第一話 - 相違点
海上に浮かぶ都市、アカモート。
その最下層部でヌレネズミとドブネズミが廃材に腰かけていた。
「……人の体って意外に丈夫なんだな」
「……そうだね、僕もそう思うよ。しかもあの性格ひねくれ女のせいでフリーフォールするのは何百回目なんだかねえ?」
海水に濡れた青年は廃材に廃油をかけて火を起こし、ゴミにまみれた腐敗臭漂うレイズは一度柵を飛び越えて海に飛び込み、体についた汚れを落とす。臭いは消臭剤のプールにでも飛び込まなければ消えないだろう。
「ひねくれ女ってメティのことか?」
「そうだよ。起きたらいきなり呼び出されて、行ってみればいきなり突き落とされるしさあ」
足元にあった木の切れ端を火にくべると、パチパチとして少し火が大きくなる。しばらくの間、二人は体が温まるまで火にあたっていた。
数分ほどして温まってきた頃。
「ねえ、これからどうする? 僕はしばらくはここにいるつもりだけど」
「俺はとりあえずシャワー浴びて着替えたら」
「そうじゃなくてこれからのことだよ。結局さ、あれって君の読み通りなんだろう?」
「……ばれてたか」
青年は手近な角材を手に持つと、角でレイズを叩いてから火に放り込んだ。火花が散る。
「ばれてたか、じゃないよ。君が目標としているのは自分が関わった敵以外が生きていける世界だろう? だからあれだけ調べてミナのやろうとしていることの条件を割り出して、邪魔できるように仕組んだうえで気づかれないように自分の記憶を封印した。そういうことなんだろう?」
「いいや。単純にあのクズ野郎が『俺様が邪魔してえからやるんだ、手出しすんじゃねえぞ小僧』とかいいやがったからな、任せてみた」
「あれ? あのクズ野郎って君の永遠の殺害対象だろう。いいの、そんな簡単に任せちゃって」
「俺としてはスコールと直接ぶつかって殺されるかなーっと思ってたんだが……」
「ああ、そういう……。逆にミナがやられちゃってたね」
「まあどっちでも良かったんだよ。クズ野郎が死ねばそれでよし、スコールの馬鹿な自殺を止められたならそれもそれで良し。死ぬこと自体は簡単にできるが、完全に消え去るともなれば当分死のうとはしないだろうしな」
その後もあれやこれやと話しているうちに、朝から何も入れていない胃がぐぅ~っと音を立てる。ちょうど服も乾いてきたところだったし、レイズはバケツに汲んでおいた水をかけて消火する。
「とりあえず何か食べるか。俺のところは粘土みたいなレーションしかないから上に……」
「行ったらメティにまたやられるよ。とくに君の呼び出しは完全に悪戯のためのものだし」
仕方なくコンテナハウスの中に入り、二つ連結したコンテナの奥の方から銀紙に包まれたレーションを二本持ち出す。剥いてみればバナナのような薄い黄色の見た目そのまま粘土、そんな感じのもの。
「うーん、まずい」
「一昔前の戦場じゃまだ缶詰とかレトルト食品があったらしいが、今じゃこれじゃ主流だもんな」
栄養素だけを混ぜて作りましたと言わんばかりの粘土のようなもので、どこの戦場に行っても基本はこれだ。兵士たちの士気をガタ落ちさせる原因にもなっているのだが、これ一本で必要な栄養とカロリーを摂取することができるために、生産費用、運搬費用その他もろもろ節約のためにこれが広く普及している。
「まるでソイレントグリーンだね。栄養ばっちりって」
「材料は人間じゃないからな」
実際カニバリズムなどで人を食うような地域もどこかには存在している。どことは言わないが存在している。
「でも、そうなりそうではあるよね。戦争で大勢死んだらその死体処理には多大な費用が掛かる。だったらそれで家畜の餌なりタンパク質としてなにかに混ぜ込んだり」
「戦場で死んだら雑菌まみれで泥まみれ、使えないだろ。それに人道的な問題とかでありえない」
「ありえてるよ。今まで見てきた本筋の仮想世界に並ぶ並行世界では、現にそうなっていたところがいくつもあったしね」
「……嫌な世界だな」
「でもそれで仕事ができて生きていけてる人もいたよ。一度形ができてしまえばどんなにクソな社会だって壊れにくくなってしまうんだよ」
「ごく一部の特権階級が甘い蜜を吸いたいがために、だろ?」
「そうそう。それを考えたらアカモートのトップであるメティとかは全然いい方だけどさ」
「どこが……」
一歩間違わずとも死ぬ、最初から殺しに来ているような悪戯を仕掛けてくる悪魔だ。
「あ、そういえば今どこまで把握してる?」
「この世界のことか?」
「そうそう」
「前回と同じパラメータでスタートして”大戦後”ってとこか。国も相変わらずセントラ、ブルグント、ラバナディア、桜都、浮遊都市。違うところは魔法のルールか」
腕を前に出してライター程度の火をイメージするが何も起こらない。
「プロトコルがちょっと違うだけだよ。今までだって世界が始まる度にまずはそこのルールにあった詠唱を探ってたじゃないか」
「そうだな……まあ魔術は普通に使えるんだが」
根本的なフォーマットは現実を模倣して作られた仮想であるため変わらない。そのため自分で零からプログラムを組み立ててコンパイルしていくような魔術は問題なく使える、一般人を除いて。
むしろいくら根本的な部分が同じであっても製作者が違うプログラムを呼び出して使うような魔法は、その辺の呼び出し手続き(詠唱)が場合場合で多少異なってくる。
ぽっ、と音がする
「あ、出来た」
青年の指先で小さな火の玉が生まれ、燃焼の三要素が足りていないように見えるが火が灯り続ける。
「ネーベル、お前そろそろ魔法使いから魔術師にランクアップしてもいいんじゃないのか?」
「別にしなくてもいいんじゃないかなー」
むしろランクダウンじゃない? と、ぼそりと言うネーベルだったが、レイズには聞こえていない。
「それに魔法、魔術、魔道、魔導って他にもたくさんあるけど一応は魔道、魔術、魔法、魔導って順番だよ?」
「魔の道は本当の基礎で、魔術は昔は誰もが零から組み上げて詠唱してたのにとある偉い人が誰でも使えるようにと魔法を開発しただけであって、一番汎用性があるのは魔術なんだが……」
「必要になる度に自由に組める点は一番だけど、それだと用意していなかったら発動に時間がかかるだろうに。だから詠唱で済む魔法がメインになったんじゃないの?」
誰もがキーボードだけでコマンド操作をしていた時代、グラフィカルユーザーインターフェースが強化されてくると……小難しい話は抜きにしよう。マウスなどの便利で簡単な操作用のデバイスが使われ始めてくると、ほとんどの使用者はコマンド操作をしなくなり忘れていく。
便利なものが出てくるとそうでないものが大衆に忘れられていくように、フロッピーを知らない人がいるように魔術も忘れ去られてしまった。
「結局そうなんだろうが……今回のルールは何だ? 世界の法則を欺いて……っていうのは前回あったから今回は違うよな」
「そうだね、今までの世界で同じ世界が連続したことはあっても同じルールはなかったし。でもそのへん分からなくたって魔法は使える」
「確かにそうだが深く知っておいた方がいざというときに別の一手を打てるぞ」
「そうなることはないよ」
基本的に理から外れた者同士の戦いの場合は小手先の技、つまりその場しのぎ程度のものは通用しない。ほとんどが災害級の独自の技をぶつけ合い、大規模な召喚と一撃必殺を念頭に置いた力のぶつけ合いが基本だ。
このほとんどに分類されないのがレイズの周りにいる者たちである。レイズとしては周りへの被害を押さえるために行わず、ネーベルであれば事前に仕掛けを用意して相手の手札を削いでいく。そんなものだ。
だからそこに小さなその場しのぎなどが入り込む余地はなく、純粋に力比べになってくる。
「だけどな、小さな力でも真横からぶつければ大きな力の矛先を変えるくらいはできる」
「それが何だって言うんだい。向けられる矛の大きさは少し変えたくらいで回避できるようなものじゃなかっただろう? 今までだってそうだだったし」
「だな……。それはそうと、この世界でも魔法派と科学派の戦争は起きてるな」
「アッティラとかその辺の関係が出てこないかな?」
「アッティラ?」
「あれ? 知らないの? 歴史の講義で結構やってるけど」
「悪いな元学生。俺は生まれて此の方きちんと教育機関に通ったことはねえんだよ」
「……よくそれでPMSCのトップやれたね」
ネーベルは食べ終えたレーション(二本目)の包み紙を燃やしながら言った。
「全部スコールがやったからな」
「そういえばミナはどこにいるんだろうか。リブート直後って絶対に地中とか海の底とかの即死するような場所にはいないはずだから……」
「会ってどうする? 殺されるぞ」
「でもミナは……いや、あの性格だから不味いか」
「ああ」
レイズも食べ終えたレーションの包み紙を使えるようになった魔法で燃やすと、コンテナの外に出る。
積み下ろし作業が一通り終わり、水平線の上に貨物船団が去っていく。ここまで距離が離れると、もう浮上しても影響がない。
揺れに対する注意勧告の放送が流れた後、浮遊都市アカモートはゆっくりと海を離れて空へと飛び立つ。
「やっぱりここはすごいねぇ……僕のいた世界じゃ空を飛ぶのは飛行機だったし」
「魔法があるし、魔力を使用した動力機関があるからかなりの質量物でも空に浮かべることができる。白き乙女の暁って飛行空母も二キロメートルクラスで空を飛んでるからな」
「アカモートはそれ以上だろう。しかも複数の浮遊島を同時に浮かばせてるし」
「まあここの動力はデカすぎるが、一度動かしてしまえば後はそれ自体の勢いで動くからちょっとエネルギーを注ぐだけでいい」
「それって簡単に言うと、重たい鉄球を転がして勢いがついたら楽に転がせるけど止められないってやつだろう?」
「……大丈夫だ、もしもの時はレイアの魔法でエネルギーを分解してなんとか……いや、できるよな?」
「自分で言っておきながらそれはないだろうに」
「いやいやいや、前にも何回かやってるから大丈夫だ」
「暴走して大爆発とか嫌だよ、僕」
一定の高度に達すると展開されていたアカモートすべてを包み込む超大型魔力障壁の出力が上昇して、近接防空砲や迎撃用のミサイルやその他の魔力に頼らない兵器群が自動的に状態確認を始めていく。あちらこちらからモーターの駆動音が響く。
基本的に浮遊都市は平和協定の下で互いに不可侵を交わしているが、そんなものは形だけであり万が一にも飛行経路が近くなった場合は、互いに臨戦態勢で交差する。何事も勝った方が正義、満足に補給の受けられない、または自給のできていない浮遊都市が侵略してくることは少なくない。
そして何よりもセントラやブルグントといった大国に飛び回る羽虫のような目で見られているため、そこから攻撃を受けることが一番多い。武装がなければ蹂躙されるのみ。
特に、多くの種族が集うこの異質なアカモートはよく狙われる。
「ん? なんだいあの空は」
「ブルグントの方向だな。どうせ空の色が変わるのは召喚獣の呼びすぎが原因だろ」
「結構大規模だよねそれ? てことはあれかい、セントラの軍がブルグントのほうに攻め込んでるってことか」
「まあいつものように、すぐに膠着状態になって引き上げるだろうがな」
「うーん、資源の無駄使いな気がするんだけど。いいじゃないか、魔法も科学も認め合えば」
「できないんだろうな、そういうのは。違う宗教が潰し合うみたいに、魔法も科学も相手のことを恐れて悪だと決めつけてるから」
「ほとんどの浮遊都市は両立してるってのにさぁ……」
二人が下層部でのんびりと話していたその数時間後、アカモート全域に警報が鳴り響き、戦闘態勢へと移行していった。
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