第四十二話 - 楽園の追放者
「はぁ……まったく。たった一つのグリモアを破壊するのにここまで手こずるとは……あぁ、まったくもって面倒な。割に合わん」
生ゴミくさい路地裏でそんなことを言う彼は、現在進行形で消えかけていた。
始まりなんてものは微かにしか記憶していない。喚ばれたその瞬間に意識が生まれ、存在が確定したことくらいしか。
喚び声を届ける架け橋になったのは、最初に運悪く……いや、運良く世界の狭間に落っこちた阿呆が書いた日記か。日記。一口にそう言ってもその日記はほとんど日記では無かった。落っこちた阿呆の体験と行動を書き留め、いつの間にか勝手に力を蓄える魔道書になり、いつしか魔導書となっていた。
強い力を持った魔導書は、いつの間にか世界を記録しながら勝手気ままに彷徨い始めるようになる。阿呆に喚ばれた時には必ず手元に戻り、魔術の力を分け与え対価に体験を記録して力とした。そしてあるときたまたま自動詠唱された魔術が空間に穴を開けて移動するものであり、意思を持ちかけていた魔導書がまだ見たことの無い場所を望んだが為に魔力の無い場所に落ち、何も出来ずに転がってしまった。
喚ぶ声はすれど何も出来ず、なれば動けるように、そして自衛できるようにとソレを創り出した。
空っぽの器だった。空虚すぎて何にも干渉できず、さりとてソレの認識する事象に引きずられてあるべき形を振る舞おうとしていた。やがてもっとも多いもの、人という形を観測し続けた結果に人の形を得た。
空っぽ故に降る雨を溜める窪みのように、もっとも多く降った感情。負の感情、見えない負の力、それらを溜めていった。
「さてと。最後の一仕事をしてもらうか……悪いな仙崎、全部押しつけるぞ」
いくら消してもデータは不意に復活してしまう。
例えば磁性体を利用した磁気記憶。完全に読み出せなくしてしまうには、一度一定の磁気ですべてを上書きした後でたらめな磁気を何度も書き込んでしまうのが一番。
もしくは……もとからある記憶媒体を徹底的に破壊するか、破壊してしまうほどに強い書き込みを行うか。
「テメェも還りたいんだろう? あるべき場所に、あるべき世界に。……ならいいさ、この負の感情の集合体も解放するよりか向こう側に叩き落とした方が都合がいい」
「ぅ……んん」
「いい加減に起きろ仙崎」
袋が破れて得体の知れない悪臭のする雑菌だらけの液体が漏れるその場所に転がっていた長年の相棒を蹴った。
「げぶふぅっ!?」
「さて」
「み、ミナ……生きてたの」
「悪いが、お前の存在を抹消させて貰った」
「はぁっ?」
「お前を知るものは誰も居ない、お前を証明する物は何も無い、お前を助ける物は存在しない」
「アノ、ナニマジメニイッテルノカナ?」
「そう緊張するな。お前はもうこの世界では生きていけない。分かるだろう? このガチガチに情報管理がされた世界で自らを証明するすべてが無い場合、どうなるか」
「……あのさ、具体的に何したの?」
「残った力で一人の存在証明を完全に排除するくらいは余裕だ。お前が生まれた記録から全部無いからな、親すらもお前のことを覚えていないぞ」
「……僕に何をさせたいのさ」
「ゼロから普通を掴み取るか、一つの世界から消えて別世界へと再び赴くか。どっちがいい?」
「それさ、選ばせる気あるの!?」
「なぁい」
「……あの、さ。ほんとのところ、どうなの? 冗談抜きにそれ消えかけてるよね」
仙崎は頭についたねっとりしたものを拭いながら、消えかけの友人に問う。
「だな。成功したからな、さすがにレイアを殺すのは疲れた……強すぎだ」
「やっぱり……みんな、やったの? 君が」
「いやそれがなあ。レイズ・アルクノア・レイシスは不死身で殺せないわ、妙な力を出してきたレイ・キサラギに吹っ飛ばされるわ、クロード・クライスに封印されかけるわ、クレスティアにはぐちぐちぐちぐち言われるわ…………あの馬鹿どもが、死んでも、殺しても、殺しても必死に止めに来るわっ! あー面倒だったよ」
「…………。」
「なあ」
「ねえ」
仙崎の手は白い天使の紋章が輝く。
皆川の手には光の脅威から真実を覆い、護るような優しい闇が溢れる。
「やめておけ。供給源が無い以上、お前では勝てない」
「君は……どうして」
「じゃあな仙崎」
「僕はっ!」
光が炸裂し、闇がすべてを覆い隠した。




