂く弾丸の音が聞こえる。
『――!?』
その胸に、紅い花が咲いた。
仮面のせいで表情はよく見えないが、口元が歪んだのが見えた。
――これで後は調律が終わるまで時間を稼げば……!!
背景に映る外の様子を盗み見た。
……そしてその行為を少しだけ後悔した。
「ミオ! 俺が居なくても調律できるか!?」
「な、なんだいいきなり? 別れの挨拶にはまだ早――」
「――悪いが後は任せる!」
被せるように強引にそう残して、モンスターから飛び退いて腕輪を掲げた。
――クッソ……何考えていやがる……!!
「え、ちょ、ちょっと!?」
ミオは腕輪に手を添えて、自身の拳銃に魔力を送っているらしい。
俺の体内の魔力が動く感覚がする気がする。 まだあまりつかめてないけども。
――どうせこれで最後なんだ! 今回ぐらい、これぐらいの無茶は聞いてくれッ!!
無理は承知で、詠唱を開始した。
「――【正立実像・転身】!!」
その今流れているはずの魔力を使い、半強制的に現像世界へ戻りにかかる。
今戻らないと、手遅れになる前に。
「ユウヤ、ユウヤ!!」
その声は不思議と近くで聞こえた気がするが、振り返っている暇など無い。
一歩踏み出すとそこは、もう反転世界でも鏡面世界でもなかった。
――いくらお前がどれだけ不器用でも……
一歩。 自分の靴が控え室の床を捉える。
――さすがにそれだけは、見逃せない……!!
一歩。 拳を思い切り溜めて。
「――この……バカ野郎ぉぉおおおおおッ!!!」
俺に気付いたのか、パッと振り返ったその顔面を、俺の渾身の一撃がめり込む。
嫌な感覚が腕に残るが、壁から跳ね返って倒れたその身体に乗りかかり、その胸倉を掴んだ。
「てめぇ!! いい加減にしやがれ!!」
思っていたよりもしぶといやつだったらしい。 この襲撃に目を白黒させながらも、状況を把握しようと試みていた。
そんなコウマ先輩に構わず吼える。
「本当にそんなことを望んでるのかよ!? 傷つけるだけで気付いてもらえるなんて思ってるなら、それは大間違いだぞッ!!」
さすがに外まで聞こえてしまっているかもしれない。
騒ぎを聞きつけて誰かが見に来てしまうかもしれない。
それでも構わなかった。
「思い出せ!! てめぇが今までやってきたことをッ!!」
ただ衝動のまま、怒鳴りつけていた。
「思い出せよ!! てめぇが本当に望んでいたことをッ!!」
……訪れた沈黙。
まだなにか言わないといけないかと言葉を捜し始めたとき、コウマ先輩に変化があった。
「…………僕は、いままで何を……なんてことを、してたんだ……」
どうやら思い出してくれたらしい。 抵抗していた手が緩んだ。
「……思い出したなら、今からでも遅くない。 やり直すんだ。 今までのことは謝って、次にどうすればいいかを、考えろ」
相手が先輩だなんてことは、もう忘れていた。
ただ思いつくまま、口が動くままを伝えた。
「………………」
俺は立ち上がって、先輩の背中を軽く押した。
先輩はよろよろと、けどちゃんと前へ進んで行き、控え室の扉を開けて出ていった。
――まったく。 どこからこんなもの持ち込んだんだ……?
棚の間に巧妙に隠していたらしいクロスボウを拾い上げ、力任せに分解した。
バキッ、と音がして、いくつものパーツが散らばる。
めんどくさくなったのでゴミ箱の奥のほうへ突っ込んでおいた。
――小窓の隙間から狙い撃ち、か。 よくもまぁ、こんなことを考えるもんだな。
クロスボウなら、それほどの音を立てずに腕を切ったり弓を弾いたりするぐらいはお手の物だろう。
――どこ狙ってたかは知らんが、これ以上傷つけられてたまるかってんだ。
息を整えながら、閉じられた控え室の扉に背を預け、耳を外に傾ける。
『……ごめんなさい。 本当に、許されないことをしてしまった』
ざわめきが聞こえる。 本当に誰も心当たりがなかったのだろうか。
『キミがあまりに遠くて、追いつけないと思って、つい、こんな嫌がらせに手を染めてしまった』
――つい、というのも、溜まりに溜まった感情のせいなのだろう。 吐き出すところがわからず、実力でも追いつけず、本当の意味での実力行使に移ってしまったのだろう。
『こうすれば、キミに追いつけると思ってしまっていた。 その腕の傷も、弓の弦を切ったのも、全て僕がやったんだ。 こうまでして追いつこうとしてしまった。 ……本当にすまない。 こんなことをしても、なにも生まない。 解決しない。 それがわかっていなかった』
――本当は気付いていたのかもしれない。 暴走した感情のせいで見えていなかっただけで、こころの底では分かっていたのかもしれない。 だからこうやって、話せているのだろう。
『……こんな僕を許してはくれないだろうが……どうか今までの行為は許して欲しい。 もう、二度とこんなことはしない。 この部活にも、もう顔なんて……』
そこまで言いかけたとき、誰かが一歩踏み出す音がした。
『……えっと。 突然でびっくりしちゃったけど……顔を上げてよ、コウマ君』
意外にも、ナオ姉の声だった。
『確かに怖かったし、苦しかったし、どうしてって思ってたけど……。 ……いいよ。 これから努力して、私に追いついてくれるって言うなら、許してあげる』
『え……?』
『私に教えられることがあるなら、何だって教えてあげる。 練習だって付き合ってあげる。 上手くなりたいんでしょ?』
『で、でも、僕は……』
『……私に追いつきたいなら、そんなずるい手じゃなくて、正々堂々戦ってほしいな』
――あいかわらず、ナオ姉は……
本当に甘い。 優しくて甘くて、どうしようもないほど甘い。
それがいいところでもあるし、直して欲しいところでもある。
心配になってしまうが……あの包容力があるからこそ、ああして立っていられるのだろうと思うと、強くいえない。
『……すまない。 ……ありがとう』
部外者にとっては突然のことで呆然としていただろうが、次々とナオ姉に享受を願う声が上がっていた。
憧れと嫉妬の対象だったナオ姉だが、ようやく主将らしくなりそうだ。
これではまた、明日から忙しくなるだろう。
「……これで一件落着、か」
息を吐き出して、鏡の前へ戻る。
『……終わったのかい?』
「ああ。 なんとかな」
鏡に自分以外の像が映るというのは、これはこれで奇妙な現象だと思う。
これが見れるのも、もうあとわずかな間だけなんだろうけど。
『まったく……キミはとんだ無茶をするね。 もしあれでボクまで現像世界に飛ばされてたら、調律できなかったかもしれないんだよ?』
ミオは怒っているというよりはむしろ、かなり心配していたらしい。
なんだか泣きそうな顔をしている。
「ははは……まぁ、よかったじゃねぇか。 なんとかなったんだし」
腕輪をちらりと見やる。 かなりひび割れている。 あれだけ叩いても揺すっても傷一つ付かなかったのに。
『もう…………少しは置いていかれたボクの気持ちを考えて欲しいな』
本当なら、頭でも撫でてあげたいところだが、どうもそれは叶いそうにない。
ただ、せめてもと手を鏡面に乗せる。
「……ごめん。 次からは気をつけるよ」
――次なんてもう、当分ないんだろうけど。
『うん。 ぜひそうしてくれよ』
強がってるつもりなのか。 そういって笑ってくれるが、どこか元気が無い。
それでも俺の手にあわせるように手を置いてくれた。
触れ合えてるように見えるけど、体温は伝わって……伝わってないはずだが、どことなく温かい気がする。
気のせいかもしれないが、今はそんな奇跡があってもいいと思えた。
「……契約は、これで完了なんだよな」
『そうだね。 "ボクの仕留めそこなった対象を倒すまで、ボクの側にいる"って契約は、たった今完遂された。 これでボクとの魔力共有も切れるし、その腕輪ももうじき壊れてしまうだろうね』
改めてそう言われると、やはり名残惜しい。
自分で言ったことだけに口出しできないのが痛いところだ。 そうなるようにそうしたのだが。
――わかっていたんだ。 こんな最高に非日常な日常が送れるようになったら、俺、きっと戻れないって。
それは自己分析の結果でも、未来予知の能力でもなく、単なる予感程度でしかなかったものだ。
けど、やはりあたってしまった。
――だからこうやってこういう契約にしたのに。 なのに……
『ユウヤ』
呼ばれてハッとする。 もしかしたら、表情に出てしまっていたのかもしれない。 ミオが優しく微笑みかけてくれている。
『キミと顔を合わせるのはこれで最後かもしれないけど、どうか忘れないで欲しい。 ボクはいつでもキミたちの側に居るってことを』
――そうだ。 会えなくなるけど、これでお別れじゃないんだ。
『そして思い出して欲しい。 辛くなったとき。 鏡の前で全て吐き出して欲しい。 そうすれば、ボクが何とかしてみせるから』
――けど、やっぱりこの非日常は終わりなわけで。
「わかった。 もしそうなったときは、頼らせてもらうよ、ミオ」
そう言うと、満足そうに笑ってくれる。 それだけでどこか安心してしまう。
『………えっと。 最後に聞きたかったんだけど』
「なんだ?」
もう時間が無いのだろう。 だんだんとミオが薄くなってきている気がする。
『どうして断る選択肢もあったはずなのに、ボクにここまで付き合ってくれたんだい? 本当は気付いていたんだろう? ボクの魔力はとっくに回復していて、キミが居なくても、仕事は出来たって』
――今聞くか、それを。
「……まぁ、気付いて無いかって聞かれたら、気付いてたって言うよ。 俺の魔力が使われてるって感覚があったのは、最初とさっきの時ぐらいだったし」
多分、俺に負担をかけないよう、回復に努めてくれていたのだろう。 俺が魔力を使うのに不慣れだから、それで影響が出ないようにって。
「……そうだな。 ……俺は、正義の味方になりたかったんだ」
『正義の、味方?』
「ああ。 アニメや漫画で出てくるような、最高にかっこいい、正義の味方」
ピンチに颯爽と現れて、悪を滅ぼし勝利と平和をささげる、憧れのヒーロー。
俺はそんな英雄や正義の味方にあこがれて、必殺技だとか異能だとか作って、それらしく振舞っていたけども。
……現実は、そんなものを望んでなんていなかった。
正義を盾にして暴力を奮って、人を傷つけて、あまつさえその人の平和も大切なものも壊してしまう。
やってることは結局、力任せの制圧でしかない。
そんなもので救えるものなんてなかった。 ただただ何もかもを壊してしまうだけだった。
「……だから俺は、もう少し違う方法で誰かを救いたかった。 誰も傷つけずに、何も壊さない方法で」
けど、そんなものはなかった。
失わずして、得られるものなんてなかったんだ。
「……そこにキミが現れた。 小さくて無邪気で、牛乳好きで元気な少女。 キミに俺は……正直救われた。 憧れさえしたよ。 誰にも知られずとも、たった一人で世界を少しだけ平和にしていた」
その人に認識されず何も奪わないで、その人を救える、そんな世界。
そんな世界で俺は、誰かを救えないか、そう思ってしまった。
「……それで俺は、お前と一緒に多くの人を救った。 過ちを犯す前に、考え直す時間を与えられた。 誰にも感謝されず、誰にも知られない、そんな仕事だったとしても。 お前が俺の存在を望んでくれたから、今まで一緒に居られたんだ」
気付いていても、決してミオは俺を捨てることはなかった。 あまつさえ、頼ってくれた。 一緒に居ることを望んでくれた。
『……そうか。 うん。 ありがとう、全部話してくれて』
ミオはかなり薄くなってしまっている。
もういつ消えてもおかしくないだろう。
『じゃあ、最後に一つだけ』
ミオは俺の話を聞いて、どう思ってくれたのだろうか。
それだけ聞いておこうかと思ったが。
『……ボクと過ごした時は、楽しかったかい?』
そう聞かれては、返答は一つしかなかった。
「ああ。 最高に楽しかった。 文句なんてない」
ミオは最後に本当に嬉しそうに笑ってくれた。
もうそれだけで、十分な気がした。
そして手元で、何かが砕ける音がした。