喫茶エガリテはお客が来ない (前編)
様々な作業が途中で放り投げられ散らかりに散らかった部屋にて、目覚ましのアラーム音が一定の間隔を開けながら鳴っていた。
少女が布団から起き上がりけだるそうな顔でアラームを止めた。
一つ大あくびをした後、自分の体をペタペタと触って確認する。
「……あーあ」
思わずため息が漏れると次は手鏡を持ち自分の顔を覗いた。鏡の中にはあかりの小さな顔が映っており、目を合わせしばしの時が過ぎた。
本当に美人だな、この女――見つめていると、どうしようもなく恥ずかしいような気分になりついに根負けして目を逸らしてしまった。
さて、と一呼吸置いた後、誰かから依頼が入ってないか確認するために寝室を出てPCのある居間へと赴いた。
時計を見ると朝6時であった。少女の出現により乱れていた生活リズムをようやく元に戻す事ができていた。
今日は芦原の店を手伝うという約束をしており、彼女の店にて朝7時半に待ち合わせがあった。時間までには十分余裕にありのんびりとした心持ちで朝を過ごしていた。
居間に着き、PCを起動させたが特に除霊の依頼らしき事はなかった。だがスマートフォンの方には九古からのメッセージが入っていた。
『よう今日ヒマか? 昼にメシでも食いにいかね? 良い店があんだよ、なんならあかりちゃんも連れてきてもいいんだぜ、てか連れてこい』
下心丸出しのメッセージに思わず苦笑をしてしまった。あかりは行きたい気持ちはあったのだが事情を知られるわけにもいかないのでここは適当に断る事にした。
『悪いけど無理そうだ。俺今北海道にいるから。当分仕事で戻れそうにない。しばらく顔を見せなくても気にすんなよ? それと俺の仕事はあの娘に代理を頼んであるから、そこよろしく……変な事は考えんなよ』
そう返信しておけば九古と鍋野に余計な心配をさせる事はないだろうと考えた。
画面に触れ送信した後ふと上を見上げ天井を見つめた。喫茶店の件、銅像の件、あれらの事件が無事解決を迎えたのは少女の力があってこそだろう。そう考えると今の生活も絶望ばかりでないように思えた。
「あかり……か」
微笑を浮かべるとあかりは朝食の準備にとりかかった。
* * *
芦原との待ち合わせの10分前にあかりは店に到着し扉を開けながら呼び掛けた。
「芦原さん、来ましたよ。何を手伝えば良いんですか?」
あかりは返事が聞こえるまでの暫しの間、店内の右側にある泉のほとりで花摘みをする聖女の姿が描かれた油絵を見つめた。外の天気が曇りだった事もあってか店内は以前より明るさを増したような気がした。
「あら、あかりちゃん。いらっしゃい……って」
店の奥から現れた芦原は彼女の姿を捉えると何かを言いたげにみつめた。
「どうしました?」
あかりは上下黒のジャージ姿で、年頃の女子を微塵に感じさせない野暮ったい格好だった。
「……何でもないわ。それよりあなたにやってもらいたいのは、ビラ配りよ!」
芦原はどうだと言わんばかりにビラの束を高々と上げた。
「今時ビラ配りって……SNSで宣伝した方がよっぽど効果的ですよ。しかも無許可でやったら法に触れる事だってあります」
彼女の歯に衣着せぬ冷たい物言いに芦原は狼狽しながら弁解をした。
「だ、だって、憧れるじゃない? 駅前で自分のお店を宣伝するってさ……」
芦原は同意を求めるように言った。しかしあかりには冷たい目線のままビラの一つを手に取った。
「しかもなんですかこれ! 脅迫状みたいじゃないですか!」
ビラは白黒で味気なく、『喫茶エガリテオープン! アロマティー割引中!』と普通過ぎる文句が書かれていた。とても客寄せの効果があるとは思えない――むしろ逆効果である。
あかりはこの店に客が訪れないのはただ単に妖怪の影響ではないな、と一人で納得した。
「脅迫状だなんてひどい! やり方がよく分からなくても一生懸命作ったのに!」
「すごいセンスですね」
「あなたには言われたくないわ!」
芦原の体はわなわなと震え、声までも震えていた。流石に言い過ぎたと彼女は精一杯に言葉を選び、言った。
「ま、まあ脅迫状は言い過ぎましたね。でもこれじゃお客さんは集まりにくいと思いますよ」
「じゃあどうすればいいの?」
彼女は勇景明の名前で霊能事務所を開いていたので、個人営業に関してはある程度の知識があった。彼女は思いついた考えをそのまま述べた。
「それはさっき言った通りSNSとかを利用するのが一番でしょうね。まぁ最低ブログとかでもいいでしょうが……今はネット社会ですからね」
「えー? でも私そういうの良く分からないし」
「得意そうなのに意外ですね。でも分からないで済ませちゃ駄目ですよ」
確かに芦原は機械類やインターネットなどというものにはとても現代っ子とは思えぬほどに疎く、それは自覚があったのだが、あかりの棘のある言葉に精神がちょっぴり削がれた。
「そっ……そろそろ8時、開店の時間よ! その事は後にして、準備をしましょ! 今日はお客さんが沢山来る気がするわ!」
「物の怪も倒した事ですし、一般の人も嫌な気を感じることは無いでしょうしね」
芦原は背を向け「さあ準備準備」、と仕切り直すように言った。彼女はそんな取り繕った様子を冷ややかな目で眺めていた。
「何?」
「……いや、別に」
「私の事、世間知らずって言いたいの!?」
事実、この人大丈夫かなあ……と思っていた。
* * *
「来ない……」
二人は意気消沈しながらもの静かな店内で肩を落としていた。開店から二時間ほど経つが、窓の外に過ぎ行く人々が見えるばかりで扉のベル音が響く事は一度もなかった。
「あーあ……」
芦原はかなり気落ちした様子で椅子に座りながら、ティーカップを磨くように拭いていた。口からは何度もため息が漏れており、声を掛けるのもはばかられるほどであった。
「あ、芦原さん。お客さんが来たらワタシが知らせますのでそれまで店の奥で休んでいてください」
「……いいの、大丈夫だから。心配かけさせちゃってごめんね。……でもここまでお客さんが来ないと流石にショックだわ」
「……ほら! あと一時間もすればランチタイムですよ、そうすればきっと席も埋まりますよ」
「それはどうかな……来るといいな」
芦原はうつろな目でそう呟いた。そしてあかりの顔を見ると儚げに言った。
「誰も来てくれないのはつらいけど……でもあかりちゃんが居てくれてよかったわ」
「そ、そうですか?」
まだ少し照れが見られるあかりを見ていると、つい笑みがこぼれた。
「ふふ、……このまま二人っきりってのも……良いかもしれないね」
「な、何を言ってるんですか!? しっかりして下さいよ」
「しっかり、か……でもお客さんが来ないと、しっかりしても意味無いわ。」
「それは、そうですけど――」
そこから芦原は何も言わず、あかりから放たれる励ましの言葉にただ耳を傾けていた。――すると突然、彼女の頭の中にある名案が浮かび上がった。
「そうよ……。そう! これよ!」
「わっ、いきなりどうしたんですか?」
「秘策を思いついたわ!」
うって変わった様子で声を上げる芦原。その様子を見てあかりの顔もパッと明るくなった。
「本当ですか!?」
「ええ、最高の秘策よ!」
満面の笑みであかりの手を取り言う芦原を見た時、彼女には大体の察しがついた。
「もしかして、また僕に何かをさせるつもりじゃないでしょうね?……」
「あー! また『ボク』って言った! ……ふふふふ、ごめいとーう!」
芦原はまるで子供のように彼女の手をブンブンと上下させた。
「あなたにやってもらいたいのは、客引きよ!」
なされるがままにされながら、つくづく強引な人だな、と思った。