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宇宙と平和

作者: oimori

 宇宙は静謐に包まれている。


 シンプルな話で、宇宙空間には空気は無い。空間の殆どが物質を含んでいない、真空に近い状態を保っている。音を伝えるものが無いのだから、静かなのは当然のことだ。


 しかし宇宙が死んでいるのかと言えば、そうではない。つい最近にも、太陽活動が盛んとなり、膨大なエネルギーの奔流が地球へと放たれた。遠くで輝く光点はその一つ一つが、質量をそのままエネルギーに変換するための、この宇宙で2番目に効率の良い方法を使って莫大な衝撃波を生み出している。そもそもブラックホールに限らず、質量有るものは全て空間を押し歪め、そしてその宇宙自体は膨張を続けている。


 だが、それでも宇宙は静謐なのだ。それは決して、音が介在していないからでは無い。宇宙は、そうした営為にとって、余りにも膨大すぎたのだ。


 翻って我らが地球である。この星は静謐とは無縁といってもよい。その辺に転がる無機物よりは確実に複雑高度な組成を有する有機物の塊がひしめき合い、日々喧騒を彩っている。


 それは、生存競争の世界だ。あらゆる生き物は自然淘汰の原理の元、DNAを残すための熾烈なレースに巻き込まれている。それは逃れられることでは無い。なぜならばそうしたレースそのものが、生命という現象の定義に他ならないのである。


 では。そうした競争とは無縁の宇宙は、果たして平和なのだろうか。この場合の宇宙が、宇宙ゴミ問題で取り沙汰されるような、高々地上数百キロ圏内のことではないことは留意してもらいたい。


 地球上の争いと比べて、宇宙を平和と言うのは、私にとってはナンセンスであるとしか言いようがない。なぜか。平和とは、生命の不在によって達成されるものであってはならないからである。


 宇宙の静謐は、生命の不在により保たれている。地球の喧騒は、生命の存在により紡がれている。だが我々生命にとっての平和とは、存在する我々生命が享受するものでなくてはならない。この静謐と喧騒が、2項対立となってはならないのである。

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