第二十七話 - 主役のいない平和な日々/5
「うーん、暇だねぇ。ソウマ」
「そーだなキリヤ」
桜咲く海沿いの道。その柵に身を預けて夜の黒い海を眺めるキリヤとソウマ。
ベインがなにやら一人で戦っているようではあるが、もとから形だけの主従関係。従う気など毛頭ない、というかこれ以上の厄介ごとに首を突っ込む気もない。
一つの大きな決戦? が終わった。たまにはお休みをください、休暇申請に行ったところで許してくれないのが世の定め。九つの世界のほうにレイズが現れて問題を起こし始めたが為に真っ先にここに逃げてきた。
黒い大樹の後始末だとか、家の問題だとか全部大元をただせばレイズの問題だ。
「結局、箱舟計画ってのが分からないままだねぇ。ソウマ」
「そーだなキリヤ。でもま、いんじゃねえのか? ミナがなにか仕組んでるようだし、俺たちがこの世界から出ていける日も遠かねえだろう」
「でもさ、帰ったとして僕らはどうなるんだろうね。まずもとの世界からこっちに干渉してきてる連中とやり合うことになるよ。魔法がなくて、武器もなくて、普通に殴れば犯罪になるような状況でどうする?」
「どうすっかねー。誰か公務員とか政治関係いないのかよ」
「忘れてないよね、こっちにいるのはほとんど学生だよ? そりゃフェンリルの人達みたいに大人もいるけど聞く限りは自衛隊とかそういうところの人はいないし、みんな普通のサラリーマンだとさ」
「こっちにいりゃ危なくて、帰ったら帰ったで普通の暮らしは望めないか」
「はぁーあ。普通ってのがどれだけ贅沢なんだろうか。普通の中にいれば異常を望んで、異常に叩き込まれたら普通を望んで……ワガママだよね人間って」
ビュウと風が吹き抜ける。
桜の花びらを夜空に連れていくそれを目で追っていくと、なにやら落ちて来ていた。
人の形をしたナニかは、海岸から五十メートルほどの場所にどぷんと沈んだ。
「……いまの、アキト?」
「なあキリヤ、ここってサメがいたよな」
「いたねぇ……あ、あぁ。アキトは運が無いから……ほら」
ドパンッ! と水面に飛び出した人影は、世界記録が出そうなほどの泳ぎで浜辺に向かっていく。その後ろからは特徴的な背びれがひとーつふたーつみぃーっつよぉーっつ……。
「ちょっと助けようか……」
いつもの杖は中継界の倉庫においてきた。しかし杖がなくとも魔法は使うことができる。
腕をサメに向け、照準を合わせると海水をくみ上げて凍結、氷の槍を創りだして射出する。
移動魔法と硬化魔法、凍結は分子振動をどうにかしたか。
「アキトー! 生きてるーー!?」
大声で呼びかけても土左衛門のように動かない。死ぬかもしれない状況で全力で泳いだ。身体のリミッターが外れた運動で息が上がっているようだ。
その場で飛行魔法と加速魔法を重ね掛けして、一跳びでアキトのそばに着地する。
「げぶっ、ごっ、げぇぇぇぇ……運がねえよ。狼に襲われてトレントに襲われて挙句殺人の現場と勘違いしてスコールに投げ飛ばされるわ! んでしめはサメと競泳か!? ふざけんな! 俺の運を返しやがれ!」
「君もなかなかだねえ……うん」
起き上がろうとして突っ伏して、ゲロゲロ吐いて。
そんなことをしているうちに懐中電灯の光に照らされた。
「こら君たち、こんな時間にいったい何をやっている」
振り向けば補導員、というか警察官。
「ごめんアキト、何とか逃げて」
キリヤは重力反転と加速に跳躍の魔法を多重展開し、空に飛び上って飛行魔法に切り替えて逃げた。
そしてアキトは本日二度目の補導となったのだった……。
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獣の咆哮を思わせるその唸りは少女の腹から響いた。
「なにかくわせよ わらわははらがへった」
「長いことあの状態だったのはかわいそうだと思うが、あいにく見ず知らずのやつに食わせるだけの金はない」
「なにをいうか たすけたではないか」
「これは封石をつくってもう一度年単位の封印でもするのが正解なのか?」
純粋に思った。
ただでさえ今の状況は目立ちすぎる。
平凡などこにでもいそうなちょっと無表情がすぎる男子学生風味が、七人の竜人を連れて歩いているこの状況。桜都国は他国と比べて亜人に対する接し方が非常に解放的だ。しかしそれでも一部の種族(エルフや竜人などの長命種)はそう簡単にお目に掛かれない上に知り合いという関係を持つことすら困難を極める。
そのうえ一名は年単位で封印されていたせいか、ドブに放り込んで重しを乗せて漬けてみましたと言わんばかりの酷い容姿と臭い。
正直連れて歩きたくない。人間にしては色々と敏感なスコールにとってこの臭いはきつい。
このままお別れするという手段を使いたくても使えない以上、真っ先に行きたい場所は銭湯。こんなご時世に銭湯なんか残っているのかと思うだろうが、意外と残っているのだ。
「ふむ、ここから一番近い銭湯は……」
傍見れば何がどう結びついて風呂につながって何と何がイコールで結合されたのか分からないだろう。
しかしまあそっちにいくよりもモノは試し。ついてきたくないような道をぐるりと回ってみたがぴったりマークされて何も変わらない。こいつら行く当てがないのかよと思いたくなる。
そんな訳で報酬(竜人の鮮血)を貰おうかと思う。金欠ならばまずは金を得るところからだ。
「ほれ きるがよい」
「だからと言って惜しげもなく首を出すのはどうかと思うが」
スコールは路地裏の怪しいお店に名前も知らない女の子と一緒に入って、札束片手に一緒に出てきた。
とりあえず普通に暮らして半年は困らない額がこの手の中にある。
少し歩けば見るからに分かりやすい建物が見えてきた。
「なんで煙突があるんだか」
技術レベルはオール電化以上。今の時代にまさか旧式ボイラー……古臭いことを好むこの国ではありそうだ。
「とりあえずそいつを洗って来い。店に入るにしろ道を歩くにしろそれだけ汚いと目立つ」
お金だけ渡して近くのベンチに座ろうかと背中を向けると、なぜだか分からないけど両サイドを掴まれてぐいぐい引っ張られていくスコール。
女七に対し男一。洗う必要があるのは女一人だけ。
行く必要ないよね? 不思議だったので待ったをかけてみる。
「おい? 洗うのはそいつだけでいいからついでにお前たちも風呂に入ってくればいいじゃないかと思っただけなんだけど」
それでも引っ張られるので続きを言う。
「そもそも朝方はアラスカの極寒地帯だった訳で汗をかいていないし汚れてもいない、平たく言えば風呂に入る意義を感じない」
「主様、リムたちがさっぱりして主様だけというのはダメであります」
どうダメなんだ?
「そうそう。あんま汚れてないからって、周りがしっとりしてるのに一人だけうっすら場違いオーラだしてもねえ」
少しまともな意見が。
「わたくしどもが綺麗になったとして、一人だけうっすらと汗の臭いを散らすのは許せませんね」
とりあえずまともな意見が。
気付けば銭湯の中に引き摺り込むが為の力に絡め取られて番台の前。
ステレオタイプにおばあさんかおじいさんがいるかと思えば、アルバイトらしい男性が。
平凡な男一人に竜人の女性七名(うち一人は汚れがひどい)という、理解できない組み合わせに変な目を向けられたがお金を出して奥に進む。
シャンプーだとかボディソープを買うと、女湯と男湯に別れていく。
さっと服を脱ごうとしてスコールは手を止めた。
こんな時間でも客はいる。人目があるところで脱げない。
理由は単純に二つ。一つは体中にある傷だ。そしてもう一つがあちらこちらに隠し持った危険物。音を出さずに怪しまれずに見られずに籠に入れることはできない。
しばし変な目で見られること数分。
人目がなくなった数秒でさっと脱ぐと浴場に。
「よお」
向かう足を止めて回れ右。籠の中に放り込んだ自作手榴弾(中身はカプサイシン)を掴んでピンを抜き、客がいることを構わずに浴場に放り込んだ。
一秒。
二秒。
三秒。
服を着終えて、爆発の音はなかった。
そして浴場から見たくないクズ野郎が出てきた。
ナゼマチナカデウラボストエンカウントスル?
「あぶねえな。こんなもん爆発させんじゃねえよ」
見ればクズ野郎ことヴァレフォルの手にはしっかりと手榴弾が握られ、硬化魔法でしっかりと固められて、信管が確実に爆発しているはずなのに何故に原型を保っているのか不思議な状態で落とされた。
こいつの事象干渉力は一体どれほどだ?
物理法則に従った魔法で、例えばベクトルの拡散や転移系でエネルギー状態のみをどこかと置き換えるならばまだ分かる。これは見た限り純粋に力技で爆発を封殺している。
「ここで終わらせてやる」
「おいおい、待てよガキ」
ベルトの刃を抜き放ち、魔力を通す。青白い紋様は万物の結合を無慈悲に断ち切る絶対の魔剣。
「一閃千断……疾風斬!」
意識のトリガーを引くための単なる一言。
繰り返した魔力操作に自分なりの詠唱を付け、言葉だけで意識せずに魔力操作を行えるようにした技。
抜刀術、居合の構えから刻み込まれた手順で燃費の悪い高速のコンボが発動する。
足に魔力を溜め、神力と反応させて暴発。それにより高速の踏込を。
続けて腕も同じようにして神速の一太刀を。
確実にダメージを与えて自分も傷つく諸刃の一撃。
だがそれは、クズ野郎が変な避け方をしたお蔭で大変なことを引き起こす。
まず神力による斬撃がボイラー室へ。次に刃の延長をも切断する魔法が刻印型で発動され、加えてそれを複製するものが発動されていたのだが、弾かれたそれが女湯とを仕切る壁を綺麗に千の欠片に細断した。
「しーらね」
逃げた。
直後に凄まじい悲鳴と桶が投げられるような音が響いたが、ちょっとこれは責任を負えることではない。
銭湯の外まで逃げて刃を隠しながら空を見上げると、星を隠すように煙突から黒い煙がもくもくと……。
しばらくすると、中から必死にアルバイト店員たちが魔法で何とかしようとしている気配が漏れてくる。爆発まで行ってしまうと少々不味い。
裏口に回って覗いてみると、冷静さを失い次々と冷却魔法を放つ店員たちがいた。
これではダメだ。魔法のルールが少々変わっている、事前にプロトコルを統一するというようなことを行っていなければ、それは同一定義の他人の魔法。冷却魔法Aを掛けた上に、効果が顕現する前に冷却魔法BがAの術を上塗りして無効化、さらにそこに冷却魔法Cが掛かりBが作用し始めたところで無効化という、10の力があればそのうちの9を上塗りで消し去る形で無駄なことになっている。
「やりたかないが……スティール!」
突然魔法が消えたこと、そして魔法を詠唱しても何も起こらないことに驚く店員たち。
声の主に気付いた一人は怒鳴り声を出すが無視して術を組み上げる。
余剰神力が白い粒子となって舞う。
魔法は現実を書き換える。魔術は己が理想で世界を上書きする。
それは改変。
神力は理を創造する。神が世界を創ったように。それは異物を捻じ込むのではなく、あるべきものとしてそこに存在させる力。
例えるのならば、重力に引かれものが地面に落ちる。斬りつけられれば怪我をする。生きとし生けるも皆が老いてゆく。魔法、魔術はそれを捻じ曲げる。ものは宙に浮き、怪我は瞬く間に塞がり、老いたものが若返る。
ならば神力によって顕現するそれは何をするのか。
「緩衝領域を定義、干渉範囲を設定、作用時間を設定」
一部の神力を扱えるものの間では、魔による改変を正すものだと。
だが神力をよく知るものの間では、そこに強力な理を書き加えるのだと。
メティサーナ呪いがいい例だろうか。あれは契約を結んだものに力を与えるのが当たり前で、逆らえないのが当たり前という理を追加している。
魔法や魔術でも同じことはできるが、それは騙しているだけに過ぎない。
歪な理想と、あって当たり前の現実。神力はそれがどれほど人の目から見て歪んでいようとも、現実として食い込んでくる。
スコールはぼそりと呟いた、いまこの場においてあるべき形を。
轟々と燃え盛るボイラー。近場の温度計の示す温度は上がるどころか常温からピクリとも動かない。
現行の理と相克を起こさないように、何もない緩衝領域を設置。そして新たな理を限定的に差し込む干渉領域を設定。
そうでもしておかなければ引き起こされた正しいもの同士の矛盾と相克で、世界自体の処理が破綻してしまう。
「あんた、高ランクの魔法士か」
「さあね。それより今のうちに火を落とせ」
術を維持しつつ、スコールはふと思う。
それぞれの認識次第でリソースの使い方が違う。発動するものは同じ、リソースも同じ。その途中の道がいままでの世界よりも増えている。術者の数だけ道がある、これまで以上に対抗術式を組み上げるのが大変になる。
自分だけの現実と認識、術者の数だけ力の使い方がある、だったらもう汎用的な対抗術が使えなくなってくるかもしれない。
断片的な演算の流れから全体の処理を逆算できるか?
「……はぁ」
ボイラーがとりあえず安全な状態になったところで術を破棄。
途端に外の風が流れ込んで部屋の温度を変えていく。
「悪いな、助けてもらって。これ、店長には黙ってて……って、あんたさっき竜人連れてた兄さんじゃないか」
厄介ごとは御免だ、と。煙幕を叩きつけて今度こそ逃げた。




