第二十九話 - 居候が増えました/2
「主殿、痛むところはありますか」
「…………ない」
目を開けた瞬間に柔らかい果実が顔の上にたぷんとあてられた。そして下もやわらかいところを見るにひざまくら状態らしい。
「……どれくらいだ」
「まる一日です」
「…………、」
柔らかい二つのそれを、額で押しのけながら起き上がると魔法か神術かどちらで治癒されたのかは分からないが、痛みは完全になくなって体の妙な倦怠感も消えていていた。
「イリーガルか」
「ええ、彼がすべて主殿の……それを引き受けましたから」
「等価交換……自分を分解して相手の穴を埋める、か。やれば埋めた形に自分がダメージを受けるというに、まったく余計なことを」
自室、ではなくフィーの私室から出ると、そっとイリーガルの部屋を覗く。ベッドに背中を預け、青白い顔で不調に耐えていた。彼はスコールのダメージ、治癒術で治せない部分を肩代わりすることがたまにある、そしてレイズのも。レイズはそれを一切覚えていない。殺し合ったことだけを覚え、助けられたことは何一つとして覚えていない。
そうなるように記憶を壊して、憎しみだけが残るように封じた。
「主殿、これからどうされますぅ?」
「どうするっても……ほかは?」
「お外で遊んでいますね」
「遊びねぇ」
窓から外を眺めると、ウィステリアとアルメリアは少し離れたところからそれを眺めていた。
レイとゼロの真っ向勝負。手数よりも暴力的な質で攻めるレイの攻撃を、片っ端から分解して消し飛ばすゼロ。その表情には余裕がなく、額には汗が伝っている。
まともな魔法士が相手ならば魔法を使わせずに圧倒することができるが、レイだけは別だ。防御魔法で防げる威力ではなく、対抗魔法、逆属性をぶつけたところで意味が無いほどにしか減衰させることができない。だからと言って分解をぶつけた場合はその規模に対応するための処理の負荷と、魔法として分解した後に残る魔力と若干定着したエネルギーのダメージを受ける。
当てればすべてを消失させることができる魔法を連続発動して無慈悲に殲滅する。それがゼロの通常時の戦い方。しかしこれだけはどうにもできない。
「本気を出せばここが消し飛ぶからな、あれは負けだな」
「そうですね」
ゼロが本気を出すときは、レイズなどの規格外を本格的に潰すとき。
かつてクロードは、それで一度死んだ。水平方向、垂直方向、すべての前後左右上下すべてから仕掛けられる死を躱すことはできない。
「のうのう あるじさんや」
「なんでお前は殺しかけた相手の前に平気で出てくるのか」
「いきておるからいいじゃろて それより りむとやらとそこのふぃーというてんしに ぬしやあるじとよばれておるようではないか」
「それが?」
「わらわがそうよんでも もんだいはないの」
「……好きにしろ」
もう追い出すことは諦めた。
また力づくでやられると、次は失血死の可能性が出てくる。追い出すことと自分が死ぬことを天秤に掛けたなら、それはもう決まっている。
「ならばよろしゅうたのむの わがあるじよ」
じゃらりと鎖が落ちた。
「い いきなりかの」
「口封じだ。ここのことを喋られると困るからな」
さっと鎖を突き刺して首輪をつける。
どう見ても犯罪的な現場にしか見えない。
「ほぇぇ これがくびわかぇ はじめてじゃの」
「意識しなければすぐに消える。嫌なら指輪とかイヤリングとかもできるが」
「ふむ これがいちばんどれいらしいかんじじゃ これでよいわ」
「……ほんと、理解できないな。なんで会って少しの見ず知らずのやつを警戒しない」
「わらわはおぬしらにんげんなど ひとひねりじゃて」
「ああ、危なくなっても余裕で殺せるからなんて思ってるからか」
「にしし」
「残念だったな。ここにいるのは竜人相手に素手で勝てるやつらばかりだ」
「なんじゃ あるじどのはだーれにまけたんじゃったのう」
「もう一度やるか?」
「いいじゃろう」
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黄昏色の庭は緊張に包まれて……いなかった。
二人の戦いを見物しようと少女たちが離れたところから眺め、男衆は近くで見学し、ちょうど帰ってきた名前も知らないメンツが面白いことをやっていると、茶化しに来る。しかもまた別のところでは捕獲された観測者が逆さ吊りにされて鼻にチューブの練りワサビや豆板醤、ショウガや練りカラシを塗られるということも起こっていた。
「なぜじゃ! なぜあたらん!」
十メートルもの間合いを取りつつ、繰り出される攻撃は見えない風の力。切り裂く刃、押しつぶす圧力、貫く弾丸、そのいずれもがスコールには効かない。
最初の三回だけは効いた、だがそれからあとは見切ったとばかりにすべてを躱し、また触れてディスペルで消し去る。
「風は結構得意なんでな、これでも専門は流体制御魔法だ」
「それとこれとどうかんけいが!?」
着弾までコンマ三秒もない攻撃を余裕で躱しつつ距離をゆっくりと詰める。
「使ってみると意外に分かるんだよ。その系統の予備動作ってやつが」
破壊の嵐が巻き起こった。乱雑に振り落とされる空気の塊。
竜人の少女はその一撃ごとに呼応するような動きをしていることに気付いていない。使うことに慣れてしまうと無意識にやってしまう動作がある。それを見て、一部から全体の動きを逆算して対応パターンを組み上げている。
スコールに一発当たるが、すぐさまそれは弾けて消える。
「ダメだな。リムより弱いかもしれんな」
一部の連中はすぐに、触れただけで無効化というものに対応してきた。あくまでも魔法やその他、異能の力にのみ作用する。ならば魔法で放り投げた岩は? 火炎で熱した空気は? 魔法爆発で起こした衝撃波は?
魔法そのものではなく、もとからそこにあるあたりまえを魔法で押して仕掛ける。それをされてしまうと中々対応が難しい。
そもそもが魔法以外は打ち消す(無効化する)ことしかできないということもあり、それで攻められてしまうともう負けるしかない。奪い取って撃ち返せない以上は押し込まれる一方なのだ。
「なんじゃと! わらわがあんなおさなごにおとるというか」
真っ赤なオーラが立ち上る。
「はぁ……それこそ一番対策済みなんだがな」
鎌のようになったそれが、首を刈り取るコースで襲い掛かり、右手で受け止め左手で殴りつけて破壊する。連鎖的に鎌から少女まで弾け飛んで、反動で尻餅をついてしまう。
「な なんじゃぁ」
「自分だけの理解方式、言っても分からないだろうが魔力信号、放たれる物自体をデータ処理としてクラッキングしてそれ自体の存在処理を破綻させて自壊させるようなもんか」
「ほぇ?」
「ようは相手の力に自分の力を忍び込ませて中から破壊している訳だ。スティールの応用……つってもスティールも分からないか」
尻餅をついた上に、服が服なだけにすごいことになっている少女を助け起こす。差し出した手の大きさと、掴みに来た手の大きさはまるで違う。
「あるじどのよ おぬしにんげんかぇ? なんちゅーか けはいがちがうのじゃが」
「人間かどうかなら分からないが答えだ。何回か死んでるからな」
「なんと」
「ま、その辺は言う気がないから聞くな」
ひらひらと手を振りながら、遊ばれている観測者の方に歩いていく。
薬味を鼻や口に押し込まれてボロボロと泣いている。痛いどころの騒ぎではない。
「よっ。最近どうだ」
「別に、帰るための準備は進んでいる」
「なぁなぁこいつどうする? 地下牢にぶち込むか?」
「確かここの地下は異空間があったな、そこに蹴り落としてもいいのでは」
「確実に逃げられないようにしておく。それでいいよな、スコール」
「構わないがアンカーだけはしっかりとつけておけよ」
「はいはいー。そんじゃ皆さんやりますか」
「「おうっ!」」
名前も知らない知り合いたち。なんらかの理由で"外"から入って来たことは確かなやつら。
出会いはどんなものだったか、覚えていないがただ一つ言えるのは、誰もが普通に街中を歩いていておかしくない"どこにでもいる平凡なやつら"だということ。
平凡であるのならば最初のときにくたばっていてもおかしくはない。
それでもここまで来ているのには、それ相応の何かがあるから。
例えばレイズなどの規格外と出会ったから。
例えばその世界の神様の気紛れで力を得たから。
例えば世界を超える際の不具合で自分自身が書き換えられたから。
例えば仲間がいたから。
いろいろだ。
「…………、」
「どうした? らしくないな」
名前を知らないがたびたび共闘した誰かが話しかけてくる。
「別に……」
「悩み事は周りの女の子たちかな、ミナ」
「…………、」
「図星か。お前の周りで不自然な変化と言えばそれが一番目立つ」
「おかしいとは思わないか。ついこの間までは一切接点がなかったんだぞ。
天使たちの戦争に巻き込まれたら実は一人を消し去るため。
ゲートを確保しようかと思えば妙な竜人が封じられていた。
薬草を求めて山に登れば捨てられた竜人の有精卵があった。
同じ部隊に所属していただけのなんの面識もない赤の他人。
いつの間にか変わっていた、明確にだ。いつの頃からかただただ甘ったるく近寄ってくるだけの分かりやすい"人形"だ。数千年単位の付き合いのゼロも、数百年単位の付き合いのユキも、つい最近あったばかりのリムやフィーやあの竜人。心理的な距離ってのか、あれがまとめて同じ値に強制変更されたような感じだ」
「へぇ。お前は誰かに好かれるようなタイプじゃないもんな。どちらかと言えば嫌われるほう、恐れられのけ者にされ誰からも受け入れてもらえない、これが正しいはずなんだろ?」
「いままでの行動からすればその通りなんだ」
それでも、と否定する者もいる。
「ちょいと考え方変えてみなよ。普段いいことをする人がちょっとでも悪いことをするとすごく悪く見えるけど、逆はすごくよく見える。そんな感じでよく見えたところだけ取られて好かれてるんじゃない? そしてさ、群がれば取られたくない、独占したい、私も私もと揃って競争しようとして同じように、お前がそう認識しているだけじゃないのか? 実際は違うのに、ただそう思い込んで決めつけているだけじゃないのか?」
「だったら一つ問う。紅月はレイズが好きだ、なのになぜここにいてしかも奴隷だ首輪だそういうものを嫌がらなかった?」
「…………誰かの洗脳魔法? 世界規模の改変が働いているとでも?」
「すべてにおいて可能性は零とは言いきれない」
「つーか、お前が否定したいからそういうこと考えてるだけじゃねえのか、バカ」
「いいんじゃねえの、受け入れてしまえば。どうせ俺たちは流されるだけだ」
「逆らうのはこの世界から出たいと思うこれだけ。それ以外は流されちまえよ、どうせが偽物の世界だ」
「好き勝手やって、帰ったらもう関係ないんだからなにしてもなぁ」
「一部ユキとか元の世界の住人がいるんですがね」
「ほらぁ真面目に言うなって。どうせ現実の体に傷がつく訳じゃねえし、ヤっちまえハーレム野郎」
「チッ」
舌打ちをしてスコールは集団から離れていく。
「お前らとは根本的に合わないんだろうな」
「おーい、中二病発症かー」
「勝手に判断しろ。それがお前らの認識ならお前らにとっての正解だ」
少しずつ、少しずつ変わっていく。誰も何も信じない、その性質がまた強くなっていく。
最初の頃のように、なんでもできるから誰にも頼らなかったあの頃の独りに戻り始めるレールに切り替わっていく。このまま走り出せば……。




