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第十二話 - 記憶と想いと消えた心の森

 酷い倦怠感にとらわれながら、蒼月は目を覚ました。


「ここ、どこ……?」


 見渡す限り幻想的な風景が広がる場所だ。

 空を見上げれば黄昏色で、周りに目を向けると薄暗い森に光るコケや巨大なキノコが生え、綺麗に黄葉した木々と柔らかい落ち葉の絨毯。

 立ち上がろうとすれば、思うように力が入らなくて、前のめりに倒れてしまう。


「あれ……」


 ふと気付けば髪の色が変わっている。

 先端だけが青み掛かっていたはずなのに、中ほどまでうすい青色が上がってきているのだ。

 それに、足まで届く長い髪がいつもより重く感じられる。


「力が……消えてる」


 意識を内側に向けてみると、魔力や天使としての力が軒並み消え去ってしまっている。魔力などの影響は身体的特徴に表れやすいとはいえ、ここまで急速に変わるのはいきなりすべての力を失うくらいしないと、こうはならない。

 蒼月は慎重に体に力をこめると、倒れないようにゆっくりと立ち上がって歩き始める。

 方向感覚が狂っているのか、一瞬でも目を離すとどちらに進んでいたのか分からなくなる。いや、むしろ瞬間的な記憶を保持できなくなっている、そう言った方がいいか。

 黄葉した木々の間を、落ち葉の絨毯を踏みながら進んでいくと、やがて青白く光る草が生える場所についた。

 広い池があり、そのほとりにはくすんだ青色の蕾が生えている。

 幻想花。

 幻花と呼ばれる魔法生物の一種だ。近づくものを幻に捉えてしまう危険な花。記憶を読み取って、それを追体験させる。

 引き返そうとして、いつもなら躓くこともない木の根に足を取られて倒れてしまう。


「いたた……」


 手を突くこともできなかったが、厚く積もった木の葉が衝撃を和らげてくれた。木の幹を支えにして、ゆっくりと立ち上がっていると、背後から風もないのに草がこすれ合う音がした。


「…………」


 嫌な予感は、感じるよりも先に来るべきものが来た。

 開いた幻想花の蕾、そこから放たれるぼんやりと青く光る燐光。

 蒼月はそれに包み込まれ――


 ---


「く、くくくっ……」


 起き上がれない、というか腕と首から上以外を動かせない。

 腕を頭の上にかざせば、黄昏色の空が透けて見えるほどに消えかかっているのが分かる。

 強力な力の代償は甘くはない。暴走状態で行使し続けた上に、力の均衡を保つための契約をあらかた破棄したことで、それぞれの力のキャパシティバランスが崩れてさらに暴走しているのだ。しかもこの領域特有の”理”によって力の消失がばらばらに進み、さらに状態を悪化させている。

 あと数十分もすれば、消えてしまうだろう。


「くくくく……別にいいじゃないか、あとはイリーガルに任せてしまったところで戦力としては十分すぎるだろ」


 ばさりと、草の上に力を抜いて腕を落とすと、そのまま目を閉じて体の力も抜いてしまう。

 どこまでも沈んでいきそうな柔らかさだ、これ以上に心地よい場所がどこにあるだろうか。静かで、森の安らかな匂いに囲まれて、水の流れる音が静かに響いて。


「はぁ……あとはあいつらの記憶を書き換えておければ……余計な悲しみを与えずに済んだのにな……」


 ふわりと優しい風が吹き抜け、最期にもう一度、空でも見ようかと目を開くと、青い燐光が見えた。


「……そうか」


 頭を横に倒して、周囲を見ればくすんだ青色の花が咲いていた。


「いい幻想ゆめでも見させてくれよ」


 青い光に包み込まれて、やがてスコールは消えていった。

 あとには長年使ってきた黒いナイフといくつかの召喚石だけが転がっていて――


 ---


「まったく、倒してもきりがない」


 カードに刻み込んだ魔法は使えない。

 だからイリーガルは迫りくる過去の、幻影を相手に棍を使った物理攻撃で相手をし続けてた。


「ああ、やっぱり最初の決まりごとは忠実に、だよ」


 残り一つの特殊手榴弾を放り投げて、世界の理を限定的に押し退けてそこにカードの束を放り込み、最後の魔法を発動させる。

 飛び散った炎、電流、冷気が襲い来る幻影を散らして消し去る。

 それでも絶えることなく、どこからともなく幻影は現れては襲い掛かってくる。森自体が一つの異常な生き物。


「ないことを前提に戦術を組み上げろ、常に悪い方向を前提に対応策を組み上げろ」


 ヤマアラシのような幻影が飛び掛かってきて、イリーガルはそれをビリヤードの玉のように突き飛ばしてほかの幻影を散らす。


「前提条件は最悪に近いほどに対応できる幅は広い。それが悪い状況でないならばそもそも戦術を組む必要はないのだから」


 誰に言う訳でもなく、とにかく思考を一つに固定せずに意識を保っていなければ森に取り込まれる。

 ”自分が設置したトラップ”で最期を迎えることは絶対に御免なのだ。

 自分の身長ほどもある長い棍を振り回し、幻影を突き飛ばし、払い飛ばし、ときには跳躍の足場として撃破しながら距離を取る。

 いまここに具体的な戦闘のパターンは存在しない。すべてアドリブの連続だ。それでも運任せの動きではなく、相応の経験をもとにした戦闘様式を使い続けるでもなく、一瞬ごとに膨大な経験の中から有効な手段を検索、分解、再構築しては破棄していく戦いだ。

 パターンで戦えばすぐに対応されてしまう。そういう風に作り上げたトラップだからだ。自分だけは突破できる、なんて抜け穴すら用意していないのだ。

 空間把握能力とエコーロケーション。自分の動きで出した音の跳ね返り、幻影たちの動きの音で視力に頼らず状況を頭の中に描き出して、背後の幻影にすら的確な打撃を打ち込む。

 有効な手段だと思えばすぐにそれは捨て、別の方式を組み上げては戦いを続けていく。すべてを疑わないと、ここの”仕掛け”はやられているフリで誘導さえするのだから。


「さて、漣が無事だといいが……」


 亀の形をした龍の背中を駆け、端に棍を突き立てて棒高跳びのような感じで少し遠くに飛ぶ。

 着地と同時に棍を両手でしっかりとつかんでぐるりと周囲を薙ぎ払う。

 一歩、びちゃりと水に踏み込んだ。


「池? ……このまえ植えた幻花か」


 青い燐光が放たれて、纏わりつくように近づいてくるそれを払いながらイリーガルは池から離れていった。

 森の中にいくつもある池。その周りだけはとくに危ない状態に”作って”ある。そして池の場所はすべてを把握しているわけではないが、パターンがあるらしく、いくつか見つければ後は避けて進むことができる。いつ遭遇するか分からないモンスターハウスではない、パターンはあるがどこにあるか分からないだけだ。だからこそ、何度かの無茶で安全を手に入れることはできる。


「く、ふふっ。いいね、自分で作った難攻の罠、デバックがてら攻略してみるか」


 パーカーのダブルファスナーを上げて、動きやすくして体を冷ますための風を取り入れるようにして、イリーガルは敵陣に飛び込んでいった。


 ---


「さすがオリジナル……」

「そう……かな? こういうのって普通の魔法じゃないの?」


 レイアクローン、特殊型の個体識別番号ゼロは、目の前に広がる世界に驚いていた。

 ただ思うだけで特異な現象を引き起こす。

 それは魔法をある程度使い続けた者ならば可能なことだ。だが、それでも状況を認識して必要な演算は行われている。例えそれが無意識であったとしても。

 だからこそ、目の前にいる白髪混じりの女がやったことを信じられなかった。

 照準のためなのだろう、右手を差し出す。


 それだけで世界が停止した。

 普通の目で見える世界も、レイズなどの異端者が眼で視る世界も。


 解析に優れるレイアの特性を受け継いでいるクローン・ゼロには発動兆候すら視ることはできなかった。

 しかも停止したはずなのに、そこにあることを認識できるということは、単純な光や物質の固定ではないということだ。


「どこが普通……そういうのは高等魔術の分類じゃない」


 概念魔術というものが高等魔術に当たるか。端的に表せば、自分のわがままを押し付けて世界を塗り替えるようなものだ。魔法と違って人には使えない。使えないと言うのは、使ってしまうと相応の代償を払うことになるからだ。つまり、どうなってもいいと言うのであれば使えないこともない。


「時間の停止なんてしたら全部止まっちゃうわけだから、これは時間の停止じゃあないんだろうけど……でも体感時間の停止でもないし……」


 ゼロがぶつぶつと言っている間にも、イリーガルと一緒にいたはずの少女、時川漣は迫ってくる異形の幻影を停止させていく。その手に握られているのは、スコールが自分のためだけに作り上げた特殊な補助具、懐中時計の形をしたものだ。

 時間という概念を操ってしまう禁忌の一つ。

 すべては時間と共に。時もまた流れには逆らえない。だがそれを強引に遡行して、本来あるべき流れを掻き乱し、止めるようなことができたとしたら。

 現にこの少女は何度かやったことがある。

 おかげでスコールの自殺は未遂に終わり、イリーガルの計画は丸潰れでやけになった自殺も未遂に終わった。


「完全停止なら認識できないはず……音もないだろうし風もないし、でも星は動いてるから相対座標上での固定なんだろうけど……ていうかそもそも自転の慣性で吹っ飛ばないっていうのもアレだし……」

「そんなに難しいこと?」

「……魔術だよねぇ、概念魔術の理の上書きかな。自分の我儘をあるべき形として押し付けちゃうパターンなのかな」

「まほーじゃなくてまじゅつ?」

「どっちも似たようなものだよ? まあライターで火を点けるのか、棒と木の板と燃えやすいもので火を点けるのかくらいの難易度の差はあるけど」

「……?」

「分からないのが普通だよ。便利なものがあれば今までの手作業でやってきたこと、それをするための方法や技術は忘れられていくからね」


 二人の少女は、無数のオブジェを残しながら、森を進んでいった。


 ---


「はぁ……はぁ、ようやっと撒いたか」


 半分に折れてしまった棍を投げ捨てながら、イリーガルは木の葉の積もったそこに崩れ落ちた。

 大きく息を吸って、吐いて。

 呼吸を整えると起き上がり、胡坐をかいて耳を澄ませる。聞こえてくる音はとくにない。


「……あぁ、侵入者に合わせて無限に姿を変える森、か。我ながら恐ろしいトラップを作ったもんだ」


 数分ほど休憩すると、立ち上がって歩き始める。

 ここでは日の向きなどはあてにならない。この森の中にいる限り、常に空は同じ色のままだ。

 それでもイリーガルは迷わずに進んでいく。これまでの行動で池の配置パターンがある程度読めた。まずは最寄りの池を目指して喉の渇きを潤すのが目的だ。幻花の燐光に囚われなければ、近づいたところで大した問題はない。


「……」


 だが、その足はすぐにとまることになった。進む先に、錆ついてボロボロになったナイフと召喚石が転がっていたからだ。

 木々の隙間からは燐光が漏れ出して、そこになにかが存在していたかのように舞っている。


「ここで尽きたか」


 召喚石を手早く回収すると、燐光が飛んでくる方向に走った。

 幻花を植えたのは一部だけだが、あれは薄暗い水辺があればあっというまに広がっていく。

 丸腰状態でいつ幻影に襲われるか分からない状態だが、たいして不安ではない。いくら相手に合わせて変化するとはいえ、おおもとを作ったのだからある程度の変化の法則性も分かるし、常に変化するロジックに対して自分もロジックを変化させながら戦いを続けることができるのが、不安を消し飛ばす材料になっているのだろう。

 走って移動できるような地形ではないが、イリーガルはそんなことは気にせずに駆け抜けていく。やがて池が見えてくるが、そこには咲き誇る幻想花と、その燐光で青く照らされた池があった。

 しかも、池には蒼月が振るっていたはずのダブルブレードがなぜか突き刺さっていた。


「……いよいよ時空の乱れでも起こり始めたか?」


 池のまえにかがんで水を飲むと(生の水を飲むのは非常に危険)、ダブルブレードを慣れた手つきで引き抜いて、分割して双剣としてベルトに固定した。


「……面倒なことにならなきゃいいが」


 空を見上げて、再びイリーガルは移動を始めた。


 ---


 長い長い、とても長い夢から覚めるような気分だった。

 気が付いた時には、一人の少女の周りには誰もいなかった。とても嫌な記憶、とても嫌な場所だった、見ればはっきりと思い出してしまう、思い出したくないのに。

 石造りの冷たい大きな教会。赤い絨毯が敷かれ、左右には天使の像が並べられ、火の消えた燭台には溶けた蝋が滴って固まっている。


「いや…………」


 あの日の……。

 一瞬、過去に戻ったかと思ったが、それにしては感覚が妙だ。

 過去に戻ったというよりも、元いた世界、本来いるべき場所に戻ったと言った方がしっくりとくる。

 土砂降りの雨の音、空気を切り裂く轟雷の音。


「いやぁ……こんなところにいたくないっ」


 もう人形として崇められた日々には戻りたくない。

 あの日、手を引いてこの嫌な世界から引き揚げてくれた人はここに来るのだろうか。

 来ないだろう。

 だって、あの日はここに来たのに、今はいないのだから。


「いや、いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」


 蒼月は半狂乱になってただ逃げ出したいという思いだけで、教会の大きなドアに体当たりをして、押し開けて土砂降りの中に飛び出していった。

 本来救われるはずではなかった運命だ。だから、新たに再構成された世界が異物として弾き出したのだろうか。少女は救われなかった、そういう形で世界が再構成されていくのだろうか。

 土砂降りの雨に濡れて、人のいない大きな道を駆けて端までいく。そこから下は雨雲に覆われた絶壁だ。空中都市、天使の降りる街、そう呼ばれた場所だ。


「やぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 すべてを拒絶するように泣き叫びながら、蒼月はそこから先がどうなっているかなど気にすることもせずに、ただ逃げたい一心で身体を動かして、ついには絶壁への転落を防ぐ石柵にぶつかってぐらりと体が前に投げ出され……。


「蒼月!」


 後ろから伸ばされた腕に抱えられ、引き戻された。

 それでも、掴まれた、拘束された、連れ戻される、そんな思いばかりが浮かび上がって暴れる。腕を振り回し、足をジタバタを動かし、縛り付けるものから逃げたいと暴れ続ける。


「いやっ、いやぁぁぁっ! 放してっ、もうほっといてよっ!」

「蒼月、落ち着け!」


 強く言われて、一瞬だけ思考を停止させられると急に自分の身体を掴んでいる腕の主に意識が向かう。


「ちがう……ちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがう」

「蒼!」

「ちがうちがうちがう……ちがうっ! あの日来てくれたのはレイズじゃない!」


 無理やりに振りほどいて、思い切り拒絶をこめて突き飛ばした。

 確かにやけになったときに止めに来たのはレイズだった。だがそれは嫌な世界に押し戻されるだけのことだった。


「どうしたんだ? とりあえず雨に当たらない場所に」

「なんで……なんで……レイズなの……」

「蒼?」


 伸ばされた手を、


「触らないでっ!」


 払いのけながら、気付けば降りしきる雨を凝縮した水弾を創り上げていた。

 硬化水弾。分厚い石の壁でも簡単に破壊できるほどに圧縮した水の凶器。

 今の蒼月には、力が使えるようになっていることを気にするだけの余裕がなかった。

 なぜレイズが目の前にいるのかを考える余裕もなかった。

 ただ嫌な世界から逃れたくて、目の前にある物は嫌に世界に捉えようとするものだと認識して。


「はぁっ……はあっ……はっ……」


 乱れた呼吸のまま、両手を空に向けて、舞い降りる雨粒を集束させていく。水は圧縮(微々たるものだが)され、刃を形作り、二つの刃が組み合わさって蒼月の得物を顕現させる。


「蒼……月?」

「だまれ……だまれっ! こんな世界……なんて……壊れてしまえばいいの!」


 悲痛な叫びと共に、凄まじい青の閃光を放つ得物が投げられた。

 なんとか身を捻って躱したレイズの後ろ側は、小型隕石でも落ちたかのように石造りの街並みが基礎ごと消し飛ばされていた。


「おい、やめろ蒼月! いったん冷静になろう? な? まずは深呼吸か」


 言葉は届くことがなく、攻撃性の魔法の気配にレイズが反射的に上体を弓なりに反らすと、目の前をヒュンッと何かが通り過ぎ、白い前髪がはらはらと散っていく。

 見れば蒼月の手には新たな得物が握られていた。


「ちょっ!? ちょっと待てっ!? おまっ、今の本気で殺すだっただろ!」

「許さない……許さない。……わたしをこんなところにしばりつけた人間たちも押し戻したあなたもっ!」


 涙をこぼしながら、蒼月は水で創り上げたダブルブレードを振るう。


「――くそっ」


 頬を掠め、血が宙を舞う。


「蒼月! 目を覚ませ!」


 振り下ろされる刃を後ろに飛んで避けたレイズに向け、分割した剣を射出する。


「いい加減にしろ!」


 掌底をぶち当てて、水の刃を破砕するとレイズも動き出す。話し合いができないのなら、まずは無力化してから。嫌なことではあるが、そして難しいことではあるが殺す気のある相手を話ができる状態で尚且つ戦えない状態にする。

 そして、一歩を踏み出したところで横に飛んだ。直後に水弾が駆け抜けて、後方遠くにある建物を破壊した。


「あ、ははは……そうよ、みんなきえちゃえばわたしはしばられないんだ」


 青く澄んだ光が迸ったかと思った瞬間、黒が混じった蒼が降りしきる雨を伝って、鈍色の空に昇っていく。


「水で青……空と言ったら……まさか掃射術式を使う気か!?」


 思い当ったときには体が動き、レイズは空に向けて白い魔方陣を展開して、それでもすぐに間に合わないことは分かってしまった。落ちてくる水の砲弾。いくら水とはいえ、雨粒クラスでも空気抵抗などによる減速がなければ弾丸と変わりない威力を秘めている。ならばそれが砲弾クラスともなればどれだけの威力になろうか。


「くっ」


 すぐに障壁と術の無効化に切り替えて、広く厚くそれを展開する。だが如何せん数が多すぎた。無効化の処理が追いつかず、すぐに障壁にはひびが入り始める。

 そして維持でレイズが動けないところに蒼月が攻撃を仕掛けてきた。

 一気に足元に接近して、全身を使ってフルスイングしたダブルブレードでレイズを打ち上げると、近くに降ってくる砲弾の軌道を曲げてレイズに向ける。さらに叩き落されたレイズへ追撃としてもう一度打ち上げると、分割したブレードを向けて二本の刃を打ち込み、続けて創りだしたダブルブレードに力をこめる。


「きえちゃえ、きえちゃえばいいんだ」


 中心が眩く白く輝き、縁は若干の青みを帯びた槍になったそれを投げた。

 凄まじい速さで飛んだそれは、衝撃波で周囲の雨を吹き飛ばし、レイズを消し飛ばして空の雨雲までも散らして青空を見せた。そして、遅れて耳をつんざく破裂音が響き渡って、石畳に張り付いた水を跳ねさせる。


「……ははは、やっちゃったよ? わたしやっちゃったよ」


 終始それを、教会の上から眺めていた消えかけのスコールは……。


「ダメか……過去の記憶で精神的に不安定なら記憶の改竄もできるかと思ったのに」


 強大な攻撃の反動で、魔法陣の刻まれた教会の屋根は砕け散っていた。レイズの形をした人形を即席で創り上げてはみたが、ダメだったと諦める。

 蒼月の方を見れば、そろそろ止めてやらないと精神的にもう帰ってこられないところまで落ちて、壊れてしまいそうだった。


「……はぁ、仕方がない。こういう時は……? 助ける、でいいのか?」


 元から不必要だと殺してきた感情を疑似的に再現シミュレートする。”心”といってもそれは、脳の中でやり取りされる電気信号、演算処理にすぎないはず。それでも解明不能な何かはあった。

 生命活動を維持するために最低限必要な程度には残しているが、一部を除いて過剰な域まで達することはない。強い感情と、必要がないものと切り捨ててきたいくつもの感情。

 例え長く共にいたとして、それは”長い時間一緒にいた”存在であり、情が移るような”大切な仲間”と思うことはない。ただそう認識するだけで、本来付随すべき情報・感情は最低限しかない。

 誰かを護ろうとしていて、死んで欲しくないと思ったとしても、それは単なる目的のため。機械的に設定されたそれを達成するために、ロストしてはいけない要素を確保しようとするためだけの行動。もしも、ロストすることにより発生するリスクより、確保することによって発生するリスクが高いならば、それが味方だろうが容赦なく排除する。迷うときは、そのリスクが平衡してしまうようなとき、すぐに判断できないときだ。


「風よ、我が身を彼の地へと運べ」


 さっと石の欠片で陣を描いて詠唱する。

 緩やかな風が纏わりつき、明らかにその程度の風圧では浮かばないはずなのに体が浮かび、教会から飛び降りる。タンッと軽く着地すると、あとは狂乱状態の彼女を目指して走る。


「蒼」


 呼びかけると、すぐに蒼月は振り向いて、そして目を大きく開いた。


「スコール? 偽物?」

「さてな、それはお前が決めろ」


 首を傾げ、口元に指をあてて考える蒼月に、スコールはゆっくりと、ではなく普通に歩いて近づいて行く。


「…………」

「…………」


 無言で視線が交差した直後、蒼月のそばに揺蕩う残りの水弾が撃ち出された。

 スコールは軽くステップを踏んですべてを紙一重の距離で躱すと、さらに近づいて行く。

 すると、ゴガァッッ! といきなり石畳が弾け飛んだ。散弾のように飛んでくる破片の嵐から、横に軽く飛んで範囲外に出て躱すと、ダブルブレードを振り上げた蒼月の姿見えた。続けて振り下ろされる。

 身体を落とし、垂直に落ちてくるブレードの側面から拳を叩き込んで剣筋を反らす。そしてすぐに拳を引くと、柄を掴み、


「スティール」


 一瞬青く光ったかと思えばダブルブレードが消失していた。

 そして少しだけ固まった蒼月にスコールは仕掛けた。素手の格闘ならばまず勝ち目はない。かといって関節技で締め上げるのも、魔法による反撃があるため不可能。

 だから、真正面から、


「えっ?」


 とりあえず接近しつつ魔法の照準を封じるともなれば、傍から見れば抱きしめるような形以外になかった。

 極至近距離であれば、視認して魔法をかけることが少し難しくなる。なにしろ作用対象の全体を捉えるということに慣れ過ぎているからだ。そして照準補助に腕を向けることもできない。


「……………………」


 動物は、いきなり、考えの及ばないことに出くわすと、反応できない。

 目を閉じて固まっていた蒼月が、ぶるりと震えて、そっと目を開いて行く。


「……」

「蒼」

「……う、ん?」


 はっきりと開いた眼。突然のことで完全に停止させられた思考が再起動して、状況をしっかりと認識していく。


「え、あ、え? え? あれ?」


 だんだんとはっきりとしてくると、抱きしめられていると意識し始め、蒼月は大きく息を呑むと、スコールを突き飛ばそうとして腕を抑えられていることに気付いてジタバタとし始めた。

 それでもしっかりと回された腕は振りほどけない。

 暴れるだけ暴れて、それでも押さえつけられて、自分のやったことを思い出すと、蒼月の目がじわっと潤む。


「あ……わ、わたし……」

「悪かったな、あれは人形だ」

「でも……でも……」

「レイズがあんなに弱い訳ないだろう。複製召喚を真似て作っただけの空っぽの召喚兵だ」


 言われてみれば。

 レイズが本気なら、あの程度は作用内容を未定義の魔法で塗りつぶせたはずだ。そもそも戦いに持ち込む以前に、転移で距離を詰めて一撃で終わらせられているはず。


「くぅ……ぅぅ」


 蒼月の肩が震え始めた。


「泣きたいなら泣け。溜め込むならここで思い切り泣いた方がいい」


 その一言が、最後の一押しになったのか。

 蒼月はスコールに体重を預けて、顔を押し付けるようにして泣き出してしまった。

 スコールは拘束を解き、そっと背に手を回し、長い髪をすくように撫でた。


「後は一人で頑張れよ、蒼」


 晴れた空から降り注いだ光が、あたりを温かく照らし、蒼月が気付かない内にスコールが消え始めた。

 足の先から光の粒子に変わっていき、だんだんと。



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