暑苦しい警察官 (後編)
交番のある場所は公園からは坂の上に位置しており、その道のりにはまだ建てられて十年もたっていないような住宅が立ち並んでいた。
交番にも初々しさが感じられ、新米警官である増流にとってはちょうどいいのかもしれない。増流とあかりが自動ドアをくぐり抜け中に入るや否や、先輩警官が話しかけてきた。
「おう! 増流か!――おっ? その娘はなんだ? 迷子か?」
まさかこの年になって迷子に間違われるとは……あかりの口からは乾いた愛想笑いしか出なかった。
「西江戸巡査部長! 増流修平、ただいま戻りました!」
体の太いレスラーのような先輩を前にしても増流のテンションに変化はなかった。
「聞いてください部長! この方はなんと――有能な霊媒師なんです!」
すると西江戸は飛び上がるように驚いた。
「なっ、なんだとー!! それじゃあ、あの動く白田さんの像の件もこれで解決の兆しが見えたな!」
そこであかりは悟った――ああ、この交番は暑苦しい体育会系の連中の巣窟だったのか。食って早く帰りたい……
* * *
「ささ、温かいうちにどうぞ!」
警察官の待機室と思われる部屋であかりに出前で取り寄せたカツ丼が振舞われた。
「警察にカツ丼、定番だな」
「はい! 容疑者にカツ丼を出すことは本官の憧れの一つでありました!」
「俺は容疑者扱いかっ!!」
思わずツッコミを入れた。ちゃっかり増流が自分の分のカツ丼も確保していることにもツッコミたかったがそこは我慢した。
「あかり殿! 先ほどからあなたは言葉づかいが悪いですぞ! 聞いていれば男のような口調をして……本官はもっとしおらしい女性が好みであります!」
「お前の好みなど知るかっ!!」
そうは叫んだものの増流は完全に自分の世界に入り浸ってしまっているようで、魅力的な女性についてなにやら熱弁をしていた。
「……うま」
あかりは馬鹿を無視して舌鼓を打ちながら箸を動かしていた。その最中気になることを思いついたので聞いてみた。
「増流巡査さ……話し込んでるところ悪いんだけど、その動く像が目撃された時間帯は何時ごろなんですか?」
「――はっ! 時間ですか!? それはですね、深夜だったり朝だったり日中だったりで規則性が無いのであります!」
「そうか……で、どんな様子だったんですか?」
「それも様々あってですね、『ホホホホ』と奇妙な笑い声を上げながら全力疾走していたり、タコのように手足をくねらせながら人を追いかけたり、まちまちであります!」
「へ、へー……それは想像以上にアクティブですね。白田さんがかわいそう。やっぱり退治しないといけなそうですね」
「左様です! この町の未来は我々が担っているのであります! どんな小さな悪も見逃せません!」
あかりは食事を終え、箸をおいた後「ごちそうさま」と言った。
そして――
「一度家に帰って除霊道具を取ってきます。善は急げ、早いところ終らせちゃいましょう」
「はっ! であります!」
* * *
増流は一人交番に残りあかりの到着を待っていた。霊退治を前に高ぶる思いを胸に、そわそわと狭い室内を歩き回っていた。
市民の為に悪と戦うというのが彼が警官になった一番の目的であり、今回初めての悪と対峙するのであった。
「ふふふ、本官がスマートに悪霊退治をこなせばご婦人達からの人気爆発も間違いなしであります」
まあ、下心もあったのだが――
そんなふざけた思案にふけっていたら交番の入口がトントンっと軽く叩かれた。増流はあかりが来たのだろうと明るい声を投げかけながらそちらを見た。
「おお、あかり殿ですか!? 本官待ちくたび――ってぇぇえ!!」
そこには、あの白田像が体を屈ませて無表情で手を振っていた。
増流は一寸仰天し動作を停止していたのだが、すぐさま銅像を捕らえるために行動を起こした。
「我々警察の拠点にやってくるとは良い度胸な! これは国家権力な対する反逆――」
座っていた椅子を蹴飛ばす勢いで交番から飛び出した。警棒を構えながら近寄っても銅像に動く気配はない。
――これはいったい。本官はどうすれば……そっ、そうだ! あかり殿の到着まで、こやつを逃げ出せないようにしなければ……
増流は急いで自らの腕と銅像の腕を手錠でカチャリとつないだ。
「これで……よし」
しかし増流は銅像の腕力を甘く見ていた。その気になれば増流ごと動く事など銅像にとっては容易い事であった。
「オッホッホ……――」
「ん?」
「オホホホホホホーーー」
「ええ゛っ!?」
突然だった。突然、銅像は大声で笑いながら腕をシャカシャカと陸上選手のように振り始めた。増流は必死でそれを止めようとするが、ジャラジャラと鉄の音が響くばかりでむしろその勢いは増していくように思えた。
「オホォーーー!!」
「ウゲェッ!」
その言葉を契機に銅像は坂を全速力で駆け上がりだした。銅像のパワーに微塵も対抗できない増流はほぼなすがまま状態で銅像に引っ張られていった。
「ホホホホホホホホ!!」
銅像が大腕を振りながら走る――すると増流の体は、釣り上げられたばかりの魚のように何度も地面にバウンドした。
「オッ!バッ!ウッ!ゴッ!」
さらに悪いことに道路にはデコボコとした出っ張りがあり、それはまるで増流の股関の急所をいじめるために設計されたように思えた。
「ホホホホホホホホ!!」
「バッ!バッ!バッ!――ビャァァア!!」
増流は体を跳ねさせながら警察無線を手に持ち出して救助を要請した。
「西江戸さぁぁぁあん!!!」
『―――どうした!? 増流!!』
増流は簡潔にかつ克明に、自分の今の跳ねている状況を説明した。
「本官のコカンが……コカンがカンカンなのでありますぅぅぅうう!!!」
「ホホホホホホホホ!!」
『何ィーー!? それは大変だ!!』
――本官の……44マグナムがぁぁあああ
もはや限界であった。増流は死を覚悟し三途の川すらも見えた気がした。
その時――
なんとか薄目を開けていた増流は一瞬少女の人影を捉えた。少女は颯爽と銅像の進路に飛び出し行く手を阻まんとしている。
――あっ、ああ……あかり殿ぉぉぉ!!
彼にとってその少女は救いの女神に思えた。
「はい、止まれ」
あかりは左の掌に掴んでいた塩を走る像に向かって軽く振りかけた。
「オホホッーーー!」
すると像の中から、どこに隠れていたのか一つ目の小さな猿のような妖怪が姿を現した。
「成敗ッ!」
そして右手の木刀を妖怪に向かって叩きつけると、妖怪は例のように「ホー!」と言いながら弾き飛ばされていった。
銅像はそのまま道路脇に植えられていたアベリアに頭から突っ込んでいった。
まさに一瞬の出来事だった。
一瞬で妖怪退治は終わった。
「ぁーーー」
「だっ、大丈夫ですか?」
あかりが心配そうに増流に駆け寄るが、増流は死んだ魚のような目で言葉にならぬ言葉を発していた。
「ぁーーーゎーーー」
「……」
ただただ哀れに思えた。
* * *
「オッホッホ……」
「あーちがうちがう。もっと右だ」
夕暮れの中、あのイタズラ妖怪が銅像を元に戻そうと西江戸の指示を受けていた。その隣ではあかりが木刀を持ち呆れた顔で監視をしていた。
「ホッホッ……」
「――よーっし、それだ、それでOK」
銅像は完全に最初の姿勢に戻った。それを確かめるとあかりはイタズラ妖怪を見逃してやる事にした。
「……じゃあ、お前もうどっか行っていいよ。もう悪さすんなよ」
「ホホッ!? ……ホ、ホ、ホ、ホー!」
妖怪は全身で喜びを表現しながら夕闇の中へと消えていった。
「こっ……これで、万事解決ですね……ほっ、本官の努力の賜物ですかね?……」
「……」
「……」
後ろに立っていた増流は、内股でプルプルと震えながら精一杯強がった。
「増流さん……あんたも病院に行った方が良いですよ」
「なっ、なんのっ、これしき……本官のような健全な日本男児にとっては……はうっ!……」
「――そうだぁ! 良く言った増流! その調子だぁッハッハッ!!」
西江戸は豪快に笑いながら増流の背中をバンバンと叩いた。
「ゴアッ、ハァッ!……」
「ハッハッハッ!!」
非常に苦しそうにする増流と容赦の無い西江戸。もうこいつらは相手にしてられない――と、あかりは帰る事にした。
「じゃあ、俺は帰ります。」
「――まあ待ちな霊媒師さん! 夕飯も食ってきなよ!! 謝礼も出すぜ!」
「――コヒュー……コヒュー……」
確かにあかりは空腹だった。謝礼も欲しかった。だが――
「いや結構。帰らせていただきます」
深く一礼をした後、坂をゆっくりと下っていった。
背後では西江戸が大声で別れの言葉を言いながら手を振っている。
「はぁ……」
本当に今日は疲れる一日だった――沈んでゆく太陽が、なにか労いの言葉をかけてくれてるかのように思えた。