第六話 - 月姫小隊
桜都国。
かつての”大戦”の最中なのか始まる前なのか、それとも終わった後なのか。確かな記述はどこにも残っていないが、まだ西暦だったころ、東アジアと呼ばれていたエリアから逃げ出したものたちが作り上げた小さな島国だ。
国自体は大した軍事力を抱えていないが、科学と魔法の両方を受け入れていることで、三大大国(セントラ、ブルグント、ラバナディア)と浮遊都市群にはいざというときの窓口兼緩衝材として扱われ、今のところは目立った戦争が起こっていないし巻き込まれてもいない。
平和と言えば平和なのだろうが、だからといって平和ボケするほどではない。科学と魔法、相反する二つを受け入れていることで様々な民間軍事・警備の組織や会社が拠点を構えているため、付近では常に小規模な小競り合いが起きているからだ。
PMSCs。
警備や戦闘を仕事にするものたちの集まり、軍人とも民間人とも言えず、曖昧で管理が行き届いないために不祥事はよく起こる。
しかもこの国に拠点を置く彼らは本来保有できないような兵器、例えば戦艦や空母、戦闘機や魔導飛空艇、魔導装甲といったものから戦車まで、そういうものを普通に保有しているのだ。中でも三大勢力と呼ばれる、外縁の守護者・花の護り手・白き乙女は桜都国と大口の契約を結び、防衛戦力の要となる存在だ。
現状の人数でいけば、外縁の守護者は二万人、花の護り手は九千八百人、白き乙女は戦闘可能な人員のみで八百人に届くか届かないかといったところ。
ちなみに外縁の守護者の二万は多いように思えるだろうが、常備されているのは二千前後だ。一度にそれだけの人員を動かし続ければすぐに干上がってしまう。
そして、その膨大な人数を島国で抱えるには少々土地的に厳しい。だから埋立地、それぞれが勝手に(それでも最低限自然環境への影響は抑えるようにして)埋立地を作って、もしくはフロートを浮かべて土地を確保しているのだ。
「あーもう、なんで久しぶりに基地に戻ったかと思えば海鳥の糞の掃除なのよ!」
「文句言わないでやったほうがいいと思うよー。結構な人数消えちゃったんだし」
雲一つない暑い日差しの下。中天から燦然と降り注ぐ太陽の陽を受けながら、ランニングシャツとハーフパンツを着た少女たちがデッキブラシでフロートにこびり付いた鳥の糞を掃除していた。いちいちバケツに水を汲んで撒くのが面倒なのか、魔法で海水を引き上げて圧縮、高圧水流を散らしている。
もちろん後で真水で洗い流す必要がある。
「もう、もう、もうっ! なんでこれだけ圧を高くしても擦らないと取れないの!」
イラついたのか、横薙ぎにザバァッと海水を放射すると、
「わひゃっ、ちょっと! 気を付けてよ」
思い切り周りの少女たちに掛かり、インナーをつけていなかったのかぴったり張り付いたシャツ越しに身体の線がはっきりと。
「レイアちゃーん、いっそお得意の分解魔法でいっきに片付けちゃってよ」
「むーりぃー。使用許可下りてないし封印受けてるし」
濡れた服の裾を絞りながら、よそのPMSCとの仕切りのフェンス(迎撃魔法付与)がある方を見ると、下心丸出しの男どもがそろって覗きに来ていた。
もちろんその視線を揃って少女たちは忌避するのだが、一名惹きつけている色欲魔がいた。
頭には曲がった角を、髪は紫でウェーブがかかり毛先はくるっと内側に、大きく背中の開いた服を着て、背中には蝙蝠のような大きな翼を、まるで夜着のような下着のようなものを着た彼女は、バスタオルを何枚か重ねて敷いて、男たちを誘惑するように体を動かしている。
閏月隊の隊長、シャルティだ。彼女は人間ではないが、人の姿に近い睡魔(淫魔)の一種でいろいろあって白き乙女に所属しているのだ。まあ、サキュバスであるといえば早いだろう。見られて減るもんじゃない、というよりは見せれば遊べるオモチャが寄ってくる、そんな思考なのだろう。
「シャルティ! なにサボってますの、掃除しなさい!」
「にゃ~……そういうのは部下に任せるもんなの~」
ふらーっと手を振ると、何もない空間に黒い穴が開いて使い魔クラスの魔物、インプが召喚される。こいつらは悪魔にも妖精にも分類される存在だ。
シャルティの代わりにせっせと小さなバケツとタワシを持って掃除を始めている。
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白き乙女の使用する滑走路。
その表面をプロの測量士が測ったとしてもほんのわずかな凹凸しか検出できないだろう。素材は高強度のアスファルトやコンクリートではない。ミスリルという魔法と相性のいい金属の粉を混ぜ込んだ特殊素材だ。
小石や枯葉などといったものは一つも落ちていない。
それどころか本来引かれていて当たり前のはずのラインまで、一切見渡しても見つからない。
「ムツキ、一応調整済ませたから励起しろ」
そう言ったのは腰に大きな針のような、突くことを前提として斬ることはオマケ程度にしか考えていないショートソードを下げた男だ。
「承知」
背中に大剣を背負った男は、両手を滑走路につくと魔力を一気に流し込む。すると何もなかった灰色の滑走路にぼんやりとした光が溢れ、端の方でそれが集まると『STANDBY』という文字が結像する。
「一段階つぎー」
文字が霧散すると、滑走路に仮想的なガイドマーカーが浮かび、コースが現れる。
白き乙女では滑走路から飛び立つのは主に魔法士部隊、飛行兵部隊だ。戦闘機などはほとんどがVTOL機であったりSTOL機であるため距離を必要としない。そのため、少ない滑走路でそれぞれの部隊用にするとラインがごちゃごちゃしてしまうため、このように魔法によるガイドマーカーやラインの生成を行っている。
「オーケー。次試したら終わりだな」
「シワス、お前がやったらどうだ。これでも陸戦と隠密を専門としている。そちらの方が空戦専門だから違和感にも気付くであろう?」
「どうだっていいね。部隊の方針と専門性が違うんだから誰がやったところでいい。それに……うちの所属は暁もろとも海に沈んでもう……」
「……だったな。こちらもいま動かせるのは二十といったところか」
「生き残りは各隊の隊長クラスと仮想化部隊と……あそこでダウナー入ってる”お姫様”たちだろう」
揃って目を向けた方向には、滑走路の端の方で膝を抱えて座り込んでいる少女と、隣に立っている色とりどりの少女たちだ。
なかでも一人、一番沈み込んでいるのは蒼い少女だ。白く長い髪で、毛先の方だけが薄らと青色に染まっている。傍らにはダブルブレードと呼ばれる、柄の両側に刃のついた武器が置かれていた。
「どしたん?」
「私ね、なにか忘れてる気がする。誰なのか分からないのに、ただその人のことが好きだったことだけ覚えてるの」
「レイズじゃなくて?」
「うぅん、違う。その人はよく刀を振るっていたから。顔は思い出せないし、結構むちゃくちゃな人で、それでもなんか優しくて……思い出せないよ……好きな人なのに、思い出せないよ……」
どんなに頑張っても、その姿はぼやけて再現される。バディを組んだ日から一緒に行動をして、すぐにいなくなった。それでもその短い間は、一緒にいて苦になることがほとんどなかった。
「思い出せないって……レイズが魔法で何かしてるわけじゃないから、蒼が忘れちゃっただけなんだろうけど、でも好きな人なら忘れるわけもないし……」
「……うん。刀と魔法をこめた札を使う人……見つけられるかな」
「刀と札ね、あとでライブラリに照合掛けてみる。それで見つからなかったらお休みもらって探しにいこ、ね?」
「うん、ありがと」
と、そんな感じで少女たちが話をしていた頃。
滑走路のかなり離れたところに一本の刀が放り上げられた。鞘には所有・突風と書かれていて、次いで投げ上げれらた、水に濡れてもはや使い物にならない札の束。
海水に濡れた手が滑走路の縁に掛けられ、ぐっと力をこめて一人の青年が上がってきた。
「げほっ……あぁ、死ぬかと思った」
口の中に入った海水をペッと吐き出す。
誰かといえば、イリーガルとの戦いで高高度から海にフリーフォールさせられた青年である。なにも術札はポケットの中に入れている物だけではない。耐魔法仕様ケースに入れて内ポケットにも入れてあったのだ。
「へくしっ! ……魔法が使えないとやっぱり不便だなぁ」
白き乙女のレイズや月姫、隊長クラスを除いた中で最強といわれる青年で、あだ名は血色の狂犬という。魔法、魔術を使いこなし、尚且つ仮想化戦闘部隊のエースだ。本来魔法を扱う者と仮想化――電脳化処置を受けた者とでは頭の回路が違うため、無理をしたところで魔法の使用はできない。
だがこの青年はそれを可能とする。さすがに魔術を使ってしまうと相応の代償を払うことにはなるが。
「……はぁ。で、もしかして死んだことにされてないだろうな?」
青年の視界には、普通に存在する物に加えて、様々なポップアップ情報やツールバーのようなものが重ねて映し出されている。網膜をディスプレイ替わりに使う、電脳化処置を受けた者が有する機能の一つだ。
意識を向ければ思考を感知して次々と情報が表示されていく。レイズが展開する精神ネットワークと似て非なるもの。各地の管理AIや、そのほかのAI群の余剰処理能力で構築されたネットワークにログインして、情報の海から様々な情報を拾い上げていくのだ。
白き乙女のサーバーにアクセスを要求すればすぐにレスポンスが来る。
『エラー・IDを認証できません』
その絶望的な一文。
プライベートネットワークへの参加の大前提は、アクセス権限を持つIDを所有していることだ。今の彼には偽造IDを作るような能力は持ち合わせていないし、白き乙女内部でも如月隊に形だけ置かれているようなものなので、IDを無視したアクセス権限なんてものも所持していない。
「……はい?」
そっちがダメならこっちだ。精神ネットワークへのアクセスを試みるが、
『生体情報未登録・不正アクセスと判断・以後のアクセスをシャットアウト』
自分に掛かっているナニかが消えたような感覚がして、どれだけ念じてもアクセスができなくなった。
「……えぇ、未登録って、削除済みってことか? ってことはあれか、俺、死人扱いか」
どーしよ、と呟きながら歩き始めた彼の視界にとあるメッセージが表示された。それを読んだ途端、どこかへと大急ぎで駆けだした。
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昼を過ぎた後のおやつ時、月姫小隊所属レイアは一人でふらふらと空を飛んでいた。
桜都国上空の天気は快晴で微風、飛行には適した状態だ。提出した飛行プランは、新型飛行デバイスの試験と仲間の捜索。死んだと思っていた者と、現在立ち位置がはっきりしない者と、敵に回ったかもしれない厄介な者を索敵魔法の検索条件に組み込んで、索敵用の魔力波を飛ばしている。
「……レイズを敵にしちゃうか、それともあっちを敵にしちゃうか」
少々悩みどころである。どちらも敵に回すことはできないし、かといって中立になるといったこともできない。
気持ちが揺らぐと、背中に広げた青い翼も揺らぐ。魔法によって作り出された仮想の翼。鳥の翼のように羽が集まっているのではなく、妖精やトンボのような薄い翅のようなものが四枚広がっている。
レイアとしては、この翼に仮想的に魔導回路を走らせて、魔法の演算補助機能までつけようとしたのだがストップがかかった。まずコスト面の問題、そしてその翼を演算補助に使った場合、翼を壊された途端にそれで発動した魔法が効力を失うという危険性の問題だ。
魔法技能の面で見れば解析能力、つまり演算速度に優れ、それ以外はすべての面で誰にも圧倒的に劣っている。姉であるレイはちょうど真反対、演算能力の面で問題があり制御を苦手とするが、それ以外は優れている。でもそれを羨ましいと思わないし、妬むこともない。
すべてを失った日に、レイズと鈴那にもらった新しい身体と命だ。あのまま消えてしまうよりは、生き延びるための対価を出して今ここにいることができるという思いが強い。
『こちらアウト。ホワイト、そのまま行くとこちらの演習空域に入る、直ちに進路を変えろ』
「りょーかーい」
身を捻って進路を反転させると、半ループをして高度を下げていく。
よそと諍いを起こせばそのまま喧嘩になることはよくある。しかも演習中ならばペイント弾などの模擬弾で武装しているだろうから、相応の撃ち合いになる。
『随分と幼い声だが……訓練生か?』
答えずにそのまま飛び去る。相手方は単に世間話程度の感覚なのだろうが、その辺は漏らしてはいけない情報だ。
『やはりホワイトはおかしいな……。戦場に出るのは年端もいかない少女ばかりだというが……』
レイアはそれを聞いてぼそりと呟いた。
「みんな魔法で姿誤魔化してるだけだし。そもそも見た目通りの年じゃないし」