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青年がラヌスに向けて歩き出した頃、そのラヌスでは赤褐色の列車が到着したところであった。
『終点、ラヌス、ラヌスでございます。国鉄をご利用頂き、誠にありがとうございました。またのご利用をお待ちしています』
乗降口が開くと同時に、流れるアナウンス。それを多くの乗客が聞き流して降りていくなか、ある少年だけは感慨深く聞いていた。
「わぁ……着いた、着いたんだなぁ、とうとう……」
年の頃は15、といったところか。丈の短い吊りズボンに膝までの靴下、黒い外套に帽子という、学生服にも採用されるようなややフォーマルな格好をしている。
彼は紅茶色の髪を揺らしながら、好奇心を隠すことなく琥珀の目であちらこちらをキョロキョロと見回していた。
「ネッド、 何か興味あるのでもあった?」
「!」
そんな少年――ネッドに声をかけたのは、清楚な雰囲気を持った金髪碧眼の若い女性だ。深海のような色合いのコートを白いワンピースの上から羽織り、胸には何かを模したバッジを付けている。
流れるような髪を耳にかけながら、彼女は少年に顔を向けた。
「どこか行きたい所があるなら、ちょっと観光しちゃう?」
「えっ、い、良いんですか? 時間、無いんじゃ」
喜びを隠しきれないといった様子の少年に、女性はウインクをしてみせた。
「大丈夫! 実はもともとそのつもりで、待ち合わせ時間もずらしてもらってるの」
「えぇっ。リィハ先輩、そんな計画してたんですか! なんで……」
言ってくれなかったのか、と続けるネッドに、彼女は気まずげに視線を逸らす。
「ほんとは、電車の中で相談しようと思ってたのよ。でも、ほら」
「……あ、僕、寝ちゃったから……。す、すみません」
原因は自分だったのかと途端に落ち込むネッドに、女性――リィハは、「疲れてたんでしょ、だからいいの」と彼の額にコツンと拳をぶつけた。
「ひぁっ」
「今決めれば良いんだから、気にしない、気にしない。はい、これパンフレット。近場でどこか行きたい所ある?」
「え、と……わ、わ」
ネッドが額をさすっていると、リィハは徐に懐からパンフレットを取り出し渡した。慌ててネッドが広げると、彼女は現れた地図に指で場所を示す。
「ええと、ココが今居る駅ね。それでこっちに行くと富裕層御用達のお店が立ち並んでいて、劇場なんかも――」
紙面に視線を落とし、説明に聞き入るネッド。地図には、簡略ながらも観光に必要な情報がつらつらと書かれていた。その中で必要な部分だけをかいつまみながら、あるいは自身の情報を加えながら、リィハは言葉を紡いでいく。
そして、地図をなぞっていたリィハの指がある一点に来た時、ネッドは小さく声を漏らした。
「あ、これって、ラヌスの――」
「ん、ここにする? 定番の観光スポットだから、そこそこ混んでるだろうけど」
それは、ラヌスにおいて1番古い建築物――『掲捧の像』だ。
『掲捧の像』とは、国に存在する建造物の中で最も歴史が古く、最初に「国家遺産」に登録されたことで有名な建造物だ。「掲捧の像」と呼ばれる像は全部で5つ有り、そのどれもがその地の象徴を掲げた姿をしている。例えば、王都の『掲捧の像』は「発展」の象徴として「子ども」を、水の都スーアは水瓶を、芸術の都スヌウェは筆や羽根ペンを、それぞれ掲げている。
これらが初めて建てられたのはいつなのかは、未だ不明である。というのも、「掲捧の像」に関して残っているのは、何らかの影響で壊された「掲捧の像」をいついつ、どのように修復した、という類の書類ばかりなのだ。それでも、少なくとも2000年前には存在したらしいことが今日の研究で分かっている。
「他に博物館なんかもあるけれど、良いの?」
「はい! この前少し習ったので、興味があるんです」
「そう。じゃあここにしましょう」
あっさりと行き先が決まり、ネッドは期待に胸を膨らませたが、ふと気付き、こてんと首を傾げた。
「あれ、でもリィハ先輩は……」
「私はいいの。もう行きたい所はだいたい行ったから」
そう言われ、恐らく何度も来たことがあるのだろうとネッドは納得した。先程された説明の中には、「その場所に行くには一見遠回りなこちらの道を行く方が信号や人が少ない」などのような情報が混じっており、気になっていたのである。
「それじゃ、まずはホテルに行きましょうか」
「あ、はい!」
行き先が決まったところでパンフレットをしまい、歩き始める。
歩きながら決めればよかったではないか、と思うかもしれないが、外はもう暗い。ガス灯の灯りを頼りにパンフレットを眺めるよりは、駅の安定した灯りの下で見た方が断然見やすいのは自明の理だ。
改札を抜け、世間話をしながら2人は駅前広場を通り抜ける。その先に、町へ下りる階段があるのだ。
「ちなみに、習ったって具体的にどんな内容?」
「えぇと、いまは富裕層の地として有名なラヌスは、かつては鉱山の町だった、っていう話です。だから『掲捧の像』は、富豪ではなく、鉱夫を象徴とするために鉱石を掲げているのだと習いました。……ですよね?」
「えぇ、あってるわ。偉い、きちんと覚えているのね」
褒められ、ネッドは少し居心地悪そうに、けれど少し嬉しそうに笑った。
「ラヌス程『掲捧の像』と現状に差があるところは無いと聞いて、面白いと思ったんです。だから、そんな歴史を感じられる建造物を、折角なので見たいんです」
「なるほどね……。よし、それなら他にも何か見たいものがあれば、私に言ってごらんなさい? 理由を付けて、連れ出してあげるわ」
リィハの突然の申し出に、ネッドはぎょっとした。
「えぇっ!? リィハ先輩、これからしばらく会えなくなるんでしょう?」
「あ、そうだったわ。……そう、なのよね。……たぶん、というより十中八九負担が増えるけれど、フォロー、お願いね」
「! ――はい。でも出来るだけ、早く戻ってきてくださいね」
「……はぁ。努力は、するわ。戻りたくないけど」
溜息をつくリィハに、ネッドは苦笑した。
「あはは、そんなこと言わないでくださ……、……わあ……っ!」
そこで、不意に視界のはしに映った夜景に、少年は歓声をあげた。
「すごい、……すごい! すごい!」
階段の手前にある、町を見下ろせるスペースの手すりまで走り寄ると同時に、興奮して同じ言葉ばかり繰り返すネッド。身を乗り出して夜景を見下ろす、そのはしゃぎようにかつての自分の姿が重なり、リィハは微笑んだ。
「ここは王都よりも整備されているから、ね」
もともと鉱山の町であったラヌスに、何故富裕層が住まうようになったのか。その理由のひとつに、街が洗練されていたから、という点が上げられる。そこには次のような経緯が存在した。
まず、資源には限りがあるはずで、ラヌスの鉱山も例外に漏れなかった。そのため、急速に廃れる町をどうにか建て直す必要が生じたのだ。そこで、鉱石を売って得た金を使い町を整備し、汚い鉱夫の町というイメージを払拭し、富裕層の別荘地として宣伝をし、……と、実は当時の者たちの涙ぐましい努力から、今のラヌスの土台が作られたのである。
そういったわけで、町のデザインには統一された美しさがある。石畳の組み方はもちろん、ガス灯や建物まで計算されて創られているのだ。初めて目にした者はみな同じように驚く。
ネッドはこの感動を伝えたくて、手すりからリィハのもとに駆け寄った。
「先輩、ラヌスって……」
「あっ、危ない!」
「え? ……わっ」
「きゃあ!」
しかし周りをよく見ていなかったために、人とぶつかってしまう。
軽い衝撃と共に、ネッドの帽子がふわりと飛んだ。
「いたた……す、すみません」
「いえ、こちらこそ、すみません」
「いえ、こちらが……」
尻餅をついたまま、謝ろうと顔をあげて、ネッドは目を見開いた。
少年がぶつかり、そのせいで目の前で同じように尻餅をついていたのは……珍しい、黒髪の少女だった。