7. 正義の味方じゃなくたって
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「ふぁあ……。 あれ? ナオ姉、今日は朝練じゃなかったか?」
あくびを噛み殺してリビングの扉を開ける。
「え? う、うん… …今日はちょっと、調子悪くて……」
そう言ってソファーでウサギのぬいぐるみを抱きかかえているナオ姉。
「なんだ、今日は学校休むか? 電話が必要なら俺がしておくけど」
机の上にさっと目をやり、ナオ姉がまだご飯を食べていないことを確かめる。
「ううん。 ……大丈夫、体調が悪いわけじゃないから……」
――そんな表情で、何が大丈夫なんだよ……
「……そうか。 朝飯、まだだろ? トーストで良いか?」
「うん」
トースターにパンをセットしてスイッチオン。
その間にインスタントのコーヒーを淹れてテーブルに着く。
ちょうどそのタイミングでパンが焼けた。
「……ねぇ、ユウくん」
「ん?」
ナオ姉は言い淀んだが、俺と目を合わせずに、呟くように言った。
「……学校、一緒に行ってくれる、かな?」
俺がパンを囓るタイミングに被っていたせいで、聞かなかったフリも選択肢に入ってしまう。
それぐらい、小さな声だった。
それはなんと言うか……ナオ姉らしくない。
「ああ。 むしろそうしない理由がないだろ? 俺は急いでるわけじゃ無いしな」
ミオに保険をかけてから、準備をして家を出た。
俺の読みが正しければ、多分、必要になるはずだ。
何の確かな証拠も話してあげられなかったのに快く受けてくれたことは、感謝しないといけない。
「……………」
いつになく静かな通学路を、ナオ姉と二人で歩く。
いつものような会話もなく、ただ鳥の囀りだけが間を繋いでいる。
「……なぁ、ナオ姉」
これは、俺一人が介入したところで、解決しない問題なのかもしれない。
「この前さ。 ナオ姉は、どんなナオ姉が俺が好きか、聞いたよな?」
ナオ姉の周りの環境だってよくは知らないし、正義の味方ごっこももう懲り懲りだ。
でも。
「……確かに厨二なナオ姉もエッチなナオ姉も俺は好きだけど、俺は素直なナオ姉が、一番好きだ」
俺にだって、やれる事はある。
それが誰にも知られない事だとしても、俺が動く事で助けられる人は居た。
鏡面世界でミオと過ごすなかで、その事に気付けた。
だからこそ、俺は。
「押さえ込まなくて良い。 一人で抱え込んで隠さないくて良い。 楽しい事は楽しいって。 嬉しい事は嬉しいって。 辛い事は辛いって言ってくれる、そんな素直なナオ姉が、俺は好きだ」
できるなら、最初からそうしているだろう。
それができないから、今こうなっているのだろう。
でもそれは、そうする事のリスクを恐れているから。
だったら、その不安の捌け口を作ってやれば良い。
その受け皿になってやれば良い。
そうする役目を、俺が担ってやれば良い。
「だから、全部話して良いんだ。 笑いたい時に笑って、泣きたい時は泣いて良いんだ。 俺はそんなナオ姉も、好きだから」
――我ながら、とんでも告白をしてる気がする。 恥ずかしくなってきたぞ……
だがここで恥ずかしがるわけにはいかない。
ナオ姉はこう見えて姉らしく姉としてのプライドを持っていた。
俺を甘やかすことはあっても、俺を頼る事はしなかった。
俺に弱いところを極力見せないようにしていた。
……それでも俺はそんな振る舞いを見て、ナオ姉が助けを必要としているってわかってしまうのだが。
だからこそ俺は、持ち得る可能性全てを否定せずに繋げて、ナオ姉を救いたいと思ってしまったんだ。
「……良いの? 私は……」
もしかしたら、ズルいのかもしれない。
でもこれでナオ姉が、少しでも救われるのなら。
「ああ。 今だけでも、素直なナオ姉を見せてくれ」
ナオ姉の肩が震える。 どこかへ逃げてしまいそうな錯覚を覚えるが、信じて待つ。
「……う……うぅ……」
パッと振り返ったナオ姉は、そのまま俺の胸に飛び込んだ。
しっかりと抱き留めてあげて、その頭を撫でてあげる。
ナオ姉の心が折れそうな時、こうして撫でてあげると落ち着くと言っていたのを思い出す。
「私……本当は辛かった。 誰にも相談できなくて。 どうすれば良いかもわからなくて。 どうしてこんな事されるのかもわからなくて……!」
ようやく涙と一緒に吐き出してくれた本当の声を聞き届け、俺はナオ姉が落ち着くまでそのままでいた。
学校に遅れようが知ったことか。
俺は俺にできることをするだけだ。
「ミオ。 鏡面世界へ【転身】するぞ。 調律した方が良い対称を見つけた」
手鏡に映るミオは、どこかで先程までの一部始終を覗いていたのだろう、分かっていると言いたげな表情で頷いた。
『こっちもそれらしいのを見つけたよ。 よくは見えなかったけど、多分、あれで間違い無いと思う』
「ちなみに、どこの鏡に映ってた?」
『拡張世界……って答えを期待してるわけじゃ無いよね? 分かってる。 弓道場の控え室だよ。 そこにかなりのエネルギーを感じた』
やっぱりか、と思ってしまう。
ナオ姉の証言からそこで何かあったのは間違いなく、俺自身もその影を一度見ている。
それを見た時刻を思い出し、ナオ姉が部活で何かあったであろう時間を計算する。
そして犯行時刻と、朧げな部員の面影を思い出し、着替えや用意の順番なども、ナオ姉に連れられて訪れた時の記憶を探って並べてみる。
「……放課後、ナオ姉の身に危険が及ぶ前に調律をすませるぞ。 俺の読みが正しければ、間違いなく今日、そいつは動く」
ナオ姉は主将をしていたらしく(完全に初耳だが)、その彼女が朝練を休んで保健室に行っていたら、さすがに誰かは怪しむだろう。
どれほど狡猾な手段を取ったのか、今まで部員の誰もそいつを止めなかったと言うのなら、ナオ姉のこの行動をきっかけに、状況を変えられるかもしれない。
「調律を済ませたら、後は俺がなんとかする。 だからミオはなるべく敵の情報を掴んで欲しい」
『分かったよ。 ……でも、大丈夫なのかい? 聞くに、かなり状況は悪そうだけど』
特定の人物を対象とした一方的な嫌がらせ。
その行為が示す意味は、その動機は。
――それはまぁ、本人の口から言ってもらう方が早いだろ。
「大丈夫さ。 それも全部調律次第だ。 それに……」
――それに俺は、ただのお膳立て役でしかない。 本当に頑張らないといけないのは……
『それに、なんだって?』
「……いや。 俺はやるべきことをやるだけだ。 心配すんなって」
手鏡を閉じ、携帯の画面を操作するフリをする。
屋上に他の人の影はみえないが、こうでもしないと後で見つかった時に言い訳しにくい。
「……さて。 最後の一手、打っておくかね……」
空を仰ぎ見てその青さに目を細め、屋上から出た。
その時が来るまで、何事も起こらないことを願いながら。
*********
「……篠ノ之高馬。 弓道部三年、副部長」
ナオ姉の体調について部員に聞かれたついでに、弓道部の構成員についての情報をもらった。
話をした感じだと、普通に心配しているように見えた。
演技という可能性も十分にあり得たが、とてもそうとは思えなかった。
本当に隠密に、そして的確にナオ姉の心を蝕んだのだろう。
――見えた鏡は控え室のもの。 俺の記憶が間違いでなければ、コウマ先輩が道具の整備をしている間に他の部員が着替え終わり、入れ替わりで一番最後に控え室へ入るはずだ。
露骨に聞くわけにもいかないので、確実な裏は取れなかったが、これで容疑者は絞れた。
あとは実際に、その現場に乗り込むだけだ。
「……来た。 よし、ミオ。 調律対象は見えるか?」
情報通り、誰よりも早く放課後のグラウンドを抜けて総合アリーナに向かって来たコウマ先輩。
だが今日は、最後の授業をサボってまで張っていた俺の方が早い。
手鏡を先輩に向け、ミオに尋ねた。
『ほ、本当にすごいエネルギーだ。 これでよく今までボクの監視から逃れてたね……』
言われてみればそうだ。
だが、この嫌がらせがここまで酷くなったのはここ二、三日の話だと言う。
目の敵にされることはそれまでもややあったそうだが、まさかここまでするとは思っていなかったんだとか。
『……と言うよりも、よく見つけたね? キミから言われるまで、本当に気付かなかったんだけど』
「まぁ……俺の推測が当たったって感じだな」
おそらく、ある程度は行動した途端に発散されてしまうのだろう。 そのせいで、鏡から姿を消す。 姿が見えなければ、いくらその感情がエネルギーを持っていようと、調律することができない。
これでつじつまが合うだろう。
――まぁ確かに、こんなことには無縁そうな感じだよな、見た目は。
調整、調律が施されないと、ここまで人を変貌させるのだろうか、感情エネルギーというものは。
「とりあえず、飛ぶぞ」
アリーナのトイレへ駆け込み、鏡を前にして手鏡と手のひらを掲げる。
「……『汝、我が旋律に応えてその真なる姿を示せ』」
反転世界へ飛んで世界を【再構築】、トイレのドアを開け放って走るとすぐに拡張世界にたどり着く。
「ユウヤ! こっち!」
その入り口で待っていたらしいミオと鏡の道を駆ける。
ミオは気に入ってるのか、今回も黒いブカブカのコートを羽織っていた。
「さっき問題のモンスターを見たんだけど、ボクに見つかってなかったわけじゃなかったんだ」
「どういうことだ?」
走りながら、ミオはどこか言いにくそうに乾いた笑みを漏らす。
「あれはボクの調律の手から、初めて逃れたモンスターだよ」
「……それって、まさか」
「そう。 ボクが現像世界に迷い込むことになった原因だ」
同時に俺は、自身の交わした契約を思い出す。
”取り逃がしたターゲットを仕留めるまで”。
それはこのモンスターのことだった。
「そしてそれは同時に、キミの最終戦を意味しているんだ。 ……そうだよね、ユウヤ」
どこか寂しげにそう呟くミオ。
だが、一度言ったことを取り消すのはさすがに無しだろう。
「そうだな。 でも、お前が倒せなかった相手だろ? 大丈夫なのか?」
ミオは一転、力強く頷いて微笑む。
「大丈夫だよ。 今のボクには、キミがいる。 あの時のボクとは、違うんだ」
――よかった、そう言ってくれて。 でも、こうなると逆に……
「……それに、初めてボクに敗北をくれた相手だ。 二度も同じ失敗は繰り返さないよ」
ミオはそれなりに悔しかったらしい。 かなり気合が入っているようだ。
「あ、来たよ! 鏡に映っている間に仕留めよう。 このエネルギー値でまともな判断を下せるわけがないからね」
「分かった。 これ以上ナオ姉を悲しませないためにも、さっさと正気に戻ってもらうぞ!」
再び鏡の前で二人で手をかざす。
「「【反転虚像・転身】」!」
視界が歪み、見える景色が変わった。
今まで反転世界はセピア色か白色だったが、ここは荒野のように暗くて息苦しい赤黒い色をしている。
「あれか……?」
そこにいるモンスターも、今までとは違っていた。
まず、モンスターらしくない。 もっと言えば、そいつは人型だった。
人型をしたモンスターならいくらかいたけど、今回は特別違う。
人間としか思えない体の作りと大きさ。 そして手に携えた弓。
それはコウマ先輩本人かと見間違うほどの再現度を誇っていた。
決定的な違いは、その顔に被った仮面だろうか。
「……前よりも存在感が増してる。 それにあの姿……感情が彼を取り込もうとしてるんだ」
「は? 取り込む?」
「彼はあの感情……あれは嫉妬かな……に、呑まれかけているんだよ。 このままだと、彼は感情に流されたまま生きていくことになる。 そうなると、長くは持たない」
――感情が何かしらで発散されるまで、感情の従者となってしまうってのか? 冗談じゃねぇ……
もしかしたら、誰でも良かったなんて言って人を殺すようなやつは、みんなあんな感じに取り込まれたのだろうか。
「……できることならああなる前に、鏡の前で懺悔でもして欲しいところだけど……。 さすがにね」
「まぁ、だいたいそういう奴は引きこもって鏡の前なんて行かないしな……」
そんなことを話していたら、モンスターが動きを見せた。
背景に映る外の世界を盗み見るに、どうもあまり時間はなさそうだ。
「行くぞ! 弓矢に警戒して、俺の援護をしてくれ!」
ミオに指示を飛ばし、地を蹴った。
やるべきことを、やり遂げるために。