儚げな少女 (後編)
メイド長に案内された部屋は、比較的落ち着いた内装であった。
住吉は早口でまくしたてながら設備についての説明をしていた、あかりはさながら借りてきた猫のようにちょこんと座りながら、その言葉に耳を傾けていた。
「――そして、クローゼットはこちらになります。」
勢い良くクローゼットを開けると、そこには既に数着のきらびやかな服がかけられていた。
「こちらはお客様用になっております。もちろん他にも多くの衣装をご用意しておりますわ。お入り用でしたら何なりとお申し付けください。おほほ」
「……このままの格好ってのはダメ、ですかね?」
あかりは手を広げながら、例のごとく色気も味気もない服を見せつけ笑った。
「……ダメですかね?」
笑みをひきつらせながらそう言うと、住吉は笑って答えてくれた。
「いいえ、構いませんわ。我々はお客様に無理強いするようなことはいたしませんわ」
「ははは、ありがとうございます」
「おほほ、ではごゆっくり」
* * *
ようやく解放され部屋に一人になったあかりは、ベッドに移り突っ伏した。
「はーあ」
予想以上に蓄積した疲労、ゴロンと寝返りをうって、髪を指で払い天井を見上げた。天井には天使の絵が描かれており、細部まで施された源桃院マリアのこだわりに乾いた笑いが漏れた。
寝転びながらスマホを見ると、時刻は16:35。住吉が言っていたディナーの時刻まではまだ一時間以上もあった。それまでマリアとの対面は叶わないようだ。
スマホから目を離し、部屋の中を見渡した。部屋を照らすシャンデリアやレースのカーテンをぼんやり眺めていると、過去の出来事が思い起こされてきた。
豪勢な装飾、柔らかいベッドの感触がそれを揺り起したのである。
三年前、両親を事故で突然亡くし、失意の底にいた明を救ったのは木津だった。
明は恩人に木津を慕い、彼に弟子入りをした。そして全国、時には海外を巡りながら木津の下で修行を重ねた。
その時期は毎日のように一流ホテルに寝泊まりし、贅沢な生活をさせてもらっていた。
回想の最中、あかりの頭の中で、木津との決別の時に自身が発した言葉が明瞭に再生されていた。
『なんでだよ! なんでだよ先生! ……なんで自分の娘にそんな酷いことができんだよ!』
(あの時は俺……バカだったな)
嫌な過去を思い出してしまったので、体を動かそうとベッドから立ち上がった。クローゼッにまで行き扉を開けると、やはり中には多くの服がかけられていた。
もしこの場に芦原がいたのならば、目を輝かせながらすべての服を着させてくるであろう。
見つめていると再び、今度は別人の声が頭をよぎった。宮内の声だった。
――よいか明、決して源桃院伊沙子の機嫌を損ねるなよ。あの女は相当の曲者じゃ。怒らせたらどんな厄介事になるか……。
慎重に秘密を探るのじゃぞ。
「ははは、やっぱり着なきゃいけないよな」
宮内の表情までも思い起こしながらクローゼット内を探る。その中に白のワンピースがあった。
それは先ほどの、物憂げな表情を浮かべていた少女を想起させるものであった。
(あの子……何かあったのかな?)
あかりの胸の内にできたしこりは。気にすれば気にするほど大きくなるように思われた。
* * *
「まああかり様、とってもお似合いですわ!」
「そうですかね……? どうも」
彼女が選んだのは、おとなしめの黒いAラインワンピースだった。慣れない女性服に違和感を感じ、全身鏡の前でもじもじとしていた。
「住吉さんすいません。着付けを手伝っていただいて」
「いーえっ、お安いご用ですわ。あかり様は本当に可愛らしいですわね」
「そんな……」
住吉がメイド服をひらひらと揺らしながら彼女の容姿を褒め称える。恥ずかしくなった彼女は、顔を赤らめながらうつむいた。
「そんなに言わないでください」
「おほほ、照れなくなって良いんですよ。さあもっとしっかり見てください」
顔を上げ鏡に映った自分を見る、その感想は実にシンプルなものであった。
(かっ……かわいいっ)
映っていたのはしとやかな少女、小さな顔を赤らめて恥じらいを感じているのもいじらしいようである。
女性用の服を着るだけでここまで変わるのか、と彼女は思った。
(俺が男だったら惚れてるな……って今はそれどころじゃないだろっ)
「さ、さあ住吉さん。行きましょうか」
体裁をとりつくろって、ずかずかと部屋の外へ向かっていった。
* * *
食事とは日常の行為であり、決して特別なものではない。
たったの二人が夕食を共にするのに、これほど大げさなディナーテーブルを用意する必要があるのか……。
肩が凝りそうな夕食会を前に、ゆらゆら揺れる蝋燭の火を眺めながら疑問が頭の中を駆け巡っていた。
ホストである源桃院マリアは中央に構えていた。まるで女王のような、噂にたがわぬ若い容姿の冷たい美人であった。
宮内に見せてもらったマリアの以前の写真を思い出すと、別人のように変化していることは自明であった。
感情の灯火が見当たらない銀の瞳でこちらを一瞥すると、そこでようやく口を開いた。
「はるばると、よく来てくれたわね。……うふふふ」
急に取り繕ったかのような笑みを浮かべたマリア、しかしその目は笑っていなかった。
"女王"から感じられる違和感を前に、彼女はごくりとつばを飲み込んでから、
「源桃院伊沙子さん、本日はお招きいただきありがとうございます」
と、不慣れなワンピースの袖を地面にすらないように気を遣いながら一礼をした。
再び頭を上げたとき、彼女はギョッとした。
マリアの顔からは感情が消え、二つの眼でこちらを凝視していた。
あかりは何が何だかわからないので、助けを求めるように住吉を見た。住吉はあたふたと慌てながら口の前で手をバタバタと振り、彼女の失言をとがめているようであった。
そこでハッと、先ほどの住吉の発言を思い出した。
『伊沙子様は改名なさったんですよ。……マリア様に』
目の前の美人は少女趣味があり、授かった名前までも変えてしまったとかなんとか……。〈伊沙子〉などとの厳めしいような名はこの美女の気に召さなかったのだろう。
あかりはすぐさま発言を訂正した。
「すいませんっ。源桃院マリア様……でしたよね」
すると"マリア"はよろしい、と言いたげにニッコリと聖母の笑みを浮かべた。
(な、なんなんだよこの人……)
彼女は早くも源桃院マリアの多面性に圧倒されてしまっていた。
それからはつかみどころのないマリアを刺激しないようフォークの音にまで細心の注意を払い夕食に参加した。
マリアの当たり障りのない質問に無難な回答をしながら、料理の味も分からないような緊張感の中で食事は進められた。
メインディッシュの大皿が下げられたところでマリアがふと口にした。
「あらそうだった。あなたをこの家に呼んだ理由、そろそろ知りたいんじゃない?」
マリアは切れ長の目であかりを一瞥した。
「聞きたいんでしょう?」
「ええ、ワタシにしか出来ないことってなんですか?」
マリアは笑って、
「静奈、入ってらしゃい」
その言葉と共に一人の少女――先ほど垣間見た源桃院静奈が入ってきた。相も変わらず虚ろな目で恭しく頭を下げた。
マリアが説明する。
「この子は私の姪の静奈、この子の親――私の兄が他界してから家に引き取ったんだけど。……見ての通り内気な子だから友達もできないのよ」
静奈は内気というよりおぼろげだった。
マリアは続けた。
「あなたにはこの子の友達になってほしいのよ」
静奈は今度は小さく、ペコリと頭を下げた。
* * *
「はー」
夕食会を終え自室に戻ったあかりは、部屋に入るなり嘆息した。
人物像のつかめないマリアの相手をするのは、本当にしんどかった。
早くもここに来たことを少し後悔していた。
(いやいや、こんな程度でへこたれてちゃダメだ)
沈みかけていた気持ちをグッと持ち直すと、スマホを手に取り明の自宅に電話をかけた。家には宮内がおり、有事には連絡を入れるとの話だった。
「もしもし?」
『――明か? 首尾はどうじゃ?』
「まだ何とも……。あの源桃院伊沙子ってウナギみたいに掴みどころがないから、若返りの――ってゆうか変身の秘密を探るのは難しそうだ」
『ホホ、そうか。まあなんにせよ用心せえよ。奴がお前を呼んだのにはそれなりの理由がありそうじゃからの』
「それは姪っ子の相手をさせるのが目的って言っていたよ」
『ムウ……』
「まあ本当の狙いは別かもしれないけど」
部屋をうろつき、時折インテリアを気にかけながらも会話は続いた。
内部を彩るブーケの手前まで足を運んだところで、到着した時とは違うある違いに気がついた。
「あれ……?」
『どうした明?』
「いや、部屋に手紙が置いてある。さっきは無かったのに」
『ほうほう、誰からじゃ?』
「……裏に差出人の名前が書いてある。源桃院静奈――さっき言ってた姪っ子からの手紙だ」
『ほう。内容は?』
あかりは内容を読み上げた。
柱時計が鳴る12時を過ぎた時間
私に会いに来てください
私の部屋は、あなたと初めにあった部屋
ドアノブに青いスカーフがかけられている部屋です
この事は誰にも話さないで
「……だってさ」
『ふうむ、なにか訳ありみたいじゃの。で、どうする?』
「どうするって、会いにいくさ」
『ホホ、まあそうじゃの。有益な話ができるとええのお』
「ああ、この子は俺に伝えたいことがあるんだろう。それも、他の人間には言えないような」
あかりがそう推察した時、入り口のドア向こうからコンコンとノックする音が聞こえた。
「ばあさん悪い、来客みたいだ。またかける」
『……一方的じゃのお』
「うっ、悪い」
『まあええの、また寂しくなったら電話するんじゃぞ。ホホホ』
「寂しいわけじゃ――っ」
そこで電話は切られ、「ツーツー」とむなしい音が聞こえた。
「ったく、ばあさんめ」
「やれやれ」と言いながらスマホをベッドに投げると、部屋の外からノック音の主が愛嬌のある声で呼びかけた。
「あかり様、お風呂の準備ができておりますわ。お着替えのほうもお選びになってくださいな」
「はーい、今行きまーす」
夜の12時まではまだ時間がある。
いつまでも気を張ってても仕方がないし、風呂くらいはゆっくり入ろうかな、などと思っていた。
* * *
その頃源桃院マリアはと言うと、薄暗い部屋の中、アンティーク調の鏡の前で静かに座っていた。
鏡の表面には、秘密に撮影したあかりの写真が貼ってあった。
「うふふふ、馬鹿な子」
マリアは少女の写真を見ながら微笑んだ。
そして右手に持った、不気味に黒光りするエッグに語りかけた。
「ふふ、雲外の白蛇石よ。私の美のための生贄を、連れてきたわよ」
エッグは白蛇の姿が見えるように彫られていた。その姿が一瞬ギラリと光った。