第十六話 - イリーガルが負けた日
「お前らを入れてやる気はない」
イリーガルのそんな一言に、彼女たちはうろたえた。
黄昏の平原に引かれた線……というか、そこだけ草がまったく生えていなくて地面が露出して線のようになっている。その線に合わせて不可視の”結界”が張られ、蒼月とゼロは通れずにいた。
「どうして通してくれないの」
「はっ? 勝手にしろとは言ったがわざわざその後のサポートまでしてやると言った覚えはないのだが」
「ねえレイジ君、この先って何があるの?」
「この世界で唯一の完全な安全地帯」
「だったら通してあげようよ」
「んだよー、いいじゃん他にも入れる人らいるんだからぁー」
漣と謎の女が言うが、それでもイリーガルに通す気はない。
「じゃあな、ここで生き残りたいなら一撃で龍を殺せる技を連発できないと無理だぞ」
と、イリーガルが結界に踏み込んだ。空間に波紋が広がり、その姿は消える。向こう側とこちら側とで完全とまではいかないが、隔離しているようだ。
そしてすぐに、
「ごはっ!? げうっ、ごぶっ…………」
イリーガルが飛び出して、バウンドボールのように地面を飛び跳ねながらかなり遠くまで転がっていった。
突然のことに全員が驚くが、結界の向こう側から出てきた者にさらに驚いた。
「あれ? なにしてんの?」
「なにっていうか……」
「なんで姉さんがここにいるの……」
出てきたのは赤い髪に赤い半袖、下はクリーム色の半ズボンを穿いたレイだ。レイアの姉であり、魔力総量は原子崩壊を易々と引き起こし、核爆発だって起こせてしまうほどもある。
「え? だってここスコールのハイドアウトだよ?」
さらに続々と見知らぬ人物が出てくる。
一人、髭を生やしたおじいさん。
一人、キモオタというにふさわしい太っちょ。
一人、背中が大きく開いた服を着ている竜の尻尾を生やした女の子。
一人、薄絹を纏い、いろいろと透けてしまいそうな爆乳の天使の女の子。
一人、真っ青なチャイナドレスの生地をさらに減らして露出を増やしつつ、濃紺から先端に行くにつれて水色になる髪の女の子。
一人、燃えるような色の髪をして、白いワンピースしか着ていない女の子。
一人、金髪猫耳に猫尻尾の女の子。
一人、黒髪短髪で、腰に銃をぶら下げた女の子。
「ちょっと!! 誰あなたたち!? スコールのハイドアウトって言ったけど、もしかして」
「あの方には危ないところを助けてもらいました。それ以来、守護天使として契約させてもらっています」
丁寧に言うが、一歩進むごとに揺れる胸のたわわな果実に言いようのない敗北感を覚える。
「リムも主様に助けてもらったであります」
こちらには主のために尽くすと言った、メイド精神的なものが感じられる。
「あの、蒼月さんですよね? ユキです、覚えていますか?」
なんでフェンリルの中でも魔法の発動兆候を読んで回避する能力を持つものがここにいるのか。
「キッ」
きつく睨んでくる露出チャイナは確かかなり前にレイズに殴り飛ばされていたような覚えがある。
その後もいろいろと蒼月に語り掛けていく中で、レイは漣に話しかけていた。
「よっ、久しぶり」
「誰?」
「あー……やっぱり覚えて……いや、知らないよね。あんたは何千回も死んだんだから」
「それってなんのこと? 私生きてるよ」
「えっとねぇ……あんたはこの世界に入ってきたことが何回もある。でもそれは部分的にであって完全に入ってきたわけじゃない。それに時間軸でもあんたのことは未来で起きたはずなのに過去でも起きてるって矛盾した状態で、それで死んだけど生きてる、生きてるけど死んでるって状態で本当の世界では生きてるからここでの死んだって状態が上書きされて」
「ん、えっと、よく分からないんだけど……」
「じゃあさ、覚えてる? 告白したこと」
「誰に? 私、レイジ君のことは好きだけどそういうのはまだしたことないよ?」
「うっわ……過去と未来の状態がごちゃまぜだよ……」
「どういう」
「あ、もういい。でもスコールに時計をもらってるのに……うーん」
そのまま考え込んで自分の世界に入ってしまう。
蒼月の方も次々に質問攻めのような形になっていて、スコールとはどういう関係かなどを重点的に聞かれていた。
「ぐ、ぐふっ……お前ら、結界を抜けられるやつは味方だから攻撃するなって言われただろ」
一撃で身体の内部をやられたのか、口の中を切ったのか、唇から血を垂らしながらイリーガルが戻ってきた。しかし全員から返される言葉は冷酷なものだった。
「誰ですか?」
一人を除いてそろってこれだ。
記憶消去を使ったこともあるが、長いこと会わなかったことが原因なのだろう。仙崎霧夜と同じようにきれいさっぱり忘れられて敵と誤認されている。
「ハンス、覚えているだろう」
「ええ、金に糸目をつけない良い取引相手ですな」
「他は!」
そろって「なにいってんだこいつ」という目で見られた。
しかも青い改造チャイナが……名はレヴィアというのだが。
「……おやあ!? なんでそこで絞めにくぐぎっ!!!!」
一応言っておくと、イリーガルから武器とカードを取り上げてしまうと(戦闘モードでない限り)普通の男子高校生並みの戦闘能力(+総合格闘技能・殺しに躊躇なし)しか残らない。そしてここにいるのはいずれも戦い慣れして且つ素の状態で能力者を凌駕するものたち。
戦闘モードでなく通常モードで勝てるわけがないのだ。
「やめて! レイジ君にそんなことしないで!」
「やめっ、れ」
イリーガルは漣が『停止』を使おうとしていることが分かったが、そんなことをされると困る。首を絞められた状態で絞めるレヴィアを完全固定されてしまうと抜け出せなくなる。
最悪そのままお陀仏。
そんなことになるくらいなら、蹴りたくはないがちょうど蹴りを入れるにはちょうどいい位置の腹に蹴りを入れる必要がある。
結果、蹴った。
結果、さらに酷いことになった。
「無言でその拳はやめないかな、フェネ!」
飛び退いて躱すと地面に亀裂が走る。
「その身軽さを活かして金を稼げ、借金まみれのセーレ!」
後ろから振るわれる鋭い爪攻撃を紙一重で回避する。
「そんなこんなでドッカーン!」
「なんで、被害者はこちらで先に手を出されたから対応したらさらにやられるのかな!?」
レイの踵落としを躱すと、地割れが起きる。こいつは完全にノリでやってきている。分かった上でやっている。
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最終的にイリーガルは――――負けた。
女性陣の連携という文字がまったくない攻撃の嵐に吹き飛ばされたのだ。無論、トドメの一撃はまったく悪気のない漣の『停止』である。
「つんつん、つんつーん」
彼の顔を指でつつくのは謎の女ことミラ・ペルソナ。
恐らくは二番目に長い付き合いであろうこの女は、後で容赦なく顔面パンチを食らうと分かってもつつくのをやめないだろう。
現在の居場所は隠れ家の茶の間。しかし隠れ家と言ってもその大きさは秘境の宿に匹敵する。つまり大きい。地下には牢屋や儀式場、食料保管庫があり、二階には部屋がある。一階には主に広い部屋がいくつかと調理場、倉庫、医務室が。必要に応じてすぐに部屋を変えられる作りであるため、昨日まで寝室だった場所が倉庫になっていたり、ケガ人を寝かせる医務室になっていたりする。
「ミラ、後で蹴り飛ばされたくなかった今すぐに鍵を持ってこい」
「うーん……もーすこし遊んでから」
「…………」
イリーガルの手には手錠がかけられていて、鍵は彼女たちが持って行ってしまい、ポケットやベルトに隠していた針金まで没収されてしまったため、どうしようもない。
「しかしまあ……」
見える範囲、家の中では女性陣が話に花を咲かせ、キモオタ風味はそのうるさい声にヘッドマウントディスプレイをつけてヘッドホンまで装着して完全にネットに引き籠もっている。ここからネット接続ができるのかと聞かれたら、出来ると言える。サーバールームに空間魔法で穴をあけて、別の場所と通信を確立させている。
家の外ではハンス商会の商隊が休憩のためにくつろいでいる。良い取引き相手であり、注文すればなんでも揃えてくれる。中継界を使って様々な世界を行き来しているが、中継界と休憩地点を提供して安く品物を売ってもらうという関係だ。
「誰も傷つけず、忘れられる孤独を望んだ結果がこれか。傷つけるふりで引き寄せて、騒がしいこの状況」
「いいじゃないかなー? 嫌じゃないならそれはそれで受け入れるほうが楽だよん」
「お前は気楽でいいな。まあ、分かってるな?」
「うぬ、分かってるよ。いつでも死ねるから、今日の夜でもいいよ」
「分かった。それでいこう」
二人が物騒な話をしていると、女性陣の方からあまりよろしくないことが聞こえ始めた。
「だ、だめであります! 主様はリムのものであります!」
「ものって……スコールは」
「あーあーもう。独占したいとか嫉妬とかあるにしてもさあ、そういうの嫌いだと思うよ? 仲良くしようよ」
「だったら順番決めちゃう?」
「なにの?」
「まぐわいの順番に決まっているでしょう」
言われて真っ赤になるのは蒼月だ。
「ま、まぐわいって」
「よ・と・ぎ」
「え? えぇっ!? もしかしてスコールって」
「いろんな女の子とやってるねー」
「……まあどれもこれも襲ったんじゃなくて襲われて無理やりだけど」
「合意の上でっていうのがなかったような気が……」
「とくにレイ……あんた何回襲った?」
「あ、あれはウェイルンの媚薬のせいだもん!」
「で、何回やった? どうだった?」
「えとぉ……数えきれないくらい。とことん優しかったしおっきかった、レイズより」
そんな会話を流し聞きしながら、イリーガルはなんとか立ち上がって壁の画鋲を口で引き抜いて、手錠の鍵穴の少しへこんでいる場所に斜めに押し込んで――――解錠した。
気付けば女性陣ほうで残っているのは天使フィーエル、竜人リミットリア、半幽霊のレイ、髪をバッサリやられた蒼月、フェンリルのユキだ。残りは猥談風についていけないというか、他人の事情を聞くのがちょっとあれになって離脱し、離れたところでお菓子を食べている。
「スコールって求めた分にはきっちり答えてくれるからいいんだよね。それに大切にしてもらえてるって感じられる」
「そっかな?」
「人目がないところでってことになるけどね。周りから見たらとても酷い人間、でも一度許してしまえばとても頼りになる人だもん。」
イリーガルはその話に割り込む。
「具体的に、どこが好きになった? 言えるか?」
「どこって言われても……」
蒼月は言いよどむ。
この質問に具体的にどこのどういうのが好き、と答えられるものは少ないだろう。
「他のやつらは? フェネとセーレとレヴィア除いて」
「レイジ君、その質問ちょっとイジワルじゃないかな」
「漣、お前ならどう答える」
「レイジ君のことだったら……全部!」
「それ以外」
「……うーん」
「答えられないだろう」
きっぱりとイリーガルが言い放ち、そのまま六十を数える時間の沈黙が流れる。
「雰囲気……かな。あたしの場合は」
「レイ、お前はレイズの」
「別に良くない? アイツなんか二股どころか数えないくらい股かけてるんだよ。だったらあたしだってスコールと一緒にいてもいいじゃん」
「……単なる寂しがりやのクセに」
「なんか言った?」
「いや何も」
雨の降る日には極端なダウナーに入るため、常に一緒にいたい。そんな思いがある。死んだあの日、幽霊になった日のことが強く影響しているのは間違いない。
「わたくしの場合は、あの方の波動です。一緒にいるだけで気分が軽くなります」
「あ、言われてみれば確かにそうですね」
「そうであります! 主様といると体が軽いであります」
フィー、ユキ、リムの出した答えに、イリーガルは頷いた。
「レイと蒼月は」
「あたしは…………なんとなく居心地がいい? から」
「私もなんとなく……」
「なんとなくね。レイは焼けた鉄板押し付けられて、蒼月は首を刺されてなおもスコールを嫌わない理由が分からないのだが」
「「「えぇっ!?」」」
揃って声を上げる三名。
「スコールさんってそんな酷いことをするんですか!?」
「蒼刺されてたの!?」
「レイってそんなことされたの!?」
「蒼月とレイが驚くのは分かるが、普段からスコールのやり口を見ているユキがなぜ驚く?」
「あ、はい、そうですね……」
どこか遠い目をして考え直したユキは下がる。
「まあなんであってもいいが、二つ質問。一つ、クロードと一緒にいてどう感じたか。二つ、アキトと一緒にいてどう感じたか」
「レイアの模倣体に手を出したから思うところはあるけど、クロードは一緒にいるとなんか怖い感じがした。アキトの方は純粋に気分が悪くなったね。なんかどっちとも魔力を勝手に弄られてるような感じでさ」
「なるほど。蒼月は?」
「私は……うん、おんなじかな。クロードとは結構衝突したし、アキトのほうは近づいた後で気分が悪くなったから」
「オーケー。予想通りの答えだ」
「予想通り?」
「そう、予想通り。レイズ曰く、クロードは主に排斥の性質を、アキトは堆積や蓄積といった性質を。そしてアレは吸収や固定と言っていたが、本質は浄化や安定だ。害となるモノを自分の中に吸収して安定した状態に留め置くようにするから吸収や固定でも間違いではない訳だが」
「それって……」
「生き物は無意識に自分にとって”居心地のいい場所”に向かうし、そこに近いほどなぜか安心できる。例えば災害が起これば知っている人の多い場所を探してそこに向かうのが普通だろう、そしてそこならばとりあえずは安心できる。そんな感じだ。とくにスコールとお前らの場合は、安定剤と不安定な存在という形だろう」
「どういうことでありますか?」
首を傾げながら竜人のリムが聞く。
「そう、リムとユキの場合は魔力も神力も”不快”に感じるだろう?」
「不快っていうか、私はそれで体調を崩しますし」
「リムも同じであります……」
「そしてスコールはそういったものを排除して安定化した空間を周囲に作り出している。アレの近くにいると体が軽いだろう?」
「はい。それにここもなんとなく居心地がいいです」
「リムは”結界”から離れたところへはいけないであります」
「うん、まあこんな感じでレイも蒼月も無意識に居心地がいいから、それが近くにいたい一緒にいたい、一緒にいると安心できる、これに妙なものが加わって”好き”になってるんだろうさ。だから、あいつの性質がなくなってしまえば単なる知り合いレベルになる……と、思う」
「何それ」
最後の一言に全員が反応して、代表してレイが言う。
「今までの経験だーん……つー訳で、確証は一切ない」
ふざけて言って、イリーガルは来るであろう追撃から逃れるために、そそくさと自室へと逃げた。
茶の間に残された女性陣と、完全に自分の世界に入り込んでいるキモオタ風味。
「えっと……」
どうしようか? とも言えず、蒼月は困るが。
「とりあえず、あの部屋の隅の現実恐怖症はほっといていいよ。あいつはまず危険じゃないから」
と、レイが言う。
よくよくありそうな、見ていないところでキモオタが美少女をNTRという展開……というか、性的嫌がらせは気にしないでもいいだろう。仮にされたところで彼女たちであればグーパンチ一発で解決だ。
「あ、そうだ。一応自己紹介とかしとく? ほとんどレイズの知り合いだけど」
「……思うんだけど、なんでこんなに女の子が多いの?」
「どっちが? レイズの方だったら無意識の”魅了”で惹きつけてるから。スコールのほうはいつも男連中が出張ってるからそういう風に見えるだけだよ。ここにいるのって……ほとんどレイズの方だもん」
「そう、なんだ」
スコールのことを意識してはいるが、彼に関する”本当の”ことは何も知らない。配置換えの関係でバディを組んでからすぐに、命令違反の単独行動でいなくなり、本名すらも知らない。近くにいれば軽い頭痛と共にあるはずのない記憶、否、失われた記憶が蘇ってくるが、彼に関する肝心な部分だけがぼやけている。そして、自分のことも。
本当の名前が思い出せない。
月姫小隊のクラスである『蒼月』という半分称号のような名前を使ったのは、256回目の世界ではほんの少し。しかし、蘇ってくる記憶の中では長い間使っていたことがある。
どうでもよくはないが、どちらかと言えばどうでもいい方の記憶ばかりが鮮明に浮かび、大事なところは霧が掛かったように見えないかぼやけている。
「ねえ、前に言ってたよね。スコールが気にかけてる女の子がいるって」
「うん」
「それは誰なの?」
「あの子」
レイが指さす先には、いつの間にかお茶会になっている場所に座る時川連だ。
「その理由って言うの――つっ!」
「レイ?」
「ごめん、言えない。やっぱり隷属の呪いが邪魔する」
「レイズとメティサーナのが掛けてるアレ?」
「いいや。イリーガルとかのもっと強力なやつ。これなんだけどね」
身体の周りが魔力によってぼうっと霞むと、溶け出るように体中に絡みつけられた鎖が姿を現す。様々な色、様々な形。その中から真っ黒な鎖を持ち上げる。
「どうしてイリーガルが? それになんで、イリーガルって白き乙女を壊滅状態にしたんだよ。どうしてレイが」
「思い出してないのか、それとも忘れちゃったかな。ネーベルみたいに忘れられやすいけど、イリーガルって――あぐっ」
続きを言う前に、今度は頭を押さえるのではなく床に倒れた。それも膝から崩れ落ちるのではなく、不意に気を失ったように大きな音を立ててだ。
当然、お茶会のような雰囲気だった彼女たちも駆け寄ってくる。
そのままレイの介抱になり、話はそこで終わることになった。




