2. その出会いは必然で
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「……とりあえず、どいてもらえないか」
ようやく絞り出せたセリフは、どこか震えているように思えた。
「あ、う、うん……」
掌から温もりが遠ざかる。 いったいどこに触れていたのだろうか。
「「………………」」
なぜか正座で向き合った状態で、一言も発せないでいる。
「……まずは名前を聞こうか」
「……やけに冷静だね。 てっきり形勢逆転で押し倒されるかとばっかり思っていたんだけど……」
「お前は俺をなんだと思ってるんだ!?」
「え? 健全な高校二年生だよね?」
「そうだな……。 いや待て、なぜそれを知ってるんだ?」
――ていうか、世の中の高校二年生はみんなそういうレッテルが貼られてるのか……?
「……でも、ボクに押し倒されておきながら何の反応もなかったのは、ある意味不健全なのか……?」
「話を聞け!?」
「あぁ、ごめん。 名前だったよね?」
「ま、まぁ、まずはそれから聞こうか」
目の前の少女は立ち上がると、平らな胸の前に手を置いてこう言い放った。
「ボクはミオ。 光魔術・調律師だよ」
――何だって?
「ボクの名前は言ったんだ。 キミの名前も聞かせてくれよ」
「説明はないのな……」
理解不能な事柄が増え続けていることに思うところはあったが、今は流れに身をまかせることに。
「……俺は八刀神祐也。 お前の言う通り、普通の高校二年生だ」
「あれ? 厨二な高校二年生じゃなかいのかい?」
「だから何でそれを知ってるんだよ!?」
――なんだ、ストーカーか!? なぜ今朝やったやりとりをもう一回やらないといけないんだ!
「鏡越しに見てたからね。 キミは知らなかっただろうけど」
知る由もない。 鏡など見ていなかったのだから。
「……てか、マジで鏡から出てきたのか?」
「うん……まぁ、正確には反転世界からだけどね……」
「……何だよそれ?」
ミオと名乗った少女は俺の質問には答えず、隣の姿見の前へ。
「……『汝、我が旋律に応えてその真なる姿を示せ』」
腕輪をつけた手をかざし、何やら呟いているが……
「……あれ? 飛べない……」
何の変化もない鏡を軽く叩いたり揺らしたりし始めた。
「おい、何やってんだよ?」
「実際に見せた方が早いと思ったんだけど……反応がないんだよ」
「何だよそれ……」
やがてミオは諦めたように再び俺の前に座り直した。
「……ボクの姿を見られた以上、ただでは帰さないよ」
「ここ俺の家だし……」
「……コホン。 それで、どうしてここに飛んできたのか考えてみたんだけど……」
小さく咳払いをし、ミオは話を続ける。
「ボクはあるターゲットを追っていたんだ。 調律対象のね」
「いや、そもそも調律って何だよ。 鏡の中で何をやってるんだよ?」
「あぁ……じゃあ、そこから説明しようか」
ミオは指を立てる。
小さな先生が目の前に現れたように錯覚してしまう。
「鏡と言っても色々あるよね。 『心の鏡』『大鏡』『前かがみ』とか」
「いや、最後のは絶対違うだろ!?」
「……ともかく、そういった鏡に写った像は、全て嘘偽りなんだよ。 鏡は遍く全てを映すけど、鏡面には写さない。 それがどう言う意味かわかるかい?」
「いいや全く」
即答していた。
考えることをやめていたと言っても良いかもしれない。
「……つまり、全てを映してしまう鏡から写したいものだけを残して、他を屈折反射させて映さなくするのがボクたち調律師の仕事なんだよ」
「……なるほどな」
――全くわからん。
「ほら、鏡に写った像って、虚像って言うよね?」
「そうだな」
「鏡は本当を映し出すって言うよね?」
「う、うん……? まぁ、言うのかもな」
鏡よ鏡……で有名なあれは、それを受けての逸話なのだろう。 真実しか語らない、鏡。
「その矛盾を作り出しているのがボクたちなんだよ」
「……具体的には、何が写ってないんだ? 幽霊とか写り込んでたりするのは調律ミスってことか?」
「そうだね……確かにその事例はあるみたいだけど……。 基本的には人の感情だよ」
「感情……?」
「言ってしまえば、その幽霊もその一つさ。 感情が幽霊となって表に出てしまっていたんだよ」
「恨み辛みが……ってことか?」
「まぁ、そんなネガティブな感情ばかりじゃないよ。 鏡の前で楽しそうにしている人は、大抵恐ろしいエネルギーを持った感情を映してくるからね。 いつも始末するのが大変なんだ……」
「そ、そうか……」
――つまりあれか。 本来なら人の感情が何かしらの形を持って映ってしまっているところを、光の波を調律して写さなくさせる……ってことか。
「……ひとまず調律については大体わかった。 それで、どうして実像世界に来たんだ?」
「あぁうん。 感情が形を持つと大体はモンスターになるんだけど、それの調律中に反転世界が崩壊しちゃってね……」
「反転世界ってのは、バトルフィールド……と言うか、調律場のことか?」
「そうだね。 調律するときはその専用の世界に行くんだ。 実像世界に影響を及ぼさないようにね」
「それで、崩壊してどうなったんだよ?」
「……実像世界に来ちゃったんだよ。 ボクにもどうしてだかわからないけど、鏡面世界に戻るはずだったのに、なぜか飛ばされて来ちゃったんだ」
――皮肉だな。 影響を及ぼさないために別世界を構築してまで均衡を保とうとしていたのに、今こうして実像世界の俺という存在に大きく影響を及ぼしているのだから。
「……嘘とかドッキリとか夢とか妄想とかじゃなくて、マジなんだよな?」
「そうさ。 こう見えてボクは嘘がつけないんだ。 今もどうやって鏡面世界に戻ろうか考えてるところなのさ」
「……なぁ、ミオ」
「な、なんだい?」
大体の事情を把握した俺は、言いたくて言いたくて堪らなかったことを告げることにした。
「……どうして短パンなのに長袖なんだ?」
再び訪れる静寂。
「……え?」
ミオは隠れていない左目をパチパチさせている。
「その帽子も、どうして右目を隠してるんだ? そんな格好してたら、『チューナー』じゃなくて、『トレーナー』って呼ばれちまうぞ?」
「え……え……?」
ミオは言われて改めて自分の姿を覗き見ている。
小柄な体躯に黒い帽子。
その帽子によって顔の半分が隠れてしまっているが、青いセミロングの髪は隠れきっていない。
その小さな手にカプセル式のボールでも持たせれば、誰もがミオをトレーナーと呼ぶだろう。
「……そんなに変かい? ボクの姿は……」
「変ではないが……ちょっと変わってるな」
「……………」
――あれ? ちょっとへこんでる……?
「ゆーくーん! ただいま〜! 今帰ったよ〜!」
「げ……ナオ姉……」
階下から、ナオ姉の声が聞こえてくる。
同時に、階段を上がってくる音も。
「ま、マズイ……おいミオ! 急いでベッドの下に!」
「え? ちょ、ちょっと待っ――」
バンッ!!
「ユウくん!!」
「のあぁあああ!?」
ミオをベッド下に押し込むと同時に訪れた嵐。
急に襲って来た理解不能なほど柔らかくて温かいそれは、俺に混乱をきたすには十分すぎた。
「ナオ姉!? 何やってんだよ!?」
「ただいまのギュー!」
「やめろやめろ!?」
汗でもかいたのだろうか。 ナオ姉の匂いが一段と濃い。
それはクラクラするほどいい匂いで、同時に、ナオ姉がそばに居てくれているという安心感をもたらしてくれる匂いだ。
「どうしたんだよ? 何かあったのか?」
執拗に離れようとしないナオ姉を無理やり引き剥がし、その顔をじっと見る。
「…………」
「……とりあえず、飯にしようぜ。 喜べ、今晩はカレーだ」
ナオ姉は驚いたように少しだけ目を見開くと、
「うん! 私、ユウくんの作るカレー大好きだよ!」
すぐにいつもの笑顔で笑ってくれた。