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                 お庭番

 地獄の釜の蓋が開いた根来寺奥の院。其の一方で其れを取り巻いて事態の推移を見守る勢力の存在があった。

 時は、覚瑜の戦いより数刻前まで遡る。

 根来寺へと参拝に赴く訪問者達に心ばかりのいろどりを添えるべく、参道から少し離れた場所で其れを臨む場所にひっそりと営業を続ける花屋がある。敷地はそれほど大きくは無いが、一面に広げられた色取り取りの花の種類と、何よりも其の生き生きとしたそれらが醸し出すむせる様な香りの洪水が立ち寄る人々の購買意欲を掻き立てる。名前こそ知られてはいないが、其処は近所でも評判の高い花屋だった。

 夜陰に包まれる其の花屋と月の光に照らされて様々に咲き誇る花の色を二進法に置き換えられて、新たな夜明けを心待ちにする商品達。其の店舗の入り口に立ち塞がる様に、一台の軽自動車が彼らと同じ様に其の姿を浮かべていた。

 清楚さを表す白地に薄い黄色と桜色の帯。各所にちりばめられた、遠慮がちに描かれた花の絵。車体の側面を絡み合いながら後方に伸びていく二色の帯を避ける様に「BOUTIQUE (ブティック)DE ()FLEURISTEフローリスト“TATEOKA”」の文字が碧玉チェレステ青色ブルーで流れる様な書体で記されている。

 営業の終わった花屋の前に止まった営業車等に、例え其の傍を通り過ぎたとしても気を止める者等いないだろう。大方明日の花の仕入れの為に、業者が其処に車を止めたまま何処かで休んでいるに違いない。近隣に住む者ならば今日の根来寺の変化を感じ取って、明日の行事の為の準備をしているのだろうと勘繰る位が関の山だ。何せ、今日は大勢の僧侶が根来寺に集まっている。今までに見たことも無い位に、大勢。

 状況も見た目も、何の変哲も無い只の花屋の営業車。しかしその道に長けた者の目からは誤魔化せない異変が其処に存在した。誰もいない筈であろう車内を隠す様に、全ての窓が黒い布で覆われている。唯一開いているのは、車高に収まり切れない苗木を傷めない様に開け放たれる屋根の開口部。普段は其処に被せられている帆布が一まとめに丸められて一箇所で固定されている。

 完全に開放された開口部の一角から根来寺の方向に向かって影を伸ばす一本の丸太。月の光を受けて先端部が光を放つ。硝子の輝きを闇に残したまま、超望遠暗視レンズは其の目標として選ばれた根来寺の境内を映像として収め続けていた。

 本体から伸びる極太のシールドは、座席を倒されてまっ平らになった後部座席へと伸びている。其の先には無造作に乗せられた、野戦用無線機の様な機械と男の影が蹲る。掌ほどの液晶画面をいかにも退屈そうに見詰めながら、男が手にした操作棒を動かす。其の動きに従ってレンズを移動させる丸太の影。画面には根来寺の寺務所が大写しになっていた。

 画面を見つめていた男が胸のポケットに手を伸ばし、徐に煙草を取り出してその内の一本に火を着ける。ライターの炎に浮かび上がる其の顔は、二十歳を僅かに過ぎた位だろうか? 音を立てない様に静かに、そして美味そうに一口吸い込むと、はあぁぁと一気に紫煙を吐き出す。僅かに溢れる画面からの光が煙で乱反射して、車内が薄ぼんやりと照らされた。

 退屈を其の行為で満足させて、更なる一服を試みようと其の口に咥えた時、突然暗闇から手が伸びる。伸縮の気配を感じさせなかった其の手はあっという間に男の口から煙草を抜き取り、仄かに光る火口ごと握り潰した。

「はい、それまで。」愉快そうな声が運転席から男の姿を肩越しに見るもう一つの影から漏れた。

 夜の闇の中に笑みを浮かべる其の男の顔も同様に若い。同じ位の歳だろうか? 

 突然の嗜好の却下に、取り上げられた男は不機嫌そうに、しかし外には聞こえない程の小さな声で抗議した。

「っっんだよ。一本くらいいいじゃねえか。全くけちだな。」

 抗議の声を上げながらも自分の行為に後ろめたさを感じたのか、男は煙草の箱の中にライターを差し込んで、元の場所へと仕舞った。

「駄目ですよ。一口は見逃してあげましたけど。大体僕、煙草の煙が苦手なんですよ。喘息持ちだし。」

「お前ねえ、」はあっっと大きな溜息。「喘息持ちで何でこの仕事遣ってんだぁ?」

「決まってるじゃないですか、」くすくすと笑いながら不機嫌な男を見る。

「お医者さんも言うじゃないですか、健康の為ですよ。綺麗な空気、適度な運動。ほら、ね。気管支系の病気の治療にはうってつけじゃないですか。 ―― 先輩こそ、」

 タバコを握り締めた手を開く。華奢な掌。しかし火傷一つしていない。

「こんな物吸ってて、よくあんなに動けるもんですねぇ。僕にはそっちの方が、」

 掌の煙草の吸殻を備え付けの灰皿に落とし込み、パタンと閉じた。「不思議ですよ。」

「お前とは鍛え方が違うんだよ、鍛え方が。んなもんその辺の敵だったら、銜え煙草のままでもこうちょいちょいと、」言いながら右手で捻る仕草。「一捻りにしてやるよ。」

「先輩が言うと強がりでも見栄でもそう聞こえるんだもんなぁ。」

 忍び笑いが運転席の影から漏れて、其の声を聞いた男も不機嫌を脇に追い遣ってにやりと笑う。

 互いに笑ってはいるが張り詰めた緊張の糸が緩む事は無い。其の原因は男の前に設えられた画面からではなく、彼らが呼吸している大気の微妙な異変を感じ取っているからである。

 時が経つに連れて根来寺を取り巻く空気が変っていくのが分る。それは彼らが密かに参戦したどの戦場の空気よりも重く、そして甘い。人の死を予感した、この地に地縛された数多あまたの怨霊が騒ぎ出している。阿鼻叫喚の時はもう直ぐ。わらう二人の意識は顔を背けていても常に画面の変化を捉えて、そして車の周囲に張り巡らされていた。

「どうだ、様子は?」

 突然彼らの間近の暗闇から声がした。出所は車内の一番後部。其処に今までは確かに居なかった筈の男が座っていた。

 画面から零れる僅かな光に照らされた男。年の頃は三十歳位。年期を感じさせるデニム地のズボンに明るい色のシャツを身に着け、チェック柄の前掛けを腰に回して。―― それが恐らく『彼ら』の制服なのだろう。―― 帽子を目深に被っているが、ひさしから覗く其の眼光は鋭い。

 いとも簡単に索敵網を破られた二人。だがその事には別に気落ちもせず、ただちょっとプライドを傷つけられた様な表情を浮かべた。

「毎度毎度の事ですが相変わらず花屋の姿がお似合いで、楯岡様。」モニターの前の男が溜息混じりに男の顔を見た。運転席の男はニコッと笑って会釈する。

「『世を忍ぶ仮の姿』を選ぶにしても、此れは無いんじゃないんですか? 帯刀は見た通りの優男だからまだしも、俺の風体でこの格好じゃあ『進む方向を見誤ったオタク』みたいですよ。」

「家は花屋だ。仕方が無い。…… 藤林。山田の御守、ご苦労。」

 男に『山田』と呼ばれた者の純粋な抗議は歯牙にも掛けられない。じろりと山田の顔を睨んで言った。

「また何かやらかさなかったか? 」

「やらかすって、何を? ただ見てるだけじゃあやらかしようが無いに決まってるじゃないですか。何処まで信用無いんだか。」

 恐らく上司であろう男に対しても山田の口調は遠慮が無い。募る苛立ち ―― 有る意味何かが起こって欲しいと期待する ―― を和らげようとしたのか、そうでないのか。『藤林』と呼ばれた男は楯岡の問いに答えた。

「まだ、大丈夫みたいです。この前みたいにいきなり飛び出してはいません。只 ―― 」

 くすっと笑う。「煙草、吸っちゃいましたけど。」

「分かっている。」ぼそっと言うなり楯岡の手が山田の胸ポケットへ伸びる。留める間も無く、山田の緊張をほぐす為の妙薬は召し上げられた。指の間に挟んだままの煙草を山田の目の前でひらひらと振りながら、楯岡が山田を睨んだ。

「隠密行動を主とする作戦で、此れは頂けんな。納得する言い訳をしてみろ、山田。」

「あ、いや、これはですね。何と言うかその自分の御守りみたいなもんで、無いと心細いって言うかあるとニュータイプ的に働けるって言うかほらゲームの中でもスネークが吸ってピンチを脱出したのにあやかりたいって言うか授かりたいなんて、」

 しどろもどろに片っ端から思い付いた言い訳を捲し立てる。だが山田の必死の作業の甲斐も無く、闇の中で楯岡の双眸がギラリと光った。慌てて目を逸らした山田が今度は藤林を睨み付ける。ひいっと小さく声を上げて、おどけた表情で仰け反る藤林。

「残念、時間切れだ。」楯岡の口から出た、閉廷の木槌の音。山田が視線を戻すと、未だ楯岡が睨み付けている。蛇に睨まれた蛙の心境に追い込まれた山田の口から、遠慮の無い口調が息を潜めた。

「 …… すいません。」子供が叱られた時の様に小さな声で謝る山田。其の言葉で楯岡の眼光は怒りを収めて、代わりに小さな溜息が取って代わった。

「まあいい。説教と罰ゲームは此れが終わってからだ。全く、長門様がえらく心配してると言うのに、お前達ときたらまるで緊張感が無いのだからな。呆れたもんだ。」

『長門』の名を耳にした二人の顔が一瞬強張る。

「父さんがわざわざ? 」藤林から笑いが消えていた。

「長門様が出張って来るとは …… そんなにこの依頼やま、やばいんすか? 」

 山田の声からも緩和した声音が消えていた。楯岡は黙って肯定した。

「どうも先日の長谷寺の一件絡みらしいんだが、詳しい事は分らん。出所不明の欺瞞ぎまん情報も混在しているらしい。ただ御婆様が仰るには、どうやら内通者がいるらしい。」

「内通者って …… この内部にっすか? 」

 あ、わくわくしてる、と山田の声を聞いた帯刀は思った。正解。それは楯岡も同様だ。

「何を期待している? この前みたいにお前が大暴れしたら、俺達が後始末に困るだろうが。お前がふっ飛ばした後の死体を埋めるのに藤林がどれだけ『土蜘蛛』使ったか知ってるか?」

「そうですよ先輩。あの後、40度くらい熱出して三日間寝込んだんですよ。僕、体弱いんですから少し考えてくれないと、」人の悪い表情を浮かべてにっこりと笑う帯刀。

「グレちゃいますよ、いいんですか? 」

「あ・あ・も・う! わ・か・っ・た! ―― 分りましたよ、もう。この前の事はスイマセンて言ったし。罰ゲームの八ヶ岳単独縦走もやったじゃないですか …… 全くなんでいつもいつも二人して俺の事ばっかり ―― 」

「何か言ったか? 」楯岡の問い掛けに口篭った山田から呟かれる不満の言葉が停まる。

「いえ、何でも。」

「しかし楯岡様。其の情報が本当だとすると、今いる人数では何かあった時の対処が難しいと思うのですが。幾ら父が参戦してもこの広大な範囲はカバー出来ないと思います。」

 その帯刀の読みは正着を得ている。流石藤林長門の息子だと楯岡は思った。

 地形・戦力・対抗手段・逃走経路。この地域全体のあらゆる分析が、この若き次期頭首の頭の中で完了している。忍術とは決して言い伝えられるような魔法を使役する事ではなく、とどのつまり情報の的確な把握と分析に拠って冷静に施行される物だ。そうして始めて自分達が修行してきた術を駆使して戦う事が出来るのだ。

 蛮勇を振るう者は『なばり』とは言わない。それは只の愚か者だ。

「何もしない。それが長門様のご命令だ。」

「 ―― 楯岡様。それ、突っ込み所満載なんすけど? 何もしないって、それじゃあもし何かあったら。見殺しっすか? 」

「そうだな。恐らくそうなるだろうな。」短く、そして断言する楯岡。

「大体考えても見ろ。もし御婆様の話が本当で、実際にそれが起こるとしたら、俺達が其の中に入って行けると思うか? 」課せられた命令を反芻して押し黙る二人。

「あの中にいるのは俺達の術とは全く違う、本当の魔法使いの連中だ。それが何十人も集まって、とある儀式を行っている。それで生まれてくるのが『魔法使いの神様』と呼ばれる代物だ。少なくとも人間が触れてはいけない領分だとは思わないか? 」

「じゃあ俺達は、何の為にここで待機を。意味無いっしょ? 」

 山田の問いには藤林が答えた。

「恐らく、万が一の時の保険じゃないかと。裏切りが成功して儀式が崩壊した時に真っ先に狙われるのがその『魔法使いの神様』です。裏切り者が事を成す前に僕達が現場に突入し保護する、そうですね? 楯岡様。」

「状況から考えると、多分そう言う事になるとは思うがな。…… まあそれで上二人が出張って来たんだろう。事情の良く判らない俺達では突入のタイミングが計れんしな。」

 楯岡の言葉の終わりを受けて、突然地響きに似た破壊音が微かに響いた。其の瞬間に車内の空気が一変する。

 楯岡はすぐさま立ち上がって天井の開口部から首を出す。其処目掛けて山田の右手が何かを放り上げた。糸で引かれた様に手の中に収まるそれを掴んで右目に当てる。最新式の携帯用暗視装置を根来寺の方向に向ける。

「山田、場所は? 」

 画面の解像度を細かく調整しながら、その聴覚は脳内にある地形図に瞬時に接続する。音の大きさ、方向、地面に伝わる振動。総ての情報は山田の体表に張り巡らされた神経から取り込まれ、脳内に貼り付けられた地形図に添付された。

「大師堂? いや、もっと奥っすね。丸山稲荷、まだ奥だな …… 多分奥の院じゃないかと。」

「見えるか? 」

「此処からだと丁度寺務所の陰になって見えませんね。見えたとしてもかなり距離あるし。 …… あれ? 」突然山田が画面に直結された機械の摘みの一つを細かく弄り始めた。回す毎に楯岡の隣に延びるレンズの内部で微かなモーターの駆動音が鳴り、伴って液晶の中の画像が大写しになる。其の画像をじっと見つめる山田の姿。

「先輩? 」帯刀が山田を見る。真剣な横顔が帯刀の目に映る。

 それは平穏な一日が終了した事を意味していた。

「 …… 楯岡様。良い話と悪い話と、どっちからがいいっすか? 」山田がモニターを瞬きもせずに見つめている。尋ねられた楯岡も暗視装置から目を放せない。

「悪い方からだ。」

「では、悪い方。奥の院から僧侶が逃げ出して来ています。儀式の予行演習にしちゃあ騒がし過ぎる。多分何らかのトラブル、またはその『内通者』と呼ばれる不穏分子の活動が始まってるかも。」

「 ―― こっちでも捉えた。じゃあ今度は良い方だ。」

 その声に山田の顔が歪む。帯刀には答えが予想できた。伊達に何年も共に死地の中を潜り抜けてはいない。

「「どうやら退屈せずに済みそうです。」」山田の声に併せて言う帯刀。

 密かな喜びに溢れる山田の目の前にある画面の中に、寺務所へと小走りに駆ける松長の姿が小さく写っていた。


 楯岡らが陣を張る花屋から約300メートル南にある「御食事所 徳助」。

 二車線の道を挟んで二棟になっている「別館」と呼ばれている建物に、何台もの車が駐車場を埋め尽くしている。其の全てが金沢ナンバーだ。正面に廻ると入り口の前に「貸し切り」の御知らせと会社名が大きく掲げられていた。

 「山本観光株式会社 ご一行様」

 既に館内は宴もたけなわの様相を呈しており、開け放たれた窓からは多勢の人々の喧騒、いや騒音が大音量で響き渡っている。だが得てしてこう言う場に起りがちな無秩序さは感じられず、其のせいか宴会の世話をしている係の従業員も嫌がる事無くきびきびと働いていた。

 建物の中央部に設けられた宴会場には三十人程の男女が集まっていた。既に無礼講が場を支配して席順、いや定位置すらも存在しない。思い思いの場所で酒を酌み交わし、笑い、うたう。その会場の上座を示す床の間の前に、年の頃は五十歳を越えた頃の女性が、雰囲気に当てられた様に朗らかな笑みを浮かべながら、目の前に提供された料理へと箸を進めていた。

「いやいやいや。どうも途中で席をはずして外して申し訳ありません。」

 突然小柄で小太りの男が額の汗を拭きながら宴会場に入ってくる。全員が其の声の主に釘付けになる。一瞬の沈黙の後に途端に巻き起こる歓声。

「いよっ、藤林課長! 待ってましたぁ! 」

「いやぁーかちょ――う。BoAおどってくださーいっっっ! 」

「まぁいこぅ! まぁいこぅ! まぁいこぅ! 」

 その声を聞いた全員が「マイケル」コールを始める。異様に盛り上がるその場の主人公は「まあまあまあ」と彼らの興奮を両手で制して、手にしたハンカチで汗を拭いながら言った。

「いや、実は楯岡の社長さんから電話がありましてね、すこし急用が出来て遅くなるそうでーす。」残念そうな溜息と共に、喧騒が少し静まる。

「そ・の・か・わ・り」言葉を溜めて、片目を瞑る『藤林課長』。其の後に続く言葉を期待して、全員の喉鳴りが聞こえた。

「みんなに、御土産を持ってきてくれるそうでーす! はい、拍手! 」

 途端に鳴り響く歓声と拍手。万雷の嵐の中を藤林がにこにこしながら、しかし申し訳無さそうに。「はい、ごめんなさいね。」と何度も呟きながら人込みを手刀で掻き分けて、上座へと進んだ。女性の傍に設えてある高杯たかつきの前に座って、既に食事の最中である女性に向って一礼する。

「いや、どうも社長、遅くなりました。」既に会場は元通り。其の騒ぎの中で二人は並んで、嬉しそうに料理を堪能している。

「ご苦労様。藤林さん。楯岡さんからはなんて? 」

 笑いながら小太りの男に掛ける其の口調に、一切の遠慮と寸借が無い。

「どうも様子がおかしいそうです。山田君とうちの息子が一緒にいるので間違い無いんじゃないかと。」

「あら、帯刀たてわき君が一緒なの? じゃあしばらくは大丈夫ね。」刺身をパクリ。

「本当。この鰤、美味しいわ。」

「富山から持ち込みました。なんせ材料は家持ちですからね。」同じくパクリ。「お、美味いですな。ここの板前は腕が良い。」

「で、どうするお積もり? 責任者の藤林長門としては。」御互いに顔を向けずににこやかと宴会の様子を眺めながら。

「静観ですな。その辺は彼らも判っているでしょう。今出ていっても法要の邪魔になるだけですし、中の事は、」コンロに掛けられた和牛の朴葉焼きを一切れ口にする。

「お、此れも中々。御婆様、じゃなかった社長もどうですか?」

「中の事は?」

「当事者に任せるのが一番かと。」女性が咎めるような口調もさらりと交して、箸を進める。

「そう。 …… そうよねえ。生身の人間があの中に入っても、」

 ぱたっと箸を置いて合掌する。「今更何も出来ないわよねえ。」

「あ、社長、もういいんですか? ―― じゃあ後は私が。」そう言うと長門は、女性の目の前にある膳の、手が着けられていない料理をいそいそと自分の皿に移し始めた。

「あなた。ちょっと食べ過ぎじゃ無いの? いざと言う時動けないんじゃあ困るわよ、いろいろと。」

「いやいや、何せ忍術はカロリーを異常に消費しますからな。これでも少ない位ですよ。」

 既に長門の前の膳は今しがた隣から移した物を含めて、完食状態だ。

「早っ! ―― やっぱり、『内通者』が事を起こしたって事? 」笑みを浮かべたまま、声は若干緊張の色を孕んでいる。

「いや、それなんですが ―― 」そう言うと長門は掛けてあった黒渕の眼鏡を外した。傍にあった御絞りでキュッキュッと拭いて明かりに翳す。

「色々考えてはみたのですが、どうも腑に落ちんのですよ。御婆おばば様。」


「なんかおかしくないですか?」

 帯刀がフロントガラス越しに外を睨んだまま呟いた。山田はモニター、楯岡はナイトビジョンで根来寺を監視したまま動かない。

「確かに変だよな。」モニターの中に逃げ惑っていた僧侶達の姿は既に無い。奥の院から響いた音も一度きりで、それからは何も聴こえて来ない。いや、今となってはそんな事実があったのかさえ疑われるほどに境内は静寂に包まれていた。

「まあ、仮に長谷寺を襲った奴が今の事態を引き起こしたと考えても、何で『今』なんだ? 」誰かに尋ねているわけでもなく、自問自答。

「奴の狙いは『魔法使いの神様』だとして、儀式にはまだ時間が有る訳だろ? 今、何か騒ぎを起こして中止になったりでもしたら、それこそ騒ぎを起こした意味が無いよな? 」

「いや、中止になる事は無い。」楯岡の冷静な声。

「これは、そういう物らしい。」

 再び三人の間に静寂が戻る。その間にも其々の思考は凄まじい勢いで回転を続けていた。今までの戦闘経験・マニュアル・ドクトリン。通常は非合法な傭兵として世界中を転戦してきた彼らには何かが引っかかっていた。それは咽喉の奥に刺さった小骨のような、指に刺さった棘の様な、妙に苛立つ感覚。

「ねえ、先輩。」何かに思い当たった様に、帯刀が言った。

「アフガンの和平会議でこんなの無かったでしたっけ? 」

「 ―― ああ、」気の無い返事を山田が返す。

「俺がしくって長門様に豪く怒られたやつか? …… あんまり思い出したくねえなあ。」

「自爆テロで和平会議の会場が吹っ飛んだ件か。あれは山田のミスだろ? 俺は長門様からそう聞いているが。」

「いや、それがミスとは言い切れないんですよ。先輩、あの時子供を助けに行って、危うく吹っ飛ばされそうになったんですよ。」

 帯刀の言葉を聞いた山田がうろたえた。

「ばっっ、ちょ、帯刀? お前それ言わないって約束したじゃねえか。」

「え―。だってもう言っちゃいましたもん。今更手遅れですよ。」

「どういう事だ、山田? 」はっきりとした命令口調で楯岡から発言を促される。

 逆らえば罰ゲームの内容が充実するだけだ。やれやれと溜息混じりに呟いて、山田が語り始めた。

「楯岡様、あの時の依頼内容覚えてますか? 」

「ああ。」楯岡が暗視装置を降ろして、宙を睨む。

「珍しく簡単な内容だったからな。確かアメリカ外務省から政府を通じて依頼が来たんだ。タリバンとの和平交渉をする会場の警備だったな。何でも東洋系の顔立ちの腕利きが欲しいからよろしく頼むと言われたらしい。で、」宙を睨んでいた視線が山田の背中に刺さる。

「 …… よろしく出来なくてアメリカ外務省の怒りが日本の外務省に。日本の外務省が長門様に。長門様の怒りが、」

「鈴鹿山脈三日間、飲まず食わず眠らせずの『三無い』耐久マラソンになった訳です。」

 其の時の事を思い出したのか、山田の体がぶるっと身震いする。

「で? お前、其れっきり長門様に事情を説明しなかったのか? 黙って罰ゲーム行きになったって? 」

「あの時は、」言いながら操作棒を微妙に動かして画像を替えている。

「すんごい怒ってましたから。なんか言い訳したら絶対にマラソンコースが鈴鹿から樹海になりそうだったもんで。」

「それで、本当は何があったんだ? 」

「会談の最中に、一階の入り口にマイクロバスが突っ込んで来たんです。 ―― まあ、当時の状況からすると明らかな自爆テロで、自分は帯刀と和平会談の会場を離れて現場に向かいました。」

「そのマイクロバスの中に子供が大勢乗ってたんです。」帯刀が言い難そうに語る山田の代わりに話を続けた。

「先輩と僕が中に入って其の事を確認しました。その中の一人の体に起爆装置が取り付けられてたんです。」

「取り付けられてた? 括り付けてあったとかじゃなくか? 」楯岡の問いに黙って肯く山田。

「装置は特殊なハーネスで複数の子供に取り付けてあったんです。切る事は勿論振動や解体にも反応する特殊な信管で、何よりムカつく事はその信管から延びる電極がその子供の胸 ―― 丁度心臓の真上に刺さってたんです。」

「生体反応信管か。えげつない事しやがる、と言いたい所だが、それはタリバンの仕業じゃ無いな? 」

「ええ。」モニターを監視しながら意識は当時の光景に飛ぶ。

「彼らにそんな技術は無い。当時持っていたのはイスラエルの諜報機関・モサドと、依頼主の『影の軍隊』だけです。恐らく突入の際の銃撃で乗っている子供を全員殺させて、信管を作動させる予定だったんでしょう。だが子供ばかり乗っていることが判って、事情の判らない正規の米軍の警備の反応が遅れた。で、」

「無傷のままマイクロバスは建物に突っ込んで、掛けつけた『赤の他人』の僕達が事実を知った。」帯刀が山田の言葉を補足した。

「仕掛けた奴らは証拠隠蔽の為に、日本政府から派遣されたお前達ごと、外交問題に発展する危険もお構い無しに爆破した、と言う事か。」

「ええ、多分。」苦々しい山田の声。

「何とか子供だけでも助けようと思ったんですがね。爆発前に何とか建物の外にマイクロバスを移動させるのが精一杯で。出した途端に、ドカン、と。」右手を上にパッと開く。

「僕が駆け付けてバスの焼け跡から先輩を助け出したら、其の時会談会場が爆破されたんです。」

「ふむ。」楯岡が暫し考え込む。

「 ―― 生体信管の事からも考えると、あの爆破はタリバン側の起こしたものでは無く、アフガン政府側の何らかの組織が起した事になるな。和平が実現すると権益を損ねるような集団の仕業か。」

「或いは、そのどちらでも無いか。両方の代表を暗殺する事によって戦争の継続だけじゃなく、拡大までを望む何者か。…… まあ推測ですがね。今となっては。」

「で、類似しているのは思惑ではなく、やり方です。」帯刀が問いを正した。

「あの時、僕達に会場にいて欲しくなかった者が、マイクロバスで自爆テロを演出する事によって僕達を会場から引き離した。」

「もし、俺達が会場に残っていたらどんなに隠蔽しても犯人は判ってしまう。で、未然に阻止されて陰謀が暴露される。それを避ける為に事前に策を用意して、唯一の対抗手段を排除する。」

「成る程。『イロコイの戦闘奥義』に似ているな。」楯岡が思い当たって断言した。

「何で其処で『色恋』が。まあ、確かにあれは色々な意味で『戦い』ではあるとは思いますが。」思わずモニターから目を離す山田。楯岡がそれを睨んで。

「帯刀。こういう天然のボケに間髪入れずに突っ込みを入れるのが、相棒であるお前の一番の仕事だと思った事はないか? 一度でも。」

 帯刀に尋ねる楯岡の視界に、名指しされた帯刀が苦しげに腹を押さえて笑いを押し殺している姿が映った。ボケた相方の援護が不可能だと悟った楯岡が、状況が把握できずに二人の顔を代わる代わる見返す山田に向って口を開く。

「あのな、『イロコイの戦闘奥義』と言うのはアメリカの先住民族に古くから口伝として伝わる戦闘術の奥義だ。」

「へ? 『アレ』の話じゃ無くて? 」暗闇で其の目を丸くして尋ねる山田。其の姿を見た楯岡の口から、今日何度目かの溜息が漏れた。

「そうだ。先ず戦う相手に武器を見せびらかす。なるべく相手より強力な武器が良い。相手を幾度か攻撃して其の強力さを理解させた所で、武器を放棄する。相手は本能的に自分の脅威となった武器が無力化された事に安心して、放棄された武器の方に意識が向く。」

「其の隙に乗じてもう片方の手に隠してあった武器で止めを刺す。そう言う事ですね、楯岡様。」笑いをやっとの事で堪えながら、帯刀が言葉を繋いだ。

「そうだ。この場合『爆破テロ』という攻撃手段が日常化しているから仕掛ける方は緩急を付けるだけで済む。『子供を利用した自動車爆弾』という方法ならかなり効果的だろう。そこに全体の注意を集めたところで、もう片方の『人間爆弾』でテロを仕掛けて仕上げって事だ。」

 二人の口から山田に向って語られる言葉の意味を感心した面持ちで聞き入る山田の姿。其れを見て、楯岡が言った。

「全く、お前って奴は。何時までも本能で戦うからこんな事も知らないんだ。少しは帯刀を見習って理論を勉強したらどうだ? 」

「だって、それって『暗器』の使い方でしょ?そう言ってくれれば解り易いのに。」

 理屈ではなく実践によって真の意味を見抜く山田。

「第一勉強が出来たんなら、こんなとこにはいねえっつうの。」

「うむ、お前の其の言葉には一理あるな。」山田の呟きを耳にした楯岡が微かに笑った。

おつむの良くなったお前なんか想像したくも無い。それだけでたちの悪い代物にしか考えられないからな。」

「ちょっとぉ …… ! 楯岡様。」

 楯岡の話を非難しようとした山田が突然厳しい声を上げた。

「動きがあります。寺務所西側の森の中。」すぐさま暗視装置を目に当てて、指摘された方向に向ける楯岡。

「何か見えますか? 」藤林が楯岡に尋ねる。

 山田の緊張した声音を受けて、藤林の意識は既に車外を隈無く走査していた。感じる異常は視止められない。

「何かを立ててるな ……山田、録画してるか? 」

「ええ。柱みたいな …… いや、人ですね。封印を解いたみたいだ。手足がある。黒ずくめで服の形状までは判りませんが、坊主『みたい』です。」

「『みたい』では分からん。報告は正確に行え。」

「商品の苦情の関しましては富士通のカスタマーセンターにご相談ください。」

 機械の摘みを回してモニターの解像度を調整する山田。暫くの沈黙の後に、山田が諦めた様に言った。

「だめだ、はっきりしねえ。今晩は月明かりが強過ぎるんすよ。光が多すぎてハレーションを起してる位ですから。御婆様に送るんなら楯岡様のを使ってください。」

 そう言うと帯刀の方に左手を差し出す。動きに応えた帯刀が、後ろ手に自分の携帯を山田に渡した。カードスロットを開き、SDカードを取り出して楯岡に渡す。楯岡はそれを暗視装置の上部にある隙間に差し込んだ。サイトの中に浮かぶ様々な情報表示の隅に『REC STB』の文字が赤く浮かび上がる。

「うえ …… 何やってんだ、あれ。」思わず両肩を自分で抑える山田。

「うわ、寒気がする。」

「どうしたんですか、先輩? 」藤林にとって山田のその発言は驚きであり、新鮮だ。

 世界各地の紛争地帯を非合法の傭兵として駆け抜けてきた二人。凄惨な場面など某ハリウッド映画の二流ホラー映画を眺めている位にしか感じなくなっている筈の山田が今、モニターの中の光景に明らかな嫌悪を抱いている。

「リアル腹切だよ、おい …… 楯岡様、見てます? 」

「ああ。腹側部から正中に横一文字だな。腹圧で腸は飛び出すだろうが、あれでは死なん。」 そう言うと側部のボタンを押した。サイトの中の『STB』の文字が消えて録画が始まった事を操作者に知らせた。

「これって、立派な傷害? いや殺人未遂まであり? …… 誰がやってんだぁ、一体? 」

 自分のやって来た事はすっかり棚上げ状態で、画面を見詰める山田。

「白い法衣は多分、根来寺の座主だな。座主自らが準備をするってのも大げさな話だとは思うが …… 」

「『座主』って、宗派の最高責任者でしょう? そんな偉い人が自分から殺人未遂なんて ―― 」

 山田が其処まで喋った時、目を離せなくなった画面の中で赤塚が独鈷杵を胸に突立てる映像が流れた。

 山田の口が思わず自分の考えを漏らした。

「前言撤回。完璧に殺人だ、こりゃ。」


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