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第十四話 - 観測者との戦い

「フィーア、なんでいっつも短パンを選ぶ?」

「え、だって動きやすいじゃん」


 部隊の口座から勝手に支払いを済ませたクロードは、フィーアの格好を見ていつもと変わらないなと思った。

 フード付きパーカーとショートパンツ。サイハイソックスに動きやすさを重視している割にはブーツを選んでいる。


「戦闘用のズボンでも変わらないと思うけど」

「んー……でも、いや、たぶん召喚者の趣味?」

「レイズの? まさか、あいつの周りにはいろんな格好の女どもがいるだろ」

「違ったらオリジナルの服装をそのまま反映していて、私たちの自己防衛欲求の中に服装も含まれてるからだと思うよ」

「ふーん」


 日が落ち始めた街中を並んで歩いていると、明らかに危ない人たちが目に入り始める。セントラは中央や安全域ならば治安は(表向き)抜群に良いが、それ以外は相当に悪い。例えるならスクールバスをジャックされてそのまま売り飛ばされるほどに。


「念のため言っておくが魔法は絶対に使うなよ」

「うん分かってる。さっきの路地裏はセンサーがなかったから使っただけだよ。それにここでの魔法の作動テストも兼ねてだから」


 街中の至る所に監視カメラがあるが、それと併設して魔法の感知デバイスも置かれている。用途は主に二つ。一つは魔法士が侵入してきた際に居場所を割り出すため。もう一つは魔法科の生徒及びキャストギアによる魔法不正使用を防ぐためだ。


『リーン、今いいか』

『なんでしょうか』

『えっと……言いにくいんだが』

『勝手にお金を使ったことならすべてクライム大尉に請求しますので、これについては特に言及しませんよ?』

『それともう一つ。ごめんなさい、女の子一人連れて帰ってもいいか』

『……民間人の保護は警備隊(CDF)の管轄です。それにこの部隊は一応場所を知られてはいけないので連れてこないでください』

『そこをなんとか』

『では隊長に掛け合ってみます』

『ありがとう、リーン』


 通話を切って、隣を歩くフィーアを見ると、しきりに辺りを見回している。それも興味があって目移りしている、というのではなく警戒する表情で。


「どうした?」

「…………」


 話しかけても黙ったままで、いきなり後ろを向いたかと思えば狭く暗い路地の方を凝視して、また前を向いて。


「何かいるのか?」


 クロードはフィーアの視線を辿るように見ても何も発見できず、周囲の監視カメラに侵入して映像を覗き見ても不審な影はない。


「狙撃手に狙われるより嫌な感じ……」

「お前の”眼”に映らない敵か?」

「ううん……分からない。分からないけど、こっちを見てる」


 そのまま歩いて行くうちに、明らかにフィーアが怯えの色を示し始め、身体が震え始めていた。

 一度立ち止まって、壁を背にしてクロードが庇うように立ちふさがるがなんの気配も感じられなかった。自分に狙いが移れば即座に方向が分かる。だがそれがないということは、相手はすぐに身を隠したか視線を逸らしたか。

 流れる人の動きをサーチしたところで、こちらから視線を逸らしているような者はいない。


「……ひっ……なに、誰が見てるの……」

「おいフィーア」


 ガタガタと震え始め、頭を抱えてその場にうずくまってしまう。

 クロードが心配してしゃがみ、その方に手を置くとビクッと震える。


『リーン少尉』

『どうしました?』

『誰かにつけられています、周辺のクリアリングを』

『分かりました』


 こういうサポート系統の仕事なら恐ろしく早くやってくれる。


「フィーア、フィーアしっかりしろ」

「や……どれがほんものかわからない、わからないよ」

「一旦落ち着け。世界の構成情報まで見抜けるお前なら全部”視える”んだから」


 より一層、震えのひどくなったフィーアの背中に手を回しつつ、クロードは周辺を警戒する。フィーアの盾になっている以上、フィーアを見た場合は必然的にクロードを視界に、狙いに入れることになる。だというのにクロードは何も感じていない。周りを見ても、いつもと変わらないカオスな街並みと人の流れがあるだけだ。


『准尉、周辺に不審な人物はいません』

『IDの確認もしたのか?』

『しました。しかしPMC所属や特務の擬装もありませんでしたよ』

了解ヤー。近くに誰かいませんか、出来れば人数が多い方がいい』

『ジークがいます、そちらに向かうように指示は出しましたのでしばらくそこで待機してください。それと、その青い髪の女の子はもしかして白き乙女の……』

『これについては後で何とでも聞いてください。切ります』


 通信を終えると同時に、奇妙なことが起こった。

 瞬きをした途端に音が消えた。人が、動くものがすべて消えた。

 そして、


「知っていますこと? 観測者は見るだけで影響を与えることができますのよ」


 妙に意識に響く女の声が聞こえた。


「誰だ!」

「量子ゼノンで疑似的な停止を」


 意味不明な何かの波が放たれると、それがクロードに触れるか触れないか、そのタイミングで身体が勝手に動いた。波に向かって手を広げて、押し返すように突き出した。


「術式確認、迎撃式カウンター生成……」

「なんですの? それ」


 聞かれても答えることはできない。クロードとしても、なんでこんなものが使えたのか分からないのだから。


「まあいいですの、消えてくださいまし。もう観測結果は十分、このシミュレーションは破棄しますの」


 目に映る世界に波紋が立つ。情景を掻き消す波紋が大きくなると同時に、黒い影が現れ始め、急速にクリアになった視界には人の形をした”影”とでもいうべき何かがいた。


「…………アテリアル、とは違うか」

「いいや、同系統だよ」

「もう大丈夫なのか」

「うん。それよりも、これは少々不味いよ」

「どう不味い?」


 びちゃり、影が一歩踏み出した。


「バクテリオファージ級対仮想兵器」

「なんだよそれ」

「とりあえず逃げながら!」


 フィーアが走り出し、クロードもそれに続く。振り返ると、影はびちゃりびちゃりとゆっくり追いかけてくる。


「仮想兵器って言ってもここは現実だろ」

「あなたたちにとっては現実。でも”こっち側”にとってはシミュレーション内部、仮想でしかない」

「仮想……ああ、繰り返しの話でだいぶ聞かされたが、それか」

「そう、その考え方でいいよ。たぶんだけどあいつらは”遊び終わったからお片付けでもしよう”って気分だと思う」

「でも”外”の奴らだろ? だったらレイシス家が黙ってなさそうだが」

「ここから見て外にレイシス家はあるけど、そのさらに外。本当の世界がある場所にやつらはいるんだよ」

「なんかもうでかすぎてよくわからないけど」

「スコールが言ってたように、なにごともシンプルに考えてみようか」

「侵略者、の一言でいいのか」

「おっけー。だったらやるべきことは?」

「撃退しかねえだろ」


 走り続けるとやがて音が聞こえてくる。日常の音、人の歩く音や車の騒音が響いてくる。


「ダメ! そっちはダメ!」

「どうして、人の多いところに出たほうが軍服脱いだ軍人どもがいるのに」

「強化されてないデータはすぐに書き換えられちゃうから」

「は?」

「クロードみたいに”理”から外れてない存在データは”検索”に引っ掛かりやすいし通常状態だから改変への抵抗もないの!」

「それって……!」


 前方の人垣に、どちゃりと黒い影が落ちた。悲鳴が上がり、人々が逃げるが、そんなことを気にせず影は動く。無数の針付き触手のようなものが伸びると、逃げる者の背に突き刺さり、一瞬糸が切れた人形のようにだらりとすれば、急激に溶け始めて内部から影が生まれ始める。


「データの上書き……」

「もろにファージじゃねえか。人の皮を溶かして存在した証拠すら残さないってのは……」

「私たちはアレに触れられても大丈夫だけど、他はもう……」

「ん? 触られるだけ……クズ野郎のホロウと同じか」

「あれも根本は同じだったはずだから」

「……昔から俺の周りには超危険兵器があったんかい」


 来た道を引き返しながら、どうやって戦おうかと考える。

 さすがに数で押されるとどうにもならないのは、どんな戦闘だって変わらない。


「有効な攻撃手段は」

「魔法による飽和攻撃かミスリル製の武装がないと無理」

「ようは本来存在しないものじゃないと通用しないってことかよ」

「ちなみに私はまだ魔法戦闘はできないからね」

「なんで」

「さっきも言ったけど、新しい魔法フォーマットに対応しきれてないの」


 そうなってくると、セントラではミスリル製の武具など出回っていないし、魔法といってもキャストギアというものを用いた疑似魔法しかない。もちろんキャストギアもそこらで入手することはできない。


「打つ手なしか」

「まずは逃げるしかないよね……」


 ---


「ようやくお目覚めかしら」


 浮遊都市アカモート。メインタワーのその一室でレイズは目を覚ました。

 痛むところはないが、全身が怠い。起き上がらず、そのままで顔を動かす。


「……他は」

「みーんな気絶させられて安全なところに詰め込まれてたわ。魔物については騎士団が排除したし、あと問題は」

「鈴那は」

「ああ、クレスティアなら大丈夫よ。妙な術だけど、あれだけ複雑だと事象の定着に時間がかかるから、その前に無効化したから。レイズも大丈夫でしょ?」


 魔法を使って全身をチェックしてみれば、特に異常は見られなかった。

 ただ記憶破壊を受けた覚えがあり、修復不能なほどにまで破壊されてどうにもならないくらいになっている部分はあるが。


「なあメティ、俺って何回忘れたんだ」

「……分からないわ。気付いたら話がかみ合わなくて、それで記憶がなくなっているってことが分かるくらいだったし」


 ベッドに腰掛けながら言うメティサーナは、両手に包帯を巻いた状態で、顔にもガーゼが張り付けられている。未だに傷が癒えていないのだ。それも、魔法を使った治癒が効かない傷だからこそ、いつも以上にだらけている言い訳になってもいるが。


「そうか……。なあ、もしかして俺って死んでいった仲間のことまで忘れているのか」

「…………」


 メティは何も言わずに顔をそむけた。つまり、そういうことだろう。


「メティが覚えてる範囲でいいんだけどさ、俺とイリーガルが戦ったのっていつが最初なんだ」

「蒼ちゃんを助けるための戦い。あの頃までしか思い出せないわ」

「……悪い、覚えてない」

「忘れるでしょうね、もう随分と昔のことだもの。空の上で天使勢力を引きつけながら、雷撃と無理やり圧縮した水弾の撃ち合いで……あの後は……」


 そこでやめて、立ち上がったメティは窓へ向かって、開けた。

 緩やかな潮風が流れ込んで、どんよりとした部屋を洗い流す。


「あっ!」


 ちょうど見下ろしたところに浮かぶコンテナ船。数時間までに取引と積み下ろしの終わったラバナディア行の船だ。その船に積まれているコンテナの中に、詰まれてはいけないコンテナが混じっているのだ。


「あ、あははははぁ……」

「メティ?」


 訝しんだレイズがベッドから起き上がると、メティの隣に並んで外を見る。

 遠くにかすんで見えるコンテナの中に、はっきりと見えなくても確かに分かる物が混じっていた。


「俺の家がっ!」


 レイズのコンテナハウスである。

 大方新人が間違えて積み込んだのだろう。あるまじきミスだ。


「後で連絡しておくから、何十日かしたら帰ってくるでしょうね」

「……さすがに魔法で引き摺り戻すと後が面倒か」


 別にそこまで執着するほど入れ込んでいるわけでもない、あのコンテナハウスに住んでいた理由は夜襲を避けるためだ。それさえクリアできれば別にどうだっていいのだ。


「メインタワーの屋上……しかないな」


 さすがにメティサーナの部屋のすぐ上ともなれば、騒ぎを起こしてはまずいから誰も仕掛けてこないだろう。レイズは当面の寝床をそこに決めた。


「はぁ……」


 まずは寝袋かテントか、野営道具を揃えなければと部屋の中へ振り返ると、それはいた。黒い影のような球体状のものが音もなく浮かび、部屋に不気味な空気をつくりだしている。

 レイズはそれを捉えた瞬間に大きく目を見開き、影が動き始める前に襲い掛かった。拳に鋼鉄の壁を崩壊させられるだけの魔力を圧縮し、魔法を使わずに最速の動きで間合いを詰めて一撃で破砕する。砕け散った影は溶けるように消えていくが、


「きゃああああっ!」

「メティ!」


 身体に黒い触手のようなものが巻き付き、窓から連れ去られていく姿が最後になった。

 レイズが伸ばされた手を掴もうとして見たのは、アカモートの至る所に取り付いている影と、すでに発生し始めた戦闘だ。一人メティを助けるか、住民おおぜいを助けるか。

 小さな迷い。その間に、一気に加速した影は点に見えるほど遠くへと行ってしまう。

 今更に理解した。あのメティが何も抵抗ができないほどにまで消耗してしまう敵、イリーガルの恐ろしさを。


「絶対に助けに行くから! 諦めるなよ!」


 言い終わるなり窓から飛び降り、常人なら飛び降り自殺になるような勢いで真下の影を踏みつぶす。


「ナイトリーダー!」

「ここにいる」


 呼べばすぐに白騎士が一人。手に持つのは剣ではなく、クリスヴェクターをもとに改造を施された魔装銃だ。引き金を引けば魔法の弾丸が実弾以上の威力をもって装甲すら貫く。


「状況は」

「見ての通り、だ」


 アカモートの住人は様々な事情により住処を追われた者たちだ。それは戦争難民などの仕方のない者や、ならず者、賞金首になって普通に暮らせなくなった者なども含め多岐に亘る。

 それ即ち、住民自体も守られる対象ではなく、自らを迎え入れてくれる都市を護るために戦う義勇兵。戦えないものは避難区画に自主的に退避してもらっているが、ほとんどが表に出て走り回っている。

 浮遊都市とその周辺で戦う限り、都市の余剰エネルギーと処理能力による支援が受けられるため、子供ですらも限定的に戦闘出力の魔法を放つことができる。


「立て直しまでは」

「内部に展開したファージの殲滅は七分以内に終わらせる。それまでにメインランドを掃討する」

「七分か。相変わらずの規格外だな」

「盗賊の皮を被っていた救世主がよく言う。お前ならば一撃だろう」

「あれはいわば魔法的なEMP攻撃だ。アカモートが冗談抜きに沈むぞ」


 レイズが冗談めかした口調で言うと、ナイトリーダーは静かに笑って、


「サウスゲート側を一掃する」

「オーケー、ノースゲート側は任せろ」


 普段の鬼ごっこ(真面目に奴隷の立場から逃げる側と捕まえる側だが)とは違って、共闘するために合意する。


「そういやうちの連中はここにいるのか?」

「メティサーナ様から聞いてないのか、あの騒動で貴様らまとめて国外追放処分を出されたのだぞ」

「わーお…………ヴァルゴは?」

「人格を初期化フォーマットされて今頃は桜都のお偉いさんどもに遊ばれてるのではないか。さすがにあれは手放したくない能力を持っているからな」

「はっ、これで俺の攻撃目標には桜都も入ったな」

「毎度毎度思うのだが」


 横薙ぎに誘導魔法弾をばら撒いて影を削りながら、


「たった一人のために数百年に一度の昇格するチャンスを捨てて、国を容赦なく滅ぼすのはどうかとおもうぞ」


 レイズも光の槍を投げて敵を散らして、


「すでに神殺し、神格級だよ」


 どうでもいいように返す。


「では後で会おう。ノースゲートは貴様らのためにつくられた浮遊島と繋がっているから、誰かいるかもしれんぞ」

「動けるやつがいれば、だろ?」


 話は終わった。

 二人ともが加速の魔法を使って自身にかかる状態を改変し、人ならざる速度で走っていく。

 流れていく景色の中では、アカモートの住人たちが種族の垣根を越えてセルを組み、共同で影の撃退に当たっている。他では見られない光景だ。種族同士仲の悪いというのは当たり前、どれだけ危機が迫ろうとも、もう取り返しのつかないほどにならない限りは手を取り合わないほどなのだから。


「はぁ……ほかのところの連中が見たら気味悪がるだろうな……」


 それはレイズもだ。

 生まれつき色素が薄く、生まれ持った特異な性質と魔術を気味悪がれて捨てられて、その後はどこに行っても悪魔の使いだとか、はたまた魔法薬の材料になるだなんていう根拠のない噂で襲われたりもして。

 盗賊団を始めるまでは、本当に独りだった。


「ベイン! ネーベル! レフィン!」


 アカモートが襲われた時、桜都でも騒ぎの時近くにいたのだから呼べば来るかもしれないと期待したが、代わりに人の形をした影の群れが溶け出すように現れた。


「まったく、わざわざ非効率な人の形を使うのは既存のフォーマットで動かすためか」


 ようは新しくプログラムを組み上げるのが面倒だから、そこにあるプログラムに寄生して活動しようというのだ。


「情報改変・我が認識の下、我が思いのままに停止せよ」


 それは存在を停止させる魔術。

 ただ停止させるわけではない。停止状態ならば通常の物理法則は適用されないが、そこに無理やり自分の我儘で適用させる。魔法と違った柔軟性を持ち、世界そのものを改変してしまう魔術。いつしか、作り変えすぎてもとの形を見失った魔術師もいたという。レイズは決してそうはしない。状況にもよるが、基本は世界の復元力でカバーできる程度にしか使わない。

 停止の効果を確かめもせず、両手に魔力を高圧縮して(常人であれば体が耐え切れずに崩壊を始める)、レイズは一気に距離を詰める。あっという間に人型の影に接近すると、魔力を宿した両の魔手を振るう。

 素手で首を刎ね飛ばす光景は、それが影だからショックが少ない。もし人ならば見ていられるものではない。


「やはり……」


 魔術を使っても、常にサーチしている実家の連中が手を出してこない。ならばこれはこの世界だけでなく、全域で起こっている事態なのだろう。

 あらかた影の首を刎ね終ると、今度は空から飛竜の形をした影が舞い降りる。あちらはとことん手間を減らしたいらしい。


「来たれ、影を支()配せ()し宵闇()の乙女()


 召喚には様々な種類があるが、その一つとして”縛りの言の葉”というものがある。自分で決め、すべてを許せるほどの相手でなければ教えてはならないほどの強制力を持った”隷属の呪い”にも似た言の葉だ。

 名は意味を持ち、言葉は魂を持つ。そう言われるほどだ。以前、レイズもこれを使って召喚されていた時期がある。

 飛竜の影がレイズに食いつこうとするのに合わせ、レイズの影が浮かび上がって、影が影を食らう。

 呼び出された影は、レイズの頬に口づけをすると風に流されて消失する。


「ほんっと、レイズの周りは女の子だらけねぇ」

「ティア、冗談言ってる場合か」


 転送陣ゲートから出てきた鈴那ことクレスティアは、青いTシャツに膝まで捲り上げた厚手のズボンを着ていた。いつもと違うのは黒髪が薄らと青味を帯びて、陽炎のように儚く揺らめく天使の翼が背にあるところか。


「言ってる場合じゃないわ。とりあえず駐屯地の影は一掃したし、結界も張ったから」

「もう全快なのか?」

「いいえ? 久しぶりに下級天使たちに声をかけたら大急ぎで降りてきてくれたもの。使わない手はないでしょ?」

「そりゃ天使は基本的に上の階級に逆らえないから……。なんかメティに似てきたな、ティア」

「誰がですってぇ? あんな泥棒猫と一緒にしないでもらいたいわ」


 気付けば抜群のプロポーションの腰に掛けられた双剣の方へと、ティアの手が下りて……。


「分かった分かった……分かぁったから! 俺の首に剣を近づけるな!!」

「わかったならいいわぁ」

「……ヤンデレ、いやヤン成分が出始めてないか?」

「まさか」


 明るいけど、どこか怖い暗さを含んだ笑みで返された。

 出てるか出てないか、出始めだろう。


「それにしても、久しぶりよねえ」

「久しぶりつっても”外”の連中とは数えるのが面倒なほど戦っただろ。もう嫌だぞあいつら、事象観測者だかなんだか言ってたが、いったいなんの”事象”を観測しているのやら」

「この世界の中のナニかよね……ほら、ちょうど来たわ」


 さっきからここにいました。そういう感じで一人、異質な存在がいた。


「知っていますこと? 観測者は意図せずとも、ただ見てしまっただけで否応なしに影響をあたえますのよ」

「だからどうした。量子力学を持ってくれば誰もが観測者だろうが」


 ティアを庇うようにレイズが動く。あれの視界に捉えられてはいけない。


「うふふっ、あなたたちは”こちら側”から認識できず、検索もできない不鮮明なプロセス。でも、こうして捉えてしまえば、敵う?」


 瞬間、レイズは聞きなれた音を――剣で人間の心臓を無理やり貫く音を聞いた。


「は……」


 振り返ったそこには、貫いた影の剣を引き抜かれ、糸の切れた人形のように崩れ落ちるティアの姿があった。レイズの”眼”に、一撃で内部構造を破壊されて事切れている様子が鮮明に映っていた。

 まるで時間が遅くなったかのように、ゆっくりと崩れていくティアは、身体の端から光の粒子になりながら消えて行って……。


「PME、のようなものですわね。管理下にないとはいえ”こちら側”の処理の下で動く世界ですもの、逆らえる訳などないのですよ」

「      、   。     改変」


 誰がそれを聞き取れただろう。

 もはや通常の思考パターンでは理解できない、いうなれば機械言語マシンランゲージのような、世界そのものを書き換えるような世界言語ワールドランゲージとでも言うべきか。

 修復の効かない改変を行った。

 結果は明白だ。誰もが認識できる形で現れた。

 薄く白い波動が放出され、波動が通過した端から砕けたガラスのようなものが、書き換えられた世界の残骸が散っていく。レイズが”異物”として認識した存在を一切受け付けない”新たな理”で世界が再構築されていく。

 波動に触れた影が、ガリガリと削られるように消失していく。この世界からの強制離脱アボート


「くはぁ……っ、あ、は、はぁっ……」


 魔法の代償は基本魔力で、払いきれなければ命だ。

 魔術の代償は最初から決まっている、改変する規模に応じた自身の命。そして相応の反動による術者を構成する物質の崩壊。


「あ、ぐ……」


 ごぼり、と。レイズの口から血の塊が吐き出された。


「ティ…………ァ」


 霞んでいく視界の中で、光の粒子と化して消えていったティアの居場所には、青い宝石が一つ転がっていた。



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