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ライト

作者: よつば

―――『あたしは片思い中か失恋中が一番良いものが書けるの』

「って、なんだよ。十和くんまたこんな小説書いてんの?」

 放課後の教室でまどろんでいた。見事に斜めに差し込む夕日に、グラウンドからは運動部の掛け声。ロケーションがばっちりすぎて、まるで宝物のようなその一風景に思わず飛び込んでしまったんだった。

「おい、おまっ、隼人見んなって!」

「いいじゃんかー。親友だろぉー。てかもしかしてこの前ミカちゃんと別れたのってこれ関係してる?」

 僕の親友は遠慮がない。そして結構鋭い。

「なわけないだろ。ミカとは合わないって思ったから別れたんだよ」

「ふーん、そっかぁ。ま、今回も続かなかったよね。なんで女の子はこんな男に言い寄ってくるのかねまったくー」

 勝手に言っとけ、と十和は窓の外を見た。僕だってなんでだろうとは思うけど、きっと顔がそこそこ良くて人当りだってそれなりだからかなって思う。告白されたら付き合う。断る理由なんかないし。でも続かない。なんか違うってなって僕がそれに耐えきれなくなる。もしくは煮え切らない僕に対して向こうがしんどくなる。

「くーっ、つくづく薄情な男だぜー」

「はいはい、いつまで言ってんだよ」

「だってお前モテるじゃん、うらやましいんだよー。自分からは誰にも告んないくせにいつも彼女いるだろ。あ、でもやっぱこの主人公は十和じゃねえな。この子女の子だし、お前は失恋はしても片思いしてることとか聞いたことねえもん」

「あぁ、まあそうか…」

 十和はぼんやりと答えた。でも何か心に引っかかった。あれはいったい何なんだろう。「ん?十和、何か言った?お前時々消えそうな顔してっから心配になるんだよなー」

 十年来の親友は十年前と変わらぬ笑顔を向けてくれる。いや、なんだよ消えそうな顔って。

「お前さ、自分じゃ気づいてないかもしんねぇけど、たまに危うい顔してるんだってよ。アンニュイっていうんかね?」

ふーん、と思った。よくわかんなかったから感想はこれくらい。でも隼人なりの心配と、もしかしたら助言なのかもしれないから、ありがたく受け取っておこう。


 下校時刻のチャイムが鳴る。たいして新しくも古くもない、学校と言われてみんながすぐ思い浮かべるようなこの校舎。チャイムの音だけはなんか趣きあるよなーなんて、昔隼人と話したっけ?

 ん?

 下駄箱から自分の靴を取り出そうとした十和は思わぬ感触に立ち止まった。

『十和くん、今日一緒に帰ろ! 美色』

 見覚えのある丸文字だった。いやメールとかLINEとかさ、このご時世連絡手段なんて他にもあったでしょ。なんだって手紙なんか書いちゃってしかも下駄箱に入れちゃってるわけ?

 思わず溜息が口から滑りそうになった。隼人に先帰ってもらってて正解だったな。こんなもの見たらあいつのことだ、ほおっておいてくれるはずがない。というかあいつだけじゃない。他の誰にもこの手紙を見せるわけにはいかない。

 十和は手紙を丁寧に折りたたんで鞄にしまった。そして学校から少し離れたところにある廃れた駐輪場へと向かう。なぁ待ち合わせってさ、普通場所とか時間とか書くよなあ。でもここで合ってんだろ、美色。まったく僕の幼馴染はどいつもこいつも…。


 グラウンドからはまだ運動部の声が聞こえてくる。下校時刻過ぎてるよな?と思ったが、まあそういうもんなのかもしれない。明日、僕たちは卒業する。きっと今日は急に卒業を感じてふと寂しくなった高3生が久々に部活に顔を出しているに違いない。あんな体もなまったOBにわんさか押しかけられて現役部員は迷惑じゃないんだろうか。万年帰宅部の僕には想像しかできない。

 その時、ふっと風が吹いた。横に連なる桜並木が、春に可愛げな様相を呈するそぶりなんてまだ全く見せていない桜並木が、一斉に風に煽られて合唱を始める。儚くてくすぐったい旋律。ああ、なんて気持ちが良いんだろう。聞こえる。音が、香りが、空気が、身体に充満していく。この感覚。今回も急にきたな。意識が鮮明になる。書きたい書きたい書きたい。言葉にしたいし言葉にしなきゃ。なにか大切な、どこか尊いものを、やっとつかまえられそうなんだ。

 十和は不自然でない程度に歩調を緩め目を軽く閉じた。よし、大丈夫。脳内データベースにはちゃんと保存したから、今のイメージで家に帰ったら即書こう。物語が生まれるのはいつも突然だ。

そして、あいつが出てくるのもいつも突然だ。

「せんぱーい、ボールそっちいったんで取ってもらっていいすかー」

「おーう、任せろー」

 なんてことない台詞。別に誰が悪いってわけじゃない。いや、きっと悪いのは僕だ。僕なんだろうけど、今日はタイミングも悪かった。

 今グラウンドでばかみたいにボール追っかけてたやつら。あいつらはきっと、この空気がどれだけ素晴らしいものかわかってないんだ。

 スイッチが入る。普段みんなに見せてる僕とは真逆のあいつ。

 すげえなあ。こんなに語りかけるような空気なのに全く歯牙にもかけないんだもん。ちょっとはオモムキブカサってものをわかったらどうなんだろう。嗚呼、低俗な奴らめ。一生空気に感動することなんてできはしないんだろう?かわいそうかわいそうかわいそう。あーあ、かわいそうに。そうだよ、僕は特別だ。僕の感性は特別なんだ。君たちが気に留めないことに心を交わす僕は、僕に生まれて良かったと思っているよ。


「十和くん!」

 呼ばれてはっと気が付いた。思考が止まらなくて、自分の力じゃ止められなくて、気が付いたら駐輪場まで来ていたらしい。

「十和くんどうしたの?またなんかお話を考えていたの?」

 そういって美色はくすりと笑った。この子は穢れなんて知らずにこの年まで生きてきたのだろう。推測じゃない、きっと事実。

「ごめんな美色、待たせた?」

「ううん、ちょっと前に来たところだよ。なんだか今日は急に十和くんと帰りたくなっちゃって…」

 美色はこれでもかというほどの笑顔を僕に向けてきてくれる。でもそれになんの下心もないのを僕はちゃんとわかっている。わかっているから、わかっているけど、僕もつられて微笑み返す。

「ねぇ見て!あそこのタンポポ!きっとそろそろ咲くわ!この道には今全部で8本もタンポポがあってね、右から2番目のが今年一番早く咲いたのよ。5日くらい前だったかな。今年はあったかくなるのが早いみたい!」

 十和は無邪気にはしゃぐ美色を優しく眺める。

 ああ、いつまでたっても僕はこの子に敵わない。

 同じ道、同じ生活。僕だって毎日ここを通って通学している。いつも一緒に帰っているわけじゃないからそりゃ通る時間なんかは変わるけど。それでも、僕が見ていない景色を、僕には見えない景色を、美色はいつも当たり前に見ているんだ。

 タンポポって今日は話してるけど、美色はもっともっと多くの変化に気付いている。近所に住むネコの鳴き声を聞いて今日具合悪いのかなとか、なんか今日の空は霞み方が違うねとか。挙げればきりがないけど、しゃべらずに美色の中で処理された多くの物事を察すると、もうきりがないなんてもんじゃない。

「美色、綺麗だね」

 それは、出てくる言葉としては唐突だった。案の定、美色は首をかしげる。

「いきなりだけど?」

 そしてまた笑う。

 僕にもわからない。一体何を綺麗だと思い、何に綺麗と言いたかったのか。その時の空の色に対してだったかもしれないし、たまたま目に入った道端の花に対してかもしれない。あるいは美色の心、もしかしたら美色の容姿のことを言いたくなったのかもしれない。

 わからないけど口に出た。そんな言葉はちょっと大切にしてあげたくなる。

「なぁ美色。僕ってあんま性格良くないのかもしんない」

「何言ってるの。十和くんはこうした突然の呼び出しに応えてくれるような優しい男の子じゃない?」

「でもさ、僕…」

 僕は罵倒してしまう。もちろん頭の中で、だけど。いつからだろう、こうなったのは。症状の始まりを正確には覚えていないけれど、突然言葉があふれて止まらなくなる。それが全く空想の物語のこともあれば、悪口のようなものであることもある。さっきみたいなのは悪口思考の本当に良い例だ。

よく知りもしない他人のことを思いっきり侮辱して、軽蔑して、罵倒する。まるで僕の中にもうひとり別人がいるみたい。そいつがよいしょっと相対的に僕を持ち上げる。

 そして、そして…


 僕は空っぽになる。

 空っぽになるのが嫌で、怖くて、だから僕は文章を書く。書きたいっていう正の衝動と、書かなきゃって思う負の追走。


 書け書け書け、書けっ書けっ書けっっっ……………………………!!!!!!


 軽く息切れがする。あと、少し眩暈も。

「十和くん、どうしたの?」

 美色が笑う。


 ああ、そうだ。今、わかったよ。いや、ほんとはずっとわかってたけどわからないふりをしてきてたんだ。

 僕は、この子に囚われている。

 妬み僻み恨み、コンプレックスそして代えがたい恋愛感情。

 ユガンデイタノハ、ボクダッタンダ。

 あいつらじゃない。おかしいのは僕の方だった。ずっとずっと美色に憧れていた。美色に近づきたかった。美色になりたかった。同時に美色が好きだった。美色が好きで好きでたまらなかった。でもね、僕にとって美色は光だったけど、僕がその陰になって闇になるのはもう無理なんだ。

 ああほんと、こんな時に自覚するなんてね。人生って皮肉なもんだ。でも僕には切り札がある。それを切るために今日は来たようなもんでもある。

「あのさ、美色。僕、卒業したら東京の大学に行くから。だからもう美色とは会え…」

「うわーっ、嬉しいっ!」

声が重なる。

「実はね、私も春から東京の専門学校に通うことになってるんだー!」

 美色が僕の横で小さく飛び跳ねている。

「なん、で、?」

 僕はかすれた声しか出なかった。

 大きな大きなコンプレックスと恋愛感情の対象は、もう僕のそばにいるべきじゃなかった。だから僕は美色から離れようとした。そのはずだった。

「私ね、実は前に職員室で十和くんの進路希望調査票ちらっと見えちゃったことがあってね、もしかしたらなんて思ってたの」

 うふふふふ、と美色が言う。

 僕は、どういう顔をすれば良いのかな。

 

 顔を上げたら美色と目があった。

 美色は、さっき僕が心の中で罵倒していたときと同じ顔をしているように見えた。

 美色、今君の頭の中は、いったいどれほどの早さで回転してどれほどの情報量を処理しているんだろう。


 あぁ、そうか…。

 

 僕は、知る。


 今度こそ僕は、本当に“言葉”を失った。


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[良い点] この作品を読んで高校生の青春だなとしみじみ感じました。 純粋で無邪気な性格の美色と物事を曲がった視点でみてしまう正反対な性格の主人公が、美色を羨ましく尊敬しながらも、美色に次第に惹かれてい…
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