第四十話 - 日常への入口は遥か遠く/3
「すごいねー。大騒ぎだ」
「昨日からの連続殺人事件、そしていきなり都市部に直径一キロクラスの大穴が出来て死傷者多数、その他は……地下鉄の立ち入り禁止エリアでの爆発騒ぎ」
「これ、全部あいつが」
「だろうな。あぁくそ、だんだん思い出してきた」
「僕も思い出してきたよ、現実でこれだけ、しかもあの短時間でやれるのはミナか……それとも」
携帯端末を、同時に三台も使っていたトーリは手を止めて、
「イリーガル、か」
忌々しそうに呟いた。
いままであちら側に強制的に引き摺り込まれた者たちの素性はほんの欠片、僅かな断片程度であれば入手できたというのに、イリーガルと彼の関係者については一切不明なのだ。
「だね。ミナは目的のためだったらなんだってやるし、イリーガルも同じ。しかも二人とも時川漣に関係がある」
「漣……そういやあいつは最後のループでだけ生きてた……」
「違うよ。生きてたんじゃない、あのループのときにあっち側に入ってきてたんだ。あれまでは模倣された状態だっただけだよ」
「なんだ? ってことはあの女を捕まえて、いろいろと尋問した方が早くないか」
「住所、分かるの?」
「ふん、俺を甘く見るなよ。個人情報の断片が在れば、あとは時間さえあれば割り出せる」
そう言って意気揚々と端末三台をフルに使って、情報の洗い出しをはじめてすぐに顔色が疑問に変わった。
「名前って時間の時に三本川に、三水に点のある連なるの漣であってるよな?」
「そうだと思うけど? どしたの?」
「無戸籍児……なんてことはないだろうな?」
「え?」
「うーん、そっちの線はないとして……・海辺の病院、漣と時計しか移ってねえぞ。いきなりポッと現れてふわふわ漂って消える。どこの安いホラーだよ」
「そんなはずは……だって……」
「あいつがいたんだろうさ。まあ今はそっちは放っておくとして、漣の方も一切の記録がねえ。つーか俺が意識を向けた端から消えて……いや、もとから存在しなかったことにされて……?」
ふと妙な揺れを感じて視線を空に向ける。
ここは一夜を明かした河川敷。土手に駆け上がれば市街地が一望できる場所で、しかも駅がある方で煙が上がっているのがよく見える。
「駅の監視システムに侵入……っと。見ろ、仙崎」
そこには非現実への入り口が広がっていた。
シャッターの下ろされた地下の閉鎖空間での殺戮。目撃者となってしまった一般市民に対する銃撃、その嵐を見えない壁で無力化しながら歩みを進める少女。たった一人で非戦闘員を守りながら、地下鉄のトンネルの向こう側から現れる武装集団を跳弾で貫いていく。
「…………はぁ。どうするの? いまの僕らじゃなにもできないよ」
「正確には、今のお前では、だな」
「はい?」
「仙崎、お前は魔法ばっかりだったからなにもできないけど、俺とソウマはどうだ?」
「……あっ」
ポンッと手をたたき、
「そっか。トーリは電子戦が得意でソウマは武器があれば」
「そういうこと。あの体力馬鹿に暴れてもらって俺らが別ルートで侵入して接触、必要であれば戦う。仙崎は役立たずなのでお留守番に転職……なんてことして捕まったらマジでシャレにならないから、足手まといになってついてくるってことで」
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『観測された変異体は地下構造体入口を目差しトンネル内を侵攻中、保安部隊は直ちにこれを迎撃せよ』
スピーカーから指揮官の声が流れるが、すでに現場は混乱に呑まれかけていた。
「くそっ、効いているのか」
「銃が通用しない!」
「魔法障壁だ、まずは攻撃を続けて障壁の力を減衰させるんだ」
「後方部隊より緊急入電。木刀を持った民間人に半数以上が殺傷された」
「地下二階に侵入者! 保安部隊は急いで戻れ!」
ふらふらとした足取りで、線路の引かれたトンネルを進む少女。
目の前には透明な壁が広がり襲い来る銃弾のベクトルを大まかに反転させている。
「返して……あの人を……私の還る場所を返して……」
掠れるほど細い声でぶつぶつと呪詛のように言いながら、道を塞ぐ脅威を排除する。それでも分かっている、今使っている力はもうすぐ使えなくなる。不安定な世界との繋がりが完全に絶たれてしまえば、力だけでなく自分自身も消えてしまう。
だからこそ、残された力が無く時間もない。そして時間と共に力が消えていく。その状態だからいつもなら足がすくんでしまうこの状況でも進んでいける。
「ダイバーはまだか! 通常兵器じゃ効きゃあしねえよ!」
「撃てぇ! 撃ちまくれ!」
いよいよ攻撃の圧が増してくると、少女は燃費が悪いからと使わなかった攻撃を始める。
右手の先に障壁を維持し、左手に白い力を集めて砕いてショットガンのように撃ち出す。悲鳴などなかった。声を出させる間も与えずに、遮蔽物のない直線にいた敵を吹き飛ばしてまとめて排除した。
「意外に……やれる?」
なんて思ったのも束の間、
「動くな」
鋭い声とともに空間が歪み、人が溶けるように現れる。
茶髪の若い男。見た様子では人柄もよさそう、なのだが。その手に抱える見たこともない銃をためらいなく少女に突きつける時点で確実な敵だと判断できてしまう。
じっ、と少女は男を見つめる。
男も、見つめる。
そこにあるのは、森の中を歩いていたらいきなり虎に遭遇してしまったハンターのような、互いの気配を探って次の動きを決める……それに近い。
視線を交わして見つめ合って、ドキッとしたことはほとんどない。
「……観測者側の人間? 現実世界からダイブしてた人?」
「なにをすっとぼけている。これまで何度も交戦したというのに」
「えっとぉ……私、覚えてないんですけど……」
「…………。」
なに言ってんだこいつ? という表情で男は引き金を引いた。
狙いは少女の斜め後ろ。
別にそこに何がいたわけでもない。真正面から撃っても効かないことは身をもって知っている、だからこそ、長年の勘が、蓄えられた経験から無意識が効果的な方法を算出したが故の狙い。
しかし跳ね返ってまっすぐ少女に向かった弾丸は、少女に触れるか触れないかの瀬戸際で塵になって消える。
「分解魔法だと……お前、魔法は使えないはずじゃ」
「分かるでしょ、観測者なら」
「……不安定化させて」
「そう。私たちがいると現実世界も壊れるの、だから返して……あの人を……私の還る場所を返して……」
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「いやぁ見事に捕まっちゃったねぇ」
「だなぁ……ソウマのアホゥ、あのヴァカが一発でノックアウトだからな」
「うん。いやね、うすうす分かってたよ? ソウマって馬鹿だから無意識に魔法でブーストしてとかいう落ちでしょ?」
「だろーなーうん。てかぁ……ソウマ、どこに連れてかれた?」
「暴れると危ないから独房で縛り上げる。僕ならそれくらいはしておかないと心配だね」
「じゃあそうだろうな。俺も端末二台取り上げられたからクラッキングの速度が落ちてる」
「……三台目はなんでバレなかったのさ」
「パンツの中に隠してました、なんつって」
「そりゃ誰も手を入れたくないだろうねぇ」
などと、物陰の向こう側には武装した不明勢力がうようよと。瓦礫に囲まれながら話していた。
魔法が使えたらこんなやつらに負けないのに。そう思いつつも、ないものはどうしようもないうえにいつ殺されてもおかしくない。だから無駄話だ。
「てゆうかさあ、ここ地下鉄だよね?」
「ほれ、マップ」
「……トーリさあ、盗んだの?」
「当たり前だろうがよ。外見は市販のスマートフォン、中身はハイエンドモデルのパソコンだな。わかりやすく言えばこいつは三ギガヘルツで十六コアの化け物が入ってる。こいつの演算速度があればかなり厳しいが、セキュリティをすり抜けてデータを抜くなんてそりゃあ俺ほどならなんとか出来る訳だい」
「よくバッテリーが持つね、それ」
「まあ普段は二コアしか動かないように制御してるからな。スリープだったら半月は持つか……マジで使うんだったら二分が限界だな、熱で落ちる」
「軽い非現実がここにあったんだ……」
家には六十コアの大規模演算向けのがあるけどな、などどトーリが呟くが仙崎は聞いていない。あまりそっち系には詳しくないし分からないし興味も薄い。
そういう系の男子ならばすぐに話に乗りそうだが、あいにくと魔法というものを知ってしまったのでそもそもこの世界で話が盛り上がる相手がいない。
「あ、ちなみに熱で落ちるって言っても熱暴走じゃなくてガチで溶ける。溶け落ちるって方の落ちるでな――」
勝手に語り始めて自分の世界に入り込んでしまった彼を放って、仙崎は物陰から顔を覗かせていた。捕まりこそしたが、トーリが隠し持っていた工作用のナイフで腕を縛っていた紐は切れ、別の騒ぎが原因が見張りもまったくと言っていいほど注意を向けない。
聞こえてくる会話から別口の侵入者に手こずっているらしいが。
「総員撤退! 逃げろ……逃げろぉぉぉぉっ!」
「ば、化け物が……人を、人をなんだと思って――」
吐き気を催すほどの気色悪い音が聞こえ、見張りがソレを見て恐怖に身を固まらせると仙崎の目を前を白い刃が走り抜けた。
驚いてびくっと身体を震わせると、恐怖に縛られた身体をトーリが引っ張った。
「今の、神刀か?」
「た、たぶーん……って、か、体がビリビリする。やばっ、あ、あれまずっ……し、しし死ぬ」
「はぁ? あの程度じゃ死なねえだろ。おい、異世界でさんざん殺し合いしたのにいつまで震えてんだこら」
ぺちっと軽い平手打ち。
「……違う。あれ、系統外魔法の……魔法って訳じゃないかな、とにかくあれ、分解だよ。それと概念系の操作、やりあえばたぶんレイズあたりでも勝てないレベル!」
「お前、なんで分かるんだよ」
「分かる分からないの前に、トーリは感じないのこれ」
「なにを?」
聞いた瞬間、物陰の向こう側で白い風が吹いた。風に踊る光の刃が見張りを通り抜け、その肢体をばらばらにする。
「世界が壊れるこの感じだよ! 神力と魔力が溢れてる……じゃっかん魔力が強いかなこれは……そういうことか」
「おーい仙崎、分かりやすい説明頼む」
「あいつがいるってこ――」
飛び出そうとしたタイミングでちょうど飛び込んできたソレにぶち当たった。物陰に押し戻され、ぬらりとした生暖かい血が顔に掛かり、鉄錆の臭いにいよいよ記憶が目覚め始める。
「ひゅぅっ、おっそろしいねえ」
「…………なぁ仙崎、こいつは殺していい敵側のやつだよな」
「…………そうだったと思うよトーリ」
真顔で、物陰の向こう側では殺戮が始まっているが気にもせずにナイフ片手に、
「ちょっと待てよおい! もうあっちのごたごたは終わりだろ!? よく考えろよ、いまここで殺せば殺人犯だぜ!!」
「トーリ」
「はいオッケー、周辺の監視機器はすべてダウンさせた。ついでに目撃者は誰もいない、証拠はあとで溶かして捨てるから問題ナッシング」
「ま、そうゆー訳だから来栖君、死んで」
「ちょ、ちょっ、まっ――」
慌てながらも撃ち尽くした銃を構える。素人目には残弾ゼロだなんて分かりはしない。
「――う、撃つぞ。過剰防衛だろうが上司に怒られようがテメェら撃つぞ!」
「で? 下がりきってる時点で弾ねえだろうが?」
「うん。それ撃ち尽くしてるよね、さんざん銃撃戦に魔法で対抗してきたから分かるよ」
「それから俺、電子系だけど一応は近接格闘できるからな」
「トーリ、さっさと絞めちゃって」
「ひぃぃぃっ後ろ! 後ろ!」
「誰がそんな古くさい手に引っかかる……」
「やばいね、これ」
振り向けば別口の侵入者が白い刃を躱しながら近づいて来ていた。




