1. 代わりのない日常
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「ユウくんは、私がもっと厨二な方が好き? それとも、もっとエッチな方が好き?」
隣を歩くナオ姉の一言目は、確かそうだった。
「……どうしてその二択なんだ?」
どっちも好き……と言う選択肢は飲み込んだ。
「だって……ユウくんがどっちの方が喜ぶか、わからなかったんだもん」
どっちに転んでも嬉しいなんてことは言えない。
「ナオ姉は俺をなんだと思ってるんだよ!?」
「健全な高校二年生だよね?」
「そうだな。 ……いや待て、それはおかしい」
「あぁ、健全じゃなかったね。 厨二な高校二年生だよね?」
「酷くなってるんだが!?」
「あれ? 違った?」
「何も違わないけどさ!?」
ナオ姉の無垢な言の刃が俺を襲う。 一体何がナオ姉をここまでさせたのだろうか。
「……それで、厨二なのとエッチなの、どっちが良いの?」
「何事も無かったかのように話を戻さないで!?」
――だめだ……さっきから会話になってない……
「……そもそもその二択もおかしいけど、ナオ姉の考え方も、何か違う気がするぞ」
ナオ姉は首を傾げると、不思議そうにこう告げた。
「え? でも、高校二年生って、着替えを覗こうとしたり、お風呂中に下着漁ったり、見計らってベッドに潜り込んだりするものじゃないの?」
「それのどこが健全だ!?」
健全どころか、それではただの変態だ。
そうと気付かずナオ姉は「……私ってズレてたのかなぁ……」なんて呟いていなさる。
大丈夫なのかナオ姉は。 もっと強く言ってやるべきなのだろうか。
――うん。 とりあえず、これからはベッドをファブってから行こう。 そうしよう。
「あ、学校着いちゃったね」
そんな話をしていたら、いつの間にか目的地に到達していた。
ナオ姉と話しているといつもこんな感じなせいで、時間を忘れてしまうことが多い。
「……で、何でついて来てるんだ? ナオ姉はあっちの靴箱だろ?」
「え? あ、ごめん。 つい」
てへ、とおどける様に笑って、そそくさと自分の靴箱へ向かって行くナオ姉。
……ナオ姉は昔からこう……どこか抜けてる感じがある。
無意識であれこれ片付けてしまうのは、ナオ姉の悪い癖だ。 ぼーっとしている証拠だしな。
「しっかりしてくれよ……もう高三なんだし」
「まだ一ヶ月しか経ってないもん! そんなことユウくんに言われたら、私、五月病になっちゃう!」
「ならねぇよ!?」
――まずい。 このままだと遅刻するぞ……
「ほら、行くぞ」
「わ!? ま、待ってよ〜!」
ナオ姉の腕を掴んで走る。
柔らかくて温かい腕だった。
「じゃあまた後でな」
「うん。 また後で!」
ナオ姉と別れ、さらに階段を登る。
ラスト数メートルを走りきり、教室へ駆け込んだ。
「お、ユウヤ! 今日もギリギリじゃん?」
チャイムと同時に聞こえて来た声。
「シホ……。 ふっ……まぁ俺は時の神に選ばれし者だからな! 遅刻などありえんのだよ!」
「とか言って、ちゃんと計算して来てんしょ?」
「……まぁ、そうなんだけどさぁ」
後ろ手で頭をかきながら、シホの隣に座る。
このちっこいギャルっぽいのは、クラスメイトの篠ノ之志保。俺の数少ない友達の一人でもある。
その見た目通り、かなり友達は多い方らしいが、どういうわけか俺を気に入ってるらしい。
心当たりがあるかと聞かれれば……まぁ、あるにはあるが……
「お前ら席につけ〜。 授業始めるぞ」
号令とともに始まった学校での授業。
特別なことなんてない。
ただただ普通の日常という時間が過ぎて行く。
*********
「おいユウヤ! この後暇だろ? 一発やってかない?」
「ごめん。 今日は食事当番だから、早く帰らないと……。 ……今の俺は果たすべき宿命を背負ってるんだ。 だから邪魔しないでくれ」
「あ、ちょ、ちょっと!?」
いつものシホの誘いを断りつつ、とやかく言われる前に教室を出る。
――にしたって、毎回あの誘い方するの、そろそろやめて欲しいんだが……
ちなみにあれは、『ゲーセンに行こう』という旨の誘いだ。 シホと出会ったのはそこだったりする。
――行きたいのは山々だけど……そうは言ってられないんだよね……
階段を降りて靴を履き替え、校舎を出た。
――ナオ姉は今頃ここかな……
弓道場柔道場剣道場と更衣室が一つにまとめられたアリーナを横目に見る。
――やってるな……こんな音の中で弓道なんてできるのかよ……
畳や面が叩かれる音を聞いて度々そう思うのだが、いつもその結論は中を覗いた瞬間に出てしまう。
「………………」
明鏡止水とはこの事か。 一縷のブレもなく、ただ真っ直ぐに矢を放つナオ姉の姿は……
――さすが、大会連覇記録持ちは違うな……
弓道部の部員は確か、高三が三人、高二が四人、高一が五人だったはずだ。
その中でもナオ姉は、俺が見た中では群を抜いて上手い。
その背中を追いかけて入部する人が絶えないとか。 ナオ姉は自分でそういう事を言うタイプじゃないから、噂でしかないけど。
――まったく。 普段からああだったら助かるのに……
どこか誇らしい気分で校門を後にする。
この調子だと、ナオ姉は今日も遅くなりそうだ。
――引退する気は無いのかね……
現在部活に入ってない俺は、そうまでして続けたがる理由を分かってやれないが……その意志を否定する気にはなれなかった。
ナオ姉以外にもまだ続けている先輩がいるんだから、間違いではないのだろうし。
まぁ、その先輩の片方は今日はいないみたいだけど。
――比べられるんだろうな、やっぱり。 部活してない俺が言うのもあれだが。
ナオ姉には「ユウくんもやれば良いのに」とよく言われるが、俺は弓道よりも……
――いや……その話はやめよう。 それよりも、食材リストを脳内再生して、不足分を買っておかないと……
思考を切り替え、近くのスーパーでさっと補充を済ませて帰路に戻る。
程なくして何事もなく自宅にたどり着いてしまった。
「ただいまー」
鍵を開けて中へ。
返事は……ない。
――ま、実質二人暮らしみたいなもんだしな……
母親は滅多に帰ってこないし、親父は……ここ数年姿を見ていない。
そんな俺の生活を支えてくれてるのが、幼馴染のナオ姉というわけである。
食事当番は日替わりで、掃除洗濯は基本的にナオ姉がやってくれている。
――今朝の会話的に、不用意に変なもの捨てられなくなったな……
部屋のゴミ箱も当然、ナオ姉の管理下だ。
――いやまぁ……今まで何もなかったし、大丈夫だとは思いたいけど……
こんなナオ姉だが、ナオ姉の両親とうちの親の公認なので不思議だ。
――他に頼れる人が居ないってのもあるんだろうけどさ……
本当に自分の姉のようなナオ姉には、感謝しても仕切れない……が、やっぱり年頃の男女が一つ屋根の下ってのは……
――よく考えてみたら、もう俺たちはそんな心配が要らないレベルの仲になってしまったのかもな……
初めこそドキドキしたものだが、それももう数年前の話。 何事もなく何年も過ごしていれば、不思議とそういった感じはなくなってしまうものだ。
――ちょっとどんくさいところさえ直してくれれば、何の文句もないし……
スタイルも良いし、頭もそこそこ良いし、可愛いし。
走れないし跳べないけど、弓道の腕前は一流で……
……実はああ見えて未だにピーマンが食べられないとか、アクションゲームが大好きだとか……
――って、ナオ姉の話のし過ぎだな……。まるでストーカーみたいじゃないか……落ち着け、俺……
これだけ一緒に居て、これだけお互いを知っておきながら、俺たちは別に付き合っているとかそういうわけではなかった。
姉と弟の関係が一番しっくりくる。
いつか俺よりもかっこいい人と出会って、俺の元から去る日が来るかもしれないと思うと、少し寂しくはなるが……
――ナオ姉はどう思ってんだろうな……俺を、本当に弟としか思ってないのかな……
「……あれ? 材料これで全部か……?」
そんなことを考えていたら、材料を全て切り終わってしまっていた。
あとは鍋にかけてルーを入れるだけだ。
――俺はついに無意識でここまで出来るようになってしまったのか……ふっ……自分の潜在能力が怖いぜ……
時計を見ると、ナオ姉が帰って来るには早すぎる時間だった。 もう少しゆっくりするぐらいの時間はありそうだ。
――荷物置いて着替えるか……
最後の調理段階をこなして火力を"保温"状態にし、蓋をして置いた。 これでナオ姉がいつ帰ってきても食べられるはずだ。
――よし……今日は何をしようかな……
最近ハマってるゲームのスコアランクをナオ姉に抜かれていたことを思い出し、どう攻略したものかとあれこれ考えながら階段を登る。
そしてノブを回して自分の部屋へ。
――まずはさっさと着替えないと……
カバンを放り投げ、姿見の前に立つ。
そこに写っているのは、冴えない感じの高校生。
目付きの悪い目にボサボサの髪。
黒い肌着に白いシャツ姿で、ネクタイは既に外している。
身長は高い方ではないが、ある程度鍛えてたので体格は良い方なのかもしれない。
――シホと一緒にいたら、パリピの一味だと思われそうだな……
ゲームのし過ぎで視力が落ちているとは言え、常に不機嫌そうなこの目はどうにかしたい。 髪はどうでもいいが。
――伸びてるとは思わないんだけどなぁ、この髪……
自分でワシャワシャしながら、ワイシャツのボタンを外していく。
……が、その時は唐突に訪れた。
「な、なんだ……?」
鏡面が歪曲したように俺の姿を変えて行く。
その光景に思わず手を止めて様子見してしまう。
やがて鏡面は波紋を描くように波打ち、何かを吐き出した。
「うぉおっ!?」
「ひゃあっ!?」
突然の突撃に反応することすらできず、見事なまでのタックルを喰らって倒れこむ。
「なぁ……大丈夫か」
手に伝わる柔らかい感覚。
それは温かくて軽くて……とても、いい匂いがした。
「………え?」
俺の上で目を回していた少女が顔を上げる。
その顔は彼女の帽子のせいで半分しか見えなかったが……
「………………」
思わず反応できなくなってしまうほど、可愛かった。
「……えっと……どうしてボクのそんなところを触ってるんだい?」
「………………」
透き通るような声が耳に届く。
同時に聞こえてくるドクドクという音は、自分のものだろうか。
「どうかしたのかい? そんなにボクの顔をじっとみて……」
俺を訝しげに見つめてくる目。
長い睫毛に澄み切った瞳。
ずっと見つめていたら、全てを見透かされそうだ。
「……そ、そろそろ何とか言ってくれないか? ……その、恥ずかしい……」
――これはどういう状況だ?
俺の上の彼女を眺めつつ、急に冷静になった頭が動き出す。
――思い出せ。 どうしてこうなったかを思い出すんだ。 そうだ、記憶捜査だ。
「お、おい。 ちょっと……」
――回想終了。 うん。 それでここに至るわけだな。
順番に思い出してこうなった原因を探してみたが……
――鏡から突然美少女が飛び出してきて俺に覆いかぶさるようにして乗っていると……
……何が悪かったのか全くわからない。
――結局、なんなんだよこの状況は……