勇景明の慌ただしい誕生日 (後編)
夜が明け翌日となった。将真は明との待ち合わせ時間までしばらくあったのだが、それまで待ちきれないという思いで宮内の元へと向かっていた。
「ふんふふーん」と鼻歌交じりでスキップをしながら、宝物が手元に戻るとの確信、そして霊媒師 明との出会いが将真の胸を躍らせていた。
しかしこの将真と言う少年はどうにも運に恵まれていないようで、町行く姿を、ちょうどブラブラと歩いていた晋也に見つかってしまった。
「おぅーい、将真ァ! オメーなにしてんだよォ!」
「ゲッ、……晋也君」と足を止めた。
「オウオウ、何してんだよォー、無視かァ?」
「そ、そんなことないよ」
「テメー、昨日のヤツ味方につけて調子こいてやがんなァ~、いくら払ったんだよてめェ~。霊媒師は金をふんだくりやがるからなァ~」
「……お兄ちゃんはそんなのじゃないよ、亡くしものを探してもらってるだけだよ」
「あー? 亡くしものだァ?」
「うん、絵本を探してもらってるんだ」
「あん? 本だァ?」
そこで晋也は眉をピクリと動かし、意地悪に言った。
「おめェのあのきたねえ絵本なら前に見たぜ?」
「えっ!? ホント?――どこでどこで?」
「ああホントだぜェ、今からそこに連れてってやるよ」
晋也は将真に背を向けると、来いよと軽く手招きをした。
「うん、行くよ!」
明との待ち合わせ時間まではまだ二時間以上あった。将真は疑うこともせず、晋也について行った。
一方明はと言うと、なかなか布団から抜け出せないでいた。
それは、「あと五分だけ」とか、「今日は休日だから」などとの怠慢から来るものではなかった。
昨夜の奇妙な夢により、重度の脱力感に覆われていたからである。
手足に力を入れても、それは鉛のように重く、体を起こそうにも起こせなかった。
「……いてぇ」
明がなんとか体をひねり壁にかかっている時計に目をやると、時刻は午前十時を回っていた。
「やばい……このままじゃ遅刻だ」
* * *
やんわりとした坂を抜け、キャンキャンと吠える犬の前を通り、かれこれ三十分ほどで将真たちは目的地に着いた。――晋也が絵本があると言っていた場所である。
将真は目を丸くして、
「えっ? ここって……?」
「おうおう、有名な幽霊屋敷だぜェ~」
そう、その場所は、明が行くなと言っていた例の幽霊屋敷であった。
住宅街から少し距離のある場所に、一軒ポツネンとあり、木造建築の古びたカビ臭いにおいが漂ってくる。
屋敷の瓦が何枚もはがれ、ひときわ異様な空気を放っていた。
将真は口をあんぐりと開け言った。
「ここって……? ここにあるの? なんで……?」
「さあしらね~よ、あるんだからあるんだぜェ~~。まさかここまで来て帰りたいとかいうんじゃねーだろうな?」
将真は晋也の強い口調に反論することはなく、「う、……うん」と下を向きながら言った。
晋也はニマニマと笑いながら、「よっしゃ行くぜェ~」と屋敷の庭へと入っていった。
* * *
新学期前の春休み、小学生男児三人が自転車にまたがり、好きな漫画、ゲームの話をしながら歩道を走っていた。
「で、あそこは赤を選ぶよな〜」
「バカだなお前〜、普通に考えて青だろ」
「だろだろ」
と、まあ仲の良い三人組なのだが、その背後から何者かが急接近で迫っていた。
「――悪い! 道を開けてくれっ!」
少年達が振り返ると、黒髪の青年が猛スピードで迫っていた。
「どいてくれっ!」
「おわっ!」
少年達は咄嗟に道を開け、青年は「悪いなっ」と言い、嵐のように過ぎ去っていった。
「……ち、超速ぇ……。車並みだぁ」
「オレ知ってる、あの人霊媒師の人だ」
「まじ? 霊媒師スゲーな」
三人は唖然としたまま、「スゲースゲー」と口々に言っていた。
* * *
「――くわっ、着いた!」
明はそのままのペースで走り続け、宮内のいる稲荷神社に着いた。約四十分の遅刻である。
「ばあさんっ! 悪いっ!――どこだ!?」
「――今度はお前さんが遅刻じゃのう。お前にしては珍しい。……何があった?」
「まあ事情を説明すれば長くなるから、それは後だ……。で、将真は?」
「あの子はここには来とらん。……ちょっとまずい事になっとるみたいなんじゃ」
「――えっ? 一体何があったんだ?」
「西の幽霊屋敷に向かったみたいなんじゃ、理由までは分からんがのぅ……」
「おいおい、俺は行くなって言ったのに」
「まあ、あの部屋にさえ入らなければ良いんじゃが……」
「その心配は……どうだろうな。将真なら幽霊の影を見るだけで逃げ出しそうだけどな」
「――あたしもそう思う。あの弱虫はそこまで行けんじゃろうが……でもな、なんだか嫌な予感がするわい」
「そうか、ったくしょうがないな……俺が迎えに行ってくるよ」
「頼むぞ明……できるだけ急いでな」
「分かってる、また走るはめになるんだな……」
「明、お前は今回正装ではない、武器もない。万が一奴が出たら……」
「大丈夫だばあさん。そん時はそん時だ。出ない事を祈ろう。じゃ、行ってくる」
明は強くうなずくと、再び風のように走りだした。
昨日は将真に対して、幽霊屋敷は危険だとキツく言ったが、心霊現象は起きるものの、実際にはさほど危ない場所ではない。
しかし、その家屋のとある部屋、二階の北に面した部屋……そこにはある強力な幽霊が住み着いていた。
(まあ、あいつの機嫌を損ねることはないだろうし……案ずるより産むが易しって言うしな)
* * *
(ううう、おにいちゃんごめんなさい……)
「オイコラ将真、チンタラしてんじゃねぇぞ!」
「ガハハ、晋也あんまりいじめてやんなよ」
将真と晋也とその兄は空き家となっている幽霊屋敷に忍び込み、おそらく先客たちによって荒らされたであろう家の中を歩いていた。
ボロボロとなった、今にも抜けてしまいそうな畳たち、散らかった家具、それらが人ならざる者たちの世界の入り口を思わせて、将真はブルブルと震えていた。
「一階はなんもねーなぁ、……次は二階だァ~~」
「マジでなんも出てこね~」
将真は言葉も忘れており、バカ二人は先へズンズンと進んでしまうので、無言でそれに着いていくしかなかった。
木造りの階段もずいぶん古く、腐った木々たちは、鼻に異臭をもたらしていた。
「ウヒヒ、テンション上がってきたぜぇ〜〜」
「くっせーな」
(こ……怖いよぉ、何も出ませんように……)
将真は今にも逃げ出したい衝動をこらえながら、震える足を動かし、階段をのぼって二人についていった。
二階は下の雰囲気とはまるで違い、すべての部屋の雨戸まで閉められているようで、昼にも関わらず、照明無しには先に進む事すらできなかった。
「暗ぇな〜、なんだ晋也、ブルってんのか〜?」
「なに言ってんだよ兄貴……ビビってんのは将真だろ?」
「(ヒィィ……暗いよぉ)」
すると、晋也が将真の方を振り返り話しかけてきた。
「将真よォ……」
「なっ、……何? 晋也君?」
「ここの噂知ってるか?」
「……知らないよ」
「ここはなあ――」
ここの一番奥の部屋、ホラあの奥に見えるトコだけどよォ……その部屋には化け物が住み着いてんだとよ。……背中によォ、小せえ赤ん坊くらいのヤツがくっついて、首を絞めるんだとよ。
晋也はそこまで話すと「ウヒヒ」と意地汚い笑みをうかべた。
将真はさらに震えながら、「そ……そうなんだ」と言った。
将真は明の言葉を思い出し、絞り出すように言った。
「や……やっぱり僕はいけないよ」
「……あー? やっぱりお前はいけねぇか」
晋也は再びニタりと笑うと、持っていたトートバッグからある物を取り出した。
将真はその正体に気が付くと、恐怖も忘れて大声を上げた。
「それはっ、僕の絵本っ!」
晋也が取り出したのは古い絵本――晋也が捜していた絵本だった。
「なんで晋也君が!?」
「へっへー、オメェが机の中にしまってんのは知ってたんだよォ~~、グヘヘ」
「返してよ!」
「返してほしけりゃ取ってこ~~い、ていっ!」
晋也はブンと腕を振り、絵本をその例の部屋へと投げ込んだ。
「あー!!」
「フヘヘ、これで行かざるをえねーぜ、なあ兄貴」
「そうだぜ。さあ小僧ども、いくぜ~~。――って」
将真は血相を変えて、
「晋也君なんてことするんだ!!」
と叫びながら、部屋のほうへと駆けて行った。足元は暗かったのだが、そんな事を気に留めるのも忘れて、大慌てで部屋の中へと入っていった。
だが晋也達はというと、部屋の手前で、闇の中から何やら異臭、異様な空気を感じ取り尻込みしてしまった。この場所は身の毛もよだつ、生物としての本能が警鐘を鳴らしているようであった。
「こ……、ここまで来て引き返すわけにはいかねぇ~~……よな?」
「そ……そうだぜ。早く行こうぜ」
二人は流れ出る冷や汗を感じながら、重い足をもたげ中へと入っていった。
部屋に入り、スマホのライトを頼りに室内を照らすと、これまでの廃屋の部屋とはうって変わった様子で、まるで昨日まで何者かが暮らしていたかのように、綺麗で整然とした部屋だった。
二人は悪寒が止まらず、走って逃げたかったのだが、そのケチなプライドで冗談をひねり出していた。
「オイ晋也、背中になんかいるぜぇ~~」
「ヒィッ! って何もいねーじゃねーか。ビビらせんなよ~兄貴ィ~」
二人が向かい合ってハハハ、と乾いた笑い声をあげると、部屋の奥から物音が聞こえた。二人はビクッと反応し、そちらにライトを向けた。
「もうっ、晋也君酷いじゃないか! 僕の大切な本を投げるなんて!」
物音の正体は将真だった。珍しく怒った様子で、晋也に言葉を発していた。
「おっ、お前かよ。……おどろかすなよ」
「ヒー、心臓に悪いぜ」
すると、将真はキョトンとした表情で晋也の兄を見ていった。
「あれ? 晋也君のお兄さんの肩に何かついてるよ」
「オイ将真~、お前までそんなことを言うのかよォ~」
「ガハハ小僧、その手にはかから――ってう゛え゛ぇ゛え゛ !!!」
チンピラ兄貴の背中の首元には、黒い犬歯から涎を垂らしながら彼を見つめる、人間の赤ん坊大の化け物が引っ付いていた。
三人は悲鳴を上げた。
「ひィぎょう゛え゛え゛!! 離れろ! 離れやがれーっ!」
「ヒィィ! 化け物だァ、逃げろォ~~!」
「うわぁあああ!」
そんな兄を置いて、晋也は腰を抜かしそうになりながらも、必死に出口を探した。だがおかしなことに、どこにも出口らしきものは見当たらなかった。
化け物はチンピラの首元に手を回し、ぎゅううと締めつけ始めた。
「ぐっ、ぐるぢい~~、ぢぬ~~」
「ヒィイイ、なんでだ! なんで出口がないんだよぉおお!」
「あわわわ」
「だっ、だずげで~ぐれ~」
部屋は暗闇に覆われ、阿鼻叫喚の嵐に包まれた。晋也は恐怖に負け、「かあちゃーん」と泣き喚いている。チンピラの苦しそうな声も徐々に小さくなっていった。
将真は胸の前に絵本を抱え、」あわあわとうろたえていた。しかし、わずかな明かりから見える目の前の二人が、あまりにも異常な様子なので、そのことがかえって将真を冷静にさせた。
(ぼ、ぼくがなんとかしなきゃ……でも、どうしよう――)
ふと胸元の絵本に目をやると、ある日の出来事が思い起こされてきた。
それは彼の六歳の誕生日の前日、本屋での出来事だった。
将真は母親の袖を引きながら、その絵本を見て言った。
「おかあさん、この本の主人公はね、どんなことにもくじけない強い主人公だよ。かっこいいよね」
「うん、そうなんだ」
「かっこいいよね。……ぼくもいつかこんな風になれるかな?」
「――勇気を出せれば、きっと大丈夫よ将真……」
その翌日、将真は母親に絵本をプレゼントされた。おかあさんが微笑みながら手渡してくれたのを今でも覚えている。
そうだ、ぼくはあの絵本の主人公みたいに勇気を出すんだ。……こんなことでくじけてちゃダメなんだ。
将真は意を決した表情で、ゴロゴロとのたうちまわっている晋也の兄へと歩み寄った。首元にまとわりつく化け物を一目見て、ゴクリと息をのんだ。
「コラーッ! 離せ離せ!」と懸命につかみかかった。しかしこの小さな化け物のどこにそんな力があるのか、将真がどれだけ力を込めてもびくともしなかった。
すると化け物はニタリと笑いながら将真のほうを向いた。
目が合うと一回喉を鳴らした後、今度は将真のほうに飛びかかってきた。
「うわー!!」
当然の反撃であった。だが将真はそれにも怯まず必死に抵抗した。
「離せ! 離せ!」
化け物の低い声が耳元で響き、恐怖に負けそうになるが勇気を振り絞り抵抗を続けた。
自分がもっと早く勇気を出して晋也に嫌だとハッキリ言っておけばこんな事にはならなかったのに……そんな事も脳裏をかすめた。
「離せ! はなせー!……?」
すると突然、首元の感覚が消えた。
「あれ?……」
将真が後ろに目をやるとすぐにその理由は分かった。彼の背後に立った人物が、化け物の首根っこをつかみ持ち上げている。
「――ったく、ここには来るなって言っただろ? 勇敢なのは良いが無謀だぜ」
「おにいちゃん!」
化け物を抑えたのは明だった。ムスっとした表情のまま化け物をポイッと部屋の隅に投げた。
「おい将真聞いてるのか? 早くここから逃げるぞ」
「え? でもあの二人は……?」
何やら喚いている二人を一瞥した後、明は言った。
「いいんだよアイツらしぶとそうだし、妖怪の結界は破ったから自力で出てくるだろ。……それよりここに長居するのは危ない、早く出るぞ」
* * *
明と将真は廃屋を出て、あのバカ二人までもが脱出するのを見届けてからその場を後にした。
将真は絵本を大事そうに抱え、明はその横に並んで歩いていた。春麗らかな昼の日がさしていた。
明はグチグチと小言を漏らしながら歩いていた。
「――ったく、人が行くなって言ったののよ」
「うっ、本当にごめんなさい……」
将真は頭を丸めてしまいそうなほど猛省していた。
「まあ、無事だったから良かったけどよ、……俺が来なきゃ本当に危なかったんだぞ。まあ大ボスが出なかったのが救いだったな」
「……ごめんなさい」
明は説教も潮時だと思い、話題を変えた。
「ま、絵本も戻ったしこれで一件落着だな」
「うん、ありがとうおにいちゃん」
「いや、俺は別に、……何もしてないけどなぁ」
明が照れを隠すようにそう言うと、将真も言いにくそうに、
「それでね、おにいちゃんは霊媒師さんなんでしょ? だからさっきのお化けもやっつけてくれたんでしょ?」
「うーん、さっきのは倒したってよりも逃げただけだしなぁ……。ああゆうのはまともに相手にしないのが一番だしな」
「でも助けてくれたのには変わりがないよ、霊媒師さんの除霊にはすごいお金がかかるんでしょ?」
「まあ、人によるけどな」
「それでね、ぼくお金を持ってきたんだけど……足りるかなぁ」
将真は唐突に懐から千円札を何枚か取り出した。明は両の手を前に出し、いらないとの意思表示をしながら言った。
「いやいや、そんなのいらないよ。それに今回のは除霊じゃないって言ってるだろ?」
「……そうかもしれないけどね。でもやっぱり」
明はそこで深くため息をついた。確かに世間のイメージでは、霊媒師はその特殊な才能にものをいわせているボッタクリ集団なのかもしれない。目の前の少年は明に金を渡さなければいけないと苦心してこの現金を持ってきたのだろう。
「テレビとかだとお金を取ってるけどな、今日はプライベートだから金はいらないよ」
「でも、お母さんもきちんとお礼をしなさいって言ってたし……」
その言葉に明は「お母さんってご存命だったのか」と勝手に一人で納得した。そして少年の絵本が母親からの誕生日プレゼントであったことを思い出した。
「そういや将真、今日は俺の誕生日なんだ」
「あっ、そういえばそう言ってたね!」
「――金はいらないさ、でも」
「でも?」
「俺の誕生日を祝ってくれないか? 報酬はそれで十分さ」
そう言い、明は軽くウインクをした。将真はその言葉を飲み込み、元気よく言った。
「うんっ!」
「じゃ、決まりだな」
「決まりって?」
「ファミレスだよファミレス。昼飯を食っていこーぜ、盛大にな」
「……うん! 大賛成だよ」
将真は快活な声を上げ、二人は並んでファミリーレストランへの道を歩いて行った。