顕 現
「遂に力尽きたか、覚瑜。」
戦いによって引き起こされた喧騒は、其の全ての過程を終了した。護摩壇の中央に以前のままの姿を取り戻した赤塚が只一人で立つ。其の目が自分の前に横たわる覚瑜の躯を見下ろし、其の口が言葉を紡ぐ。赤塚を取り巻く状況は全てが其の影形を変化させているのに、其処に立つ赤塚只一人が何一つ変らぬ姿形をその場に晒している。
「だが、『紛い物』の人格ながら、よく此処まで事を成してくれた。遅まきながら礼を言わせて貰おう。儂の育て方が決して間違ってはいなかった事を、命を以って証明してくれた事の礼をな。」
そう呟くと、赤塚の足元から再び黒い泥が湧き上がった。何度も其の力を使って再生を果たした影響だろうか。黒い泥は以前よりも其の量を多くして、より活性化を果たしている。濁流の如き渦を巻きながら赤塚を周回する黒い泥が、其の主である赤塚の命を待ち侘びているのは見た目にも明らかだった。
「お主の命は此処までだが、お主の中にいる『穢れた者』の命はそうはいかん。再び転生を果たして此の世に蘇るのがその者の定め。故に、其の定め ―― 」
赤塚の其の言葉で、泥の渦が周回を止めて一つの纏まりを見せた。巨大な塊となった其れはまるで黒い卵の様。
それは覚慈の肉体を封じ込めていた、黒い肉塊その物の姿であった。生まれたての卵は其の輪郭を朧げに揺らしながら赤塚の側に其の巨大な姿を現す。屹立した其の高さは護摩天蓋に到達するかと思われる程だ。其の卵の表面を絶え間無く奔る無数の蚯蚓が一斉に鎌首を擡げて覚瑜の亡骸を見下ろした。
「 ―― この場に於いて断ち切らせてもらう。お主の魂は天に召される事無く、お主に相応しい闇の底へと封印されるのじゃ。お主の罪を考えれば無に帰す事も生温い。この先永劫に六道の最下層の泥沼で無駄に足掻くといい。」
無数の触手が其の先端を延ばし始める。蠢く其の先に糧となる獲物を求めて、黒い肉塊の先鞭は横たわる覚瑜目掛けて瞬く間に殺到した。首筋を締め上げ、腕に絡み付き、胴体に巻き付き、両足を縛り上げる。黒い拘束具の下に沈んでいく覚瑜の姿を見つめながら、赤塚が言った。
「摩利支天の前に、先ずお主からじゃ。 …… 案ずるな、覚瑜。元々お主は儂が封印の為に創り上げた『式神』の様な者。此処でお主が其の存在を失った所で世界の理は変らん。元々お主は『此処にあってはならない』存在だったのだからな。分不相応な役割を果たしてくれた事には心から感謝する。だから ―― 」
生前の覚瑜には決して投げ掛ける事の無かった口調が赤塚の声に蘇っていた。其の口調を引き起こした元となる、湧き上がる感情を当の赤塚本人は最も当惑する。
遺憾。その感情に気付いた赤塚は、闇に魂を売り渡して非情を心に誓った自分の底に眠る、唯一つ残った人である事を証明する物の存在に気が付いた。それは押し留めようとする程、赤塚の心を逆に侵略して在り処を誇示し続ける。
これが子を失った親の心境なのかと、赤塚は既に散っていった嘗ての只一人の友に思いを馳せた。
松長はこの様な場所に立っていたのか。心の中に広がる茫漠たる荒野の只中に、託す者の無くなった世界の中に只一人。月読と言う悲劇の運命に生きた娘を課せられた使命によって失い、その落胤たる澪までも取り戻す事は叶わなかった。喪う物も護る物も存在しない大地の上を、果てを目指して歩き続ける事の空しさは筆舌に尽くし難い。
其の心境が今赤塚の心の中にも心象風景として蘇っていた。自分に子は無い。だが同然に育ててきた二人の弟子を失った今、その土地は赤塚にも等しく分け与えられた。
自分もまた、託す者は居なくなったのだ。
理解される事も無く、組する者も居ない。赤塚の立つ其の大地に吹く風は、そのまま心の隙間の中で風笛を鳴らしながら聞き入る赤塚の心に空しさを募らせた。
なればこそ。
自分の最期の選択に間違いは無かったと信じたい。願いたい。
此処から唯一生き残る事が出来る存在に、松長の孫である澪を選んだと言う事を。
其れだけが、赤塚にとっての贖罪の形に他ならなかった。闇に心を売り渡して全てを裏切り、全てを失おうとする赤塚にとっての存在意義。
全ての決着を自分の手で、この場所で着けると言う事。自分の選択した未来の為に。
闇の中に沈む黒い人型の姿を、横たわる澪には見詰める事しか出来ない。蟠る力の発露を探した挙句に求める事が叶わず、せめて『その人』の姿だけでも見届けようと躍起になって瞬きを繰り返す澪の瞳。だが次々に身体に奥から溢れ出す得体の知れない水分が尽きる事は無く、同様に込み上げる感情と共に拭い切れない。
飽和状態に達した水分が横たわったままの澪の目尻から流れ出して、包まれた産着を微かに濡らした。
いってしまう。
自らが思い浮かべた言葉に連なって締め付けられる胸が、噛み合った歯車の勢いに拍車を掛ける。喉元まで競り上がった何かが其の口から吐き出されようとしている。だが、今の澪には其れを表現する事も、伝える術さえも持たない。
尋ねたい、伝えたい。募る思いが澪の心を染め上げて、しかし彼女以外の『人間』の存在の絶えた其の場所で彼女の望みに応えられる者は既に存在しなかった。押さえ切れない癇癪が彼女の中で炸裂しようとした正にその時。心の中の焼け爛れる怒りを癒す様に突然、女性の言葉が響き渡った。
其れは今まで聴いた事の無い、我が母月読の物でも無く、其の傍に付き添って最後まで二人を守ろうとし続けた乳母たる碧の物でも無かった。
“取り戻したいか”
言葉によって平癒されて行く心の変化に戸惑いを覚える澪。それ程優しく、だが神々しさを其の内に秘めている。思わず声の主の姿を振り向けられる五感の全てを使って捜し求める。其の行為をまるで赤子の行為を優しく見詰める母親の様な語り口で、再び声が尋ねた。
“あの者を、取り戻したいと願うか”
何処からか響く何者かによる其の言葉が、澪の心を決定的に揺さぶった。覚えた言葉も少なく、其の口が其の通りの発音を為しえる事は不可能に近い。だが澪は今自分の中に存在する全ての能力を駆使して、其の問い掛けに精一杯の言葉で応えた。
いいえ。
否定。声の主は一瞬黙の中に其の姿を隠す。僅かな沈黙の後、其の言葉の意図を知ろうと再び澪に問い掛けた。
“ならば、あの男はこのまま闇に封印される事になる。お前はそれでも良いのか? 合間見えようとしても二度と果たす事の無い地獄の底に縛り付けられても、其れでもいいと。”
責める様に問いかける声の主の言葉は、澪の真意を問い質す。
澪は、言った。
ほしい。
其れは余りにも質素で、簡単で、だが大きな願い。澪の瞳が取り込む映像から生み出された、紛う事無き唯一つの感情の発露だった。姿の見えない声の主に生じる戸惑い。そこへ意志を上書きする様に再び澪の言葉が置かれた。
わたしは、あの人がほしい。
欲望でも渇望でも無く、其れが自分の手元にあるのが当たり前なのだと要求する澪の言葉に、声の主が静かに命令した。
“ならば、我を呼べ。”
あなたを?
“そうだ。我を呼べ。そして使うのだ、お前の願いを叶える為に。我は其の為に此処に来た。”
声はそのまま澪に救いという名の手を差し伸べた。澪に残った唯一つの微かな希望の光。澪は自分に其の力を与えようとする声の主に向って、初めて心の中で問い掛けた。
あなたは、だれ?
澪の言葉に其の声は力強く、しかし躊躇無く其の正体を明かした。
“我が名は『摩利支天』。お前の守護者にてお前と運命を共にする者。そしてあの男と共にお前の担った運命に連なる者だ。”
黒い肉塊より吐き出された無数の触手の群れは、拘束を果たした覚瑜の肉体をふわりと宙に持ち上げた。隈なく巻きつけられた触手の隙間から染み出して来る覚瑜の血液は光を放つ事無く、無常にも大師堂の床に広がる其の面積を悪戯に拡大させるばかりであった。
台木に据えられる事無く磔刑の儀式を受ける覚瑜。心に去来する喪失と諦観を面に出す事無く、大師堂の中空を静かに運ばれていく嘗ての弟子の哀れな姿を無言で見詰める赤塚。
祭壇へと運ばれる躯と化した生贄の辿り着く先は今も昔も唯一つ。人を造りし、人を損ないし神の御手の中に委ねられた運命の揺り篭の中で、再び使命を与えられる時を待つ。其れは彼らが善悪に関わらず、人の願いを担った代償に神から与えられる唯一の特権であった。
だがこの男の魂にはその『約束の地』を手に入れる権利は無い。如何なる運命の悪戯か、幾度も輪廻転生を繰り返す度に多くの人の命を奪い続けた存在。今また此の世に現れて、『摩利支の巫女』が抱える悲劇の運命に加担しようとした男。
其のどちらもが自分にとっての断罪の対象。叶わぬならどちらか片方だけでもと願ったその果てに手に入れた千載一隅の機会が、赤塚の眼前で静かに進行する其の景色だった。
穢れた男の魂と、此の世に悲劇を齎そうとする『摩利支天』。其の二つの存在を自分の手で封印する事が出来るのならば、思い残す事は何も無い。
全ての終焉の時を間近に控えて心穏やかにその時を待つ赤塚の心に、あのときの言葉が不意に浮かんだ。其れはあの時『彼』に自分の意志を伝えた時に刻み付けられた、この時を預言したかの様に語られた言葉。
双眸に湛えられた瞳の色は、紛れも無い紺碧。人の世の理全てを看過する様な其の瞳で赤塚の眼差しと志を貫いて、彼は自分にそう告げた。
“ …… それを為そうとするのならば、君の全てと引き換えだよ。”
そうだ、正に其の通りだ。
彼の預言は、月読と同様に正しかった。そして『彼』の創造る世界こそが、正しい。
一陣の風と光が大師堂を照らす月明かりを遮る。音も無く駆け抜ける其れが赤塚と覚瑜とを繋ぐ空間を光の幕で切り裂いた。張力を失って断裂する触手の群れが力を失って、宙吊りにしていた覚瑜の身体を投げ落とす。黒ずくめの人形は其の身体を大師堂の床に強かに叩きつけて、もんどりうってうつ伏せに転がった。
瀕死の悶絶を繰り返す覚瑜の体に巻き付いたままの触手の束が、力の供給を立たれて崩壊する。溶け落ちる黒の襦袢の中から再び其の姿を露にする覚瑜。息絶えた時に見せた無念の形相は、そのまま赤塚の顔目掛けて最期の瞬間に訪れた筈の憤怒を叩き付けた。
もう二度と閉じられる事無く、赤塚を睨み付ける覚瑜の瞳。それを、其の全てを目に焼き付けながら赤塚は静かに言った。
「 …… 意外な事もある物よ。お前が現れるのはもっと後じゃと思うておったが何故、この時を選んだ? のう ―― 」
覚瑜の躯を瞬きもせずに見詰めていた赤塚の視線が突然、駆け抜けた光の辿り着いた先にある中空に向けられた。其処に其の姿を浮かべて赤塚の姿を見下ろす女性目掛けて。
其れは表現するならば天女の姿。頭に宝冠を戴き、滑らかな衣を吹き上がる神力にはためかせて。纏った軽戦甲冑は金色の光を放ちながら、其の威容を闇の支配する世界に向けて誇らしげに示して。担う火焔光輪光背が退魔の光を放ちながら月の光に変って大師堂の闇を振り払う。
眩い光と其の神々しい姿に視界の殆どを奪われた赤塚が、しかし溢れる敵意を押し隠す事無くその者の名を叫んだ。
「『摩利支天』! 」
高揚する精神が大師堂の床下に闇の波浪を生み出す。荒れ狂う巨大な触手が赤塚の怒りに同調してうねりを上げ、その波が大師堂の周囲に溢れる黒い海に伝わった。生者絶無の結界内を所狭しと波頭を掲げて、この地に建立されて人々の信仰の象徴として崇められ、最後の戦火の中で僅かに生き残った由緒正しき建造物を木っ端微塵に薙ぎ倒す。
大師堂と共に時を過ごした巨大な大塔も。聖天池にその侘びた佇まいを浮かべた聖天堂も。この地を鎮め続けた全ての神聖な遺物の存在を真っ向から否定する様に、荒れ狂う黒い海原が飲み込んでいった。其の只中に浮かんだ最後の戦いの舞台となった大師堂のみが、埋め尽くされた闇に担ぎ上げられる神輿の様に其の威容を月の明かりの中に浮かべている。
其の室内を照らし出す光の源。輝きを放つ其の天女の瞼が静かに開いて、童の様な其の顔に表情を与えた。漆黒の瞳が眼下の赤塚に明らかな敵意を放ち、右手の金剛長鈷杵の切っ先が赤塚の顔目掛けて突き付けられて。透き通る声が天空の全てに満ち溢れる。
「天意に叛き、神仏に仇為す愚か者よ。畏れるならば直ちにこの場を去れ。この者はお前には渡さん。」
開く事の無い口から放たれる声は高くも無く、低くも無く。音が織り成す神格と言う響きが赤塚の姿を直撃した。
だがそれは今の赤塚にとっては毒以外の何者でも無い。浄化の力をまともに受けた赤塚の顔が僅かに歪み、痛みを否定する感情は敵意の視線を投げ掛ける天女に向って怒鳴り声を上げた。
「天意だと!? 其の末席にしか座を持たぬお前如きが何故『天意』等と言う言葉を口にする事が許されると言うのだ。思い上がるな、人の命を弄び続ける『悪魔』めが! 」
叫びと共に膨れ上がる闘気はそのまま闇の泥へと戦いの意志を伝えた。波浪を裂いて首を擡げた闇の九岐大蛇が大師堂を取り巻く海の中から其の姿を現す。双眸は怒りに染まり、大きく開いた顎から瘴気交じりの吐息と咆哮を上げて闇に敵対する光の使者を滅ぼさんと一斉に其の顔を大師堂の室内へと向けた。
「実体を持たぬお前等、今の儂に何を畏れる必要がある? 我が闇の眷属の顎に罹って、その忌まわしい存在ごと消滅するがいいっ! 」
其の言葉を皮切りに、大蛇の首が動いた。覚慈が纏っていた物とは明らかに異なる巨大さと禍々しさを誇る其の大蛇が、開け放たれた大師堂の壁面全てから其の首を捻じ込んだ。大きく開かれた口と其処に設えられた黒い牙が、お互いの存在を傷つける事も厭わずに摩利支天目掛けて殺到する。
食い尽くす顎。一瞬にして閉ざされる光。互いが咥えた獲物の所在を確認する様に蠢く大蛇の姿を満足げに見上げる赤塚。静寂と暗闇を取り戻した室内で暝い笑みを浮かべた赤塚の耳朶を、天女の透明な声音が叩いた。
「愚かな。」
所在不明の発声が摩利支天を飲み込んだ筈の大蛇の動きを止めた。彫像の様に動かない巨大な対象の全身に無数の皹が刻み込まれて光が迸る。次の瞬間、摩利支天を消滅せしめた筈の大蛇の全ては、爆砕された建物の様に瓦解を始めた。大音響を立てて崩れていく出来損ないの陶器の像を呆気に取られて見上げる赤塚。
そして其の場所に。元居た場所と寸分も違わぬ中空に姿を現す摩利支天。左の手に握られた和弓に右手の金剛杵が番えられて、『会』の位置に引き絞られた弦がギリ、と唸った。
「分からぬか。」
冷酷に響く其の声と共に発生する『離れ』。弦を手放した右手が大きく後方へと打ち振られ、胸が反り返る。復元を果たそうと光の速さで金剛杵を打ち出した弦が天女の胸当てを擦過して、薬煉交じりの煙を上げた。
死を孕んだ一本弦の響きが赤塚の耳に届く間も無く、放たれた金剛杵の矢は其の胴体を貫通して背後の床に鋭い音を上げて突き刺さった。
余りの速度に痛みを感じる暇も無い。着矢した其の場所から広がる痺れだけが赤塚に其の事実を伝えた。螺旋を纏って打ち出された金剛杵が穿った胸の穴を手で弄って、驚愕の表情を浮かべる。
「我は幻等では無い。お前達を此の世から本来有るべき彼の地へ送り返す為に使わされた代行者。故に汝ら如き人の身が携えた力如きで立ち向かえる程、弱き存在では無い。 ―― この言葉は ―― 」
嘲笑を浮かべる摩利支天。眉を吊り上げながらも口角を上げて笑う其の姿でさえも、人の世には観られない美しさを見せる。
「 ―― 汝が皆に言っておった言葉そのままじゃな。」
「抜かせ、『神』を僭称する悪魔めが。」
闇にも鮮やかな黒血と言葉を吐き出す赤塚が負わされた傷は、見る見るうちに復元していく。肉の代わりに細かな触手が湧き出して、胸から背へと貫通した矢傷と呼ぶには余りにも巨大な隧道を埋め尽くした。
「お前の力なぞ、我が闇の領域の只中に置いてはこの程度の物。たかが手にした金剛杵を矢に変えた所で儂を仕留める事は不可能じゃ。其れも分からずにのこのこと儂の目の前に姿を現すとは、嘲笑の極み。」
憎まれ口を叩く其の口から滴る黒血が足元の泥と混じり合う。其の瞬間、泥のうねりは其の嵩を一層持ち上げて無数の茨に変化した。其処に表れる無数の棘の全てが其の先端を中空に浮かぶ摩利支天目掛けて狙いを定める。
「九岐の頭が駄目なら、此れならばどうじゃ? 如何にお前とて此れ程の数の攻撃を受けては、躱す事もおぼつくまい。」
大師堂の床の上で赤塚を中心に花開く黒い薊の花。其れを見詰める摩利支天の表情には僅かな変化も見られない。只無言で再び手の中に実体化を果たした金剛杵を弓に番えて、力一杯引き絞る。
「やってみるが良い、愚か者。受けて進ぜようぞ。」
不敵な面持ちで促す言葉が赤塚の敵意を煽る。瞑い炎が赤塚の全身より立ち上り、その怒りが足元に立ち上がる棘の全てに伝わる。小刻みに震える先端が長く伸びて切っ先が鋭さを増して鈍く輝いた。
「面白い。見目麗しき其の姿を穢すには忍びないが ―― 」
互いに引き絞った獲物に力が篭る。限界まで絞られた弦が緊張の奏を沈黙の中に載せて。赤塚の叫びが其れを打ち破る。
「 ―― 八つ裂きになるがいいっ! 」
同時に放たれる二人の矢。余りの数の多さに黒い壁となって摩利支天に殺到する棘目掛けて突進する一本の金剛杵。接近する二つの致死を齎す力が先端を接しようとしたその時、摩利支天の放った金剛杵が爆散した。
無数の光の矢に変化を果たした破片が、摩利支天を引き裂こうと画策する棘の群れの悉くを一瞬にして引き裂いて、其の先に潜む赤塚の姿を求めて駆け抜ける。
茨の蔭で棘を打ち出した赤塚が其の光景を目撃する事は叶わなかった。無数に放った黒い棘の全てを引き裂いた摩利支天の金剛杵の欠片が、黒い壁を突き破って赤塚の全身に降り注ぐ。
驚きと痛みの叫び声を挙げる間も与えずに赤塚の体を貫く無数の光。其れは瓦解と言うよりは消滅と表現する方が正しい。宙を舞う、光の卸し金によって其の肉体を削り取られた赤塚が一瞬にして消滅した。光の矢が持つ『聖』なる特性によって再び傷つく事無く生き延びた、白い大袈裟と其の内に蠢く八つの舌だけがその場に討ち棄てられて。
床に広がる着衣の存在が、其処に確かに其の所有者が其処にいた事を教えるだけの光景に成り果てた。
「これが汝と我、人と神の力の差じゃ。姿形は同じゅうしてもこの差を埋める事は叶わん。 …… 聞こえておるのじゃろう、愚か者? 」
そう言い放つ摩利支天の視線が、赤塚が存在していた場所の床を睨み付けた。暗闇の中から光の粒が湧き出して、摩利支天の右の掌の中で金剛杵として実体を為す。
「こそこそと逃げ隠れるだけが汝の戦術か? それでは汝が此処で拭虐した者達に申し訳がたたんとは思わぬか。少なくとも彼らは今の汝の様に惰弱な姿を晒してはいなかった筈だが。」
「其の物言い、まるで今迄この場に居たかの様じゃな。」
赤塚の声と共に膨れ上がる泥の塊。白い法衣を跳ね上げて盛り上がる泥が人型に其の形を成すまでに左程の時間を要し無くなっている。以前の容姿風体を一瞬にして取り戻した赤塚の口が摩利支天に向けて開かれた。
「やはり、お前は見捨てたのじゃな。お前の力を求める者、欲する者達が闇に没する事を知っていながら。澪様の目を通じて其の光景を目の当たりにしながら、お前はっ! 」
其の言葉の最後は絶叫で締め括られた。真言を唱えすぎて嗄れ果てた声が喘鳴と共に吐き出される。
「お前は自らを『神』と名乗った。じゃが、何故見捨てた!? 其の慈悲の欠片も無いお前の行為を評して儂が『悪魔』と貴様を名指しした意味が分からんとでも言うつもりか! 」
「我が寄代に必要だったからじゃ。彼らの死が。」
何の感情も無く、事実を正しく口にして答える摩利支天。
「代々日ノ本の正義を守護し奉る『摩利支の巫女』。彼女達が天より与えられる役割は時代によって様々じゃ。或る者は戦乱の世を正しく導き太平を齎す役割を携え、また或る者は太平の世を末永く維持しようと其の一生を祈り捧げて終焉を向える。其の何れの寄代も、生れ出る時には等しく同じ容を持っておるのじゃ。」
「同じ容じゃと!? 」
「傀儡。」
其の一言が尋ねた赤塚に衝撃を与えた。傀儡。自らの手で仕立て上げた我が弟子と我が友。同じ外道の御業を其の対岸に身を置く、神たる身の摩利支天が使役していたと言うのか。
「その者が『人』で居られるのは『現世』と言う『煉獄』に其の身を放り出された一瞬だけじゃ。じゃが寄代たる肉体は我が力を受け入れる為にその心の歯車をそれ以降凍結させる。…… 一つの肉体に二つの魂が入るのじゃ。どちらかの感情を殺さねば、生まれたばかりの赤子の精神は錯乱してしまう。傀儡と化すのはその運命の下に生れた者達が反射的に行う『防衛本能』の様な物。」
「それと『創生の法要』とどう関係が有るというのじゃ? 」
「如何に神力を持つ者と言えども『心』が無ければ、我は顕現する事すら叶わん。我の力、神仏の力を使役する為にはその者の『意志』が必要なのじゃ。故に其の凍ったままの歯車を起動させる為の儀式。其れが貴様が元居た宗派に代々伝わる『創生の法要』の目的じゃ。」
予定された死。遥か過去より連綿と続く生贄の儀式。其の目的は只一人の赤子の『そんな事』の為だけに。
「その者が携えた役割によって、其の都度犠牲になる魂の数は違う。或る者は少なく、或る者は多く。だが人柱たる赤子の魂を神仏に捧げる事で心の歯車は動き始め、『摩利支の巫女』は初めてその役割を担う資格を得るのじゃ。我を通じて神仏の力と通じる資格をな。」
「だが、ならば何故此度は他の者まで見殺しにしたっ!? 此処に集められた百余人の赤子達の魂を喰らってもまだ、澪様が目覚めるには足りんと申すかっ! 」
「足りぬ。」
一言で返される肯定。『天魔波旬』と出遭うまでに自分が信奉していた神仏の正体が、慈悲の心の欠片も持たぬ存在であった事を、赤塚は今この場で初めて知った。
其れを信じて、一縷の救いを求めて自らと戦い散って逝った者達。彼らは全てこの様な存在を信じていたというのか。定めに抗う人々を無情に見詰めるこの様な存在を、何の疑いも無く。
「此度の巫女の携えたる宿命は、単に日ノ本のみの問題に非ず。此の世の趨勢を大きく二分する戦乱を収める役目を持つ者。故に其の心の覚醒は赤子の魂のみならず其の身内、彼女に纏わる者全ての魂の無への帰還を果たしてこそ初めて可能になる。だが所詮は少なき犠牲よ、これから巫女が救う数多の衆上の魂の数に比べれば。」
其の言葉が闇に身も心も全て捧げた筈の赤塚の心に業火を引き起こした。埋葬した筈の其の感情が証に立てられた卒塔婆を叩き折り、再び実体として赤塚の心に舞い降りた。其の正体は純粋な怒り。人として、非道な振る舞いで其の尊厳を踏み躙る悪逆な『敵』に対する。
「それがお前の振り翳す正義か? 『小を殺して大を生かす』と言う、稚児でも考え付きそうな当たり前の事が、神仏の意志だとでも! 」
「如何にも。既に此の世は末世に向けて動き出した。汝を篭絡したあの男と、比類する力を持つ巫女が現世に現れた時からな。其の定め、如何なる者にも止める事は与わん。何故なら其れは現世の長となった『人』と言う存在に与えられた試練。其れを生き延びるも、枯れ果てるも彼らが選んだ、彼らの運命じゃ。」
「ならば其の運命、儂がお前を封じる事で変えてみせる! 松長の孫を ―― 」
赤塚の足元の黒い泥が其の容積を増し、護摩壇を埋め尽くして大きく広がる。聖なる力に守護された澪の身体を避けて広がる其れは、覚瑜の躯を飲み込もうとして阻止された黒い肉塊の足元迄達した。養分を与えられた植物の様に其れを吸い込む黒い肉塊の全身に電撃が走る。類稀なる法力を有していた覚鑁の血が混じる赤塚の体液を攻勢の力に換えて、その体躯と禍々しさを拡大させる。
「 ―― お前達の玩具にする為に、儂は奴と戦ったのではないっ! 」
声と共に変化する肉塊の姿を常人に認識する事は出来ない。一瞬にして一本の巨大な槍と化した其れが韋駄天の速さで中空の摩利支天目掛けて奔る。同時に其の床下に潜んでいた触手の群れが其の胴体を大きく持ち上げて大師堂の床を破壊した。闇の塒神とも形容するべき大蛇の頭が其の狙いを槍の行方と同じに定めて、勢い良く跳ね上がった。
其の一点。摩利支天の姿を掻き消して交差する闇の担い手が互いに其の身体を擦り合せる。敵の身体を刺し貫こうと勢い余った二つの手は其の先端を大師堂の天井付近まで届かせて、仄かに光る空間に黒の十字を刻み付けた。
その姿と結果を弄ぶ様に、中空に浮かぶ摩利支天。届く事も、掠る事すら果たせなかった其の黒い大蛇の姿を横目で睨みながら、齎された結果の根拠を当事者たる赤塚に向って語った。
「主ほど高い地位に上り詰めた者でも、怒りに我を忘れる事が有るのだな。 …… 失念していたなら思い出せ、我が二つ名を。」
「 …… 『陽炎』 ―― 」
「思い出したか。」
そう。摩利支天が古くから士の間で護法神として信奉されて来たのは、その神格が保持する特性による物。
『マリーチ(Marici ―― サンスクリット語)』を語源とする摩利支天の名の意味する物は『光』。実体を持たぬ其の姿は傷付く事無く、敵に捕らえられる事も無い。故に常に其の身を戦いの最中に置き続けた武士の間では絶対的な信仰の対象として崇められていた。真言宗を源流とする宗派が『大日如来』を頂点に置いて其の教義を構成した事に対し、中世日本社会に置いて頂点の地位に位置する武士が信仰した摩利支天という神が、信仰を衆上の間で『大日如来』以上に広く拡散して言ったのは当然の事と言える。
実体を持たぬ光の神。ゆらゆらと暗闇に其の姿を浮かべて神力で赤塚を駆逐しようとする其の勝敗の帰趨は誰の目にも、そして其れは赤塚自身にも明らかな事であった。押し寄せる敗北感に囚われる事を拒否した赤塚の奥歯が、折れんばかりに鳴らされる。
物理的手段によってアレを封ずる事は叶わない。だがまだ自分には奥の手が残されているのだ。『切り札』を行使せずしてこのまま負けを認める訳にはいかない。其の為に全てを棄てて、全てを謀ったのだから。
だが、どうやって?
浮かんだ逡巡が一瞬の隙を生んだ。赤塚が其の事実に気が付いたのは、群れと為して襲い掛かる光が着矢する寸前。目にも留まらぬ速さで複数の矢を弓に番える摩利支天、矢代わりの金剛杵の先端が二股に分かれて鏑に変化する。放たれた瞬間から静寂を打ち破る重低音の雀蜂の羽音が二人の静かな対峙を打ち破り、躱す為に用意された彼我の距離を無効化する。
着矢。
鏑矢が湛えた其の威力は保持した打撃力を余す所無く赤塚の体に伝えた。堪え切れずに床に叩き付けられる赤塚の体に尚も降り注ぐ摩利支天の放つ鏑矢。立ち上がろうとする足を、動かそうとする腕を、もがこうとする胴体を、叫ぼうとする口を。本能が欲求する全ての行いを刺し貫いて護摩壇の上へと縫い付けた。何らかの意志を持って潰されぬままに残った赤塚の視覚だけが、其の瞳に憎悪の炎を燃やして、敵である摩利支天の雅な姿を睨み付ける。
「此処より立ち去らぬと言うのであれば、仕方無い。汝は其処で眷属と共に果てるが良い。汝の犯した罪の顛末を其の目に焼き付けながらな。」
其の言葉に反意も反抗も、其の手段を奪われて傲慢とも思える其の姿を目に焼き付ける赤塚。憤怒に塗れる感情の高ぶりは大師堂を取り巻く闇の海に明らかな変化を呼んだ。
それは赤塚の心中を代弁するかの様に幾つも波頭を掲げ、大気を震わせながら大師堂目掛けて四方八方から津波の如く押し寄せる。
猛々しく其の丈を持ち上げる幾重もの黒い波。其れは大師堂の直ぐ手前で砕けて、巨大な槌と化して叩き付けられた。廃墟同然の形を晒す大師堂が圧倒的な破壊の力に耐えられる筈が無い。其の行方に存在する全ての物を飲み込み、叩き潰し、消し去ろうと画策する。其れは摩利支天も、赤塚すら例外ではなかった。
一瞬でその姿を砕ける黒い波の中へと消し去る、大師堂と呼ばれていた物と、其処に有ったであろう全て。
猛り狂う黒い海の時化が収まった後に残された聖域の遺跡。上部構造物を根こそぎ破壊された大師堂の惨状が、遮る物の無くなった月光に照らし出されて浮かび上がった。
其処で全ての惨劇を見守り、松長の祈りに力を貸した三体の御本尊も。多くの赤子の魂を神の御蔵へと導いた由緒正しき護摩天蓋も。其処で澪を守ろうとして叶う事の無かった多くの僧侶の命の抜け殻と共に、全てが闇に飲み込まれた。多くの結界封印が為されて居た筈の護摩壇は只の上がり框の様相を晒して、建物の基部だけが嘗て其処に有った物の存在を証明する。
野外劇場と化した其の場所に未だに存在する四つの影。波に飲まれる以前の景色と変らず、多くの矢で床に縫い付けられたままの赤塚。少し離れた場所で白い籠に横たえられたまま其の光景を見詰める澪。中空に其の姿を誇示して、赤塚が引き起こしたであろう嵐を物ともせずに見下ろす摩利支天。そして ――
「 …… 何故だ? 何故あれが此処にある? 」
覚瑜の亡骸。今の赤塚同様、その場にうつ伏せに横たわった其の姿を赤塚の視界が捉えて、動きを封じられた口を吐いて出た疑問。
苦し紛れの足掻きが其の高波を引き起こした事は否めない。第一その様な攻撃で摩利支天が捕らえられるとも思っては居ない。あれは赤塚の高ぶる感情が自分の配下に置いた闇の存在全てに伝播した挙句に引き起こされた、人災の様な物に過ぎなかった。事実この場に於いて其の存在を保持し続ける者の全ては、変らず此処に居る。
だが、何故、奴が此処に残っている? 自分が葬った多くの法力僧の屍は既に此処には無い。引き波に攫われて其の全てが闇の海へと没した筈だ。其れなのに、何故覚瑜の亡骸だけが此処に変らず存在しているというのだ。
赤塚の思考が目まぐるしく動き始めた。その事実に隠された意図。其れこそがこの状況を打開する為の切っ掛けである様に思われた。それに加えて摩利支天と交わした押し問答の数々を、一言一句違えぬ様に思い出す。
奴は言った。『赤子は傀儡』だと。
奴は言った。『自分が顕現する為には、巫女の意志が必要』だと。
と言う事は、今此処に顕現を果たしている摩利支天は澪 ―― 『摩利支の巫女』を仲介して存在しているという事。既に其処の横たえられた赤子の心の歯車は傀儡の領域を離れ、人として機能し始めているという事。
では、摩利支天が渡さないと自分に宣言した『この者』とは、誰の事を指して言ったのだ?
赤塚の目が思わず覚瑜の亡骸を見詰めた。今だ変らずに横たわったままの其の身体には何の変化も見当たらない。だが其の周囲。亡骸を避ける様に広がる渇いた大師堂の床を目に止めて、赤塚の思考に稲妻が走る。
そうか、そう言う事かっ!
獣染みた雄叫びを上げる赤塚の声と共に再び闇の大蛇が鬨の声を上げて床の割れ目より持ち上がった。其の先端は滅する対象を覚瑜の亡骸に代えて、蹂躙せんとばかりに勢い良く降り注ぐ。
鋭く、月の光に輝く其の先端が覚瑜の胴体を貫こうとしたその時、光陰の侵攻は直前で阻止された。暗闇に具現化する光の繭が赤塚の目にもはっきりと映る。触れた瞬間に黒い大蛇は其処から溢れる光に浸食され、罅割れ、姿を保つ事を容認されずに瓦解し始めた。其の欠片が織り成す『失敗』と言う名の独奏曲を耳にしながら、赤塚は勝鬨の笑いを上げた。
「何が可笑しい? 」
中空に其の姿を置いて問い掛ける摩利支天の姿を仰ぎ見る赤塚。戒められた其の両腕に尋常ならざる力が込められた。聖なる力に犯されて、耐え難い激痛が全身を駆け巡る。
だが今の赤塚を支配している物はそれに屈する事を良しとしない。肉体を構成する触手が其の姿を露にし、引き千切れて鏑矢に置き去りになる事も。黒血が滝の様に流れ出していく事も。全てがこの先にある勝利の代償である事を確信して、覚悟する。
床から引き剥がされる赤塚の肉体。其の口が遂に支配から解き放たれた時、黒く全身を染めた赤塚は其処に立ち上がる。黒血に塗れた口が醜い哂いを湛えて開かれた。
「例え亡骸になったとしても、やはり『番い』の身は惜しいか、摩利支天! ―― いや、」
ゆっくりと後ろを振り返る赤塚。其の視線の先で両の瞳に確固たる意志を湛えて、嘲いを浮かべた赤塚の表情を跳ね返す澪の姿があった。
「 ―― 澪様。其れが貴方の選んだ選択かっ! あくまで『天魔波旬』の軍門には降らぬと。此処で『番い』と共に死を迎えると! 」
叫びと共に闇が溢れる。摩利支天によって瓦解した筈の九岐大蛇が其の矛先を二人に向けて海原から立ち上がった。明確な攻撃の意志をもって叩き付けられるその大蛇の首は結果を同じくして、二人の体に達する事無く光の力によって消滅する。
其の一連の攻撃は赤塚の検証を果たす為に行われた物だった。二人の体を守護する光の繭は確かに闇の攻撃を完全に無効化している。だがその時、摩利支天はどうしている?
再び摩利支天の姿を求めて宙を仰ぐ赤塚の視線の先に、其の変化は存在した。手にした金剛杵と弓を天扇と無憂樹に持ち替えて守護結界を行使する其の姿。だが其の姿を構成する金の粒の輝きは、光度を僅かに落として姿をぼやけた物へと変貌させていた。
「やはりか、摩利支天! 今のお前の力では二人同時に守る事など至難の業。何故なら ―― 」
垂れ流す赤塚の黒血が大師堂の床をひた走る。闇に紛れて知られる事無く、床全面に広がった其れは何かを其処に描き始めた。
「 ―― お前が寄代と頼る澪様は今だ赤子。如何にお前が神の力を駆使しようと、肝心の澪様には其れを行使する法力の容量が十分には備わってはいない。不十分な力で二人を守る事に其の力の大半を費やすお前ならば ―― 」
黒血が奔る。護摩壇の中央に立つ赤塚を中心に其れが描き上げた物。それは、巨大な魔方陣。
「今の儂の力でも、封印する事が出来る筈っ! 」
「何を愚かな。神たる我を封印しよう等と。闇に其の身を委ねた『人』の力如きで、出来る筈が無かろう。」
静かに語る摩利支天。だが其の表情は赤塚の指摘が図星であった事を示す様に、苦渋の表情が浮かんでいる。
「儂は既に人である事を棄てたっ! 『人』の願いを聞き届けようとした摩利支天。其のお前の選択こそが『人の業』だと言う事を噛み締めて、闇の世界へと堕天するがいいっ! 」
天に向って叫ぶ赤塚の声が、其の瞬間まで隠し通す事に成功した『切り札』の名を読み上げた。
「出よ、月光菩薩っ! 」