第四十一話 - その日・界間の失楽園
「あれ?」
確かに一瞬前まで、目の前に突っ立っていた来栖に炎雷の槍を投げつけようとしていたはずだ。
だというのになんだこれは。今、仙崎の目に映っているのは凄まじい数のワイヤーフレームと、それを構成する情報構造体のポップアップウィンドウ。
空間自体の色は暗い青色で、目に痛い青色のフレームとデータの羅列に視界が揺れる。
「なにこれ、仮想空間じゃあるまいし」
別の侵入者とやらが実は魔法使いだったのかも知れない。それで辺り一帯に強力な幻術を掛けているのかも知れない。
即座にその考えを導き出して否定した。
仙崎霧夜の専門は霧による撹乱と幻惑。最高クラスの幻術使いであるが故に、魔力なんてなくても無意識が対抗処理を行う。だから効くはずがないのだ。
「……ていうか、一人?」
あたりを見てもワイヤーフレームは何を構成しているわけでもなく、データの羅列なんてものは見るだけでめまいがする。次々に生まれ出る新しいデータに古いデータが上書きされ、破壊され、瞬く間に情報の配置が置き換わる。
だがその中で飲み込まれ、消えかけていたノイズが溢れ出す。
「――――き――る―――」
「なにさ、なにが来るってのさ」
「――だ―――れ」
再び呑まれ始めたノイズから、傷だらけの腕が突き出された。幾重にも鎖に縛られたその腕、手のひらには真っ黒な天使の紋章がある。
「受け取れ仙崎! すべて消し去れ!」
「ミナ!?」
声だけで分かった。そして反射的に手を伸ばして、届かなかった。
ひらりと天使の紋章が浮かび、白く輝いて伸ばした手に焼き付く。
「躊躇うなよ、これは必要悪という枠じゃない、純粋に不要な存在だ」
「ミナ? どうして……い、いつもみたいになんとかするんでしょ? できるんでしょ!」
「無理だ」
「君が無理って言うときは、だいたいどうにかなるときじゃないか」
「そう。でも今回は不可能」
「なに言ってんのさ。いつだってなんとかしてきたじゃないか!」
「いいか仙崎、完全に孤立させろ。いまも戦っているやつらがいるが、あいつらじゃどうしようもないからな……あとは頼む」
訳も分からないうちにノイズと同化して消えていった。
視界が急速にデータの奔流に流され、狼狽えるようにしてあたりを見渡すと、真上から声が掛かった。
「あらあら、てっきりクロードあたりが召喚されると思っていたのだけれど……」
酷く残念そうな声だった。例えるのならば、大金つぎ込んで何百回もガチャを回したというのにゴミばかりが出てしまったときのような。
「…………なにさ、また仮想なの!?」
上から羽ばたきの音が鳴り、ゆっくりと降りてくるのは元第八位の大天使にして現堕天使のメティ。異世界行きの元凶の一つだ。
「文句は無しよ。今は黙って手伝いなさい」
「いったい何を? 魔力無かったら僕なにもできないからね」
「いいわ無くても。彼にも、あなたなら届くでしょう?」
ゆっくりと指差された方向に目を向ければ、ワイヤーフレームとデータの羅列だったものの見え方が変わる。
透き通る青空とどこまでも続く新緑の大地。燃えさかり渦を巻く炎の竜巻、抉られ掘り返された大地、認識が追い付かない速さで動き回る誰かたち。
その中心にいるのは真っ黒い人の形をした何かだ。
「あれは……ミナ、なの?」
「そうよ。彼ね、あなたを召喚しようとした途端に動きを止めて、召喚が終わったら動きが変わったの」
「え?」
「まるで完全に自我を失ったように、もう何も通じないわ。あれを見なさい」
意識を向けた先には大地に倒れぴくりとも動かない女の子たちがいる。
誰もがスコールという存在と共に歩んだ強き者。蒼月と呼ばれウィステリアの名を授かった天使、卵から育てられた翼のない飛竜人のリミットリア、生まれ変わりまた会うことを約束したイクリス、兄と慕いときに刃を交えたセラウィム、クロードのいざこざで天界を追放されたフィーエル、長い時を共有したレイアの模倣体であるゼロ、そしてここにいるはずのない時川漣。
更に見ていけば仙崎の知らない者たちがたくさん。
誰一人として見える傷は負っていない。
「みんな死んだわ。彼の攻撃はレイアちゃんの次に厄介よ」
「レイアの次に? 同系統の攻撃ってこと?」
「違うとも言えるしそうとも言えるのよ。レイアちゃんの場合は認識した情報構造を書き換えるのだけど、彼のは触れた情報構造体の内部を完全分解して崩壊させるの。分かるわよね、どういうことなのか」
「……分かるよ。レイアの無慈悲な魔法はすべてを跡形もなく消し去ることが出来る。だったらそれを創り出したミナなら……ってことでしょ」
「えぇ、もう私との繋がりも切れたようだからなにも分からないけど。でも、確かなのは彼は後戻りできる場所にはいないってことよ。終わらせてあげるしかないの、レイズが思い描いた最強を、私が呼び寄せてしまった彼を」
「それどういうこと? ミナは人間じゃ――」
「認めなさい。彼は旧規格の人型特殊召喚兵で本来は存在しないの」
言い終えるなり空に舞い上がり、どこからともなく錫杖を取り出してしゃらんと鳴らす。無機質な金属同士がぶつかる味気ない音ではなく、体の中にまで響く柔らかい音。
その音につられるように光が現れては槍へと形を変え、降り注ぐ。
「全力で生きなさい。あれを倒そうなんて考えないで、あなたはあれを観察して解析して弱点を見つけて、あとは逃げればいいの。もとから期待なんてしていないわ、あなたは最弱なんだから」
「……は、ははは……いいよそれで。僕は弱い、でもミナと過ごした時間は誰よりも長い。骸になっていても、染みついた思考ロジックは消えないはず。だからそれくらい見つけ出して後は逃げるよ」
戦って勝とうなんて思うのは馬鹿だ。よくて負けに傾いた引き分けにしかならない。
アレに勝ちたいのならば魔力神力その他の異能に頼らず対抗でき、且つ近接格闘に優れ常に戦闘用のロジックを破棄して構築出来る存在でなければいけない。
「ふふっ……そんなのミナ本人だけじゃないのかい」
最も厄介な敵は自分自身というように。
仙崎の中ではもう納得がいく結論ができあがっていた。
一つはスコール、ミナが幽霊、精神体であるかもしれない。これは単純に、そうでもなければ説明がつかないことがあったからだ。
もう一つはミナはイリーガルでありフェンリアである。イリーガルはミナでありフェンリアである。フェンリアはミナでありイリーガルである。
時の魔法の中で最高難易度のものを使える。だとすればタイムパラドクスを引き起こしていたとしても不思議ではない。『過去をとっても未来をとってもどちらも消滅するからな』『もうどっちがどっちなのかすら分からん』イリーガルの言い方からすれば、未来から過去に引き寄せているとも、過去から未来に引き寄せているとも取れる。
仙崎の知るスコール、ミナのことを思えば、イリーガルが未来の姿であり未来から過去に来ているということではないのだろうか。ともすればイリーガルはどの未来から召喚されているのか。どの事象を知った上で変えようとしているのか。
「さて、弱点探そうか」
見る限りは回避行動を取っているが、回避率は低い。
槍が降り、ミナを狙って双剣を持ったクレスティアが誘導するように避けやすい攻撃を放つ。紙一重で剣を躱し、その先で槍が掠り体勢を崩し無駄な回避行動を繰り出す。
どこからか雷のような音が轟けば砲弾が掠め、それでいて虚空を警戒する動きで背中を見せたまま斬り込んでくるルクレーシャの方へと動く。
動きがおかしいのは明白だった。見えない何かの方を意識した動きを優先している。ただそれは、魔法を発動するためのステップでもなければ隠匿された空間設置型の魔法を避ける動きでもない。
目を閉じ世界を視る方法を変えてみれば、何十人もの魔法が干渉し合って極彩色の混沌が広がるだけで余計に見づらい。しかしその中に妙な空白が広がっていた。それも点々としたものではなく、極彩色を削り取って消し去り漂白するような線だ。
ミナはそちらを優先して回避ロジックを組み上げているらしい。見える攻撃は完全には避けていない上に、避けるにしても紙一重の危ない躱し方だ。しかしそちらは無理をしてでも余裕を持って回避している。
「なにを……って、あっつぅ!?」
突然の火傷するほどの熱さに手を見れば、焼き付いた白い天使の紋章が輝いていた。
「メティ! これなに!?」
天使のことは天使に聞くのが一番と、大声で呼びかけて見れば。
「白いのは私のじゃないわよ!」
とだけ。
確かにメティが刻むのは黒いものだ。相手の意識行動その他すべてを有無を言わさず縛り付け、消す方法が極端に少ない極悪な隷属の術。
「だったら……これ、誰の?」
天使が紋章を授けるとすれば、魂や存在自体にまで食い込むほどの契約を結ぶ時だけだ。
それほどに強い繋がりならば、辿ることも出来るのでは? そう思い、右手の甲に浮かんだ紋章に触れ、意識を集中する。
すると見えてきたのは記憶だ。酷く曖昧で無茶苦茶で、まったく辻褄が合わず時系列もおかしい混沌とした雑多な記憶。それも一人のものではなく百数十人分もの大量の記憶。
「なんなのさこれは……」
その記憶を取り込んだ瞬間から、見えるものが増えた。
さっきまで極彩色を消していた線の動きが変わった。それは線ではなく何十人もの人だった。
姿が見えると声が聞こえ始める。
「ふざけたことを……スコール!」
「勝ち目がない、なんでやるだけ無駄だがやらねばならんとな」
「だーりん、いい加減に! 諦めて戻ってきてよ、ね!」
「とにかく攻撃し続けろ。邪魔して邪魔して邪魔し続けてやめさせるぞ」
「けっ、イリーガルはどこ行きやがった? 過去の自分だってんならてめぇで蹴りつけろってんだよ」
「そんなこと言っても仕方ないでしょう? これは私たちの存続にも関わるのですよ」
「はーはぁぁ。スコールの自壊術式は完全に閉鎖型、干渉不可。しかも魔力も神力も受付けないときた」
「どうするんね? あたいら実体のない精霊体じゃどうにもできんよ?」
「どうにかするんだよ! さっき妙なリンクが数本伸びてやがった。たぶん邪魔が入るぞ」
「邪魔って、例えばあそこにいる仙崎霧夜とかのことかな」
一斉に視線を向けられる。
「ひっ」
「やるってんなら相手になるぞ?」
「うわっ!?」
言われたことをよく考えれば、仙崎霧夜とかと言っていた。声を掛けられてようやく気付いたのだ、後ろに一人いたことに。
黒いパーカーのフードを目深に被り、黒いカーゴパンツに黒い靴、黒いグローブと黒く艶消しされたコンバットナイフ。黒一色の死神がいた。
「ようネーベル」
「なんで君がここに?」
「スコールに脅されたからに決まってんだろ!? ったくよぉ、仮想でアイギス相手に戦ってたらいつの間にか俺だけ過去にすっ飛ばされて一人で北極で凍えるとかなぁよぉ! この苛立ちはどこにぶつければいいんだよ!」
ビュンビュンと音を立てながら大振りのナイフを振り回す。その軌跡には空間の揺らぎと黒い霧のようなものが残る。
「う、うん? いまそっちの世界ってどうなってるわけ?」
「お前ら"外の人間"がほとんど消えた後から四、五百年は経ってる」
「そんなに?」
「俺とレイアで色々やってるから……詳しく知らねえけど」
「ていうか今ほとんどって言ったよね? 残ってるの誰?」
「レイズと……まだ何百人かいたな。俺が片っ端から殺してるからどんだけいるか知らねえけど」
「知らないって言う問題それ!? ってかなにさ、レイズもこっち側だったの!?」
「ん? いやてっきり知ってるもんだと……」
「知らないよ。そもそも僕らも一つの陣営に見られてたけど結構小さいグループの集まりだったんだよ。友達とか同じ学校とか趣味が合うとかみたいな、ほんと小さい集団の集まりがあんな大きくなっただけで――」
と、呑気に話していいのかと思った時には一人向かってきていた。
「見てるだけなの、邪魔するの、それとも助けてくれるの。どれなの?」
そう問われて先に答えたのはクロードだ。
「悪い、アザレア。俺はスコールに脅されてるからな」
逆手にナイフを構えると、周囲に空間の揺らぎが広がって白い筒が現れる。それは中継界の倉庫から手軽に物を取り出すための装置であり、単純に武器を取り出すことが多いからウェポンターミナルと呼ばれている。
「そっ。なんか言ったとおりになっちゃったね、王子様。それで、そっちは?」
「僕は孤立させろって言われたけど、何を孤立させたらいいか分からないし……」
「あぁそうなんだ……じゃあ二人とも敵だね」
そして、仙崎には認識が及ばない速度で激突が始まり、気付けば吹き飛ばされていた。痛みも何も感じない。起き上がって怪物同士の激突を眺めれば次々と武器を切り替えて重力の束縛から逃れたクロードと、色とりどりのツツジの花を散らしながらすべてをいなすアザレアの姿がある。
どちらともスコールと繋がりの強い者であり、あの二人はかつて共に戦場を駆けている。
「いきなりかい……孤立……孤立ね。一人にしてくれってことかい、ミナ? 僕が周りのやつらを黙らせればいいのかい?」
訪ねるように呟けば、応じるように天使の紋章が熱を放つ。
「分かったよ。じゃ、僕も本気でやろうか」
一つ、魔法などの使いすぎで死ぬ、消滅することがある。理由は単純、己の魂から力を精製し、己が存在を切り崩して力に変換するから。
「エレメントブラスト!」
「ちょっ、待てっ!」
詠唱なんて必要ない、それでも口にするのは他の味方に知らせるためだ。若干一名ほど本気でやめてくれと訴える声が聞こえたようでもないが。
あたり一帯を視界が霞むほどの魔力が埋め尽くし、仙崎とクロード以外には見えていなかった存在が見えるようになる。
「みんな! アレを狙って! 終わったらミナは放っていったん下がる! そしたら後はなんとかなるから!」
一瞬にしてすべてのヘイトを引きつけた。クロードは弱点である魔力のみの干渉を受けて戦闘不能、他の全員が戦闘を始める中でクロードとやり合っていたアザレアが仕掛けてくる。
「分かってんのあんた……どうなるか分かってやってるの!」
「どうなるかは知らない、でもどうにかなるんだろう? これで」
「……ふざけんじゃないよネーベル。二面攻撃でさえスコールはまだ自己崩壊プロセスを進める余裕があったのに、これじゃあっという間にプロセスが終わるじゃん……あんたはあいつが消えていいって、あたしら全員消えていいって思ってるんだね……」
雫を零しながらの鋭い踏み込み。殴られた痛みが分かる頃には馬乗りになられ、両腕を膝で押さえ込まれ拳の連打。
「あたしたちにはもう余裕がない訳よ! 百人以上いたのにもう十人もいない……どれだけ消えたと思ってんの……」
消え入るような声で言われ、殴られ。腕を押さえつける痛みと相まってなにも抵抗らしい抵抗も出来ない。
「いいよねあんたら本当の人間はさ。あたしらみたいに意識だけとか、精霊体で召喚されたあたしらは本当の体すらない。依り代を得て、それで人の記憶に干渉しちゃってずっと一緒にいたみたいに嘘ついてさ。いいよねホントに! あんたたちは死んでも仮想から消えるだけで現実にはなにかを残せるんだから!」
だんだんとネーベルの反応が薄くなるにつれ、アザレアの拳も弱くゆっくりになっていく。
「不必要だから消えろ? ふざけんなっての! あたしたちは紛い物でもこうしていままで生きてきたんだから、要らなくなったから、邪魔になるから一方的に消えろってのはおかしいでしょ!?」
最後に一発、拳を振り下ろしてそのまま仙崎の上に泣き崩れる。だがそれも数秒と続かなかった。
横合いから繰り出された魔法にはじき飛ばされ、空から降り注ぐ光の槍に貫かれ消滅していく。今までもこうだった。互いに理由はあっても理解はせずに別の流れとぶつかって押し流されて消えてしまう。理解しても打ち解けることはほとんどなく、大抵は流れで排除してしまう。
「生きてる? 仙崎君」
ふわりと隣に降り立ったクレスティアがさっと治癒魔法を掛ける。瞬く間に傷が消え、痛みが引いていく。
「い、生きてるよ? 生きてるって分かってるから回復魔法かけたんでしょ? 死んでたら効かないの知ってるよね!?」
「さぁてね? それより後はなんとかなるってどういうこと」
「う、うん……ちょっと、なんていうかほら、間違っちゃったっていうか……ほら?」
「何を間違っていうのかしら」
「あのー……ね? なんていうか、助けられるのに助けられなくしちゃった、感じ?」
「どういうことかしら」
クレスティアが怖い笑顔で詰め寄ると、仙崎が半泣きで引く。これには逆らってはいけない、というかこの世界では女性全般に逆らってはいけない。
「いやほら、たったいま分かったけどさっきの人らいなかったら超不味いことに……な、り……そ」
言っている間に変化は始まっていた。
中空に仙崎の放出した魔力が吸い寄せられ、次々と不安定な物質に変貌する。ダークマターとでも呼べばいいのか、それは瞬間的に光ったかと思えば空間を破砕し極小規模の穴を穿つ。
「なに?」
「超規模の小さな特異点?」
「それはないわ。だってあれは世界の不都合とかパワーバランスの辻褄が合わないときのしわ寄せなんだから」
「だったら、アウトゲートかな。なにが出てくるのやら」
じりじりと距離を開けていきながら、黒い穴を注視する。
どうも穴がじわりじわりと移動しているようで、未だに復帰できていないクロードを目指しているようだ。絶対によくないことが起こるが、この微妙な位置では助けに行って巻き添えをくらいたくもない。
「あら、みんな逃げたわね」
「あーはいはい。いいよ、貧乏くじは僕の担当だから、てきとーになんとかするから。鈴那も行っちゃっていいよ」
「あらあら。転移してすぐに死ぬところだったのを助けたのは誰だったかしらねぇ? いっち番弱い仙崎くーん?」
「それ言う!? 誰があんなところに召喚したんだっけねぇ!!」
「いいじゃないの。気持ちよかったでしょ? 大空の旅」
「死のフリーフォールなんだけどね!」
と、クロードが、
「おいおいおめーら」
仰向けで真上の穴の中を見ながら、
「これ、やべえ」
なぜだか震えながら言う。
穴の中に何を見たのか、その答えはポロッと穴から落ちた懐中時計で分かった。
「「あっ!」」
「つまりだ」
ぐいっと穴から出てきた傷だらけの両手。
「未来からやってきて過去の自分を破壊すると矛盾というかタイムパラドクスでそもそも起こらなかったことにされるか別の歴史として進んでいく訳だ」
妙な膜に包まれてヌルッとしたドロッとした何かをボトボトと零しながら、穴を広げてイリーガルが姿を見せた。
「でも、今回はどうだろうか。条件は揃えた、三位一体の特性は封印、通常処理も割り込み処理も他のどんなプログラムも介入できないように世界の間を設定、イレギュラーである時川漣も排除、懐中時計の機能も破壊済み、プライミングの伝達を阻害、活性化拡散を抑制、存在許容の為のミーム保有者も殺害済み」
クロードを不明物質の山に沈め、その上にイリーガルは降り立った。
「さすがに数十人程度では確率の収束状態を維持できまい。それにパラドクスにパラドクスを重ねていけば通常の法則が適用できなくなる。そしてその中で都合の悪い方向を引き当てる可能性は低い、と」
そう前置きをした上で。
「現状最大級の障害は仮想情報体クロード・クライス、クレスティア、レイア・キサラギ、メティサーナ、ヴァレフォル。現実からの介入者、仙崎霧夜及び、詳細不明・仮想空間上ではレイズ・アルクノア・レイシス。以上七名、これより排除する」
唐突に棍を取り出したかと思えば、振り下ろしてクロードの頭を砕き流れる動きで宙に棍の先端で陣を描く。
「我は召喚士、人の世に引きずり出されし万物の根源たる虚無の存在の破片なり」
彼の地に還ることは叶わず、しかし彼の力を使役し彼の破片を此方に導く門なり
ここに示して見せよう、今よりこの場は彼方と此方の境界が薄れゆく虚構の世界なり!」
「逃げなさい!」
メティの叫びが聞こえると同時に世界に薄く白いナニかが重ねられた。
「彼の特殊召喚は無意識ですら怯える各個人の思う最強よ!」
「……うん? つまり僕らが思い描く"勝てない"敵ってやつを召喚するってことだよね? 楽勝じゃん、逆手に取れるよ」
仙崎の言葉の反撃にイリーガルはすぐに理解が及んでフリーズする。
まああれだ、過程に集中するあまり結果と矛盾する方向に進ませてしまうとか言うあれだ。
「君の目的はミナの消滅。だけど僕らが思い描く勝てない敵ってのはほとんどミナのことだよ。君もミナと同じだけど僕らがよく知っている脅威はミナだからねぇ! しかも幽霊かと思いきやそういう想いとかいう方向の特殊召喚獣!? だったらいくらでもやりようはあるんだよ!」
「で? メティが知っているのは召喚の一つに過ぎない」
「ロジックの組み替えかい? だったら僕はそれに合わせて対応すればいいだけだね」
「あー……馬鹿か、お前。基礎から応用に進んで基礎を忘れた阿呆か」
「……何が言いたいの?」
それは召喚魔法の基礎。召喚、つまり強制的に呼び出すこと。
それは召還魔法の基礎。召還、つまり強制的に呼び戻すこと。
「ん? 今回はうまくいきそうということな訳だが」
チカッと、カメラのフラッシュのように一瞬だけ眩い光があたりを包み、結果は出ていた。
「召喚魔法その一。相手を任意の場所に引き寄せることができる。その場所に別の物があり座標が重なった場合は、分かるな?」
仙崎は空から新緑の大地を見下ろしていた。
眼下には血の雨が降り、自分の心臓がある場所に混が重なっていることが分かる。
「ぁ……」
「召喚魔法その二。対象が物質的存在を持っていなかった場合は憑依させることが可能。そして契約の基本ルールに従って契約者からの強制命令で存在を破壊」
クレスティアという存在が消失していた。
そしてイリーガルの片手には長い黒髪を絡め取られたメティの姿がある。
「そんでもってそういう存在は隷属の鎖で縛り付け力だけを固定。召還魔法で元の位置に存在だけを戻すとどうなるでしょう?」
またもチカッと光ると、さっきまでメティがいた場所に光の粒子があるだけで、すぐさま溶けて消えた。
「答えは存在を維持するための力がなくなり消滅。力を維持するための存在がなくなり消滅」
そのまま指揮を執るような腕の動きで、逃げた者たちがいる方向に何かをしては障害を排除していく。
「さあ、でかい事象改変が始まるぞ、と」




