4. たった一人の世界
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「……さて。 さっそくで悪いけど、調律をしてみようか」
鏡の前に立って、ミオは俺を手招く。
「そのためにもまずは、【虚像転身】で鏡面世界へ戻らないとね」
「そこで俺の出番ってわけか!」
「そうだね。 じゃあ、鏡の前で手をかざして」
言われた通りに右手を突き出した。
鏡に写った向こう側の俺が左手をあげて俺を見ている。
「うんうん、そのままで頼むよ」
俺の背中側に回ったミオは、
「……よっと……」
「お、おい……?」
「ちょっと背中を借りるよ」
背中によじ登り、俺におんぶされているような格好になる。
――軽いな……ナオ姉に抱きつかれた時とは大違いだ……
「……何か失礼なことを思わなかったかい?」
「いや、特には」
「本当かい? 本当に何も思ってないのかい?」
「なんだ、何も思わなかったらおかしいか?」
「キミみたいな男子高校生なら、思うところがあると思うんだ。 ……胸とか胸とか胸とか」
「……気にしてるならわざわざ言わんでも……」
――まぁ確かに、いつも感じてるあの柔らかさは無いが……
その温もりも鼓動もしっかり感じられる。
鏡の中から来たとは言え、やっぱり同じ人間なんだなって思ってしまう。
「……女の子の魅力は胸だけじゃ無い。 そんなに気にするな」
「……ど、どうしたんだい? キミがそんなまともなことを言うなんて……やっぱり魔力共有でおかしく……」
「なってねぇよ!!」
――フォローしただけでそこまで言うのか!?
「そ、そうかい? それなら良いんだけど……」
――一度ミオの中の俺のイメージを訂正させる必要があるのかもな……
「……よし、じゃあ行こうか」
ミオは俺の肩から腕と顔を出して、俺と同じように手をかざした。
側から見れば、兄妹で魔法でも放っているような……そんな感じなのかもしれない。 俺自身鏡を見てそう思うのだから間違いないはずだ。
「……『汝、我が旋律に応えてその真なる姿を示せ』」
そんな詠唱が隣で聞こえた瞬間、ミオの腕輪が光を放った。
そして、目の前の鏡面があの時のように歪み……
「……よし、成功だ」
……元に戻っていた。
「……ここが鏡面世界なのか?」
「そうだね。 正確には……」
「あぁ、反転世界か」
「……理解が早くて助かるよ」
腕を下ろし、あたりを見渡してみる。
自分の姿は変わっていないようだが、周りにあるもの全てが不気味なセピア色に染まっていた。
そして決定的な違いは……
「……部屋の配置が全部逆だ」
「……鏡の中だからね」
当たり前のようで、やっぱり驚かされる大きな変化だった。
――文字も当然のように逆。 本も逆開きになってる……
「……ここは特に調律が必要そうなものはなさそうだね」
そんな変化に驚いている俺の背中の上で、ミオは指をパチンと鳴らした。
「【再構築】」
途端に、世界が色を取り戻し始めた。
いつもよりも色鮮やかに見えてしまう。
「……ここが鏡面世界だね。 ちなみに見えているこれらを触ることはできないよ」
「え? そうなのか?」
「触っちゃったら、現像世界に影響を与えちゃうよ? それにそもそも、ボクとキミは実像であって虚像ではない。 だから触れることは物理的に不可能なんだよ」
「なるほど……」
――ってことは、現像世界から俺たちは見えないし、現像世界の俺たちも消えてる……のか……
「……どうしても触れたいときは、【投影】を使えば良いよ」
「お、専用の魔法があるのか?」
「……食い付きがいいね。 さすがは厨二な男子高校生……」
「……いいだろ。 そういうの好きなんだよ……」
――魔法が実在してて、かつマジで俺にも使えるとなったら……最高に燃えるじゃねぇか!!
「そうだね……。 あ、あれがいいかな」
何かを見つけたらしいミオは、俺から降りて姿見の前へ。
「……【投影】」
呟くと同時に、ミオの外装が変化した。
「どうだい? キミのコートを借りたんだけど……」
……だが、中身もトレーナー具合も、変わっていなかった。
「……似合ってるぞ。 チャンピオン感が凄い」
「ちゃ、チャンピオン……?」
俺が持て余していた黒いコートを借りたのだろう。 身長差の関係で袖が余りまくっているが、ミオは気にしていないみたいだ。
「……えっと、ちなみにこれは、某主人公の影響で買ったのかい?」
「鏡面世界でも有名なのか? 黒ずくめの剣士は」
「いや、個人的にボクが知っているだけだよ。 調律しないといけないぐらいそのキャラが好きな人が居てね……」
「……お前も大変だな」
「使命だからね……」
――うわ、今のミオ、めちゃくちゃカッコいいんだけど……!!
「……? どうかしたのかい?」
「い、いや、なんでもない!」
――お、落ち着け、俺。 テンション上がりすぎだ……
「……俺にもその【投影】は使えるのか?」
「もちろん。 この腕輪があればね」
「……それはどこにあるんだよ」
「この世界の外さ」
ミオはコートの裾を翻して、部屋の扉に手をかけた。
「……鏡の中の外って、どうなってるか分かるかい?」
「いいや」
――言われてみれば、考えたこともなかった気がする。
「鏡に写っていない空間は、光が通っていないことを意味するんだ。 つまり……」
そう言いつつ、その扉を押し開けた。
「……その先は、真っ暗なのさ」
余った袖を振りつつその先の闇の中へ踏み込もうとするミオを慌てて追いかける。
「ちょっと待て! お前は、こんな暗闇の中で生活してるのか!?」
「……まぁ、ボクを信じてついてきてよ」
どこか頼もしげなその横顔に、思わず反論できなくなっていた。
仕方なくミオの後に続いて部屋を出て、真っ暗な中を歩く。
「……どこまで続いてるんだ? 何も見えないし、俺の知ってる地形ではないし……」
部屋の扉を閉めてしまうと、すぐさま闇に呑まれて見えなくなってしまった。 多分、ここからあの部屋へは戻れないだろう。
「それもそうさ。 ここから先は、ボクだけが知る世界なんだから」
「それってどう言う……」
変わらない景色の中をどこへ向かうともなく歩いていると、
「ほら、着いたよ」
ミオがその歩みを止めた。
「……何もない気がするが?」
「まぁまぁ、そう急かさないでよ」
どこか得意げに微笑むと、ミオは再び指をパチンと鳴らした。
「……ようこそ、拡張世界《ボクの世界》へ」
――まるでサプライズパーティでも開かれたような気分だ。 うん。 その表現が一番合ってる……
「……あれ? あんまり驚いてないのかい……?」
「いや……驚きすぎて、何も言えなかっただけだ……」
照明が一斉に灯されていくように、その姿を見せたミオの世界。
第一印象は……白い。
白くどこまでも続いていそうな廊下の真ん中に、俺たちは立っていた。
さっきまでの暗闇が嘘みたいだ。
「見えるかい? ここにある鏡は、鏡面世界と繋がっているんだ」
言われて目を遣ると、壁一面に並べられた様々な形の鏡の中に、見慣れた景色が広がっていた。
俺たちの通学路や、学校、誰かの部屋まで。
「……まさか、ここにある全部を調律してるのか?」
「ご名答。 そうは言っても、地区は限られてるけどね」
「ちなみに、どれぐらいなんだ?」
「そうだね……正確な広さは分からないけど、一千万人は下らないんじゃないかな?」
――数がデカ過ぎて、規模が分からんぞ……
凄い人数分の調律をしている……ぐらいしか分からない。
「目が覚めたらここで鏡面世界の様子を見て、歪みがあれば調律をして、それが終わればまた見回りに出て……。 ずっとそんな生活をしていたんだ」
歩き出しながら、そう語るミオ。
「……いつからこんなことをしていたんだ?」
その背中に、ふと気になった疑問をぶつけてみたが、
「いつから……? うーん……考えたこともなかったよ……」
期待していたような回答は得られなかった。
「……強いて言えば、気付いた時からずっと……かな?」
「気付いた時って……」
ミオは困ったように笑って、
「ごめんね……何も覚えてないんだ。 どうして、って思うことがなかったから……」
そう言ったきり黙ってしまった。
――今まで、そう問いかけてくれる人も居なかったのか……? どうしてこうして居るのか、疑問に思えなかったのか……?
意味や目的を見出したがるのは、厨二の悪い癖かもしれない。
けれど、わけもわからずに行動などできるわけがないとは思う。
「……なぁ、ミオ」
「なんだい? 親の顔なんて知らないよ、ボクは」
「……何を泣きそうな顔してるんだよ」
言われてミオは、頭を振った。
「……キミの位置からは、ボクの顔は見えないはずだったんだけど」
「悪いな。 生憎ここは鏡で溢れてるからな」
――見えてなくても、俺の覚醒領域で分かるんだけどな。
所謂カンというやつだ。
「……安心しろ。 お前には俺がいる。 親や生まれなんて知らなくたって、良いじゃねぇか。 それで生きていけるなら」
「……今のキミは、なんだか変だよ。 いつもの厨二なキミはどこに行ったんだい?」
「そんなに俺が真面目なのがおかしいか!?」
――クッソ! もうフォローなんてしてやらねぇッ!!
さすがにキレそうになったが、ミオはクスクスと笑って、
「……でも、ありがとう、ユウヤ。 そうだよね。 気にしても、仕方ないよね」
そう言って頷いてくれた。
――余計なことは聞かない方が良さそうだな……。彼女の中の"普通"を壊すのは、俺の仕事じゃないし……
「……さてと。 ここがボクの拠点だよ」
すっかり機嫌を直したミオが足を止める。
その先にあったのは……
「……ベッドと棚……。 本当に何もないんだな」
「休める場所があれば、あとは【投影】でなんとかできるからね。 自由に運べるし、邪魔になったら消せるし、ある程度の食物は摂取できるしね」
――食べ物も【投影】できるのかよ……
「もちろん、全部反転するから、性質が変わってしまうものもあるよ。 鏡像異性体の話だね」
「それでミ……乳製品の話に戻るわけか」
「……キミは意外と勉強ができるんだね」
「ミオこそ。 学校も行ってないんだろ?」
「ボクは教科書も文庫本も【投影】で読み放題なんだ。 文字さえ読めれば、問題ないよ」
――文字全部反転してるんだよな……? それでよく……いや、そもそもミオにとってはそっちがデフォルトなのか……?
「……前置きが長くなっちゃったね。 確か、腕輪だったね」
ミオは棚を開けて、中の引き出しの一つから何かを取り出した。
「ボクが現像世界に飛ばされても、この腕輪は消えなかったから、ずっと付けていられるはずだよ」
「……だったら、どうして予備なんて……」
――って、また余計なことを……
「……もしかしたら、いつかこんな日が来ることが、想定されてたのかもしれないね。 どうしてかは分からないけれど、使い方も、どうすれば良いのかも、分かるんだ」
だがミオは予想に反して、力強い口調で話してくれる。
「……どうやらこの腕輪は、契約を以って力を発揮するものらしいんだ。 ……ボクがどんな契約でこの腕輪を付けているかは、分からないけどね」
「だったら、話は早いな」
「うん、そうだね」
先ほどの魔力共有の時の誓いを、改めて口にする。
「お前が仕留め損なったターゲットを倒すまで、俺はミオの隣にいる。 そう、誓うよ」
「な、なんだか契約内容が初めより恥ずかしくなってないかい!?」
「良いんだよ。 これは俺自身の意志だ」
ミオは詠唱するでもなく俺の右手首に腕輪を取り付けた。
やがてひとりでにベルト部分がしまっていき、手首にフィットした。 接合部が見えないので、どう足掻いても外れなさそうだ。
「……良いのか? 詠唱しないで」
「多分、大丈夫だよ。 これはミサンガみたいなものさ」
「急にスケールが小さくなったな……」
「契約を果たしたら自動的に外れるんだ。 一緒だろう?」
「……言われてみれば、まぁ……」
――ミオがこう言うんだ。 多分、そうなのだろう。
「……さぁ、調律する場所を探しながら、キミの部屋に戻ろうか。 あんまりこの世界にいたら、キミのお姉さんが心配するかもしれないし」
「そう言えばそうだったな。 俺がこっちにいる間、あっちの俺は居ないんだっけ?」
「そうだよ。 だから、早く戻ろうか」
ミオは俺を気遣ってくれてるのか、足早にミオの拠点を後にした。
慌ててその飜るコートの後に続いて、もとの道を歩く。
心なしか機嫌が良さそうなのは、多分、気のせいなのだろう。