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第十九話 - 矛盾点がある

「報告は以上です」

「…………あぁ。下がれ」

「ハッ」


 潮風の吹き込む部屋。その窓に腰かけて外を眺めていたレイズは、どこか振り切れていた。

 いましがたイチゴから受けた報告も、上の空といった様子で聞き流していた。霧崎アキトと狼谷影秋が敵陣のど真ん中に取り残されている。だからどうした、独立部隊エスペランサと独立機動部隊の隊長だ。ほうっておいたところで切り崩して帰ってくるに決まっている。

 ふわりとレースのカーテンを揺らす潮風を吸い込み、いつもと変わらない街並みを目に入れる。

 青い航跡を残しながら空をゆくアカモート。住人達、警備に当たる騎士団。イリーガルとの戦闘で浮遊島の数が減り、防衛隊も四十、五十の主力となる者たちが大勢ロストした。若い世代ばかりが残されて、教育や訓練に当たるべき世代が少ない。

 静かで時を刻む時計の音だけが響く部屋を見る。

 いつもそこにいるはずの部屋の主がいない。いつもメチャクチャで、いつもワガママで、いつも自分勝手で、いつもイタズラばかりしていたメティがいない。隷属の呪いを掛けられ奴隷として扱われていたが、いざいなくなって仮初の自由に放たれると、心にぽっかり空いた穴だけが目立つ。

 大勢の仲間を失った。鈴那……クレスティアのことはいなくなってはじめて、仲間と恋人の微妙な境目を越えて好きだと思い、言葉にして伝えることなんて出来なかった。そして、できなくなった。

 もういない。

 死んだ者は本当の世界でも死んでしまい、次の繰り返しからは存在しないことになる。

 本当の世界に還ったところで、そこには動くことのない冷たい体があるだけで。

 本当の世界には魔法なんていう人知を超えた奇跡の力はない訳で。

 本当の世界にはそもそも天使や悪魔なんていう種族もいない訳で。


「……なんでだよ。なんで俺は…………」


 力があるのに大切な人たちを誰も守れない。

 思い出せばなんだかんだで自分は失敗していた。襲撃を受けたときに真っ先に狙われたのは自分だ。自分が標的にされたことで護衛対象を危険に晒した。しかもそのまま自分が殺されて、護衛対象を守り切ったのはいつも他の仲間たちだった。

 なぜそうなるのか、その原因はもちろんのことイリーガルやスコールと衝突するたびに"経験きおく"を破壊されていたからだ。経験があるからこそ次の段階へと強くなれる、だというのにレイズはその基礎部分をいつまでも組み立てては崩されてを繰り返しているようなものだ。そのお蔭で力ばかりが大きくなって、力の扱い方である"経験"との差が極端に開いてしまっている。力に振り回されるばかりだ。


「みんな、そのままメインタワーの周りをぐるぐる回って。……やあ、レイズ」

「…………、」


 視線を向けてすぐに逸らす。

 杖を箒の代わりにして、その上に立って空を飛ぶ仙崎霧夜ネーベル。周りには箒に跨った少年少女たちがいる。道具を利用した飛行魔法の練習でもしているのだろう。

 よく見れば中には有翼族も混じっている。翼に魔力を宿して空を舞う、その難しさはレイズもよく知っている。メティの呪いで女体化されて、さらに半天使化されたとき……。


「…………っ」


 なんで嫌なことを思い出すのだろうか。


「ベインから伝言。しばらく勝ってやらせてもらうから、もしものときは敵としてぶつかるってさ。僕も同じような考えだから、君がいつまでもそうやっていると月姫たちを唆してナニかするかもよ」

「……勝手にしろ」

「ああそう、だったら一つ言っておくよ。蒼月は死んだ、次に蒼月の名を受け継ぐ者を決めておくといいよ」

「……そうか」

「それだけなのかい? 月姫の代替わりは滅多にないのに今回は」

「もういい……」

「あっそう。だったらもう一つ言っておくよ。北極側から天使勢力が、南極側から悪魔勢力が侵攻を始めてる。天使はセントラに、悪魔はブルグントに行っているから、君としても動く必要があるだろう?」

「悪魔はシャルティたちがなんとかするだろうさ。天使の方は、天使嫌いのクロードが片っ端から天界に送り返すに決まってる……俺がいなくても世界の歯車はきちんと回ってるんだ」

「そういうこと言っちゃうんだ。レイアが行方不明だよ、探さなかったら、後でミナに締められるかもよ?」

「あいつはもう自分勝手な命の恩返しはやめただろ。最大の脅威(ヴァレフォル)が手を引いたんだ、後のことは俺がいるから安全だとか思ってんだろう」

「ならなおさら、今は探しに行くべきだと思うんだけどね。君には力がある、他の誰にもない特異な力が。相反する二つの力を操り、系統に縛られずすべての術を行使し、望むままに現実を歪める力が。なのに動かないって言うのかい」

「……あぁ。力ばっかりあっても意味ねえ、これで誰を守れた? どれだけ傷つけてきた?」

「たくさんだね。しかも君はほとんど助けることができていない、でも助けるための道はほとんど君が作り上げた。そして仲間たちが助けた。なら君がいるからこそ守れたとも考えられるんじゃないかな」

「だからなんだよ、それは俺一人じゃ誰も助けられないし守れないって言ってんだろ」

「なんでそうマイナス方向に捉えるかなー。ミナも言ってたじゃん? できないことはできる人に任せて、自分はできることをやれって」

「…………。」

「はぁ……。もういいよ、何もやる気がないんだったらこれだけは言っておく。近いうちにミナが"外"に仕掛けるみたいだから、君も介入しないと鈴那を完全に失うことになるよ」

「……っ」

「まだコアは残っているんだろう? だったら復活させる手立てはある、ならそれを失わないためにも動かざるを得ないだろう? 君だけにしかできないこと、君一人だけでしか守れない大切な人たちを君だけでなんとかするんだ。多分ね、他のみんなはやること終わったからって一斉に"還っていく"はずだから。君たちのことなんか一切無視だよ、外とのつながりを切られたらもうどうすることもできないからね。外から入ってきた人たち全員に恨まれてでも、すべてを敵に回してでも守りなよ。僕らだってそうやってきたんだ」


 ネーベルは長々と言い終わると、箒に跨った少年少女と有翼族を引き連れてアカモートの航行ルートの先へ飛んでいく。法機使いとも呼ばれた彼は、最初の頃こそ魔法以外の取り柄がなかったものの、今となっては魔導師と呼ばれることもあれば魔神と呼ばれることもある。もっとも魔神と呼ばれるまでの条件を満たしている訳ではないが。

 これからどうするべきなのか、考えようとして部屋のドアが叩かれた。


「レイズ様」


 声をかけ、ドアを開けるのは紅い髪の女。廊下にはほかの仲間たちもいるが。


「紅月か」


 部屋に入ってきた紅月は他と変わらないラフな私服姿だった。セミロングほどに切った髪をポニーテールにまとめ、腰には鞘に納めた長剣が一振り。


「どうした?」

「先ほどセントラ北部からメティサーナの反応がありました。ブルグント側からはレイアの領域消失魔法の反動が確認されています」

「…………、」

「私たちはレイアを探しに行きたく……あの?」

「行けよ。もう白き乙女なんて枠組みはないんだから」

「え? そう言われましても、アカモートに」

「表向きは移動した。でもどうせメティのことだ、解体して編入だろ。もう指揮系統なんか完全にないんだ、俺の命令権も何もない。勝手にやればいい」

「レイズ様」

「俺のことなんかを様づけで呼ぶな。もう、いい、お前たちはお前たちで好きにしろ」

「私たちのことを見捨てるのですか!」

「見捨てる? あぁ……そうだな、それで……それがいい」


 窓枠から腰を下ろすと、仲間たちに向き直り。


「もう俺に関わるな。お前らとはこれでお別れだ」


 それだけ言って、窓から飛んだ。


 ――そう……これでいい。俺のせいで巻き込んでしまうなら、誰もいないほうが誰も傷つけなくてすむ。


 ---


 ものの数日だった。

 気付けばとても静かになっていた。

 外縁部の柵に寄りかかりながら、レイズは雑踏を眺める。

 通りを行き交う者たちはいつも通りだ、時折声をかけてくる者もいるがそれだけ。

 白き乙女の枠組みに収まっていた者たちはほとんどが姿を消し、何人かは別れ際に言われた通りならば……。アカモートの警備隊の中でも仲良くしていた者は、イリーガルとの戦闘で命を落とし、騎士団の長とはまったく顔を合わせることもない。

 仲間が減っていく中で最後まで一緒にいようとしたものもいた。だがレイズはあっさりと縁を切り、ベインからの訳の分からない宣戦布告も受け入れた。

 大きなものは色々と惹きつけるが、大きすぎる力は孤独以外の選択肢を選ばせてくれない。選んだとすれば、それは寄ってきた者たちを危険に晒す以外のなにものでもないのだから。


「なにをするかと思えば、昔のあいつと同じことをするとは……バカだね君」

「これでいいさ……一人なら誰も巻き込まなくてすむ」

「でも、独りだと誰も助けてくれないよ」

「俺にそんなものが必要だと思ってるのか」

「いいや? 不老不死の最強の魔法士にして、国際指名手配犯。実質表社会をほとんど敵に回して裏は完全に敵だらけ。昔からの付き合いがないと誰も近寄りたがらないね。悪名はあるだけで意味のない忌避を増大させるし」

「で?」

「で、って。君ねえ、君を好いている彼女たちまで切り捨てたらもう誰も味方がいないよ? 従えている召喚獣だって単なる主従契約で信頼なんかないし」

「あぁ……その契約ならとっくに全部破棄してる」

「へ? じゃ、じゃあアルカンシエルは? 神龍は?」

「アーク・アン・シエル。罪を負わせるあの魔装は対応するやつらを解放したからもう使えない。神龍はどっかいった」

「うわ……それかなり不味いよね? あいつら危険だから縛り付けてんだよね」

「ああ。だから脅してから解放した。まあ……うっ……あ、ぁ……?」

「レイズ?」


 いきなり頭を押さえ、その場にうずくまる。


「ちょっと、どうしたの」

「記憶が……あ……」


 ネーベルは周りの変化に敏感に気付いた。

 目の前のことだけに集中せず、周囲を警戒しておいて正解だ。


「オブサーバーかい? それも中級以上だろう?」


 認識すると同時に記憶から消えていく。そのせいだろう、一部を見ても全体を見てもぼやけて見える。


「貴様は……」

「ちょっと聞くけど、そっちの世界でどれくらい時間が経ってる?」

「答える謂われはないな」

「ああそう、でも最初から今まで干渉してきておきながら、こっちでは何兆年も経ってるのに君らは変化なし。ならば本当の世界よりもこっちの世界の方が時間は速い訳だね。君らが長時間こっちに潜れない理由もやっと絞れたよ。脳が超高速の処理に耐えられないんだろう?」

「黙れ、巻き込まれが」


 見えない波動が放たれる。


「僕にそういうの、効かないけど」

「ぬ? ……ああ、貴様もアレの仲間か」

「さあねぇ? 君らあれだろ、こっちの魔法だとか神様だとかを持ち帰りたくて疑似的な神格を投下したろう。おかげで天使と悪魔(にんぎょう)たちが暴走してるんだけど、どうしてくれるんだい?」

「知ったことではないな。こちらの写し鏡だ、いくら壊したところで何度でも再生される」

「その再生システム、うちのミナが一部機能をぶんどってるんだけど?」

起動ランキーのことか。それならばすでに回収は終わっている。もう貴様らに真実はない、いくらでも歪めることはできる」

「やれるもんならやってみなよ。こっちには昇華せし者(レイズ)っていう最初にループを開始した魔法使いがいるんだけど。君らの"本物の偽物"と"偽物の中にある本物"、どっちが優先度高いかぶつけてみるかい。僕としては何が起こってくれてもいいけど、君らには不確定因子は困るだろう。最悪この世界に入れなくなるとなにも持ち帰れないからねえ」

「ならば、そいつは揺らぐ記憶に耐えられるとでも?」

「さぁあてねぇ」


 笑いながらネーベルは言う。

 スコールのハイドアウトである程度は、口止めの対価として聞かせてもらっている。


「何回も破壊されて穴あきだらけのぼろぼろだよ」

「…………、」

「いいよ、何度だってやってみるがいいさ。そのたびに矛盾が起こる。皺寄せでどこかが破綻する。そしてこの世界が崩壊……最初の状態に戻るだろうねえ、宇宙がない、エネルギーもプラスとマイナスで相殺されて観測上の無の世界に」

「…………。」

「逃げるんだね。そのうち痛い目を見るよ」


 異質な存在が消え去る。


「こっちに落ちてしまった者たちが、気付いたうえでもとの世界に還れば、そのときが君らの最期だ」


 完全に意識の落ちたレイズを置いて、ネーベルはふわりと浮かび上がり詠唱する。


「っと、とりあえずは"九つの世界"で戦力を集めるか」


 黒い霧のようなものが集まり、ネーベルの姿を覆い隠すと風に流されて消える。

 途端に世界が正常になる。

 雑踏、雑音。認識状態が正常化され、レイズに気付いた通行人が駆け寄ってくる。



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