勇景明の慌ただしい誕生日 (前編)
この街、この世界で、幽霊や妖怪などといった言葉が飛び交うようになって、数十年が過ぎようとしていた。
人の関心などは熱しやすく冷めやすいもので、初めてその存在が衆目に晒された時などは、マスメディアが大声で騒ぎ立て、世間は混乱に覆われたのだが、数十年も経った今ではそれも当然の存在となっていた。
勿論その幽霊や妖怪の中には、人に危害を加えるものもいる。そんな『悪霊』達を超常的なエネルギー、決して科学の及ぶ範疇ではない霊力と呼ばれる力を用いて悪霊を退治する“霊媒師”と呼ばれる人間達がいた。
そして今、一人の霊媒師が何やら不満げな表情を浮かべて、赤い鳥居の前で誰かの到着を待っていた。
霊媒師 勇景明、ふんわりとした質感の黒髪に、誠実そうな雰囲気を放つ凛とした青年である。彼はこの街ではちょっとした有名人の、若い霊媒師であった。
「おー明か……よく来たのう」
よたよたと歩きながら姿を現したのは、白髪で背中の曲がった、穏やかそうな老婆であった。
その姿を捉えると、明はため息をつきながらぶっきらぼうに言った。
「ばあさん遅いぞ。30分も遅刻だぜ。……で? 何の用だ? 急に呼び出したりして」
「近頃の若いもんはなっとらんのう……お前の時計を見てみい。時間ぴったしじゃ」
「……えっ?」
明がポケットから取り出したスマホの時刻を確認すると、ちょうど10:00と表示されていた。
「……ばあさん、悪い冗談はやめてくれよ」
「ほら、時間ちょうどに見えるじゃろ? そう見えるかぎりお前はまだまだ未熟者じゃ。ほほ」
老婆の正体は、意地の悪い妖狐 宮内。妖怪の中には宮内のように、人畜無害で、人間と交流を持つ者もいる。
明はまた宮内のイタズラに引っ掛かってしまったと苦笑をしながら、負けん気の強さが現れたような目で宮内を見返した。
「俺を呼び出したのはあんたの幻術を自慢するためか? こんくらい、俺が正装で来りゃ見破れるさ」
「ほほ。そうムキになるな、ほんのあいさつじゃ。――そうそう、用事ってのはお前はそろそろ誕生日じゃろ?」
「……ああ、明日がそうだけど、それが?」
「ほほ、お前にぷれぜんとというものをくれてやろうと思ってな。お前も明日で16歳、霊媒師として一人前じゃ」
「へえ……あんたにしては珍しいな……で、それは何だ?」
「ほっほ、それはのぉ……あれじゃ!」
老婆はカッと目を見開き、右手の人差し指を突き出した。
ハテナ……? と明がそちらに目をやると、十歳ほどの少年が小走りでこちらに向かってきていた。
「おばあちゃーん、来たよー」
「……どーゆー事だよ、ばあさん」
「ほほ、今から教えてやるわ。――おーよく来たな将真」
将真と呼ばれた少年は息を切らしながら宮内に笑顔を向けた。
「ハッ、ハッ、――おばあちゃんこんにちは」
「おー、こんにちは」
宮内はチラリと明を一瞥すると続けた。
「この坊主はのう、亡くし物を探しとるんじゃ……この稲荷神社には亡くし物を見つけれるとの云われがあるからのぉ……熱心に毎日来とったんじゃ」
明は言わんとしている事を察し「は?」と宮内を見た。
「それで、その亡くし物を俺に探せと?」
「その通り! 将真よ、このお兄ちゃんが亡くし物を探してくれるとな」
「えー! ほんとに!?」
明は冷ややかな目で宮内を見たが、この状況において決して断る事のできない明の性格を知っている宮内は勝ち誇るように目を閉じていた。
(くっ……このキツネババアがぁ〜〜)
少年は目を輝かせ明を見ている。誕生日プレゼントと称して厄介事を押し付けられた明は、観念して少年を見やった。
「えーっと、将真君だっけ? で、探し物ってのは?」
「お兄ちゃん手伝ってくれるの!? やったぁ!」
* * *
「絵本?」
明は将真の口から放たれた言葉に思わず聞き返した。
一見兄弟のようにも見える二人は並んで歩いている。将真は並木道沿いのタイルを飛び越えたり、飛び越えなかったりしながら言った。
「うん、絵本がね。――よっと。1ヶ月くらい前から見つからないの」
「最後に見たのは、いつ?」
「――よっ。学校の机に入れてあったはずだけど……どっかに落としたのかなぁ……」
「名前とかは書いてあるの?」
「ううん、書いてない――ほっ」
明は「それでは見つからないかもな」と漏らすと、ある提案をした。
「それ何て絵本だ? なんなら俺が買ってもいいよ」
「それは……だめだよ――」
少年は一瞬閉口したが、すぐさま口を開いた。
「それはだめだよ、だって――
「おーおー将真! こんな所でお前何してんだァ!?」
不意に背後から掛けられた気の抜けた声、そちらに目をやると、いかにも態度の悪そうな中学生くらいの少年がいた。
すると将真の顔がみるみる雲っていった。
「げ! 晋也くん……」
声の主は晋也君と呼ばれた、粋がっている子供だった。その隣には大柄な、こちらもヤンキー風のデブデブとしたチンピラだった。
その二人組は明の前にズイと立つと挑発するように言った。
「おめェよォ〜〜、何してんだって聞いてんだよォ〜〜」
「おー晋也、トモダチかァ?」
将真は言葉も出せない様子だった。明は自分が口を出し、関わるべきなのかとしばし考えていたが、向こうから絡んできた。
「なんだぁ〜おめぇ〜、将真の兄貴かぁ〜」
「やんのかコラ? やんのかコラ?」
「兄貴ぃ〜、やっちまえよぉ、そんな奴ブッ倒しちまえよぉ〜」
晋也はそんな事を言い、晋也の兄らしき人物は執拗に明にガンを飛ばしてきた。明は「こいつガタイ良いなぁ……野球やればいいのに」くらいにしか思っていなかったが……
将真を挑発し続ける晋也の様子に業を煮やした明は忠告した。
「おい、晋也って言ったな、お前中学生だろ。……小学生をいじめるなんてカッコ悪いぜ」
「何言ってんだテメェ、将真は中一だぁぞ、同級生だぞテメェ!」
「え゛っ!? 中学生!?」
明は驚いた。びっくりした。将真はよくて小学校高学年にしか見えなかった。
「へ、……へー」
明が口をあんぐりと開けていると、まったく相手にされていなかったチンピラ兄貴は、明めがけて拳を振りかぶった。
「あー、テメェ! 俺の事をムシしてんじゃねぇぞぉぉ!!」
「――ッ!?」
完全に油断していた明は、左頬を思いっきり殴られた。
ガッ、と鈍い音が響き、チンピラは右手の指にはめられた光沢を放つ金属を見せつけるように立っていた。
「へっへ〜〜――俺のメリケンサックの力なめんなよ〜〜」
「さすが、兄貴ぃ〜」
チンピラの武器まで用いた渾身の一撃。
だったが――
「――いってぇな……お前」
明は崩された体勢を戻すと、切れた唇から滲む微量の血を拭い、チンピラを睨みつけた。
「いきなり人を殴るってのは感心しないな。……しかも獲物まで使うとはどういう了見だ?」
「ヒッ……」
特にダメージらしきものも感じられず、静かに睨みつける明。チンピラはその威圧感に圧倒されてしまっていた。
「ひぃぃ、何者だテメェ」
「悪いが俺は霊媒師をやっててな、この世界じゃ体力バカとしてそこそこ有名なんだぜ」
「れ……れれ、霊媒師ぃ?」
チンピラは恐怖した。霊媒師と呼ばれる人間達は、一種の神秘的な力――霊力によって、一般人よりも体力、身体能力共に高い力を持っているというのは周知の事実であった。
つまり、このチンピラの殴打がまるで効果をなしていない理由も容易に説明できる。このチンピラでは到底かないっこない相手であることも……
明はそのまま言った。
「で、どうするんだ? どうしてもやりたいってなら相手になるが。……俺としてはあまり波風を立てたくないし、一般人を相手にするのは少し気が引けるぜ。このまま去ってくれるってのなら俺としてもありがたいな」
そう言うと、明は左手で顎を抑え、首の骨をコキリと鳴らした。
「……そっ……そうだな、じゃこれで〜〜」
「あっ、待ってよ兄貴ぃ〜〜」
二人はみっともなく、そそくさと立ち去っていった。明は呆れた表情をしながらそれを見送ると、将真のほうを向いた。
「えーっと、将真君大丈夫か? 君も大変だな」
「……」
だが少年は何も言わなかった。明の方を見て憧れの眼差しで彼を見つめるばかりであった。
「すっ……」
「ん?」
「すごいよ、おにいちゃん! 霊媒師なんだぁ!」
「ああ、そうだが」
「すごいなぁ、かっこいいなぁ、……ねえ、おにいちゃん!」
「――えーっと、何?」
「おにいちゃんに聞きたい事があるけど、いいかな?」
「えっ……別にいいけど。ここじゃなんだから、どっかで座って話そうぜ」
* * *
二人は駅に繋がる大通り沿いのファミリーレストランにやって来た。将真はあまりこういう店に来なれてないようでキョロキョロと見回しながら、メニュー表を開いて落ち着かない様子だった。
「へー……うわー」
「将真君、好きなの頼んでいいぜ、おごってやるよ」
「じゃあね……、ボクいちごパフェがいい!」
明は「いちごパフェぇ?」と言い、その子供子供している注文に、本当に将真が中学生なのか? と普段お子さまランチを頼んでそうな少年に呆気にとられた。
「じゃあいちごパフェでね……俺は軽いものでいいや」
明は適当に、腹の足し程度の注文にすることにした。
オーダーを終えドリンクバーに足を運ぶと、将真は意気揚々とした様子でラベル達を眺めていた。
(本当に、子供だな)
明はそんな事を思いながら、まるで保護者のように将真をあやし、ドリンク入りのコップを手に席に着いた。
席にてコーヒーを一口飲むや否や、明はさっそく話の続きを切り出した。
「で? 聞きたいことって何?」
少年はメロンジュースをごくりと飲みきると答えた。
「……四丁目の、お化け屋敷について、知ってる?」
「ああ知ってるさ。あそこはこの辺りじゃ有名な心霊スポットだからな。……風水的にも悪い土地だとかなんとか……」
「危ない場所なの?」
「ああ、素人が入ると運が悪けりゃ命だって落とすぞ。……まさかそこに行こうってんじゃないだろうな?」
明はズイッと詰め寄り、わざと強く言った。だが少年はブンブンと首を振り否定した。
「そっ――そんな事しないよ! ただみんながそこの話をしてたから……」
「みんなって、学校の子達か?」
「うん」
「もしかして、あのさっきの悪ガ――じゃなくて晋也君もか?」
「うん、晋也君たちがあそこに行こうって話をしてたから、だから大丈夫かな? って思って……」
「とんでもねー悪ガキ共だな。今度会ったらお灸を据えてやらなきゃな。……まあ入ったところで大概はポルターガイスト現象にビビって逃げ出して……翌日熱にうなされるのが関の山だろうな。死ぬなんて事は滅多にないさ、心配すんな」
「ほんと、かなぁ……?」
「ほんとだって、でも危ない事には変わりないからな。君は絶対に行くなよ」
「うん……分かった」
少年からの返事を受け取ると、明はせっかちにも次の質問へと移ろうとした。
「――で、次の話にいってもいいか?」
「うん」
「じゃあ、次の話だけどな……絵本についてだ――どんな本なんだ?」
「うーん。それは国の英雄がね――どんなことも怖がらない英雄が、悪い魔神と闘うって絵本だよ」
「へー。そんな内容の絵本なんだな。……」
「あれはね。あれはボクがお母さんから初めて貰った誕生日プレゼントなんだ。……ボロボロでもボクの宝物なんだよ」
「そうか、そんな思い出があるのか……」
「うん! 買って貰った時はすんごくうれしかったよ!」
明は一口コーヒーをすすると、「そういや俺も明日誕生日だなぁ」と沁みるように言った。
「よし、分かった! 大切なものだしな。俺が必ず見つけ出してやるよ」
「ほんと!? でもどーやって?」
「それだけ思い入れのあるものなら、その絵本自体にもある程度の霊気が宿ってるってものだからな。君の髪を数本分けてくれれば占術で場所を割り出せそうだよ」
「えーっ、ほんとにすごい! じゃあじゃあ!」
少年が全身で感激を表現していると、彼のオーダーした『いちごパフェ』が運ばれてきた。明は「おおーッ」と驚く少年に優しく言ってやった。
「今日はもうそれ食って帰りな。……占術の結果は明日には分かるだろうし、また明日会おうぜ」
「うん!」
* * *
食事を終え支払いを済ませると、明はあの小学生とも思える将真と別れて、まっすぐ家に帰らずに妖狐宮内の元へと足を運んだ。
今日の事、明日の事について一応宮内に報告しようと思ったからである。
「――ってなワケだばあさん。明日には解決できそうだぜ」
「ほほほ、お前さんがそこまで言うなら大丈夫そうじゃの」
「まあな」
「お前の母親は優秀な占術師じゃったからのぉ、惜しい人間を亡くしたものじゃ」
「……」
「お前の父じゃってそうじゃ。――」
「ばあさん。……父さんと母さんの話はやめてくれ……」
明の顔が急に曇り、宮内の言葉を遮った。
「おっと、余計な事を行ってしまったわ。年寄りの悪い癖じゃのう」
「悪いなばあさん」
「……そう昔の事を引きずるな、お前の両親は確かに不幸じゃったが……」
「引きずっているワケじゃないんだ。……ただあまり考えたくないんだ」
そのまま顔を下に向けた。沈んでしまった空気を変えたい宮内はわざと明るい声で言った。
「そうじゃ明。明日はお前の誕生日じゃろう? 元服じゃ」
「プレゼントはいらねーぞ、……ってさっきの少年がプレゼントとかふざけたことを言ってたなあんた」
「ほっほ、そこはご愛嬌じゃ」
「自分で言うなよ……」
「お前さんはもう16歳か、お前が一人前の霊媒師になったからあの二人も天国で喜んどるじゃろう」
「なんか今日はやけに優しいな……悪いものでも食ったか?」
「ほほ、そんなんじゃないわい。ほほほ」
つくづく分からないばあさんだと明は思った。
「じゃあそろそろおいとまするよ。俺にまかせとけよ」
「ほほ、頼もしいのう。……じゃあの」
明日は16歳の誕生日、あれからもう二年、春先の冷たい風が鼻を撫でた。
その夜明は、占星術によって絵本の所在を割り出した後、眠りについた。
そして不思議な夢を見た。――いや、あれは夢ではなかったのかもしれない。
一人の少女が、明の枕元でなにかを語りかけていた。大きな力が明の体の中で渦巻き、全身が何かに蝕まれていくようであった。




