第二十五話 - ある意味平和なサイド/3
「落ち着いたか?」
「……はい」
泣き腫らした顔をタオルで拭きながら、紅月はソファに座っていた。
結界内に退避してからもかなりの時間泣いていたが、それほどにショックだということなのだろう。普段平気な顔で戦火に身を投じ、危険な目に合う月姫がここまで乱れることは少ない。
「とりあえず今のお前にはいくつかの選択肢がある。
一つ、ここでのことを忘れて出ていく
二つ、死ぬ
三つ、願いを叶え対価を支払う
好きなものを選べ」
「なんですか、二つ目の死ぬって」
「ここのことを外部に漏らさないためだ」
「ウィリスはいいのですか」
「幽霊をどうやって殺せと?」
「……はい?」
「話が逸れるから言わない。好きに選べ」
スコールがわざわざ「いくつか」と言って三つの選択肢を出したのは、四つ目を自分で考えて提案しても良いという意思表示だ。もっともこれに気付く者は、もしくは偶然これに行きつく者はほとんどいない。
「好きにと言われましても……一つ目か三つ目の二つですか……」
悩み始めた紅月を置いてスコールは立ち上がると無造作にズボンのポケットに手を入れ、折り畳みナイフを取り出して広げると自然な流れで真後ろに投げた。トスッと軽い音を立てて、ひとりでに浮かび上がったように見える木のお盆に突き刺さるが、小刻みに震えている。スコールは続けてそこにディスペルを放つ。
隠密用の光学迷彩魔法が砕け散り、虚空から溶け出すように姿を現したのはミラだ。
「あれだけ縛られてまだやる気があるか」
「ご、ごご、ごめんなさぁぃ…………」
そんなミラにゆっくり近づきつつ、両手の人差し指を折り曲げてミラのこめかみに。
「それだけひゃあああああやふああああめえぇぇぇぇええええっっっ!!」
「お前はもうちょっと"縛り"を強くする必要があるか?」
「いひゃああぁぁぁっ!!」
縛り、隷属の鎖による行動制限を強化する必要があるかということだ。
やるところまでやれば完全に自我を封じ込めて人形にすることも不可能ではないが、そうなると命令をこと細やかにしなければ大雑把な動きしかしないので使いづらい。
「うわーまたやってるよ」
「あれってずっとなの?」
「うん……ウィスが"こっち"に来るよりも前からずっと」
「またやっているでありますか」
「あ、リムちゃんどこに行ってたの?」
「ゼロ様とフィーエル様と一緒に地下の片づけをしていたであります」
「ねえリム、これたぶんまた増えるよ」
「まだ増えるでありますか……主様もはーれむとやらを創るのですか」
「うーん、スコールってそんなキャラじゃないと思うんだけどねえ」
「でも女の子が多いよね?」
「うんでも、スコールの場合はウィスも知っての通り流れでなっちゃうから。本人にそうする気が無くても周りがねえ……ほら」
レイが指さした先ではかなり危ない状態になっていた。
ミラが紅月の後ろに回り、脚を広げさせて胸の間から指を下ろしてパンツの中へ、敏感なところを指の腹で潰すように……。そしてそれをやめと言っても聞かないので少々強力な"鎖"を使おうとしているスコールが。
「ほぉらぁ、自分からしてくださいってお願いしなってぇ。払えないなら身体で払っちゃうのが一番だよぉ。きもちいーことしてそれでお願いが叶うんだからさぁ」
「や、やめてください! こんな破廉恥な! スコールもやめさ、ひゃんっ!」
「ミラ、最終警告だ」
右の袖から蛇のように伸び出した鎖。それは徐々に実体化しながらミラの首につけられた首輪へとつながる。
一度スイッチが入れば相手をするまでオフにならないミラは、時折りスコールやイリーガルの周りの女の子にこうして手を出す。そのたびに酷い目に合わされているが、それでもやめないのだ。一度発情してしまえば理性がどこかに消えてしまうらしい。
「十……」
「ねぇだーりぃん、ほらもうこんなにぐしょぐしょになってるんだよぉ」
「六……」
「だーりんのぶっといのをいれて堕としちゃえばいいのにぃ」
「な、はぁ、なにぃんを言って、いぃ、んっ、の、ですか」
「だーいじょーぶぅ。最初は痛いけどぉ、すぐにあんあんいっちゃうから」
「三……二……」
一と零はなしに術を発動した。頭の中で組み上げ、魔力に反応して図を浮かび上がらせる鎖を刻印型魔法の媒体として使い。
そして鎖を伝って……。
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きな臭いにおいが部屋を満たす。シュゥゥと煙を上げるミラをまるで粗大ごみのように引き摺って地下室の最奥の牢屋に放り込んできたスコールは、A0紙に書いた封印の魔法を一センチ分の厚さほど重ねて設置してきた。
魔力は地下に置いた魔力結晶から自動的に吸い上げられる。そして魔力結晶は"無の状態"を乱し、神力と共に無限に生成されている為いつまでも持つ。
「はぁぁぁ、はぅぅ」
「…………、」
地下の片づけにレイとウィステリアも向かい、ほかの男どももどこかに出ていったためいまここには二人だけだ。
「な、なんですか彼女は。まさかサキュバス……?」
「気にするな。それでだ、どうしたい?」
「こんな状況でもあなたは変わらないのですね……」
「答えを」
「レイズ様を助けてください。もう傷つく姿を見たくありません」
「それは無理だ」
「では……」
"理"から外れる。紅月の中に浮かび上がるものはこれだ。
「私を"理"から外してください」
「ここに来た時点で確実に外れている」
「はい?」
「世界の理。いうなればジェイルブレイクだ、ただ単純に所属する"世界"の制限を跳ね除けて自由に他の世界と行き来できるようになるのと、一部の魔法が効かなくなるくらいだ」
「それだけ……なのですか」
「一切の制限がないから自由に行動できるうえに最大の利点は"外の連中に見られにくくなる"ことだ」
「それはどういうことですか、外の者とは?」
「それ以上を聞きたいのであれば、蒼月と同じ運命を辿ってもらうが」
「なんですかそれは」
「奴隷契約」
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しばし……時計の針が一周するだけの沈黙があった。
そして。
「男というものはどうしてそこまでして女の身体を求めるのですか!!」
パァァァァァァァァンッッ!! と銃でも撃ったかのような音の平手打ちが炸裂した。
もちろんスコールはそんなものを顔で受ける訳はなく、ハイタッチでもするように受け止めていた。
「あ、そっち方向に期待していたのか」
真っ赤に晴れ上がった手の平をすり合わせながら、言葉で仕返しをする。
「そ、そそそんな訳っ!」
「慌てることが何よりの肯定」
さらなる追撃。
「で、でですから私はそ、そんなことはないのです!!」
「とりあえず、お前はレイズを助けたい。つまりはあいつの力になりたいと」
無意味な言葉の砲撃をやめて、話を元に戻す。自分で掻き乱して相手のペースと思考を乱したうえで、自分で修正する。話に乗せて騙すときの手段の一つでもある。
「……はい」
「なぜ力不足だと思う」
「なぜと言われましても……。レイズ様を軽く倒してしまう相手に私が勝てる訳がありませんから」
「そうか。それで?」
「……あなたという人は」
「無償で何かをする気はない。それにここのことを知った以上はすべて忘れてもらうか、お前のすべてを縛らせてもらうか、それとも死んでもらうかのどれかだ」
ギリッと、紅月は奥歯を噛んだ。
ここもダメなのかと。
「そもそもレイズには"助ける"なんて行為が必要かというところが疑問だ。あれには力がある、変なこだわりを捨てさえすればすぐに実家の連中を使うことだってできるはずだ」
「レイシス家は」
「それに色々とおかしいと思う。レイズは仲間を遠ざけるようなことは基本的にしないのになぜ今回はそうした? 外部からの精神干渉を疑わないのか、お前は」
「レイズ様に効果があるほどの術を使える者は関わっていないはずです」
「なにも魔法や魔術だけじゃない。レイズはダウナーに入ると些細な一言の影響を受けやすい」
例えば、ネーベルこと仙崎霧夜の言葉。霧夜は表面上は優しいが、裏は誰かさんの影響なのかかなり黒色に染まっている。やるべきことの為ともなれば仲間を騙すことはよくある。または少しずつ意識の片隅に残るようなことを言い、思考を誘導することも。
「だから、鈴那やメティが消えたことでかなり落ち込んでいる。だがまだ完全に消え去った訳じゃない。そこにそれを復活させる手立てはある。なんて言われてみろ、昔、レイズは誰かを助ける為だけに大勢を敵に回したこともある。今回も似たようなことだとしたら?」
「私たちのことは眼中にないと? そう言いたいのですか」
「いや、あるだろ……あっただろうな。巻き込まないために遠ざけた時点でなくなっただろうが」
-小一時間後-
紅月はそれなりに言い包められていた。
レイズは勝手にやっているのだから終わるまで放っておくのが一番だと。
そしてスコールはこれだけ時間をかけてなんとかしたのに記憶を消してほっぽりだしたらまた同じことの繰り返しではないか、という感じで悩んでいた。いっそ記憶の改竄でも、考えはするが面倒だ。
地下室の片づけを終えたリム、ウィステリア、フィーエル、ゼロは部屋の反対側でくつろいでいるが、なぜか厳重に封印したはずのミラまでも上がってきている。
「紅月、お前行くあてはあるか?」
なんだかもうここに置いておいたところでいいのではないかという、ヤケクソな考えが浮かんでくる。隷属の鎖のいいところは命令に絶対服従。ならば頃合いを見計らってレイズもとに戻れと強制することも可能だ。こちら側に絶対に関わるなという命令も入れて。
黄昏の領域内のうち、結界の中だけは"外"から見られることがない。侵入こそされるが"外"から見られることがないということは反撃の為の行動がしやすいのだ。観測者の側に何をしているのかが見られることがない以上、結界外での"演技"の必要もない。
「……ありません」
予想通りの答えだ。
正式な戸籍を証明するものがない以上は桜都には戻ることができない。白き乙女は解体され、それぞれが気のままに散っていき、居場所が分からないから合流のしようがない。アカモートも同様に航行経路は取引相手にのみ知らされて公開されていないため、そこにも行くことはできない。
傭兵であったが為に様々な勢力と戦ったこともあり、受け入れてくれるような浮遊都市も少なく、そもそもどこを航行しているのかすら分からない。
しかもウィリスの話によると手を出してはいけないところで騒ぎを起こしたらしい。クレイドルといえば浮遊都市の名前だが、これは少々特別な浮遊都市だ。
そしてラグナロクは少数精鋭の傭兵集団だ。フェンリルを相手にやりあえるだけの力はないが、フェンリルの約二倍の規模を誇り所属するものはいずれもが強力な魔法を操る。
下手に一人で行動すればどこかで野垂れ死ぬのが落ちだ。
「これからどうする?」
「他の者を探します」
「手掛かりは」
「……ありません」
「死ぬぞ。ここに入ってきたのを"見られている"以上はいつ消されてもおかしくはない」
「私は戦略級です。そう簡単に」
「やられる。認識外からの攻撃にどう対応する? アウトレンジからの砲撃は防げないだろ」
「それは……」
紅月が口ごもり、うつむく。
魔法を扱う者を倒すときは、魔法を使わせないことが大事だ。詠唱の暇を与えずに攻撃し続けるか、警戒していない時に超長距離から砲撃でもするか、もしくはその魔法の規模で支えきれないほどの飽和攻撃を仕掛けるか。
仮に魔法で障壁を創りだしたところで、設置型ならば壊れるまでその場に留まり続けるが、触れたものをその場で止める。運動エネルギーをゼロにするなどといった干渉型ならば、対象物の大きさやエネルギーに負けて魔法が効果を現さずに消える。
どちらにしろその魔法の強度で耐えられる衝撃以上のものが来たならば魔法は効果を現さずに壊れると思っていい。前者であれば少しは低減できるが、微々たるもの。後者ならば何も起こらずに無駄に魔力を消費するだけに終わる。
なおレイズ等はこの限りではない。
「行くとこないんだったらさ、ここに住めば?」
思考の止まった紅月にレイが言う。
簡単に言ってくれるがそれだけ家事の負担はスコールに圧し掛かることになるのだが。




