儚げな少女 (前編)
宮内からの情報をもとに、あかりは東北へ発つ準備を進めていた。スーツケースに荷物をまとめながら思案を巡らす。
先日源桃院家に連絡を入れたら、意外にも是非来てほしいと言われた。なんでも手伝ってほしいことがあるとかなんとか……。出発の予定日を伝えると、新幹線の切符まで送るというのだから何とも胡散臭い話である。
宮内の話によればこの源桃院伊沙子という女は相当の曲者のようなので、何かしらのトラブルは覚悟しておかなければならない。
(面倒事なんて起きないのが一番だが……まあ当たって砕けろ、だな)
行動派である彼女には迷いなどなかった。
「歯ブラシ歯ブラシっと」
立ち上がり洗面所を向かう際カレンダーを見遣った。今日の日付は3/22(水)、もう桜が色を見せるこの季節、早く帰ってこられれば良いのだが。
ペラリとカレンダーをめくり四月の予定を見る。まだ予定はほとんど白紙で、4/6の箇所にだけ赤い文字で〈高校の入学式〉と書かれていた。九古と鍋野の通う予定の神明西高校の入学式である。
「ちぇ、俺も高校に行きたかったな」
不満の込もった独り言を漏らした後、歯ブラシを取り荷造りの続きに取りかかった。
『ピンポーン』
手を動かしていると来訪者を告げるチャイムが鳴らされた。こんな夜に来るのは誰かと思いながら玄関まで足を運び扉を開けた。
「はい」
「やあ、――明君はいるかな?」
そこに立っていたのは木津建岳であった。彼女は動揺を隠し平静を装った。
「いえ、今はいませんが……」
「……」
木津は何も言わずじっとこちらを見つめてきた。姿勢を崩さずに続けた。
「何か?」
「フフ、なんでもないさ。明はいつ戻ってくるのか知っているのかい?」
「いえ、分かりません」
「死んだのか?」
その言葉に思わずハッと木津の目を見た。心の中まで見通しているような静かな瞳だった。
「いや、冗談だよ。あいつが簡単にくたばる筈がない。……悪かったね」
微笑むと、止まっていた時が再び動き始めた。
「ところで君は誰なのかな?」
「えっ……?」
その言葉は再び彼女の言葉を奪った。
沈黙を続けていると木津が、
「ああ、自己紹介がまだだったね。私は木津建岳。明から話は聞いているんだろう?」
と言った。
彼女は返事もせず挑むような目で木津を見つめた。すると一泊の間の後、意外にも木津は頬を緩めた。
「いやいや何でもないさ、こんな夜に来て質問攻めにして悪かったね。……私はもう行くよ、それじゃあねあかりさん」
木津は家の前の道路脇に止めてあった高級車に乗り去って行った。残されたあかりはポツリと言った。
「あの野郎、やっぱり調べをつけてやがったな……」
”高級車”の内部では、後部座席に座った木津が鷹揚な笑い声を上げていた。
「ハハハハッ、雉弓、中々面白い娘だったよ」
「さようでございますか」
雉弓と呼ばれた運転手の男は、シワ一つ無い黒いブレザーを身にまとい、白手袋付きの両手で神経質そうに運転をしていた。
「そのあかりという娘、建岳様のお目がねにかなうような娘であった。……という事でしょうか」
「フフフ、それはまだ分からないさ。ただ骨はありそうだ。それに――」
「……?」
――あの瞳、明にそっくりだった。
「明め、どこであんな娘を見つけてきた。それに私の許可なく家に住まわせるとは……」
木津は虚空を見上げた。
「明、お前は一体今どこで何をしている?」
* * *
そして翌日、あかりは新幹線に乗りつけ秋田へと向かった。新幹線の車内で流れる景色を眺めながら、先ほど出会った親子について物思いにふけっていた。
――家内が首を長くして待っておりますので、私たちは帰ります。本当にありがとうございました。
――おねえちゃん、またねー。
二人の表情がまぶたに張り付いていた。
今自分に宿っている力は、そこらの妖怪や悪霊などでは相手にもならない、強力な物であることを再確認させるような出来事であった。
「分かってたんだけどな」
この体でしか救えない人々もいる。そう思うと複雑な思いがぐるぐると渦巻いた。
* * *
乗り継ぎに乗り継ぎを重ねて、ようやく目的の××駅に着いた。あたり一面田園風景の無人駅に降りると、プラットホームからは迎えの車が見えた。
「あれってアーマーゲーじゃないか、さすが金持ち」
新車に見えるピカピカの赤い外車はこの片田舎には目立ちすぎる。
「しかも東京ナンバー。ハハハ……」
あかりが呆れ顔のまま無人改札を通り抜けると、これまた風景に似合わぬ珍妙な格好をした女性が立っていた。
「勇景家のあかり様でございますか?」
声を掛けたのはメイド姿の、丸々とした恰幅の良い女性だった。電話で会話を交わしたのは彼女だった。
「はいそうですけど、あなたが住吉さんですか?」
その丸々とした女性は頬をパッと明るくさせ、高い声で言った。
「はい、源桃院家のメイド長を務めさせていただいております住吉と申します」
「どうも、初めまして。勇景の……あかりです」
「まあかわいらしいお嬢さんだこと、我々一同あなたの来訪を心待ちにしておりました。さあお乗りになって」
導かれるまま車に乗り込んだあかり。アメ車のようなウールのふわふわとしたシートからも源桃院伊沙子の趣味がうかがえた。
田園風景をひた走る車の中では、おしゃべりな住吉が愛嬌をふりまいていた。
「――つまり、あかり様は源桃院の歴史に興味がおありなんですね」
「ええまあ、それも修行の一環です。ぜひよろしくお願いします」
「勇景の方なら大歓迎でありますわ」
「ははは、ありがとうございます。……それで僕に手伝ってほしい事というのは?」
「それは着いてからのお楽しみですわ」
住吉はウィンクを投げかけた。
春の到来が遅れ、まだ雪の残っている山道を走る赤い車。住吉の話に相槌を打ちながらあかりは妙な胸騒ぎを感じてならなかった。
* * *
車に揺られてどのくらい経っただろうか、源桃院家の豪邸は山奥にそびえ立つように建てられていた。
門が開けられ、車は西洋風の屋敷の敷地内へと入っていく。
「さあさ、着きましたわよ」
「やっとですか……」
車内の強い香水の香りと住吉のマシンガントークの影響でゲッソリとしていたあかりは、車を降りると「んー」と大きく伸びをしながら澄んだ空気を吸った。
少々気分の晴れた彼女に住吉が声を掛ける。
「あかり様長旅でお疲れになったでしょう。最初にお部屋へと案内しますわ」
「ありがとうございます。経費だけでなく部屋まで用意していただけるなんて」
「お礼の言うのはこちらのほうですわ。なんたって……オホホホ」
住吉は満面の笑みを浮かべながら言った。
(この人、いったい俺に何をさせるつもりなんだ?)
「あのー、だからそれって――」
「オホホ、ですからそれはマリア様のお口から直接聞いていただかないと」
「マリア? ……どなたですか?」
「我が主、源桃院マリア様でございますわ」
そこであかりは「マリア?」と首をかしげた。彼女の中での源桃院家の当主は源桃院伊沙子であったからである。
「源桃院伊沙子さんがこの家の当主――」
言いかけたところで、住吉が耳打ちをした。
「ここだけの話ですけどね。伊沙子様は改名なさったんですよ。……マリア様に」
「え? 何でまたそんなことを……」
「マリア様は可愛らしいものをお好みになっておられるのです。お名前もご自身に似合うように……とおっしゃられておりました」
「はあ……」
気の抜けた返事を返した。
「まあまた余計なおしゃべりをしてしまいましたわ。オホホ、お気になさらず」
住吉は笑いを浮かべ、口元に手を当てていた。
* * *
メイド長住吉にエスコートされる形で、あかりは源桃院家の大豪邸を歩いていた。
豪華絢爛の限りを尽くした豪邸に、何度も目を奪われた。宮殿とも呼べるような建築、絵画、骨董品などの芸術品、ベルサイユ宮殿に着想を得たかのような内装であった。
そしてその中にももちろん、源桃院伊沙子――もといマリアの趣味は垣間見えた。
大きな廊下を歩きながら視線を横にずらすと、ピンクで彩られたフリフリの部屋が視界に入ったりもした。
(ははは……すげえ趣味)
住吉はこの豪邸を見せつけるかのようにゆっくりと歩いていた。そしてある一室を通り過ぎようとした際、後ろを歩いていたあかりはとある光景を目にして足を止めた。
「あれ?」
開けられている扉の先、この屋敷にしては珍しい殺風景の白い部屋に、一人の少女が座りながら、物憂げに窓の外を眺めていた。
年齢は十代半ば、あかりと同い年ぐらいであろう。蒼の光を秘めた髪を風に撫でさせながら、ただぼんやりと見つめていた。
彼女は見とれてしまっていた。白い空間、白のネグリジェ、そしてきらめきを反射する髪――その三つの要素を前に時が経つのも忘れてしまっていた。
「あかり様……?」
住吉が覗き込むようにして声を掛けた。
「どうなさいましたか?」
その視線の先に目を向けると、少女の姿を捉えて口を紡いでしまった。
「……」
「住吉さん、あの子は?」
「……あの方はマリア様の姪でございます。静奈様です」
住吉は神妙に言った。そして、
「あかり様、お部屋はもう近くですよ」
再び歩み始める住吉。ただならぬ雰囲気を感じながらも、黙ってその後を追った。