第四十話 - 日常への入口は遥か遠く/5
地下トンネル内は酷いものだった。
イリーガルが歩いてきた方向はほぼ崩落しかけて、人の破片があちこちに飛び散ってこびり付いている。
「うぷっ……」
「吐くなよ来栖」
「慣れようね? 僕らのやった後はだいたいあんなだから」
「うっ――んぐっ! ……お前らなあ、俺らダイバー隊も結構やるけどここまではやらねえよ!?」
一体全体どんな戦い方をすればこうなるのか。
散らばる肉片と破壊された装備、ふと壊れていない無線機から声が漏れてきた。
『侵入者が第三隔壁を突破! 上層の保安部隊と連絡途絶、生存者は個別に連絡を入れろ!』
『やつめ、木刀でなんで切断できる……』
「あれ? 侵入者ってイリーガルのことじゃ?」
気になって聞いてみればなんのことだ? と首をかしげるだけだ。
「ソウマが逃げた?」
「あのヴァカがピッキングなんか出来ると思うか?」
「ていうか檻に入ってる前提で考えるのやめない?」
「つーかよ、来栖。おめーの通信コード寄こせ。部隊ネットワーク全部すっぱ抜いてやる」
「やめてそれ! 俺らの技術部のメンツがマジで潰れるから!」
「あれ? 俺一人に集団で電子戦仕掛けて全戦完敗したのどこの雑魚だったけーなぁ? とっくに解体されたと思ってたんだけどあの役立たずな自称ウィザードたちまだいたのねぇ笑えるねぇ。ねぇ、ねぇ、ねぇ」
しつこく、しつように、ねちねちと顔をつつきながらからかう。
まともにやり合えば勝てないからこそ、弄れるときに弄り倒しておくに限るのだ。
「やめたげて。もうあいつら次ヘマしたら首切られるからやめたげて!?」
「トーリ、その辺にしときなって。後が酷いと思うよ」
「いやさぁ仙崎。この状況、俺とお前、イリーガルとフェンリア、そして来栖。二、二、一だぜ? いま虐めなくていつ虐めるの? 今しかないっしょ!」
「……うっわいつもの悪いクセだね。勝てると分かった途端にこれだよ」
「べっつにいいだろー? これが俺流」
「そんなんでミナにボコボコにされたのがいつのことだったか。……ほら、前見なよ」
と、視線を向ければ。
「よくこんな状況下で呑気に話せるな」
苛ついた低い声で睨まれた。
考えてみればおかしな状況だ。ついさっきまでは別世界にいて敵同士で殺し合っていたというのに、今は五人揃って一緒に歩いている。
仙崎にしてみれば、フェンリアはミナのもう一つの姿でありさっきの話し方や雰囲気はかつての相棒であるサクラにかなり似ている為どう接していいのか分からない。イリーガルはよく分からないが相当に強い相手だ。トーリはほぼ表に出てこない優秀なサポートで、あちら側の世界で知り合った一応友達。来栖は何度か戦った観測者側の敵であり、現状は停戦状態。
全体的に接し方に困るメンツなのだ。
「仙崎」
「ひゃひっ!?」
「そんなにビクビクするな」
「……いやでも」
「怖いか」
「いやね、怖いって言うかさ、どう対応していいか困るんだよ」
「困る、か…………見た目の問題ならこれでどうだ?」
またもバキッと何かが割れる音がして姿が変わる。
無表情な青年、としか言いようのない存在感の希薄な姿に。
「……っ。でも、見た目はミナでも中身はイリーガルだろう」
「ふっ……どうだかな。もうどっちがどっちなのかすら分からん」
何か諦めたような口ぶりで、親指を立てて後方を指差した。
「が、どっちにしても敵は多いという訳だ。やるぞ、ネーベル」
不意に自然な流れ聞き慣れた声音で名を呼ばれ、一瞬気を許しそうになってしまう。
そう、出会った時と同じ雰囲気だ。存在感が薄く、それでいて悪意やらの負の感情を惹き付ける。
「…………。」
「ネーベル、お前はもう気付いているだろ? 一番長く一緒にいたんだから」
「……うん。はじめて会ったときからおかしなやつだったよ。でも、もういいよ。ミナは僕の友達で、ただそれだけで十分だ」
魔力結晶を胸に当て、自分の体に馴染みのある色に変えていく。魔力と一口に言っても濃度や色、属性などで種類は複数ある。燃料と一口に言ってもガソリンやディーゼルなどがあるように。
燃料であれば火を付ければ燃える、それが共通項だが熱効率など燃費の違いがある。同じように魔力にも違いはある。原油から精製して使いやすいものを創るように、仙崎は魔力結晶から自分にあったものを精製する。
「割り切れるなら結構。敵は引きつける、火と水は」
「使わないよ。ミナに教えてもらったことだからね、戦い方はしっかり覚えてる」
「オーケー。だったらスコールのやり方は忘れろ、前衛と後衛で注意を引きつつ焼き払うやり方は得意じゃないからな」
「じゃあどう動くのさ? 下手して共倒れとか嫌だから」
「連携を考えるな、それだけ」
「同じじゃない?」
言い返したのも束の間、返事が来る前に銃弾の嵐が来た。
皆なれたもので特に慌てるでもなく瓦礫の蔭に身を隠し、ネーベルは魔力障壁を、イリーガルはどこからともなく白い力を召喚して陣を描く。
今この場においては主戦力はこの二人であり、相反する性質を使って互いを助けている。
異界の力を使えば世界が崩壊する。崩壊して現れた力を放っておけば連鎖的に不安定になり崩壊、その繰り返しで世界が汚染されていく。それを利用した互助。魔力を頼れば神力が生まれ、神力を頼れば魔力が生まれる。互いが反対の力を使用して互いに力を供給し合う。
「始まるぞ」
「なにが?」
瞬間、目に映るすべてにノイズが走り抜け動きが速くなるものがあれば遅くなるものもあり、いきなり瓦礫が弾け飛び、ひび割れていた天井が元通りになり、肉片だったものが沸騰し、凍結し。
「運命、世界、時間、事象。どんなものだって復元力を持っているしある程度の耐久力がある、しかしごく一点に綻びが出来てしまえばそこから一気に壊れていくものさ」
「だけどこれ! 物理法則まで乱れるの!?」
銃弾よりも後に音が届き、衝撃の後に発砲炎の煌めきが目に届き、弾丸の到着よりも先に敵が駆けてくる。
「ここから先は量子論だ。いくつもの箱の中の事象が一つの座標に重なる、誰かが観測すれば確定するが別の誰かが再観測すれば別の事象が確定する。事象自体はいくらでもあるが座標上の存在は有限だ、短い時間で見る度に、視界から外れる度に状態を改変されれば存在自体がもたん」
「そうなった場合はどうなるの」
「ストローヘッド」
「なにそれ?」
「ストローはほぼ抵抗なくものを通す、世界の間違いを認識させず間違ったまま状態を強引に進める。そこに明らかな異常があるのに異常と認識させずに放置だ」
「つまり?」
「世界自体の復元が働かない」
「…………。」
ネーベルの脳裏にはかつてそれで何が起こったのか、鮮明に思い出されていた。そうなれば確実に世界を放棄して逃げる、これが仮想での全陣営間での共通事項だった。しかし現実でそんなことが起こってみれば、別の惑星への移住なんて技術レベルが確立していない以上は大量絶滅しかない。
「サモン・ウォール」
イリーガルの短い詠唱でトンネルの地面が盛り上がり、割れて裂けたそこから土砂の壁があふれ出る。
「潰せ」
「え?」
「移動魔法、方向性の指定だけして押し潰せ」
一瞬理解できなかった、やることは同じなのに説明の仕方が違う。
それでもすぐに魔法を思い描き事象を引き起こす。土砂が崩れることなく壁のままトンネル内を押し流す。
「あ……工程魔法はしばらく使ってないか、お前」
「しばらくって言うか、さわり程度しかやってないよあれ」
ノイズも収まりしずかになったトンネルをネーベルが先頭に立って進んでいく。トーリは奪った端末も使って内部ネットワークを荒らし始め、フェンリアと来栖は拾った銃で後方を警戒。
イリーガルだけは警戒もせず、ときおり小石を拾ってはポケットに押し込んでいた。
「なにしてるのさ」
「見ての通りだが?」
そう言ってまた小石を手に取り、ポケットに入れると同時に白と黒の光に変わるのが見えた。
「……君、魔法使えないよね?」
「忘れたか? 分解魔法の基礎理論は魔力または神力を操作して意図的に物質を不安定化させ崩壊、魔力と神力とに分けてしまうということ。どんなに安定した元素だろうが……例え鉄だろうが内部をいきなり弄くり回されたら壊れる」
「鉄……? あ、科学の授業でやったか。保持するエネルギーが少なくて安定した……ってやつだっけ?」
「何段階かの工程を経てハイドロゲン四つからヘリウム一つが出来る。この際ハイドロゲン四つよりもヘリウムが軽くなる、質量欠損だな。ハイドロゲン、ヘリウム、カーボン、ネオンと融合するごとに重さが合わなくなっていく。しかし鉄を超えてくると逆に質量が増えてくる、質量超過だ。軽いとエネルギーを放出し、逆に重いとエネルギーを吸収していく。ここから物質はエネルギーに、エネルギーは物質にという有名な――」
「長い! なんで君はそんなに頭いいのにサボり……ごめん。うぅん、君はイリーガル、ミナじゃない」
「気にするな。今の答えは正解であり間違いだ。過去をとっても未来をとってもどちらも消滅するからな」
どこか寂しげに言い終えた途端、イリーガルの体にノイズが走った。小さなノイズは大きな波に変わり、体中を蝕んで存在の可能性を零に還していく。
「……あぁん? 他の連中全滅か?」
意識を切り分けて再び仮想に放り込んでいた半身、そしていくつかの複製。それらがすべて排除されてしまった故のフィードバック。イリーガルの陣営だけが知ることであり、ほかに知っている者はほとんどいない彼らの関係は、一人の消滅が仲間内すべてに伝播してしまう。
「どういうこと? 君の仲間って……」
「どうでもいい。一つ教えておく、仮想の出来事はあの魔方陣の一件から後はまだ定着しきっていない。なかったことになるか矛盾だらけの歪な時になるぞ――くそっ、ここまでか」
ノイズが酷くなり、イリーガルが消える。振り返れば同じようにフェンリアが消える。
「ん? 仙崎、気をつけろ。カメラに別の侵入者が映った」
最強の切り札と力の供給源が消え、敵は増えアンノウンも増える。慎重に進むよりも撤退をすべき状況だ。
「気にしないの、君ら」
「別に。俺は仲間以外でそんなに親しくないなら入れ込まない主義だから」
「来栖は?」
「むしろ消えてくれてビクビクしなくてすむ」
薄情な二人。だけどそれが当たり前だった。そうでなくてはここまでまともな精神状態でやってくることが出来なかったのだから。
「でだ、仙崎。お前は自分で物質を崩壊させて魔力を精製、それか自動精製できるか?」
「自動精製? ……あぁ、魔力の自然回復みたいなアレね。どっちも無理」
「それじゃサポートとしての俺の提案は一つ。来栖をさっさと始末してここから逃げる」
さらっと言い放ったそれに、
「なんで!?」
来栖が叫ぶがすでに手の中には攻撃魔法が用意されている。
「ごめんねー来栖君」




