第七話 - 白と黒
レイズは一人で夜の街を歩いていた。
桜の都と呼ばれるだけあって、年中季節を無視して様々な桜が咲いては花を散らしている。
「…………、」
いつまでも沈み込んでいたからなのか、いきなり男連中に引きずり出されて無理やり飲みに連れていかれて、飲みたくもないのに無理やり飲まされた。
『酒でも飲んで気分を晴らしちまえっ!』
なんて言われてヴィーノ、シードルと飲まされていくうちに、ドライ・ジン、スピリタス、極めつけはなぜかニュートラルスピリッツを流し込まれてぱたりと倒れて、気付けば深夜といえる時間帯。起きてすぐ、珍しく介抱してくれていたカスミを押し倒して勢いのままに。
普段なら殺す勢いで抵抗するはずなのに、強引に迫られたからなのか、それともカスミも少しアルコールが入っていたからなのか、頬を赤く染めるだけで抵抗せず、それどころか自ら服をはだけさせて「いいよ……」と一言。
結果的に勢いだけでやってしまい、その後二人そろって怒られて、酔い覚ましのために今に至る。
「はぁ……」
自前の解毒魔法……一時的にアルコールとエタナールを毒素として認識して分解し、酔いを抑えて桜の雨の中を進む。
「まったく、あいつら……俺を殺す気かよ」
普通あんなものを飲まされたなら、急性アルコール中毒でぽっくりいってしまう。だがそう簡単に”死ぬ”ことはないレイズだからこそ、仲間たちも少しばかり(?)無茶なことをするのだろう。
ただレイズは知らないことだが、
『まあ、アレだアレ。こういうときは無理にでもパァーっと遊んで飲んじまえばいいんだよ』
『男なんて気持ちいいことしてりゃ喜ぶ低能でしょ』
『だったらおめー大将に抱かれて来いよ』
『いや。さすがにそれをする度胸はないわ、如月に殺されるもの』
『そもそも私らは傭兵であり盗賊、娼婦じゃねーんです』
『だ、だったら……』
『おう? めずらしいな、いつも大将を嫌ってるお前が』
『だって昔は戦闘前にそういうこと……よくしてたらしいし、その……そういうことで気を紛らわせていたとからしいから……』
『それがなんでお前が抱かれるってことになるよ?』
『あ、えと、それは……』
『ははぁ、さては好きだけどうまく言えないし周りが美女だらけでアタックできないってことか』
『…………はい』
とかなんとか。
「はぁ……」
ただ乱暴にやってしまったのは覚えている。
「なんて謝ればいいんだか……」
やっちまった後で血がぽたりと落ちていたのとカスミが泣いていたのも覚えている。ただ痛くて悲しくて泣いているだけではなさそうだったが。
「つか、なんであいつらはああも立ち直りが早いんだかなぁ」
夜風に吹かれて舞い散る桜雨を浴びながら、海辺にたどり着く。
青い月の出ている、静かな夜だった。レイズは近場の自動販売機にカードをかざしてミネラルウォーターを買うと、ぐいっと飲む。よく冷えたそれが、体の中を冷まして浄化してくれるような感覚だった。
「あぁ……今回は先が思いやられる……。しょっぱなからこれだけもやられるとなるとなぁ」
白いロングパーカーのファスナーをおろし、海沿いの柵に身を預ける。
夜だからか、人通りはなく波の音だけがしずかに繰り返される。左右を見れば等間隔に設置された街灯に照らされた夜桜が、静かに風に揺れている。
静かに。
静かすぎる。
ペットボトルの半分ほどまで一気に水を飲むと、残りを足元に撒いた。
「浄化、癒し、恵み、水の象徴色は黒なりて」
魔力の波が闇を揺らし、街灯に触れるとバチッと音を発して光が消える。
そのまま波は暗い闇の中を進んで、跳ね返ったものがレイズへと向かってきた。誰かがいる。
「ベインか?」
問いかけると、すぐに足音と共に返事が来る。
「ああ。なぜかは分からないが、ゲートが開いてうちのバカどもが勝手したようで悪かったな」
姿を現したのは黒髪でピアスをつけた、少々怖そうな青年だった。見た目の年はレイズと同じほどで、黒の長袖シャツにジーパンを着ている。
「それは構わないが、全滅させたぞ? よかったか?」
よく分からないうちにネーベルたちが消し飛ばしてくれたようだが、それについては言及しない。配下の管理ができていない方は悪いし、自己防衛のためとはいえ消し飛ばすまでやった方も悪い。
「構わない。まだ人員はたくさんいるからな」
そう言いつつも腕を横に伸ばし、そこに舞い散る桜が集ってゆく。闇の中から重油のようにどろどろとした、何かがあふれ出てくる。
「おい?」
なんだか分からないが、ベインが戦闘態勢に入って構えなかったら殺されるからとレイズも構える。白い長袖の上に纏った白いロングパーカー、砂色のカーゴパンツ、黒い軍用ブーツ。頭の先から足の先まで、意識して無意識の障壁の上にさらに魔法で障壁を展開する。
並みの魔法士では、障壁を一枚と攻撃魔法でキャパシティが埋まってしまうが、レイズはその程度を軽くこなしてしまう。
続けて召喚魔法でガントレットを呼び出して、腕に装備する。鮮やかな赤色のガントレット、魔術記号として見るならば、赤は破壊と炎が主なものか。
「ベイン?」
「悪い」
タンッと軽い音が聞こえた時は、黒い花びらが舞い、レイズの”眼”に全方向から放たれた”槍”が映っていた。
即座に短距離転移を発動して、ヤマアラシを裏返して包み込みに来たような攻撃を躱す。
躱したつもりだった。
「なっ!」
青い月明かりを反射した、クリスタルのように透き通った槍が降ってきた。
「どういうつもりだいきなり!」
再び転移して桜の木の上に立てば、ゴッキィィィィンと凄まじい音と共に、桜の木もろとも飛ばされた。
横方向への浮遊感、そしてそれはすぐに上から投げつけられた槍で地面に叩きつけられる力に上書きされた。魔力の動きを見るレイズの”眼”には、空から槍を逆さに構えて落ちてくるベインが映っていた。
そしてベインの体に植え付けられた魔法も。
条件起爆式の魔法。本来は踏まれたら爆発するようにして地雷としたり、接触起爆で指向性をつけて破城槌と呼ばれる魔法の強化に使ったりする。人の体に”何かを誰かに伝えたら爆破”などという、えげつない方法で使用するのは形だけだが協定で禁止項目に並べられているはずだ。
薄い障壁を幾重にも展開し、ベインにぶつけて速度を落とす。
「一体誰にやられた」
槍を腕で払って横にそらし、地面に深々と突き刺さった。
「…………、」
「それも言えないか」
ベインが片手で槍を引き抜く。ちょっと道具を使ったところで引き抜くには苦労するはずだが、やはり魔法だろう。
ここで魔法を使うのが苦手なはずのベインが、なぜここまでやれるのかが謎だが。
「言えない。それよりお前、知ってて黙ってたんじゃないだろうな? あんなレイシス家よりも厄介な連中のことを」
「なんのことだ?」
「ああもういい! お前に関わると碌なことにならない!」
槍の柄でドンッと地面を叩き、空に飛び上る。
「おいベイン!」
「来るな!」
ベインの髪から角のように電気が放出された瞬間、絶縁破壊の轟音が鳴り響いて、眩い紫電がレイズに襲い掛かった。
避ける。
頭に浮かぶのは単純な考えだが、ほぼ光の速さだ。なぜか直撃しなかったものの、近くの街灯に急に曲がって突き刺さった雷が地面を伝ってレイズを昏倒させた。
その体からシュウシュウと白い煙を吐き出し、黒く焦げた白い髪がダメージの大きさを知らせる。
---
「ちょっと待って! いや、待ってくださいお姫様方ああああああああああああああっ!!」
月の綺麗な夜空に舞う少女たち。
滑らかに、優雅に空を舞い、各々の魔力の色の尾を引いて、射撃魔法で飛び回る羽虫に猛攻撃を仕掛けている。自由で可憐な舞い。しかし的確に逃げ道を塞ぎ、追い撃ち状態でわざと回避コースを予測させたうえで命中弾を送り込む確実な戦法。
もっとも高いところではレイアが見下ろしている。傍らには半透明の青いウィンドウを開いて、戦闘のログを取っている。
飛行を終えて帰還しようかと思えば、妙な魔法を感知してそちらに近づき、レイズを倒して飛び上ってきたベインと接触。すぐさま戦闘態勢に移行すると解析用の魔法をぶつけ、異物が混じっていることを知り分解魔法で消し飛ばし、話を聞こうとした。そこまではよかった。
どういう経緯なのか、レイズの危機を察知した月姫たちが猛攻撃しに来たのだ。一応、表向きはレイズとベインは敵対状態として知られている。しかし形だけであることは彼女たちも知っている。知ったうえで、レイズに危害を加えたからという理由で攻撃している。
「ちょっと、みんなやめて」
通信回線を通して呼びかけても返答はなく、ベインは必死に回避行動を取り続けている。反撃して無力化することもできなくはないが、してしまうと今度は月姫小隊そのものを敵に回してしまいそうだからやらない。できない。
戦力的に見て怖いとかそういうのではなく、女の子に手を上げたという事実が残ると、それを糸口に延々となにかされそうだからだ。男ならば力をぶつけ合って喧嘩で終わるが、女性陣を敵に回すと世界大戦並みのことになってもおかしくないのが、ここのルール。
桜都の街をゆく人々は、今日も夜の飛行演習でもやっているのだろうと対して気にしない者がいれば、カメラを片手に写真を撮っている者もいる。
街の上空では特定の高度であれば、魔法弾に限って戦闘演習が許可されている。建物屋上から空に向かって、弱いジャマーも展開されているため魔法が地上まで届くことはない。というか、届かせないように魔法を組み上げている。
『レイアちゃんちょっといいかな、この美少女な殺戮魔ちゃんたちの飛行魔法を消し飛ばしてくれない?』
「ベイン、ちゃんづけされるとキモイからしないで」
『レイアちょっといいか、このレイズ大好きな美少女たちを何とかしてくれ! 俺が死ぬ!』
「むりむりぃー。一対一で戦闘用の補助具あればなんとかなるけど、さすがにピラーだけじゃどうにもならないって」
二つのピラー型補助具に足を乗せ、ボード型補助具に座り、背中にもピラー型補助具。空中に座っている。
まるで浮かぶ玉座のような場所から、必死に逃げ回っているベインを見下ろしているのだ。
一直線に加速して逃げようとすれば、巧みなコンビネーションで弾幕が張られ、急降下しようにも下にはジャマー、上に逃げたなら白き乙女以外の防空識別圏に引っ掛かるためどうしようもない。
「あーあぁ、あんまりやっちゃうと……」
隊長クラスが止めに来る。
ころころと所属が変わる月姫小隊だが、基本は各部隊から実力者が選抜されて配属される。もっとも多いのは如月隊から転属したものであり、実力も高い。
だから当然、止めるのは力尽く。それなりの被害が出ることもある。
「もぉー……どうなっても知らないから」
放っておいて帰ろうか、そう思い始めたときに、青いウィンドウにメールが届いたことを知らせるアイコンが煌めいた。タッチすると何もない空間に追加でウィンドウが展開され、メッセージが表示される。
『警告・基地内に侵入者』
単純なクリティカルアラートと同時に監視カメラの映像がリアルタイムで添えられ、もう一通は、
『どちらにするか決めたなら、すぐに来ること』
題名だけの空メールだ。
このタイミングならば、どこに来いと指定されなくてもすぐに分かる。
「……決めるとき、かぁ」
ゆっくりと白き乙女のベースゾーンがある方を見る。ちょうど爆発が起こって空高くに火柱が上がり、その轟音が走り抜けた。強い風が、透き通るように青い髪をくしゃくしゃにする。
下で今まさに禁術指定魔法(つまり許可なく使用した場合は罰則があるもの)を使おうとしていた月姫たちも、一斉に戦闘行為を中止して基地に振り向いた。白き乙女の基地は特別クラスのAIによって、そのすべてを制御されているはずだ。空から近づけば機関銃ではなく機関砲で狙われ、地上からはそもそも障壁が展開されているから、登録済みのもの以外は近づけないはず。
「ちょ、なにあれ!?」
「基地ってヴァルゴが守ってはずでしょ? あいつに敵うのってレイアしかいないはず」
「じゃあなに、どっかの戦略級がヒドゥン状態で侵入したわけ?」
「そんなことできる戦略級私知らないけど」
「ってまさかセントラのジェットじゃないの?」
下から色々と言い合っている声が聞こえるが、レイアは参加せずに、
「決めなきゃ……だよね。放っておいたら”あっち”は壊れちゃうもん、今だけは……」
ピラーの上に立つと、背中とお尻に配置していた補助具を消し去る。
前に倒れるようにして、重力に身体を預けてまっさかさまに落ちると翼を広げて飛んでいく。