4章 不満
四章 不満
気まずい空気の蔓延する病室に気持ちの整理が追いつかない少女と、それを理解してしまうけれど何も言えない幽霊が居る。
「まだ頭が混乱してるようだけど、落ち着いては来てるみたいだね。」
彼は心の声が聞こえる。
それは理解してはいけない場面では不都合な事でしかない。
彼としては、その不都合さも甘んじて受けるべき償いだと感じている。
そして彼は今、彼女の空腹感をどう満たせばいいか悩んでいる。
彼は使える物を探すべく周りを見渡す。
〈使える物は…あれは?、梨か…そう言えば僕は霊だから物には触れられても食べる事は無理なのか…〉
彼は彼女のベッドを挟み、自分と反対側の少し背もたれ部分が曲がっているパイプ椅子の上に、梨のみが5個ほど入っているバスケットがあることに気づいた。
「少し手を離すけどすぐ戻るよ、待ってて…」
彼はそう言うと手を離しバスケットまで向かいその中の梨の1つを手に取り食べようとするが、やはり歯型がついただけで味まではわからない。
彼女が自律的に口を動かせたなら、空腹感を紛らわせられる可能性があるが、それは無理だろう。
彼は梨を歯型がついた部分を隠すように元の場所に戻す。
その時、彼の指に梨の幻覚がまとわりつき、吸い込まれるように彼の体に取り込まれていく。
それだけでも驚かしい事だが、驚く要因がもう1つあった、味がわかる、指先から吸収された幻覚だが、確かに味がわかる。
彼の口の中には何も入っていない、味覚は機能していない、だが味が記憶を呼び起こされるように蘇る。
彼は閃いた。
〈これで空腹感も補えるのではないか?栄養などは摂取できないけど、点滴で補える、試してみよう。〉
彼は彼女の手を掴み半ば強引に先ほどの梨での出来事をしてみせた。
〈あれ?なんか甘い…?〉
どうやら彼の行いは成功しているようでもあった。
「そこにあった、梨を使わせてもらって試してみたんだけど、梨の味が伝わったみたいで良かった、これで空腹感の問題も無いね!」
彼は安堵と成功した優越感に浸りながら、自信の溢れる声を出して彼女に説明した。
だが、栞菜の満足ながらも不満気な気持ちが伝わった。
彼の荒ぶっていた気持ちは落ち込んでしまった。
栞菜は味が伝わった事により確かに高揚感を感じている、しかしそれだけで他は何も感じない、よって満腹感も得られていない。
彼は栞菜と感覚を共有する事に迷いが出来た。
〈彼女と感覚を共有する事で人としての機能は戻り人としての楽しみを与えられる、しかしそれと同時に彼女はしたい事が出来ずに苦しみを与えてしまう、僕はどうしたら…〉
だが、彼は気がつく、迷うほど待たされる程、彼女の苦しみが増える事に。
「君は出来無い事が多く、出来る事も多い今の状態と、前みたいに得られるものも無いがなくすものも無い状態ならどっちを望む?」
投げやりな質問だ、彼は万策尽きたと考えてしまった。
だが彼女の心は素直だった、
〈私は前の私に戻るくらいならお腹すいても耐えるよ、少し辛いけど何もなかったあの時に比べたら…ずっとマシだと思う!だから落ち込まないで、まだ可能性があるよ?〉
彼女は彼に対し、慰めながら言い放つ。
〈栞菜ちゃんありがとう、まだ可能性があるよね、考えなくなるのが一番ダメだよね、君の為に尽くしたいって言っておいて…〉
彼は、泣いている、涙は出ていないが確かに泣いていた。
数分後、次第に落ち着きを取り戻し、溜め息を一息つく。
彼の脳裏には彼女から貰った励ましと、温もり、彼女の言った可能性の言葉の意味、そして彼女を空腹感から解放したいと言う思いが、駆け巡る。
〈僕に感覚の共有を制限できるだけの器用さがあれば。〉
彼は感覚を制限できることを知っていた。
知っているのも当然だった、彼は一度感覚を制限している。
感覚の共有とは彼と彼女の感覚を加減して乗り移ることにより起こり、共有するもので、当然のことながら彼女の感覚も彼に伝わる。
だが、彼が感覚を制限したのは彼女の感覚ではない。
では何の感覚を制限したのか。
彼が制限したのは梨の感覚だった。
彼が梨に触る際に、感覚を共有して、掴み持たれる感覚と持つ感覚を共有、その相互作用で物理に変換して実際に持ち上げた。
では、どこの感覚に制限をかけたのか。
実は彼も制限の掛け方までは理解できていない、だが彼は無意識のうちに行なっていた。
彼が制限をかけた感覚は痛覚。
梨を食べる際に1度目は歯が当たる感覚を覚えた、だが彼女の為だと彼は意を決して噛み付いた、だが痛みは感じていない。
そして彼は自分がしたこの制限というものを理解できない。
無意識のうちに行なっていた事なのだから理解できていないのも納得せざるおえなかった。
自分がわからない事を理解しようとする彼の後ろから扉の開く音がした。