第三十二話 - その日・果たせない誓い
「これは……大規模転移?」
初め、それに気づいたのは魔法に特化した者たちだった。
その中でも仙崎霧夜は、それが原因不明の転移であるということまで分かっていた。他の者たちは超広域に干渉するなんらかの魔法であると感じていたようだが。
「ミナ……じゃないね。これは観測者側の介入かい?」
何が来るか分かっていても、それがどういうものか分からないため対策のしようがなく、一瞬ですべてが白に呑み込まれた時には何かを思考する暇もなく意識が消し飛んだ。
大勢で包囲していたこともあり、気が抜けていたのだろう。予兆に気付くことができなかった者たちは本当になにもできなかった。
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――あなたも、だめだった――
辺りは夜になっていた。
仙崎はブランコから立ち上がり、静かな夜の闇を見渡した。ブランコ? そう疑問に思って、ああそうだと納得した。
確か街中で不良に追いかけられて、逃げて逃げて走り続けてここまで来たんだ、と。寮の門限はとうに過ぎていて、今から帰ったところで怒られるのが落ちだ。かといって帰らなければもっとひどいだろう。
「……不自然に思うのならばすべてを疑え、だったよね」
なぜこんなところにいる?
ここはどこだ?
魔法を使おうとして、そんなものは存在しないと言わんばかりに何も起こらなかった。何かないかと見回してもとくにこれといったものはなく、足元のカバンだけが目に付いた。
開けてみれば教科書や筆記用具、自分の名前が記入されたものばかり。
そうだ、不良に追いかけられたからここまで来て休んでいたんだ。
「……なんで追いかけられた? 僕は……街中で……いいや、違う。校舎の中であいつらと……誰かの……あいつ、誰だっけ……」
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――あなたも、だめだった――
騒がしいゲームセンターも、閉店のためか静かになっていた。
「お客さん、そろそろ閉めるから出てくれませんかねぇ」
「……?」
城代ソウマはゲームの筐体に突っ伏していた状態から起き上がった。
「んーーー! っと、あれ? もう終わりか」
「はいはいやり過ぎてここで寝てもらっちゃ困るよ。さ、出てった出てった」
店を追い出されると、なぜここにいたのかを考えて思い出した。ゲームのプログラムを改竄して不正行為をしようとして、できなくてそのままやけになってプレイして疲れた。
「さて……どーすっかなー」
夜の街並みに踏み出そうとして、そう言えばどうやってゲームのチートやるんだっけ? なんていう些細な疑問が引っ掛かった。誰か詳しいやつに教えてもらって……それで……。
「…………。誰だっけか……?」
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――残念だったね……でも、私も譲れないから――
机に突っ伏して眠っていたユキは、ゆっくりと起き上がる。涙で広げたノートをしわくちゃにして、赤く腫らした目元が痛々しい。
「夢……? でも、なんで……」
どんな夢だったのか……剣と魔法と銃と。とにかく、非現実的な場所で戦っていたことだけは確かだ。思い出せないあの人と出会って、気付けば護ってくれる頼もしい存在で、いつの間にか一緒にいることが楽しくて……それでも思い出せない。とても哀しい感情だけが残っていて、その人がいたことだけが分かって、その人のことが思い出せなくなっていく。
哀しい感情だけを残して夢が散っていく。消えていく。
「忘れたくない……! いや……」
繋ぎ止めようとしても、それは、その願いは無慈悲に蹴り飛ばされる。
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――ありがとう。でも、あなたたちもだめだった――
ふと意識が引きずりあげられ、目を覚ました霧崎アキトは窓から差し込む月明かりでここが学園の教室だと気付いた。
「あれ……俺……なんで学園に」
不登校になって学園には通っていなかったはずなのに。
「……その声」
「ん? 狼谷か」
「あぁそうだが……どういうことだこれは? 俺たちは……俺、たちは……何をしていた? なんでここにいるんだ?」
「知るかよ……」
訳も分からず、とりあえず教室から出るかと、ドアを開けた瞬間にちょうど廊下から入って来ようとしていた女子生徒と正面からぶつかった。
「おっと」
「室井さん?」
「あれぇ……? 何してるの二人とも」
黒髪の女子は知り合いだった。しかも高ランクのウィザード……ソーサレス。今この場で戦えば秒殺される程度には脅威だ。しかしそのおっとりした雰囲気からまるで危険とは思えない。
「いや、何って言うか……桐姉ぇこそなにしてるの?」
「私は呼び出しを受けたから、それから忘れ物を取りに。あなたたちこそこんなところで何してたの?」
「……いや、確かに何って言うか……なんだ?」
「俺にふるなよ……」
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――ありがとう、最後まで助けようとしてくれて――
『ナノマシンによる組織維持処理――終了
マルチプルブレインチップ・リブート――
アンノウンチップ・シンクロナス
AIネットワーク・リンクスタート――
Esネットワーク・リンクスタート――
WWネットワーク……――
――――――――――――
――再起動まで……秒』
聞き馴染んだ機械音声が頭の中で響き渡り、土砂降りの雨の中、酷い廃油の臭いに鼻を刺されながら目を覚ましたクロード。
辺りは鉄屑と破壊された兵器の山。生き物の気配は感じられるが、いずれもがピリピリとした警戒しているものばかりだ。
「スカベンジャーズホライゾンか……廃棄都市……?」
『よぅよぅ、聞いちょるかねぇー? クロード君よ』
「うるさい、人の頭の中に勝手に入ってくるな。それと視界に勝手に資料を展開するな……敵が来たから!」
いつものように腰に手を当て、ナイフがないことに気付いて重力操作で斥力の刃を作り出そうとして何も起きず、ふと視界が広いなと思えば着なれた黒一色の姿でもなかった。
「っ……」
『こんなもんがあるんやけどねぇ? どーする?』
「はぁ……生き抜いてやるよ、このクソっ垂れな現実を!」
目覚めと同時に本格的に死ねる状況に放り込まれ、頭の中にはゴーストが勝手に入り込んできて異物感が酷い。そんな状況でも、変わらず彼は戦いの運命から逃れることはできず、自分から逃れようともせずに理不尽な戦火に身を投じていくのだった。
近くに捨てられていたボロボロのシステムウェポンパッケージを拾い上げ、辺りを見回して廃棄された弾薬をかき集めて、弾薬に併せて銃を組み上げていく。
いままでナイフばかりだったのに、銃を抵抗なく手に取って構え、気付かない内に忘れながら次へと向かって行く。
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――後は頼むね……私は忘れちゃうけど、レイジくんには消えて欲しくないから――
「けっ……なんだよ、振り出しか」
レイズは……昔の姿で、もう思い出せない名前を使っていた頃の状態で、夕日の眩しい潮風の吹き抜ける浜辺に立っていた。
あの日この場所で逃げた。死という安易な逃げ道に走った。そして捕まって、偽りの世界にインプットされ、次の人生を送る中で大騒動の原因を作り出してしまった。
今はもう死ぬ気はない。むしろ死ねない、偽りと知りながらも今はそれが真実だ。
護るべき……なんとしても護りたい日常だ。
だから死ねない、負けられない。
静かに佇むイリーガルを見据え、超えて見せようと決意して踏み出す。
「訳が分からないな、なぜこうなっている? 何が起こった? ……まあいいか、もとよりお前が始めたことだ。己が思う最強を、か。ふざけたことをしてくれたものだ……。今は過去現在未来……すべてを無視した時間の外だ、ここでお前を殺してしまえばすべては起こらなかったことで処理される。なに、恐れるな、一人の運命を変えるとかなり事象が揺らぐが、お前の場合は例外だ」
「…………、」
「なんだ、話はしたくないか。別にいいけどな。……さ、始めようか」
負けたくないと強く思ってしまったからこそ、あの日の戦いで運悪く術に干渉されて呼び寄せてしまったモノをここで終わらせなければ。
「お前は勝てない、誰にも、何にも」
イリーガルの重心の偏った鋭い踏み込みに、蹴りが来ると予測して腕を交差させて防御態勢を取るが、意に反して蹴り上げられた砂が襲う。目に砂が入った痛みで一瞬怯んでしまった間に、頭を掴まれて下に引っ張られ顔面に膝が叩きつけられる。
意識が揺れる。
「後がつかえてるんだ。お前だけに時間は使えない」
もう一度膝を額に打ち込み、蹴り上げて鳩尾に前蹴りを入れて倒す。
念には念を、と。イリーガルは容赦なく追撃を加えて、うめき声すら出なくなるまで攻撃をやめなかった。
「……、」
海まで引き摺って、腹まで浸かる深さまで引っ張って、うつ伏せにしてレイズを沖に流す。
「見てるんだろ? 観測者ども。いい加減終わりにしようじゃないか。
現実世界で魔法は無しだ。
こちらは一人、対してお前らは数千人規模の人員と警備隊という名目の武装隊。
十分に対等な条件だろう?
次々と状況をぐちゃぐちゃにされるのは誰だって嫌なんだ。
さあ、地獄を見せてやろう。
警察組織でも軍隊でも出してくるがいい、貴様ら」
くくっ……と、小さく笑った彼は、静かに一人で動き始めた。
まず初めに懐中時計を投げ捨て、"鍵"を手放して……。
「あぁ……終わりにしようじゃないか。……勝ち目のない戦いを」
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――ダメ……どうして……――
「それで?」
「……ねぇ、スコールが始めたことじゃないの?」
「まさか。仮想世界からあれだけ一度にアボートさせることができるのならとうにやっている」
至近距離でスタングレネードを食らったときのことを思い出しながら、今回は目眩まし程度でよかったな、などと思いながらレイアに抱えられえて肌を切り裂くような極寒の空を飛んでいた。
振り向いてみれば、そこには空を貫くように伸びる光が消えていく様子があり、粉雪のようにはらはらと白い燐光が舞い降りながら虚空に溶けていく。
「……違うか。これは」
「全部書き換えられた……っていう方がいいよね?」
「だろうな。とりあえず飛ぶことに集中しろ、話しは後、いつかみたいに落ちたら今回は冗談抜きに……」
真下を見ればヒュウと風の吹き抜ける極寒の海が遥か下に。
「お、落とさないもん!」
「はぁ……補助具なしでよく言う。落ちたら助けないからな」
魔法が苦手……バランスを崩してしまえば再展開が間に合わずに落ちる可能性は十分にある。
「スコールのことでしょ!?」
「残念ながら真冬の海は楽勝、いつかの極地戦で海に落ちたときも大丈夫だったからな、今回もなんとかなる……腹を空かせたシャチさえこなければ」
「…………、」
さっきまで確かに命がけの戦場にいたはず。しかし今は静かな場所で抱えられて空を飛んでいる。
大規模な事象改変を行える存在は事前に片付けておいたため、考えられるのは"外"からの干渉が確実に行えるようになったということか。
「さてと……レイア、記憶への改変は?」
「わたしはないけど姉さんの方にはあるから、たぶんみんなあるよ」
「っ……失敗か」
「失敗?」
「なんでもない」
自爆に併せて記憶破壊を行おうとしていたが、原因不明の白い爆発に呑まれて効いていなかった。むしろ別の誰かが記憶の改竄を仕掛けてきたようだ。状況が分からない以上は下手な手を打てない。
しばらく空の旅をすると氷の大地が見えてきた。一面白一色の極寒の陸地。こんな様子だと何もいないと思うかもしれないが、魔物はしっかりと生息している。
「北極大陸ねえ……南極にはあれど北極は海と氷だけじゃなかったか……?」
ぶつぶつと言いながらも、着地と同時にズボッと雪に沈み込んでしまったため押し固めながら脱出を始める。
「…………、おかしいだろ。なんで端の方なのに……いや、端だからか。降り積もって固まってないのか、くそっ」
なんて言葉にしてみると、下手な刺激を与えて崩落、そのまま極寒の海に落ちて氷漬けもありえそうだと思えてくる。
「だいじょーぶ?」
「とりあえず激しい運動をすることにはなりそうだ」
「?」
半埋没状態だからこそ、伝わってくる振動が感じられた。
「レイア、いつも言っているが警戒は常に、来るぞ」
「へ?」
言われてサーチを開始して、すぐ近くに熊の魔物の反応があった。飛びながら攻撃できるレイアはいいとしても、足場の悪いスコールには厄介な敵だ。そもそも熊を相手に人間が勝てる訳がないが。
「さて、と。とりあえずは何が起こったのかを調べるために生き残るとしますかね」




